第12戦ラリーGB
異常事態の中、ソルベルグ(スバル)優勝
2005年世界ラリー選手権(WRC)第12戦は最終日の9月18日、トップでSS(競走区間)を終えたセバスチャン・ローブ(フランス、シトロエン・クサラ)がタイムペナルティを受けて3位になったため、スバル・インプレッサに乗るペター・ソルベルグ(ノルウェー)が今季3度目、ラリーGB4連勝となった。
マルコ・マルティン(エストニア、プジョー307)がSS(競走区間)15でコースアウト。立木に激突し、コ・ドライバーのマイケル・パーク(英国)が死亡。ラリーは残るSS2カ所をキャンセルし、SS15までの成績を採用して終了すると見られた。しかし、プジョー・チームは即座に撤退を表明し、3位にいたマーカス・グロンホルムは記録から消えた。ポイント計算からローブが優勝、ソルベルグ2位になると、ローブの2年連続優勝が決まる。
仲間に死亡事故が起こった中でのタイトル獲得を敬遠したローブは、故意に2分のタイムペナルティを受け、ソルベルグ、フランソワ・デュバル(ベルギー、シトロエン・クサラ)に次ぐ3位に落ちてカーディフにフィニッシュした。タイトル争いはラリージャパン以降に持ち越された。
激しく走るソルベルグのスバル
快走していたローブは自ら優勝を捨て3位を選んだ
◇シャンペン・シャワーなし
○…ドライバーは黙祷、優勝者の発表も、表彰式もなかった。カーディフのミレニアム・スタディアムには半旗が掲げられ異常な幕切れ。パークの地元、英国でショッキングな死亡事故は関係者の間に強い衝撃を与えた。
事故のすぐ後、パークの死亡が伝えられると、プジョーはこのラリーからの撤退を決め、3位のグロンホルムの記録が消えた。グロンホルムが残っていれば、ローブの優勝はラリーGBでは決まらない。しかし、棄権扱いになるとローブは悲劇のラリーGBで優勝という複雑な状況となる。
華やかなはずのセレモニーは沈んだものになった
グロンホルム苦渋の表情
シャンペンを振りかけて喜ぶこともできない。ローブは故意にペナルティを受けて2年連続チャンピオンという栄光のシーンを避けた。ラリーの世界の“強い仲間意識”もあったろうし、心から喜べる環境も欲しかったのだろうが、もう1勝、または3位に入ればチャンピオンの座を守れる自信も背後に見えた。それでもローブの心境は複雑なものがあったようで、サービスパークでは「ラリーはサービスパークに集合した段階でストップすべきだった」とも話していた。
◇安全対策は進んでいるが…
○…高度なテクニックを駆使して一般路を走るラリーにリスクはついて回る。ここ10年ほどの間にラリーはずいぶんと安全になった。安全に関する規則は強化され、観客整理も現地からの連絡だけでなく、ヘリコプターを飛ばして監視するようになった。
イタリアやスペインの情熱的な観客は“タッチ”を競った。ラリー車にSSで触れる―。まさにタッチで若者は“勇気の証”のようにそれを誇った時期もあった。規制が厳しくなり、次第に危険な遊びはなくなったが、ラリー車を近くで見ようと、観客がSSのコースにはみ出すことは珍しくなく、サンレモ・ラリーは、開催地をサルディニアへと移した。あちこちのラリーで、SSが中止される多くの原因は、ラリーコースに観客がはみ出すためだ。
ロバンペラは惜しくもトラブルで遅れた
◇スポーツとリスク
○…安全規則を強化し、観客整理を徹底しても、スポーツから事故を一掃することは難しい。モータースポーツだけがリスクを持つのではない。ラグビーでも死亡事故はあるし、野球でさえ“危険球”を定めているほどだ。
WRCはバイクやF1に比べると、リスクは軽いようにも思えるが、決してそうではない。崖っぷちを走ることもあるし、コースのすぐ脇に樹木もある。高速で激突すればひとたまりもないようだが、車の強度やベルトが乗員を守ってきた。しかもラリーは運転する人と、コースを知らせるコ・ドライバーの2人が乗っている。
コ・ドライバーはレッキ(下見走行)で調べたコースを克明にペースノートとして作り、実戦で読み上げる。ほとんど前方を見ない。着地の衝撃も受けるまでわからないし、事故が起こる瞬間まで、すべてはドライバー任せとなっている。車は頑丈なロールケージ(丈夫なパイプの籠)で守られ、乗員も首を傷めないように今シーズンから新たな装備を義務づけられている。が、コ・ドライバー側から樹木に激突しては、安全装備も効果を発揮できなかった。
○…ラリーの大事故は減ったとはいえなくなってはいない。1993年のオーストラリア・ラリーでスバルのポッサム・ボーン(ニュージーランド)がジャンプに失敗して転倒。コ・ドライバーのロジャー・フリース(同)が死亡した。1985、86年にはコルシカ・ラリーで2年連続して、ドライバーのアティリオ・ベッテガ(イタリア)、アンリ・トイボネン(フィンランド)が事故死している。
死亡事故までは行かなかったが英国ラリーでも2001年、カルロス・サインツ(スペイン)が転倒し、コースにはみ出していた観客12人がけがをし、4人は骨折など重傷を負っている。
こうした事故が起こって、ラリーが短縮されたり、事故を起こしたチームがラリー続行をストップするケースはあったが、優勝したはずのドライバーが、自らそれを放棄する例はなかった。
○…ローブは2年連続チャンピオン、初のラリーGB優勝、シーズン9勝、自らのWRC19勝などの達成をこのラリーでは捨てた。ひどく感情が高ぶっていたようなコメントもあった。ローブがタイトル獲得には、ソルベルグに6点以上、グロンホルムに2点以上の差をつける必要があり、勝負はラリージャパン以降に持ち越された。それにしても、半旗が掲げられ、優勝者の発表もなく、皆が首を垂れたままラリーが終了するというのは異常な光景だ。
◇ラリーGB最終日
1.
Solberg
Subaru
2h 45:57.8
2.
Duval
Citroen
+ 1:17.4
3.
Loeb
Citroen
+ 1:17.9(including 2-minute penalty)
4.
Rovanpera
Mitsubishi
+ 1:29.4
5.
Stohl
Citroen
+ 2:35.0
6.
Kresta
Ford
+ 3:17.3
7.
Mcrae
Skoda
+ 3:30.4
8.
Higgins
Ford
+ 3:40.9
9.
Meeke
Subaru
+ 3:42.1
10.
Solberg
Ford
+ 4:20.5
11.
Pons
Citroen
+ 5:19.3
12.
Warmbold
Ford
+ 5:28.8
13.
Schwarz
Skoda
+ 9:13.4
14.
Galli
Mitsubishi
+ 9:40.9
15.
Wilson
Ford
+ 14:35.3
ドライバーズ得点
1.
ローブ
99
2.
ソルベルグ
65
3.
グロンホルム
61
4.
マルティン
53
5.
ガルデマイスター
47
6.
ロバンペラ
27
7.
デュバル
24
8.
ストール
16
マニュファクチャラーズ得点
1.
シトロエン
137
2.
プジョー
117
3.
フォード
76
4.
スバル
72
5.
三菱
54
6.
シュコダ
12
中島祥和
取材:2005年9月