美作三湯で温泉三昧(3)ベンガラの里・吹屋を訪ねる

格子や板壁に塗られたベンガラや、赤褐色の石州瓦で、赤く統一された独特な景観を見せてくれる 湯郷温泉、奥津温泉、湯原温泉の美作三湯めぐりをしたあと、そのまままっすぐに岡山市街に戻るのはもったいないと思い、少し遠回りをして高梁市に寄っていくことにした。
高梁市の西側の山間部には、かつて銅山とベンガラ(赤色顔料)の生産で栄えた「吹屋」の町並みが残っている。日本有数のベンガラの産地だったこともあり、通りに面した家々の格子などは赤く塗られ、ほかの地域では見られない独特な町の景観を見せてくれた。鉱山の坑道を復元した「笹畝坑道」や、映画『八つ墓村』のロケでも使われた「広兼邸」にも立ち寄った。
市の中心部では、日本に現存する12天守のひとつであり、唯一の山城である「備中松山城」を訪れた。また、その城下町にあたる高梁川沿いの一帯には、江戸初期の庭園が残る「頼久寺」や「紺屋川筋」、「武家屋敷」などがあり、車を降りてのんびりと散策を楽しんだ。

ドライブルート

岡山市中心部−(県道27号線、国道484・374号線など)−美咲町吉ヶ原−(国道374号線)−湯郷温泉−(国道179・53号線)−津山−(国道179号線)−奥津温泉−(国道179号線、県道56・327・82号線、国道181号線)−久世−(国道181号線)−勝山−(国道313号線)−湯原温泉−(国道313号線、県道422号線)−蒜山高原−蒜山IC−(米子自動車道、中国自動車道)−新見IC−(国道180号線、県道33・85号線)−吹屋−(県道85号線、国道180号線)−高梁市中心部−(国道180号線など)−岡山市中心部

全行程 約385km、今回 約190km

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吹屋の町並みと旧片山家住宅

格子や板壁に塗られたベンガラや、赤褐色の石州瓦で、赤く統一された独特な景観を見せてくれる

格子や板壁に塗られたベンガラや、赤褐色の石州瓦で、
赤く統一された独特な景観を見せてくれる

県道33号線から県道85号線へと入り、山間部の道路をひた走ると、やがて左手に千枚駐車場が見えてくる。そこに車を停めて、少し歩くと「吹屋の町並み」へと入っていく。
通りに面した建物の多くは、屋根は赤褐色の石州瓦で葺き、土壁には赤土を使い、格子も赤く塗られている。町全体が赤く色づき、ほかでは見たことのない独特な景観が広がっていた。格子を赤く塗っているのはベンガラ(弁柄。酸化鉄のこと)という赤色顔料で、吹屋の歴史を語るうえでベンガラは切っても切り離せない関係がある。

標高約550メートルに位置するこの地域は、古くから銅の産出で知られ、江戸時代に入ると天領(幕府の直轄地)となり、泉屋(住友家)などによって銅山(吉岡銅山)が経営されて大いに栄えた。
宝永年間(1704〜1711)、その銅山の捨石の中から拾い出した硫化鉄鉱を使ってはじめてベンガラを製造。その後、本格的に硫化鉄鉱の鉱山(本山鉱山)が開発され、ベンガラ工場が建設されたり、製造・販売を助け合う株仲間(組合)が組織されたりして、ベンガラは地域の一大産業へと成長していった。以来、江戸、明治、大正、昭和中期までの約260年間、日本有数の良質なベンガラの産地として繁栄を続けてきた。
ちなみにベンガラとは、ローハ(緑礬。硫酸鉄のこと)を原料として精製した赤色顔料で、古来、建材や家具の塗料、陶磁器(九谷焼、伊万里焼など)や漆器(能登、輪島など)の顔料、衣類の染料などに使われてきた。

通り沿いには、飲食店やみやげ物屋が軒を連ねていた。みやげ物屋をのぞくと、店内にはベンガラ和紙を使った封筒や便箋、ベンガラで染めたストールや衣類など、珍しいベンガラ製品がたくさん売っていた。

  • 左がベンガラの原料となるローハ。もっとも右が微粉状となったベンガラ

    左がベンガラの原料となるローハ。
    もっとも右が微粉状となったベンガラ

  • 通り沿いの建物の中には、ベンガラで染めた帽子や生地が干されていた

    通り沿いの建物の中には、ベンガラで染めた
    帽子や生地が干されていた

  • みやげ物屋では、ベンガラ和紙を使った封筒や便箋、はがきなどを販売

    みやげ物屋では、ベンガラ和紙を使った
    封筒や便箋、はがきなどを販売

  • ベンガラ染めのストール。ほかにもシャツ、ハンカチ、帽子、カバンなどがあった

    ベンガラ染めのストール。ほかにもシャツ、
    ハンカチ、帽子、カバンなどがあった

旧片山家住宅は、江戸後期に建てられたあと、幕末から明治にかけて増築された

旧片山家住宅は、江戸後期に建てられたあと、幕末から明治にかけて増築された

ベンガラとともに歩んできたこの町の歴史を詳しく知りたければ、「旧片山家住宅」を訪れるといい。宝暦9年(1759)の創業以来、200年余りにわたってベンガラの製造と販売を手がけてきた老舗・片山家(胡屋)の住宅跡で、ベンガラ屋としての店構えを残す主屋のほか、ベンガラ製造に関わる弁柄蔵などの付属屋が立ち並び、江戸から明治にかけてのベンガラ商家の様子を今に伝えてくれる。
/旧片山家住宅・郷土館 入館料 400円

  • 主屋の内部。土間の部分は天井が高く、立派な梁が見える

    主屋の内部。土間の部分は天井が高く、立派な梁が見える

  • 主屋の2階。手前の畳部屋は「後継者居間」で、左奥の屋根裏部屋のような板間が「当主夫妻の寝室」。不思議な部屋割り

    主屋の2階。手前の畳部屋は「後継者居間」で、左奥の屋根裏
    部屋のような板間が「当主夫妻の寝室」。不思議な部屋割り

  • 敷地の奥の弁柄蔵では、ベンガラ工場で作られたベンガラを計量して、袋詰めする様子を再現

    敷地の奥の弁柄蔵では、ベンガラ工場で作られた
    ベンガラを計量して、袋詰めする様子を再現

  • 片山家(胡屋)が販売していたベンガラのラベル

    片山家(胡屋)が販売していたベンガラのラベル

ベンガラ館

ベンガラの製造工程にあわせて、「釜場室」「水洗碾臼室」「脱酸水槽室」などを再現している

ベンガラの製造工程にあわせて、「釜場室」「水洗碾臼室」
「脱酸水槽室」などを再現している

吹屋の一帯には、ベンガラの産地として栄えた往時を偲ばせる建物や施設が点在している。そのひとつが、吹屋の町並みから1キロほどのところにある「ベンガラ館」だ。
かつてこのあたりには、原料であるローハからベンガラを作る「ベンガラ工場」が4カ所あり、ベンガラ館は明治のころの工場の様子を復元したもの。敷地内の建物を順次巡っていけば、窯場での「焼き」にはじまり、水槽での「水洗」、石臼での「碾臼(ひきうす)」、脱酸水槽室での「脱酸」、干棚での「天日乾燥」という一連の作業の流れがよくわかる。
/入館料 200円

  • 「水洗碾臼室」。製造途中のベンガラを水洗いする水槽(手前)とベンガラを細かく粉末状にするための石臼(奥)

    「水洗碾臼室」。製造途中のベンガラを水洗いする水槽(手前)と
    ベンガラを細かく粉末状にするための石臼(奥)

  • ベンガラの製造や販売のために使っていた道具類なども展示

    ベンガラの製造や販売のために使っていた道具類なども展示

笹畝坑道

笹畝坑道の入口

笹畝坑道の入口

ベンガラ館から車で数分のところにある「笹畝坑道」は、かつてこの地にあった鉱山の坑道を復元したもの。
吹屋の銅山は大同2年(807)に発見されたと伝えられ、長い歴史の中で3回の繁栄期があった。泉屋(住友家)が経営した元禄年間、福岡屋(大塚家)が経営した享保〜天保年間、そして三菱(岩崎家)が経営した明治〜昭和にかけての時代である。特に三菱の時代は、自家発電所を設けたり、日本で初めて洋式溶鉱炉を造るなどして大いに発展し、日本三大鉱山のひとつに数えられるまでになった。笹畝坑道はもともと支山であったが、後年に地下で本坑道と連結。主に黄銅鉱、磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)が産出された。

ヘルメットをかぶり、坑内に入っていくと、外の暑さが嘘のように空気はひんやりとしていた。坑道内の気温は年間を通じて15℃前後なのだという。坑内のところどころには、江戸時代の採掘の様子を再現するための人形も設置されていた。だいたい15分ぐらいあれば、見学ルートを回ることができる。
/入場料 300円

  • 受付ではヘルメットの貸し出しも。狭い通路で頭をぶつけてケガをしないように、念のためかぶっていこう

    受付ではヘルメットの貸し出しも。狭い通路で頭をぶつけて
    ケガをしないように、念のためかぶっていこう

  • 人形を用いて、江戸時代の採掘の様子を再現

    人形を用いて、江戸時代の採掘の様子を再現

  • 坑道内には、ホールのように広い空間もある

    坑道内には、ホールのように広い空間もある

広兼邸

駐車場から見上げる広兼邸。そびえ立つ石垣が見る者に威圧感を与える

駐車場から見上げる広兼邸。そびえ立つ石垣が見る者に威圧感を与える

「広兼邸」の駐車場に着いて、まず圧倒されるのが、山の上方にそびえる邸宅の堅牢な石垣。まるで城郭の石垣のように、見る者を威圧する堂々たる雰囲気がある。駐車場から坂道を登り、楼門から邸内に入っていくと、正面には重厚な造りの二階建ての母屋。庭園を通り抜けた先には、茶室や離れ座敷、土蔵などもあった。
広兼家は、もとよりこの地の庄屋を務め、享和・文化年間(1801〜1817)には二代目の元治が鉱山経営とローハ製造によって巨大な財を成して、城郭を思わせるような豪壮な邸宅を築き上げた。
映画『八つ墓村』のロケ地(昭和52年と平成8年)としても知られている。
/入館料 300円

  • 坂道を登り、邸内へ。正面の建物は楼門

    坂道を登り、邸内へ。正面の建物は楼門

  • 母屋は2階建て。中に入ることはできず、台所(土間)もしくは外から各部屋を見学する

    母屋は2階建て。中に入ることはできず、台所(土間)
    もしくは外から各部屋を見学する

  • 広兼邸から周囲を見下ろす。向かいの山には、広兼家個人の神社が建てられ、花木を植え込んだ大きな庭園もあったそう

    広兼邸から周囲を見下ろす。向かいの山には、広兼家個人の
    神社が建てられ、花木を植え込んだ大きな庭園もあったそう

  • 土蔵には、往時の豪奢な生活を偲ばせる、着物や生活用具、額縁などを展示

    土蔵には、往時の豪奢な生活を偲ばせる、
    着物や生活用具、額縁などを展示

  • 広兼邸を出たあとは、国道180号線との合流を目指して、県道85号線をひた走る。山あいに広がる田んぼの景色がきれいだった

    広兼邸を出たあとは、国道180号線との合流を目指して、県道85号線を
    ひた走る。山あいに広がる田んぼの景色がきれいだった

備中松山城

備中松山城の天守。現存天守のなかでは、もっとも高いところ(標高430メートル)に位置する

備中松山城の天守。現存天守のなかでは、もっとも
高いところ(標高430メートル)に位置する

吹屋を出たあとは県道85号線をひた走り、高梁川沿いに出たところで国道180号線と合流。そこから南へと10キロほど走ると、高梁市の市街地へと入っていく。
「備中松山城」は、市街地の北にそびえる臥牛山の4つの峰のひとつ、標高430メートルの小松山の頂に築かれた城郭で、正式には小松山城という。城自体の歴史は古く、さかのぼれば鎌倉時代にこの一帯の地頭に任ぜられた秋庭三郎重信が、臥牛山の主峰・大松山(470メートル)に砦を築いたのがはじまりとされる。その後、城の縄張りは時代とともに変化し、戦国時代には毛利氏の東方進出の拠点とされたり、江戸時代初期には備中国奉行として小堀正次・政一(遠州)親子が治めたりと、代々この地域の要衝としての役割を担ってきた。現在われわれが目にすることができる天守は、江戸時代の天和3年(1683)に当時の城主・水谷勝宗によって修築されたもので、日本全国に現存する12天守のひとつであり、唯一の山城である。

  • 天守からの展望

    天守からの展望

山城ゆえに天守へのアクセスもひと苦労だ。市街地から車で5分ほどのところにある城見橋公園でシャトルバスに乗り換えて、登城口であるふいご峠へ。そこから徒歩でさらに20分ほど山道や城内の石段などを登り、やっとたどり着くことができる。(12月〜2月までの平日は、シャトルバスは運行しておらず、自家用車でふいご峠まで上がれる)
現存する天守は本瓦葺き二層二階の建物で、1階には囲炉裏と装束の間が、2階には城の守護神を祀った御社壇と呼ばれる神棚がある。囲炉裏は籠城時の暖房と食事用、装束の間は城主の御座所と伝わり、極めて実用・実戦的な構造をしていることがよくわかる。
なお、昨年2016年に放送されたNHK大河ドラマ『真田丸』のオープニング映像に備中松山城が使用されていたそうで、案内看板を頼りにロケ地巡りも楽しむことができた。
/入城料 300円

  • シャトルバスでふいご峠の駐車場へ。そこから天守までは徒歩20分

    シャトルバスでふいご峠の駐車場へ。そこから天守までは徒歩20分

  • 天守までの道のりは基本登り坂。20分登り続けるのは、かなりきつい

    天守までの道のりは基本登り坂。20分登り続けるのは、かなりきつい

  • 天然の岩盤の上に石垣が築かれた、山城らしい景観。『真田丸』オープニングのロケ地のひとつでもある

    天然の岩盤の上に石垣が築かれた、山城らしい景観。
    『真田丸』オープニングのロケ地のひとつでもある

  • 復元された土塀。四角い矢狭間と丸い筒狭間を備えている

    復元された土塀。四角い矢狭間と丸い筒狭間を備えている

  • 石垣に沿って、天守、本丸のまわりを巡る

    石垣に沿って、天守、本丸のまわりを巡る

  • 天守内部の1階。囲炉裏や装束の間が設けられ、籠城戦を想定した構造に

    天守内部の1階。囲炉裏や装束の間が設けられ、
    籠城戦を想定した構造に

  • 攻めてきた敵に向かって石を落とすための「石落し」

    攻めてきた敵に向かって石を落とすための「石落し」

  • 天守内部の2階。御社壇(神棚)が設けられている

    天守内部の2階。御社壇(神棚)が設けられている

目の前を流れるのは紺屋川。一帯は美観地区とされ、「日本の道100選」にも選ばれている

目の前を流れるのは紺屋川。一帯は美観地区とされ「日本の道100選」にも選ばれている

城下町高梁
(紺屋川筋、頼久寺、武家屋敷)

国道180号線の紺屋町交差点近くの観光駐車場に車を停めて、かつて城下町として栄えた高梁の町を散策してみることにした。
市街地を東西に流れ、紺屋町交差点で高梁川に流れ込む「紺屋川」は、もともと備中松山城の外堀の役割を果たしていた川。両岸には桜と柳の並木道が続き、県内最古の教会・高梁キリスト教会堂や藩校・有終館跡などがあり、情緒豊かな町並みが広がる。「日本の道100選」にも選ばれている。

  • 紺屋川沿いに建つ「高梁キリスト教会堂」。明治22年(1889)の建設で、岡山県に現存する教会堂としては最古のもの

    紺屋川沿いに建つ「高梁キリスト教会堂」。明治22年(1889)の建設で、
    岡山県に現存する教会堂としては最古のもの

JR伯備線の踏切をわたり、細い道を北へと進んでいくと、右手に「頼久寺」へと登っていく石段が見えてきた。同寺は、足利尊氏が諸国に建立させた安国寺のひとつと言われ、関ヶ原合戦後の慶長5年(1600)には小堀正次・政一(遠州)父子が備中国奉行として赴任し、ここ頼久寺で政務を執った。その折に小堀遠州が作庭したと伝わる庭園が現在も残っており、のちに数々の名建築や名庭園を手がけることになる遠州の原点が見える庭として注目されている。
さらに北へと進むと、土壁や梁喰壁が連なる風情ある通りへと入っていく。このあたりには「旧折井家」「旧埴原家」という2つの武家屋敷が残っており、内部を見学することもできる。
/頼久寺庭園 300円、旧折井家・旧埴原家共通券 400円

  • 小堀遠州作庭による庭園が有名な頼久寺

    小堀遠州作庭による庭園が有名な頼久寺

  • 2つの武家屋敷が残る、風情ある通り

    2つの武家屋敷が残る、風情ある通り

  • 本町通り沿いにある、高梁商家資料館(無料休憩所)は、江戸時代に財をなした豪商の家

    本町通り沿いにある、高梁商家資料館(無料休憩所)は、江戸時代に財をなした豪商の家

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記事・写真:谷山宏典 取材:2017年6月

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