第13戦ラリージャパン
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2005年世界ラリー選手権(WRC)第13戦のラリージャパンはトップを快走していたスバルのペター・ソルベルグ(ノルウェー)が、SS2つを残してまさかのリタイヤ。2位に入ったセバスチャン・ローブ(フランス、シトロエン・クサラ)がポイント計算上、昨年に続き2年連続チャンピオンを確定した。 ラリーは帯広市を中心に十勝地方で9月30日から10月2日にかけて行われ、マーカス・グロンホルム(フィンランド、プジョー307)がSS26ヵ所、350.18キロ(総走行距離1605.20キロ)を3時間25分32秒で走破して優勝。 |
![]() グロンホルム組を中心にローブ組(左)、 アトキンソン組 (画像をクリックすると拡大写真を表示します) |
ローブは22秒遅れの2位、3位にスバル・インプレッサのクリス・アトキンソン(オーストラリア)が入った。 スバルのエース、ソルベルグは最終日のSS25をグロンホルムに20秒の差をつけ、優勝目前だったが、SS25のスタートまもなくライン上に転げ出ていた大きな石をヒット。ステアリングアームを破損してコースアウト・リタイヤとなった。 日本車では三菱ランサーのハリ・ロバンペラ(フィンランド)が5位、ジル・パニッツイ(フランス)が11位だった。 併催のプロダクションカー世界選手権(PCWRC)は新井敏弘(スバル・インプレッサ)が優勝。最終戦のラリー・オーストラリア(11月11日)でシリーズ・チャンピオンをかけて走る。 |
![]() 惜しくも優勝を逃したスバルのソルベルグ (画像をクリックすると拡大写真を表示します) |
![]() PCWRCで優勝した新井のスバル (セレモニアルスタート) |
○…ソルベルグのリタイヤは悲惨だった。残すSSは2ヵ所。22秒3のリードはほぼ“安全圏”だった。しかし、不運と言うのだろうか。SS25をスタートしてまだ2キロも走らないところで、大きな石が待ち受けていた。前を走った車が掘り出し、路面に転がり出たのものだった。 「ショックだ。信じられない。この無念さを表現する言葉が見つからない。24本のSS全てがパーフェクトに進んでいて、優勝が目の前にあったのに、それが瞬時に消えた。あの石は避けようがなかった。ドライビングラインに乗っていたし、あっという間の出来事だった。これ以上話すことはないよ」とソルベルグ。 サービスパークのスバルのブースには、在日本ノルウェー大使からお祝いの書簡と花束が届いていた。ファンからはスバル・カラーのブルーに塗ったダルマも届き、ソルベルグが片目に墨を入れるのを待っていた。それも“お蔵入り”となった。 「残念なことになりました。優勝を期待していたファンの方々には申し訳ない」と竹中恭二社長。無念さが滲み出ていた。 |
○…今シーズンのラリー3戦を残して2年連続WRCタイトルを獲得したローブは、連続チャンピオン獲得4人目のドライバーとなった。 |
![]() 2年連続チャンピオンとなったローブ(中央)は 初めての鏡割り |
「正直なところ、今回は優勝するかどうかは気にしていなかった。2位か3位でタイトル獲得なのでそれが狙いだった」とローブは話す。 コ・ドライバーのダニエル・エレナ(フランス)は“安全運転”の難しさを語る。「ペースノートは全速で走るように作ってある。ペースを抑えて走るようにノートを読み替えるのはとても難しい」 シトロエン・チームはサービスパークに運び込まれた日本酒の“一斗樽”で鏡割り。セレモニー用ではない樽だったので、木槌では割れず、ローブが大きな金槌でふたを叩き割ってやっと升酒で乾杯となった。 |
○…雲の上の存在だったソルベルグのリタイアで、WRCに参戦した初年度に3位で表彰台に立ったアトキンソンはうれしさ一杯。初めて台上でグロンホルムと握手。シャンペンシャワーも体験した。 「一生懸命に走りました。昨日(2レグ)では轍が深く、思い切った走りができませんでしたが、今日は全力疾走です。WRCの表彰台に立つなんて、信じられません」と感激だった。 |
![]() アトキンソン |
スバルワールドラリーチーム(SWRT)のスバル代表、東稔也さん(STI)は「ペターのリタイアは残念ですが、メーカーの協力でラリー車は正しい進化を続けていることが証明されました。クリスはトップスポーツマンとしては、精神力が弱かった。センスは素晴らしいので、この表彰台を契機に、ペターに迫るドライバーに成長して欲しい」と話している。 ソルベルグ・リタイヤの無念とアトキンソン表彰台の喜びで、スバル・チームは複雑な表情だった。 |
![]() ロバンペラ(スーパースペシャルで) |
○…三菱はロバンペラ、パニッツイがポイント対象。ジジ・ガリ(イタリア)は「自由に走らせステージ・トップタイムや思い切ったアクションで、これからチームの中心になる力を見せつけるのが狙い」とMMSPの鳥居勲社長。 狙い通りガリはSS5でトップタイム。2位4回、3位3回と健闘。SS23でリタイヤするまで総合4位につける頑張りだった。 |
一方、ロバンペラはSS22で電気系のトラブルで一時ストップしたのが響き、5位に終わったが、札内のスーパースペシャルは3度ともトップ。 「車の速さ、開発の正しさが証明された」と鳥居社長。“キング・オブ・サツナイです”の言葉も出た。 |
○…ローブ以前にWRC連勝ドライバーは、3人しかいない。 ユハ・カンクネン(フィンランド=1986〜87年)、トミ・マキネン(フィンランド=1996〜99年)、マシモ・ビアシオン(イタリア=1988〜89年)。マキネンの4連勝が最高だ。 |
![]() SSへ、踏切を渡るプジョー |
○…PCWRCは新井敏弘、奴田原文雄の日本人2人がトップ争いを展開した。新井が初日、パンクで遅れ、首位に立った奴田原を追いかけて初日は4秒8まで詰め寄った。第2レグでは最初のSSで新井が逆転。トップタイムを連発して、奴田原を突き放し優勝。最終戦(豪州、11月11日最終ゴール)で今シーズンのPCWRCのタイトルをかけて競う。 |
○…スズキ・スイフトはスーパー1600。FF方式で1600ccは4輪駆動の車の中で地味な戦い。しかし、近い将来「WRCへの出場を狙う」とされるスズキは、果敢にチャレンジ。ガイ・ウィルクス(英国)は総合で17位、P.G.アンダーソン(フィンランド)は22位とグループNの多数をぶっち切りの快走だった。 |
○…シュコダがラリージャパン用に片仮名で“シュコダ”と車の左サイドにロゴを入れた。フォルクスワーゲン・グループの同社は、チェコが本拠で欧州ではよく見かける車だが、日本にはディーラーもないし、今のところ日本での販売計画もない。 |
「せっかく日本で走るのだから、友好の意味で日本文字を書いた」と同チームでは言っている。WRCのワークスカーは合計12台だが、参戦車を見ると日本のスバル、三菱を含めても車体に日本語で社名を書いているのは皮肉なことにシュコダだけ。 初の日本走行となるが、来年は来日するかどうか…。チーム側は「役員会が決めること。これから検討する」との返事だった。最初で最後のラリージャパン出走になる可能性もある。 |
![]() ラリージャパンに登場したシュコダのロゴ |
◇Rally Japan : Final Positions
◇PCWRC成績
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