秋の伊吹山と琵琶湖東岸(1)

伊吹山山頂。空には雲ひとつなく、360°の大パノラマが広がっていた 慶長5年(1600)、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍とが天下分け目の大戦を繰り広げたことで有名な「関ヶ原」。その北西にひときわ大きくそびえるのが、標高1,377m、日本百名山のひとつに数えられる「伊吹山」だ。この山には「伊吹山ドライブウェイ」という有料道路が走っており、頂上直下の標高1,260m地点まで車で一気に登っていくことができる。10月下旬、ちょうど紅葉がはじまったころだろうと、青空広がる秋晴れの日を狙って伊吹山へと向かった。
伊吹山から関ヶ原の古戦場跡をまわったあとは、琵琶湖の東岸へ。戦国時代、羽柴(豊臣)秀吉が「長浜城」を築いて治めた長浜から湖岸を南へと向かい、国宝「彦根城」がそびえる彦根や、「西明寺」「金剛輪寺」「百済寺」の湖東三山、秀吉の甥・秀次が作った城下町の面影が今も残る近江八幡などをドライブした。

ドライブルート

米原−(国道21・365号線、伊吹山ドライブウェイなど)−伊吹山−関ヶ原−(国道365号線、県道509号線など)−長浜−(県道2号線など)−彦根−(国道306・307号線など)−湖東三山−(県道213・328・2号線など)−安土−(県道2号線など)−近江八幡−米原

全行程 約172km、今回 約77km

<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>

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伊吹山

今回車を借りたのは、東海道新幹線米原駅から徒歩すぐのところにある「ニッポンレンタカー米原駅西口営業所」。国道21号線や国道365号線を東へとひた走り、滋賀県から岐阜県に入って数分で「伊吹山ドライブウェイ」の入口へと着いた。
この道路は全長17kmあり、標高200m付近の入口から標高1,260mの山頂駐車場までをつないでいる。1,000mもの標高差があるため、秋になると10月中旬ごろから山頂付近で紅葉がはじまり、約1ヶ月かけて徐々に麓へと下りてくる。訪れた10月下旬は、ちょうど中腹の標高1,000mあたりが見ごろを迎えており、赤や黄色に色づいた木々が車窓を流れていった。

  • 伊吹山ドライブウェイの入口

    伊吹山ドライブウェイの入口

  • 入口から10km地点。標高800m付近のこのあたりはまだ紅葉していない。正面左手に見えるのが伊吹山山頂

    入口から10km地点。標高800m付近のこのあたりはまだ
    紅葉していない。正面左手に見えるのが伊吹山山頂

  • 標高1,000m付近から山頂方面を望む

    標高1,000m付近から山頂方面を望む

  • 標高1,000m付近では斜面の木々が色づいていた

    標高1,000m付近では斜面の木々が色づいていた

  • 1,100m付近で望遠レンズを構えたカメラマンの集団と遭遇。イヌワシの撮影らしく、車のナンバーを見ると全国から来ているようだった

    1,100m付近で望遠レンズを構えたカメラマンの集団と遭遇。イヌワシ
    の撮影らしく、車のナンバーを見ると全国から来ているようだった

  • 標高1,260mのスカイテラス駐車場。右奥に見えるのが、食事や買い物ができる「スカイテラス伊吹山」

    標高1,260mのスカイテラス駐車場。右奥に見えるのが、
    食事や買い物ができる「スカイテラス伊吹山」

  • 駐車場からの眺望も抜群!ここからでも絶景を十分に堪能できる

    駐車場からの眺望も抜群!ここからでも絶景を十分に堪能できる

山頂駐車場から、伊吹山の山頂(1,377m)までは登山道を歩いて登っていく。コースは、緩やかな勾配で山頂まで40分ほどかかる「西登山道コース」と、山頂まで急げば15分で着くが急勾配な「中央登山道コース」の2つ。先を急ぐ今回は、中央登山道コースを登った。
伊吹山は高山植物の山としても人気が高く、春から秋にかけて約200種の草花が美しく咲き誇る。伊吹山だけに生息する固有種が9種と多いことも特徴のひとつである。また、江戸時代より前にヨーロッパから渡来した植物もいくつか見られ、それらは織田信長がポルトガルの宣教師に命じて伊吹山につくったとされる薬草園に由来するといわれている。
快晴の空の下、山頂からは東に濃尾平野、西に琵琶湖、北には白山や北アルプスの山並みなど、360°の大展望が楽しめた。車を下りてわずか15分の登山でこんな絶景に出会えるなんて、かなり贅沢なことではないだろうか。まさにドライブウェイ様々である。
/伊吹山ドライブウェイ利用料金 3,090円(軽・普通自動車)

  • 中央登山道を登る。急な階段が続くが、15〜20分で山頂に行ける

    中央登山道を登る。急な階段が続くが、15〜20分で山頂に行ける

  • 伊吹山山頂。空には雲ひとつなく、360°の大パノラマが広がっていた

    伊吹山山頂。空には雲ひとつなく、360°の大パノラマが広がっていた

  • 山頂の日本武尊(やまとたけるのみこと)像。伊吹山には日本武尊にまつわる伝説が残っている

    山頂の日本武尊(やまとたけるのみこと)像。
    伊吹山には日本武尊にまつわる伝説が残っている

  • 山頂には何軒もの山小屋が建ち、食事や買い物ができる

    山頂には何軒もの山小屋が建ち、食事や買い物ができる

関ヶ原古戦場

伊吹山ドライブウェイから国道365号線に戻り、「関ヶ原古戦場」までは車で数分。まさに目と鼻の先の距離といっていい。
関ヶ原は、安土桃山時代の慶長5年(1600)、秀吉亡き後の天下の覇権を狙う徳川家康率いる東軍と、それを阻止するために挙兵した石田三成率いる西軍が、天下分け目の決戦を繰り広げた場所として、あまりにも有名。戦いに参加した西軍の総勢は8万4000。一方の東軍は7万4000。つまり合計15万人以上もの人々がこの地に集まって布陣したため、古戦場跡といってもその範囲は極めて広く、一帯のあちこちに参戦した武将たちの陣跡などが点在している。
数ある陣跡の中でやはり外せないのは、西軍の指揮を執った「石田三成 陣跡」。関ヶ原北西部の笹尾山頂上にあり、竹矢来や馬防柵が復元された山麓から5分ほどかけて山頂へと登ると、眼下には関ヶ原を一望にできる。400年以上前、三成がここに本陣を置き、戦いの様子を眺めていたと思うと、感慨深いものがある。

  • 笹尾山・石田三成陣跡の入口。馬防柵が復元され、「大一大万大吉」の軍旗がはためいていた

    笹尾山・石田三成陣跡の入口。馬防柵が復元され、
    「大一大万大吉」の軍旗がはためいていた

  • 石田三成陣跡からは関ヶ原を一望できる

    石田三成陣跡からは関ヶ原を一望できる

  • 笹尾山の麓には、三成の重臣・島左近の陣跡を示すのぼりが立っていた

    笹尾山の麓には、三成の重臣・島左近の
    陣跡を示すのぼりが立っていた

  • 「笹尾山交流館」では、おみやげの販売のほか、甲冑体験ができる

    「笹尾山交流館」では、おみやげの販売のほか、甲冑体験ができる

「徳川家康最後陣跡」。合戦後、家康はここで、武将たちが討ち取ってきた敵将の首実検を行ったと伝わる

「徳川家康最後陣跡」。合戦後、家康はここで、武将たちが
討ち取ってきた敵将の首実検を行ったと伝わる

関ヶ原の広さを体感するには各陣跡を歩いて見てまわるのもおすすめだが(主な史跡を徒歩でまわるにはだいたい6時間ぐらいかかる)、ところどころに駐車場もあるため、車を使えば効率的に見学ができる。
今回は、歴史民俗資料館近くにある「徳川家康最後陣跡」、敵陣へと発砲して決戦の火ぶたを切った「松平忠吉・井伊直政陣跡」、関ヶ原合戦図屏風にも描かれた樹齢800年の月見の宮大杉が今もそびえ立つ「福島正則陣跡」などを巡った。

  • 合戦の終盤、東軍諸隊が三成の首を狙って激戦を繰り広げた場所には「決戦地」の石碑とのぼり、家康・三成の陣旗がはためく

    合戦の終盤、東軍諸隊が三成の首を狙って激戦を繰り広げた場所には
    「決戦地」の石碑とのぼり、家康・三成の陣旗がはためく

  • 福島正則の陣跡。真ん中の大木は、関ヶ原合戦図屏風にも描かれている樹齢800年の「月見の宮大杉」

    福島正則の陣跡。真ん中の大木は、関ヶ原合戦図屏風にも
    描かれている樹齢800年の「月見の宮大杉」

  • 松平忠吉と井伊直政の陣跡。石碑の背後には、井桁紋(いげたもん)が描かれた井伊家の陣旗が立っていた

    松平忠吉と井伊直政の陣跡。
    石碑の背後には、井桁紋(いげたもん)が
    描かれた井伊家の陣旗が立っていた

  • 町中の電柱には、関ヶ原の合戦や参戦した武将に関するうんちくが

    町中の電柱には、関ヶ原の合戦や参戦した武将に関するうんちくが

関ヶ原町歴史民俗資料館

関ヶ原町歴史民俗資料館の外観

関ヶ原町歴史民俗資料館の外観

徳川家康最後陣跡そばにある「関ヶ原町歴史民俗資料館」にも立ち寄ってみた。
常設展では、関ヶ原合戦図屏風をはじめ、徳川家康、石田三成の所用兜(複製)、関ヶ原の戦いで使われた武具(甲冑、大筒、火縄銃、ほら貝、陣跡からの出土品)などを公開。大型の電光ジオラマでは合戦時の東西両軍の陣形と戦いの流れを解説してくれる。隣接するミュージアムショップでは、武将家紋入りぐい飲み、ミニ軍旗、家紋写し金蒔絵シールなど、世紀の大戦に参戦した武将たちにちなんだグッズがずらりと並んでいた。
/入館料 350円

竹生島(ちくぶしま)

関ヶ原から西へ20kmほど走ると、琵琶湖東岸に位置する長浜の市街地へと入っていく。市街地を抜けてまず向かったのは、湖岸の「長浜港観光船のりば」。ここで「竹生島」へとわたる観光船に乗り込んだ。
竹生島は琵琶湖に浮かぶ2番目に大きな島で、その名の由来は「神を斎(いつ)く島」と言われ、古くから信仰の対象とされてきた。平家物語の『竹生嶋詣』や謡曲『竹生島』にも神秘的な美しさを秘めた島として登場する。

  • 長浜港にある観光船のりば

    長浜港にある観光船のりば

  • 竹生島へとわたる観光船「べんてん」は定員164名。1階と2階に客室がある高速船

    竹生島へとわたる観光船「べんてん」は定員164名。
    1階と2階に客室がある高速船

  • 湖上からの景色。湖岸の街並みのさらに向こうに伊吹山が大きくそびえていた

    湖上からの景色。湖岸の街並みのさらに向こうに
    伊吹山が大きくそびえていた

  • 竹生島が徐々に近づいてくる。片道約30分の船旅

    竹生島が徐々に近づいてくる。片道約30分の船旅

竹生島港からの展望。山の斜面に堂塔や社殿がひしめくように建っている

竹生島港からの展望。山の斜面に堂塔や社殿がひしめくように建っている

長浜港を出た船は、およそ30分で竹生島に到着。船を下りると、正面の山の斜面に朱色の鳥居や社殿、堂塔がひしめくように建っている様を眺めることができた。
この島には2つの国宝がある。そのひとつが「都久夫須麻神社本殿」。関白豊臣秀吉がその時代の粋を集めて造った伏見城内の日暮御殿を、その子・秀頼が神社の復興にあたって神殿として寄進したもので、殿内は桃山時代を代表する画家、狩野永徳・光信筆の天井絵や襖絵などで飾られている。
もうひとつの国宝は、宝厳寺観音堂の「唐門」。もともとは大坂城の極楽橋に建っていたものを、秀吉の死後に京都東山の豊国廟(秀吉の廟所)に移築。その後、慶長7年(1602)、豊臣秀頼の命によって、ここ竹生島に渡ってきた。秀吉が建てた大坂城は、大坂の陣によって焼け落ちてしまっているため、この唐門は現存する唯一の大坂城遺構ということになる。ただ、訪れたときはちょうど唐門、観音堂、渡廊下(舟廊下)の修復作業の真っ最中で、残念ながらその姿を拝むことはできなかった(保存修理事業は平成25〜30年度の6年間の予定)。

  • 国宝「都久夫須麻神社本殿」

    国宝「都久夫須麻神社本殿」

  • 龍神拝所。琵琶湖に面した鳥居へかわらけ(素焼きの小さな陶器)を投げ、鳥居の間を通ると願いが叶うといわれている

    龍神拝所。琵琶湖に面した鳥居へかわらけ(素焼きの小さな陶器)を投げ、
    鳥居の間を通ると願いが叶うといわれている

  • 都久夫須麻神社本殿と宝厳寺観音堂をつなぐ「舟廊下」。秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用して建てたといわれている

    都久夫須麻神社本殿と宝厳寺観音堂をつなぐ
    「舟廊下」。秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を
    利用して建てたといわれている

  • 国宝「唐門」の内部。残念ながら修復工事中で、足場が組まれ、ほとんどがシートに覆われていた

    国宝「唐門」の内部。残念ながら修復工事中で、足場が組まれ、
    ほとんどがシートに覆われていた

急な石段をさらに登っていくと、本尊の大弁才天を祀る「宝厳寺本堂(弁才天堂)」が建つ。宝厳寺は神亀元年(724)に聖武天皇の勅命を受けた僧行基が開山した古刹であり、本尊の弁才天は、江ノ島、宮島と並ぶ「日本三弁才天」のひとつとされ、そのなかでも最も古いため「大」の字をつけて、大弁才天と呼ばれている。
往路の船が島に着いてから帰りの便が出るまで、上陸時間は1時間20分。たっぷり時間があったため、心ゆくまで島内を散策することができた。古来あまたの人々が訪れ、祈りをささげてきた歴史があるからであろうか。島全体にどことなく厳かな空気が満ちているように感じた。
/竹生島クルーズ乗船料 3,070円(往復)、拝観料 400円

  • 宝厳寺本堂へは急な石段を登っていく

    宝厳寺本堂へは急な石段を登っていく

  • 本尊の大弁才天が安置された宝厳寺本堂(弁才天堂)

    本尊の大弁才天が安置された宝厳寺本堂(弁才天堂)

  • 平成12年(2000)に約350年ぶりに再建された三重塔。訪れたときは「西国三十三所草創1300年記念」で内陣の特別拝観が行われていた

    平成12年(2000)に約350年ぶりに再建された
    三重塔。訪れたときは「西国三十三所草創1300年
    記念」で内陣の特別拝観が行われていた

  • 帰りの船に乗って、島をあとにする。海からだと島内のそれぞれの建物がよく見える

    帰りの船に乗って、島をあとにする。海からだと島内のそれぞれの建物がよく見える

黒壁スクエア

正面は、黒壁スクエアの中心的な店舗である「黒壁ガラス館」。明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行跡を改装している

正面は、黒壁スクエアの中心的な店舗である「黒壁ガラス館」。
明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行跡を改装している

琵琶湖の湖岸に開けた町「長浜」は、古くから渡来の文化や産業を取り入れる新進の気鋭に満ち、戦国時代には国友の鉄砲、浜ちりめん、ビロードなどが商いされた。また、この地で初めて一国一城の主となった羽柴(豊臣)秀吉は、城下に楽市楽座を敷き、町屋敷年貢免除の朱印状を授けたことで、人とモノとがさらに集まるようになり、長浜の大きな発展につながった。
そんな往時の賑わいや活気を今の時代に追体験できるスポットが、北国街道沿いの古い街並みの一角にある「黒壁スクエア」だ。一帯には、約3万点のガラス製品を展示販売する「黒壁ガラス館」、滋賀の特産品や雑貨などを販売する「黒壁AMISU」(ちなみに「AMISU」とは「見立て」という意味だそう)をはじめ、食事処やカフェ、工房やミュージアムなど、個性あふれる約30館が点在。近隣の駐車場に車を停めて、ぶらりぶらりと街歩きを楽しむのがいいだろう。

  • 「黒壁AMISU」では、滋賀の特産品や、日本の暮らしに馴染む器や道具を販売

    「黒壁AMISU」では、滋賀の特産品や、日本の暮らしに馴染む器や道具を販売

  • 滋賀の名物のひとつ「焼鯖寿し」。小腹が空いたので一本買って食べた。脂がのって、かなりの美味!

    滋賀の名物のひとつ「焼鯖寿し」。小腹が空いたので
    一本買って食べた。脂がのって、かなりの美味!

  • 毎年4月に行われる長浜曳山祭。「曳山博物館」では、実物の曳山(山車)や、曳山の舞台で演じられる子供歌舞伎の様子を紹介

    毎年4月に行われる長浜曳山祭。「曳山博物館」では、実物の曳山
    (山車)や、曳山の舞台で演じられる子供歌舞伎の様子を紹介

長浜城歴史博物館

長浜城歴史博物館は、昭和58年(1983)に再建された天守内にある

長浜城歴史博物館は、昭和58年(1983)に再建された天守内にある

天正元年(1573)、小谷城の戦いで北近江を支配する戦国大名浅井家が滅亡すると、その戦で手柄を上げた羽柴(豊臣)秀吉は浅井氏の領地の大部分を与えられ、翌天正2年(1574)に琵琶湖に面した今浜の地(現在の長浜)に新たな城の建設を開始。天正5年(1577)ごろに完成したのが、“秀吉出世城”とも呼ばれる長浜城である。秀吉は天正10年(1582)まで在城し、そのあとは柴田氏、山内氏、内藤氏などが城主として入るが、江戸時代初期に廃城に。廃城後は、石垣・櫓材などは南の彦根城に運ばれて、長浜城は完全に失われてしまった。
現在の天守は、昭和58年(1983)に「秀吉の長浜城を再興しよう」という市民の熱望によって、天正期の城郭をモデルに再建されたもので、内部は「長浜城歴史博物館」として公開。長浜の歴史や文化、秀吉との関わりが紹介されている。また、周辺には城跡を整備して造られた「豊公園」が広がり、日本の夕陽百選に選ばれるなど琵琶湖と夕陽の絶景が眺められるスポットとして人気を集めている。
/入館料 400円

  • 豊公園内に建つ、長浜城本丸跡を示す石碑

    豊公園内に建つ、長浜城本丸跡を示す石碑

  • 歴史博物館5階の望楼から、琵琶湖に沈む夕陽を眺める

    歴史博物館5階の望楼から、琵琶湖に沈む夕陽を眺める

ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

滋賀県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、滋賀県の営業所リストをご覧いただけます。

滋賀県観光情報
滋賀県の観光スポットや宿泊施設、グルメ、イベント情報などのほか、エリア別モデルコースも見られる。
伊吹山ドライブウェイ
伊吹山ドライブウェイの利用案内をはじめ、周辺のお勧めスポット、旬な見どころなどを紹介している。

記事・写真:谷山宏典 取材:2017年10月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。