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南紀と世界遺産の紀伊山地熊野を巡る(3)

ドライブライン

白浜・三段壁 熊野参詣道大辺路とほぼ平行して走る国道42号線、その本州最南端の串本潮岬を経て、南紀白浜から中辺路へとドライブの旅は続く。
飛鳥・奈良朝の時代から「牟婁(むろ)の温湯」または「紀の温湯」の名で知られ天智・持統・文武天皇をはじめ多くの宮人たちにも親しまれたという白浜温泉に足を留め、幻の魚くえを求めた。
そして近隣の観光地である三段壁や千畳敷、円月島などを見物したあとは、熊野参詣道中辺路を辿って熊野本宮大社へ。
これより三重県の中に取り込まれるように残された和歌山県北山村を訪ねた。長い間、秘境と言われた村も、山中を抜ける道路が真新しいトンネルで結ばれ“秘境”という言葉を残しながらも観光村に変貌しつつあった。とはいえ、尾鷲へ通じる国道42号線に出会うまでは長い山道を走り続けなければならなかった。


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ドライブライン

<コース>
南紀白浜−(国道311号線)−熊野本宮大社−(国道168・169号線経由)−北山村−(国道309号線)−熊野市小阪−(国道42号線)−尾鷲−(伊勢自動車道)−勢和多気IC−(東名阪自動車道)−名古屋
行程 約400km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●白浜温泉

飛鳥・奈良朝時代から、斉明・天智・持統・文武天皇と多くの宮人が訪れ、約1350年もの歴史を持つ由緒ある温泉。有馬・道後温泉と並んで「日本最古の湯」といわれている。
真っ白な砂浜で名高い浜に沿って温泉旅館やホテルが多く建ち並ぶが、200〜300円の入浴料の共同浴場も多くある。とくに太平洋に面した「崎の湯」の露天岩風呂は、西暦658年に斉明天皇と中大兄皇子が入浴したといい、時代が下ってからは、紀州藩主、後の8代将軍徳川吉宗公も湯浴みしたと伝えられている。
また、砿(まぶ)湯と行幸(みゆき)湯という源泉を引いた「牟婁の湯」(むろのゆ)は日本書紀や万葉集にも登場する古い温泉場だ。
白浜は、日本の火山帯には属さないのに、なぜ高温の温泉が湧くのかという長年の疑問があった。しかし近年、白浜・有馬など一帯に噴き出す温泉は、太平洋から潜り込んだプレートから滲み出す高温の地下水で、火山性のものではないことが分かったという。
泉質は、食塩泉、炭酸泉、重曹泉。温度は35〜85度。

見事に白い砂の白浜海岸
見事に白い砂の白浜海岸
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古代からの名湯、牟婁の湯
古代からの名湯、牟婁の湯

南紀白浜空港
南紀白浜空港
ニッポンレンタカー南紀白浜空港営業所と所長
ニッポンレンタカー南紀白浜空港
営業所と所長


●千畳敷

かんぽの宿をはじめ、ホテルや旅館の建ち並ぶ県道34号線からわずかに下った海岸線に3つの名所がある。南紀の海や海岸はどこも景勝地といえるほど美しいが、深い洞窟のある三段壁一帯は地形的にも歴史的にも一見の価値がある。
そのひとつ千畳敷は、名の通りに広い岩畳を思わせる大岩盤だ。瀬戸崎の先端から太平洋に向かって突き出た白色の岩盤で、第三紀層(いまから約6500万年前から165万年前までの時代)の砂岩からなっている。長い年月をかけて荒波に浸食され続けた壮大な大岩盤である。
白浜の名所 円月島
白浜の名所 円月島

白浜・千畳敷
白浜・千畳敷
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千畳敷
千畳敷

●三段壁

白浜海岸から数キロ南には、白砂の浜とは対照的な断崖絶壁が突き出している。高さは50〜60mで、南北に約2kmもの断崖が続く。三段壁とは、その昔、漁師たちが行き交う船や魚の群れを見張った「見壇」に由来するといわれる。
巨大な岸壁に打ち寄せる黒潮が激しくぶつかり合うダイナミックな光景を見せてくれる。
白浜・三段壁
白浜・三段壁
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●三段壁洞窟

千畳敷、三段壁と並んで白浜の代表的な観光名所。地底36mに広がる海蝕洞で、洞窟には高速エレベータがあり、約14秒で下る。洞内は約200mの通路があり、平安時代に力を誇った熊野水軍の舟隠しの伝承が残る史跡や弁財天などが祀られている。
源平合戦の折り、熊野三山の社僧(神社に身をおきながら仏事を執り行っていた人)は、源氏と平氏の二方から助けを求められ、新熊野十二所神社(現田辺市の闘鶏神社)で闘鶏を行いその判断を神に託したと、平家物語に書き残されている。
結果、熊野水軍3,000人、300艘の軍船を源氏に送り、壇ノ浦の戦いに勝利をもたらした。史料に基づいて再現された熊野水軍の番所小屋はなかなか興味深い。また、洞穴に打ち寄せる波は、轟音となって洞内に響き、潮吹きと呼ぶ岩穴からは、勢いよく波が吹き上げる。

三段壁洞窟から外海を見る。水軍が船を隠したという
三段壁洞窟から外海を見る。
水軍が船を隠したという

三段洞窟内部
三段洞窟内部

岩の穴から潮が吹き出す
岩の穴から潮が吹き出す
三段洞窟内の熊野水軍休息所(復元)
三段洞窟内の熊野水軍休息所(復元)

●南方熊楠記念館

和歌山が生んだ博学者、柳田国男と並ぶ民俗学の創始者である南方熊楠(みなかた・くまぐす)は、慶応3年(1867)に生まれ、昭和16年(1941)74歳で没するまでに、アメリカ、イギリスなどに海外遊学し、10ヶ国語を自由に使いこなしたという。
民俗学の他、さまざまな分野に功績をのこしたが、なかでも植物や粘菌採取に力を注ぎ、沢山の新種を発見した。さらに国内においては神社合祀と森林伐採に反対、地域の自然保護にも力を入れた。
生涯、在野の学者に徹したというが、記念館の中に収められた文献、標本類などから熊楠の多岐にわたる研究分野の広さに、ただ驚くばかりである。と共に、一人の人間が生涯に学べる分野の多さと深さ、そして生み出す成果に、驚嘆するばかりだった。
/入場料 400円、TEL 0739-42-2872

南方記念館からの展望
南方記念館からの展望
南方記念館の丘には紀伊藩の外国船監視の番所があった
南方記念館の丘には紀伊藩の
外国船監視の番所があった


○幻の高級魚・「くえ」の話

和歌山県中部の日の岬から本州最南端の潮岬に至る海域で漁獲される「くえ(九絵)」は大きいものでは体長1メートルを超え、体重30kgにも及ぶ、スズキ目ハタ科の魚。体色は緑褐色で6本の黒い縞模様があり、大きな頭に大きな受け口で、魚類やイカなどを食べる。水深50mの岩礁地帯に生息し、あまり移動はしない。
九州地方では「アラ」、関東では「モロコ」と呼ぶが、別種という。和歌山の「くえ」は「本くえ」といって、他に地方でいわれている「くえ」とは区別している。

白浜のくえ料理屋
白浜のくえ料理屋
くえは白身。おじやは格別の味
くえは白身。おじやは格別の味

身は白身でしっかりしていて、厚い皮下脂肪があるが、しつこくない。“一度食ったら、ほかの魚はクエん”といわれるほど旨い。和歌山の冬は「くえ鍋」が最高の贅沢という。
だが天然の「くえ」はベテラン漁師でも簡単に捕れない貴重な魚だ。しかし、白浜町にある近畿大学水産研究所では、1970年から「くえ」の養殖を始め、1998年に人工ふ化・飼育に成功し、3年数ヶ月前(2007)から「紀州本九絵」として出荷しはじめた。「天然の本くえ」ならば1kg1万円位だが、半値以下となった。ただし、まだ出荷量が限られているため、地元優先とか。
地元では何とか庶民の手が届く料金で「くえ鍋」が味わえるようになった。しかし、天然と養殖もの、さらに天然物の冷凍など微妙に味の違いもあるようだが、食べ比べてみた人でないと判別は困難だと聞いた。

白浜新名所とれとれ市場
白浜新名所とれとれ市場
さすが白浜、市場にはくえもあった
さすが白浜、市場にはくえもあった

●熊野古道中辺路

南紀白浜から国道311号線を行く熊野本宮大社への約70kmの谷間の道は、熊野権現九十九王子を祀る社や祠の鎮座する古道とも平行している。
しかし、社などを訪ねる山中を巡る古道は大半が徒歩で行く山道だ。
舗装だが道は狭い中辺路のドライブ
舗装だが道は狭い中辺路のドライブ

中辺路の歩道標示
中辺路の歩道標示
熊野川
熊野川

熊野道の古い標示
熊野道の古い標示
本道を外れても旧・中辺路はさらに山中だった
本道を外れても旧・中辺路は
さらに山中だった


●一願寺・清姫の墓

歌舞伎の演目となっている「娘道成寺」、安珍・清姫の物語は、中辺路の真砂(まなご)という集落にあった伝説といわれている。
その物語は、平安の昔のこと。奥州に安珍という美形の若い僧呂がいた。彼は毎年熊野詣でをするため、真砂の庄司の館に宿をとっていた。その家の娘、清姫は安珍に恋をする。ところが安珍は出家の身、熊野詣でを終えてから夫婦になると嘘をつき、清姫から逃れたが、清姫は身を大蛇に変え安珍を追う。道成寺の鐘に隠れた安珍を大蛇となった清姫は、鐘を我が身で巻き、鐘とともに安珍を焼き殺すという悲恋物語。全くの架空話ではないが、幾分異なった物語は他にもいくつかあるようだ。
真砂の富田川のほとりに清姫の石塔があるが、この地が清姫誕生の地と書かれた案内版もあった。墓に隣り合わせに建つ薬師堂は耳の病に霊験があるそうだ。

富田川のほとりに清姫の墓はある
富田川のほとりに清姫の墓はある
清姫の墓
清姫の墓

●滝尻王子

かつては岩田川と呼ばれた富田川と石船川の合流点にある。王子とは熊野権現の御子神で九十九の王子からなる。滝尻王子は王子の中でも格式が高いとして崇敬されてきた「五体王子」のひとりとされ、熊野霊域の入り口という重要な場所であった(ちなみに九十九とは数ではなく、数え切れないほどという意味とか)。

当時、岩田川は熊野詣での道中でもっとも神聖な川とされ、この清らかな川の流れを徒歩で渡ることで罪業をぬぐい去ることができると考えられていた。
熊野詣でをする人を道者といい、道者は王子社で奉幣や経供養、神楽などの奉納を行った。28回も熊野御幸を行ったという後鳥羽上皇は所々の王子で和歌の会を催した。その歌会に参加した人々が詠んだ歌を書いて奉納した懐紙を熊野懐紙という。
滝尻王子
滝尻王子

●熊野古道館

滝尻王子の向かいにある、上富田町の12の王子社にちなんだ12角形の建物。熊野中辺路の情報拠点として歴史紹介を兼ねた観光案内所であり、休憩場所でもある。
熊野三山についての解説から熊野古道と王子社を訪ねるハイキングコースまでの案内板の他、歌会で詠まれた懐紙や滝尻王子の所蔵品なども展示されている。
古道館前には、滝尻茶屋がある。店内には古道の語り部や、この地に詳しい地元の人がいて、観光客をもてなしてくれる。
/入館無料、TEL 0739-64-1470
古道館は熊野信仰の様子が分かる
古道館は熊野信仰の様子が分かる

貴人はこんな行列で熊野詣で(古道館で)
貴人はこんな行列で熊野詣で(古道館で)

●熊野本宮大社

主祭神は、家都美大神(けつみみこのおおかみ)、熊野坐大神(くまににますおおかみ)、熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと)の三神。熊野三山の中心で、熊野権現の信仰として上皇や女院、庶民、貴賤を問わず「蟻の熊野詣」とたとえられたほど参詣者で賑わった大社。
鳥居の前には権現の使いである三本足の八咫烏が人目を引く。鳥居をくぐり過ぎ木立の中の158段もの石段を上ると正面に神門があり、奥には左から第一殿・第二殿の相殿、第三殿、第四殿と棟が並ぶ。中央にある第三殿が本殿である。どういうわけか数年前には問題なかった本宮大社の写真撮影はいまは禁止となっていた。

熊野本宮大社
熊野本宮大社
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熊野本宮大社の神門、先は撮影禁止
熊野本宮大社の神門、先は撮影禁止

現在の熊野本宮大社は、長い石段を上る山の上にあるが、明治22年(1889)の大洪水で流されるまでは、熊野川の中州にあった。旧社地には平成12年(2000)に日本一高い鳥居が建てられた。その高さ約40m、横42mもある。
旧社地の大鳥居
旧社地の大鳥居

●北山村

熊野川の上流、三重県と奈良県の県境を流れる北山川を辿ると、和歌山県の飛び地である北山村に着く。熊野本宮大社から国道169号線の北山川沿いは細い山道だったり、突然立派なトンネルをくぐったりと長い道のりだ。
北山村への道
北山村への道

北山村は奈良県の中にある和歌山県の村
北山村は奈良県の中にある和歌山県の村
北山村道の駅は筏下りの乗り場も近い
北山村 道の駅は筏下りの
乗り場も近い


その昔、林業が村の基幹産業だったことから木材の輸送には北山川を筏で下り新宮へと運んだ。明治4年(1871)の廃藩置県で三重、和歌山、奈良の三県の県境を決めるとき、熊野川及び北山川中央部をもって県境とし、村は奈良県に入ることになった。しかし、林業を通して新宮との繋がりが深かったため、村民の強い意志で和歌山県になった。
現在は昔の筏下りを観光の目玉に、観光用の筏を作り、それに乗って川下りができる。ニッポン唯一の飛び地村として、村興しに力を入れている。

北山村土産は「じゃばら」が特産品
北山村土産は「じゃばら」が特産品
「じゃばら」は北山村にしかない柑橘類だった
「じゃばら」は北山村にしかない
柑橘類だった


静かで美しい北山村
静かで美しい北山村
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北山村は峡谷がダムになっている
北山村は峡谷がダムになっている



○ニッポンレンタカーの車種・料金

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○和歌山県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、和歌山県の営業所リストをご覧いただけます。


白浜観光協会
白浜町のみどころや「牟婁の湯」をはじめ外湯・足湯めぐり、くえなどの郷土食材も紹介している。
北山村
北山村の公式サイト。おくとろ温泉や観光筏下り、特産品「じゃばら」などの案内が見られる。
熊野本宮大社
社殿案内図や由緒、神事などの祭典、神木や宝物の説明などが掲載されている。

取材:2010年11月

※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。