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大阪・堺の町の栄華の跡(2)

ドライブライン

室町・安土桃山時代から明や南蛮貿易により栄え、中世には鉄砲生産などで富を築いた堺、繁栄の中で生まれた茶の湯をはじめ、煌びやかな文化を開花させた。千利休ゆかりの場所、古い民家や商家、多くの古刹の他、女流歌人与謝野晶子の生家も、ここ堺にある。
また、古代の謎を秘めた仁徳天皇陵を含めた百舌鳥古墳群もあり、高層ビルの市役所の21階展望ロビーから古墳群が緑の森として望まれる。


堺市役所展望台から仁徳天皇陵を望む
堺市役所展望台から仁徳天皇陵を望む
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堺港を望む
堺港を望む
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ドライブライン

<コース>
梅田−大阪城−天王寺−阿倍野−住吉大社−堺市内−仁徳天皇陵−富田林
全行程 約120km


<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>



●仁徳天皇陵古墳

古くから交通の要衝として栄えていた堺は4〜7世紀半ばにかけて巨大な古墳群が造られた。百舌鳥古墳群は、東西・南北約4km四方の範囲に渡る大小47基の古墳からなり、中でも仁徳天皇陵古墳は、クフ王ピラミッド、秦の始皇帝陵と並び世界三大墳墓といわれている。日本最大の前方後円墳だ。
この北側に広がる大仙公園に6つの古墳があり、これらをめぐる遊歩道が整備され、豊かな緑と歴史の散策を楽しむことができる。
公園内には堺市博物館や日本庭園などもある。
/内部の見学は不可、問い合わせ 大仙公園観光案内所 TEL 072-245-6207

仁徳天皇陵を囲む堀
仁徳天皇陵を囲む堀
仁徳天皇陵
仁徳天皇陵

●南宗寺

大永6年(1526)、京都大徳寺の住職が堺の一小院を南宗庵と改称したのがはじまり。本堂は、弘治3年(1557)三好長慶が建立し、茶道の大成者、千利休やその師である武野紹鴎らが、禅の修行を行ったところでもある。だが大坂の陣で焼失、その後沢庵和尚により再建された。
境内には、総門、甘露門(山門)、仏殿、鐘楼の他、千家一門の墓や武野紹鴎の碑などがあり、天井に狩野信政筆による「八方睨みの龍」が描かれている仏殿とともに、甘露門、唐門、いずれも国の重要文化財である。
大雄寶殿(仏殿)。天井の八方睨みの龍で有名(建物は重文)
大雄寶殿(仏殿)。天井の八方睨みの
龍で有名(建物は重文)
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拝観入口を入るとすぐに禅堂がある
拝観入口を入るとすぐに禅堂がある
唐門(重要文化財)
唐門(重要文化財)

千利休一門の墓。中央が利休、左・裏千家、右・表千家、右手前・武者小路千家
千利休一門の墓。中央が利休、
左・裏千家、右・表千家、
右手前・武者小路千家

利休の師、武野紹鴎の墓。石は茶釜をイメージ
利休の師、武野紹鴎の墓。
石は茶釜をイメージ


武野紹鴎及び千利休らによって茶道が完成され、堺の茶人、「茶禅一味」の精神的基盤は、歴代和尚によって確立されたという。南宗寺には、利休好みの「茶室実相庵」や紹鴎が愛でた「六地蔵石灯籠」などもある。

利休ゆかりの茶室、実相庵
利休ゆかりの茶室、実相庵
利休の師、紹鴎が愛でた六地蔵灯籠
利休の師、紹鴎が愛でた
六地蔵灯籠


東照宮跡の碑
東照宮跡の碑
利休が好んだ水鉢
利休が好んだ水鉢

また、境内に建つ「坐雲亭」は南宗寺の山内で最古の建物で、下層は茶室となっている。元和9年(1623)7月、徳川秀忠、同年8月には家光の両将軍のお成りのことを記した板額が飾ってある。
徳川家康は大坂夏の陣の折り、後藤叉兵衛の槍に刺され、ここ南宗寺に埋葬されたという伝説があり、家康の墓がある。
/拝観料 400円、TEL 072-232-1654
南宋寺で最も古い建物、坐雲亭。徳川秀忠、家光両将軍の御成を記した額がある
南宋寺で最も古い建物、坐雲亭。徳川秀忠、
家光両将軍の御成を記した額がある
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徳川家康の墓と言われる墓石
徳川家康の墓と言われる墓石
塀の瓦に葵の門。徳川家とのつながりが語られている
塀の瓦に葵の門。徳川家との
つながりが語られている


●海会寺(かいえいじ)・本源院・大安寺

3つの寺は南宗寺の近くにあって、同じ駐車場を共有するので、ここに車を駐めて徒歩で巡りたい。
海会寺は、本堂や庫裡及び門廊が国の重要文化財に指定されている古刹。元弘2年(1332)に東福寺派の寺院として開かれた。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した臨済宗の僧で文英清韓和尚の墨蹟屏風が公開されている。
本源院は薩摩藩主島津家の祈願所として建立された寺で、江戸時代中期の文人で書・画を得意とした趙陶斎の屏風絵がある。
大安寺の本堂は、堺の豪商納屋助左衛門の屋敷を移したと伝えられる総檜造りの建物で、内部の障壁画は17世紀の狩野派の作品といわれ、当時の堺の繁栄が伺える。本堂と障壁画は国の重要文化財に指定されている。
/拝観料 各寺 400円

海会寺本堂
海会寺本堂
街巡りの標示
街巡りの標示

海会寺庫裡(重文)
海会寺庫裡(重文)
海会寺門廊(重文)
海会寺門廊(重文)

大安寺
大安寺
大安寺境内
大安寺境内

●千利休屋敷跡

千利休は、魚を取り扱う豪商の長男として堺に生まれた。本名は田中(納屋)与四郎といった。17歳のとき茶道を学び、やがて師である武野紹鴎に師事され、究極までの無駄を取り除き、緊張を創り出すという“侘び茶”を完成させた。その後織田信長に仕え、後に豊臣秀吉に茶人として愛されながら、人生の絶頂期ともいえる時期に、秀吉の怒りをかい、天正19年(1591)切腹させられた。
墓は京都の大徳寺聚光院にあるが、利休の屋敷は、他に京都、大坂、堺にも数軒あった。今市町(現在の宿院町)に残る屋敷跡も、その原型はなく、利休が茶の湯に使っていたという「椿の井戸」だけが残されていた。
利休住居跡
利休住居跡

●与謝野晶子生家跡

与謝野晶子は、明治・大正・昭和の時代を情熱的に生きた女流歌人。「ああ、弟よ、君死にたまふことなかれ」で知られる詩を高らかと詠い、反戦や婦人参政権を唱えた。
堺市には他にも与謝野晶子の多くの歌碑が点在している。生家は阪堺電軌阪堺線の路面電車通りの歩道の一角に、歌碑と案内板が建てられているだけなので、注意して探さないと見過ごしてしまいそうだ。
与謝野晶子誕生の地
与謝野晶子誕生の地

●旧堺燈台と石銭場跡

旧堺港の入り口にある大浜公園の先端にある灯台は、明治10年(1877)に建造され、当初の場所に現存する日本最古の木造様式灯台だ。約1世紀の間大阪湾を照らし続けてきたが、昭和43年(1968)その役目を終え、昭和47年(1972)国の史跡指定となり保存されている。

旧堺燈台。公園になっている
旧堺燈台。公園になっている
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石銭場、水天宮跡。埋め立て地の隅で偶然見つけた
石銭場、水天宮跡。
埋め立て地の隅で偶然見つけた


大浜公園駐車場から徒歩約15分。大浜公園の対岸に偶然見つけた石銭場跡。江戸時代に、船舶及び諸問屋の取り扱い貨物の石数に応じて入津料を徴収したところ。いわゆる入港税だ。石銭は港の修理や石堤の建造費に使われた。
石銭場跡は工場の塀に囲まれたわずかな敷地の中に説明板があるのみだが、そこには水天宮の小さな社があった。水難除け、海上安全、航海安全を祈願して安政6年(1859)にこの地に創立された。当時は本殿・拝殿もあり詣でる人も多かったという。
境内にあった井戸は船乗りから珍重されたおいしい水の給水井だったそうだ。いま工場の片隅に小さく鎮座しているが、見つけることも困難なところで、すでに忘れ去られているのだろうか。

●菅原神社

菅原道真の自作の木像が堺の浜に漂着したものを祀ったことがはじまりとされている。創建千年以上にわたり菅原道真公を祀る。
境内には戎(えびす)神社薬祖神社が祀られている。通称「堺天神」、地元では「天神さん」あるいは、商売繁盛の「えべっさん」または農耕や健康を司る「神農さん」として親しまれている。
菅原神社
菅原神社

菅原神社本殿
菅原神社本殿
日本最古の薬祖神社
日本最古の薬祖神社

「大阪の一年は、えべっさんからはじまる」といわれるほどで、「商売繁盛で笹持ってこい」の掛け声で知られる祭事が1月9〜11日の3日間続く。その間数十万人が参拝に訪れ、戎様のお神影や縁起物などを求める人で賑わう。
/TEL 072-232-2450

●本願寺堺別院

京都東山本願寺8代目で本願寺中興の祖と呼ばれた蓮如上人は、文明8年(1476)当時、明との交易の拠点として栄えていた堺の信証院に住み布教を行い、ここに堺最大の木造建築の寺院を建てた。
明治4年(1871)から10年間、堺県となり、その際に県庁舎として使われた。与謝野鉄幹の父がこの寺の院内僧だったことから、境内には与謝野晶子の歌碑がある。
本願寺堺別院
本願寺堺別院

●山口家住宅

江戸時代の堺の町割りをいまに残す旧市街地に建つ400年もの長い歴史を持つ住宅。慶長20年(1615)、大坂の夏の陣の戦火で約2万戸ともいわれる家屋や寺などが全焼したという。その直後に建てられた町家で、国内でも現存する数少ない江戸時代初期の建物である。平成19年(2007)から文化財建造物として修復を進め、平成21年に山口家住宅として公開。
敷地内には安政4年(1775)に建築された西土蔵や、寛政12年(1800)に建てられた北土蔵があり、樹齢200年という大ハゼの木を中心とする庭がある。
江戸時代、庄屋を務め奉行所と町方・村方をつなぐ役目も担っていた。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されている。
/入館料 200円(65歳以上は無料)、TEL 72-224-1155

山口家住宅
山口家住宅
山口家住宅内部
山口家住宅内部

●萬福寺と覚応寺

萬福寺は弘安6年(1283)開山したといわれる古刹。一見、民家のような建物だが、大きく独特な枝ぶりの貝塚いぶきの木が目印の寺。狩野永岳の実父である「景山洞玉」の筆によるふすま絵や蓮如上人筆の掛け軸などもある。
隣接する覚応寺もまた寺院らしくない建物だが、境内には与謝野鉄幹・晶子の自筆短冊や河野鉄南の自筆短冊などがある。
/共に拝観料は無料
  萬福寺 TEL 072-233-0563
  覚応寺 TEL 072-238-6835
覚応寺
覚応寺

●鉄砲鍛冶屋敷

江戸時代から続く鉄砲鍛冶職人井上関右衛門の居宅兼作業場であり、また店舗でもあったところ。
種子島に伝わった鉄砲の製法が堺に伝えられてから、堺は日本一の鉄砲生産地となった。「元禄二年堺大絵図」にも山口家住宅と共に記載されていることから、町屋建築としては最も古い建物に属している。
大坂夏の陣で焼失した後、新たな町割が行われ、今日に続く町が形成された。この鉄砲鍛冶屋敷が残る北旅籠町一帯は、堺の鉄砲や包丁、織物などの製造業が盛んな商業の町の面影を残す。
内部は居宅として使用されているので、非公開だ。
鉄砲鍛冶屋敷の標示
鉄砲鍛冶屋敷の標示

鉄砲鍛冶屋敷跡。今は公開されていない
鉄砲鍛冶屋敷跡。今は公開されていない
堺の鉄砲は有名(市役所の展示)
堺の鉄砲は有名(市役所の展示)



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(社)堺観光コンベンション協会による。エリア別、カテゴリー別に観光スポットを検索できるほか、さまざまなモデルコースも見られる。

取材:2011年11月

※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。