美作三湯で温泉三昧(1)城下町津山と奥津温泉

吉野川に架かるゆ〜らぎ橋では、定時になると鷺をイメージした噴水が噴き上がる。夜には赤・青・黄色にライトアップされる 岡山県北部の山あいにはいくつもの温泉地が点在し、そのうち「湯郷温泉」「奥津温泉」「湯原温泉」は「美作三湯(みまさかさんとう)」と呼ばれている。3つの温泉はそれぞれに古くからの歴史があるが、三湯として総称されるようになったのは1950年代の観光誘致キャンペーンがきっかけだとか。美作三湯がある美作エリアには、「津山城跡(鶴山公園)」やその城下町「城東町並み保存地区」、“のれんの町”として有名な「勝山町並み保存地区」、中国地方随一の名瀑「神庭の滝」、西日本屈指の高原リゾート「蒜山高原」などがあり、温泉巡りと観光をセットにしたドライブを楽しむにはうってつけのエリアである。
まずは岡山市中心部から県道27号線、国道374号線などを北上して、美作三湯でもっとも東に位置する湯郷温泉へ。その後、津山で古い町並みや城跡、あじさい寺として有名な「長法寺」などを訪ねたあと、国道179号線を北へとひた走り、1日目の宿泊地である奥津温泉を目指した。

ドライブルート

岡山市中心部−(県道27号線、国道484・374号線など)−美咲町吉ヶ原−(国道374号線)−湯郷温泉−(国道179・53号線)−津山−(国道179号線)−奥津温泉−(国道179号線、県道56・327・82号線、国道181号線)−久世−(国道181号線)−勝山−(国道313号線)−湯原温泉−(国道313号線、県道422号線)−蒜山高原−蒜山IC−(米子自動車道、中国自動車道)−新見IC−(国道180号線、県道33・85号線)−吹屋−(県道85号線、国道180号線)−高梁市中心部−(国道180号線など)−岡山市中心部

全行程 約385km、今回 約110km

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柵原ふれあい鉱山公園/柵原鉱山資料館

岡山市中心部から湯郷温泉へと向かう途中、国道374号線を高下交差点で左折。吉井川の流れを左手に眺めながら県道26号線を北へ走ると、10分ほどで「柵原ふれあい鉱山公園」へと着く。
このあたりにはかつて柵原(やなはら)鉱山という東洋一と謳われた硫化鉄鉱の鉱山があり、一帯は鉱山町として大いに栄えた。柵原ふれあい鉱山公園は、昭和6年(1931)から平成3年(1991)まで鉱石輸送のために柵原〜片上(備前市)間を走っていた片上鉄道の吉ヶ原駅とその操作場があった場所に整備された公園で、入口にはとんがり屋根が特徴的な吉ヶ原駅の駅舎が修復され、往時の姿を今に伝えてくれる。また、線路やホームも一部残されており、輸送用貨車、客車車両11両が動態保存されている。月1回の運転会には実際に動く車両に乗ることもできるそうだ。

  • 修復・復元された、旧片上鉄道の吉ヶ原駅舎

    修復・復元された、旧片上鉄道の吉ヶ原駅舎

  • 駅舎内に飾られていた片上鉄道の路線図

    駅舎内に飾られていた片上鉄道の路線図

  • 輸送用貨車、客車車両など11両が動態保存されている

    輸送用貨車、客車車両など11両が動態保存されている

広大な園内の一画には「柵原鉱山資料館」もある。1階は、昭和30年ごろの鉱山町の町並みを再現した実物大のセットや、柵原や片上鉄道の歴史がわかる資料を展示。地下1階は、坑道内の様子を再現したコーナーや、採掘や輸送などに使用した実物の鉱車や削岩機などが展示されていた。
柵原鉱山は大正5年(1916)から本格的な採掘がはじまり、平成3年(1991)に閉山されるまでの75年間に2,660万トンもの鉱石を産出。坑道の総延長は約1,400km(ちなみに東京〜博多間は約1,175km)にもおよび、最も深いところでは地下約1,000mまで坑道が掘られていたという。昭和30年代の最盛期には約3,000人もの従業員が働く、硫化鉄鉱の鉱山としては質・量ともに世界に誇れる山だったのだ。
館内を巡り、さまざまな資料に触れることで、今は閑静な山あいのこの地域のありし日の繁栄と賑わいに想いを馳せることができた。
/柵原鉱山資料館 入館料 510円

  • 柵原鉱山や片上鉄道について詳しく学べる「柵原鉱山資料館」

    柵原鉱山や片上鉄道について詳しく学べる「柵原鉱山資料館」

  • もともと操車場があった場所に作られた広大な公園。新緑が眩しい

    もともと操車場があった場所に作られた広大な公園。新緑が眩しい

  • 片上鉄道ができる以前は、高瀬舟で吉井川を行き来して鉱石などを運んでいた

    片上鉄道ができる以前は、高瀬舟で吉井川を
    行き来して鉱石などを運んでいた

  • 左手に流れるのが吉井川。この川をさかのぼっていくと、津山の街や奥津温泉などに行き着く

    左手に流れるのが吉井川。この川をさかのぼっていくと、
    津山の街や奥津温泉などに行き着く

湯郷温泉

よく見ると大きな足型になっている足湯。ドライブや散策の休憩にちょうどいい

よく見ると大きな足型になっている足湯。ドライブや散策の休憩にちょうどいい

国道374号線に戻り、進路を北へ。吉井川の支流である吉野川に架かる鷺湯橋を渡ると、その西岸一帯に「湯郷温泉」の温泉街が広がっていた。
湯郷温泉の歴史は古く、平安時代に傷ついた一羽の白鷲に導かれた円仁法師がこの地に温泉を見つけたのがはじまりと伝わる。現在は10軒ほどの温泉宿やホテルが立ち並び、日帰り温泉施設や足湯もある。
温泉街には、木製玩具やアンティークオルゴールを収蔵している「現代玩具博物館・オルゴール夢館」、鉄道模型やレトロなおもちゃを展示する「てつどう模型館&レトロおもちゃ館」、ブリキのおもちゃや昔の漫画・雑誌などを展示する「あの日のおもちゃ箱 昭和館」など、おもちゃに関連した施設も多い。聞けば、2010年ごろから“おもちゃの街”をテーマに街づくりを行なっているそうだ。
この日のドライブはまだまだ序盤のため、湯郷温泉では、美作地方に古くから伝わる伝説の巨人「三歩(さんぶ)太郎」の足型をモチーフにした足湯でここまでの運転の疲れを癒し、先を急ぐことにした。

  • 吉野川に架かる鷺湯橋を渡ると、湯郷温泉の温泉街へと入っていく

    吉野川に架かる鷺湯橋を渡ると、湯郷温泉の温泉街へと入っていく

  • 日帰り温泉施設「湯郷鷺温泉館」

    日帰り温泉施設「湯郷鷺温泉館」

  • 平安時代に湯郷温泉を見つけた円仁法師の像

    平安時代に湯郷温泉を見つけた円仁法師の像

  • 吉野川に架かるゆ〜らぎ橋では、定時になると鷺をイメージした噴水が噴き上がる。夜には赤・青・黄色にライトアップされる

    吉野川に架かるゆ〜らぎ橋では、定時になると鷺をイメージした
    噴水が噴き上がる。夜には赤・青・黄色にライトアップされる

  • 現代玩具博物館・オルゴール夢館。入館料は700円

    現代玩具博物館・オルゴール夢館。入館料は700円

  • あの日のおもちゃ館 昭和館。入館料は400円

    あの日のおもちゃ館 昭和館。入館料は400円

  • 薬師堂、湯神社の背後にある小高い山に登り、温泉街を見下ろす

    薬師堂、湯神社の背後にある小高い山に登り、温泉街を見下ろす

城東町並み保存地区/津山洋学資料館

出雲街道をはさむように南北に町家が軒を連ねている

出雲街道をはさむように南北に町家が軒を連ねている

国道53号線を西へと走り、津山市の中心部へと入っていく手前で、「城東町並み保存地区」に立ち寄った。城東町並み保存地区は、その名の通り、津山城の東側、宮川東岸の出雲街道沿いに形成された城下町があった場所で、現在も江戸時代以来の商家や敷地割などの古い町並みが残っている。

最初に向かったのは「津山洋学資料館」。江戸後期から明治初期にかけて、津山藩は優れた洋学(蘭学)者を数多く輩出した。西洋の内科医学を初めて日本に紹介した宇田川玄随や、医学・語学・地理歴史・兵学など多岐にわたる翻訳書を出版する一方で、幕末の対露交渉に活躍した箕作阮甫(みつくりげんぽ)などである。館内では、彼ら津山ゆかりの洋学者たちの業績を貴重な資料やパネルで紹介するほか、杉田玄白らが翻訳した『解体新書』や日本最初の解剖図録『蔵志』など蘭学がはじまったころの資料も見ることができた。
展示のなかで興味深かったのは、われわれが現在使っている「酸素」「窒素」「炭素」などの元素名、「酸化」「還元」などの化学用語、「花粉」「繊維」などの植物用語、さらには「珈琲」という当て字まで、これらすべての言葉を考案したのも津山の洋学者・宇田川榕菴(玄随の孫にあたる)だったということ。津山の碩学者(せきがくしゃ。広く深く学問を修めた人)の偉大な業績は、今の日本人の生活にもしっかりとつながっているのだ。

  • 津山洋学資料館。左に立ち並ぶのは、津山の洋学者たちの銅像

    津山洋学資料館。左に立ち並ぶのは、津山の洋学者たちの銅像

  • ミュージアムショップ「和蘭堂(おらんだどう)」内には、物販、カフェのほか、観光案内所もある

    ミュージアムショップ「和蘭堂(おらんだどう)」内には、
    物販、カフェのほか、観光案内所もある

城東むかし町家(旧梶村家住宅)の内部。庭園から大正期の座敷(右)と昭和初期の茶室(左)を望む

城東むかし町家(旧梶村家住宅)の内部。庭園から
大正期の座敷(右)と昭和初期の茶室(左)を望む

資料館の近くには、箕作阮甫が少年期を過ごした生家を復元した「箕作阮甫旧宅」や、広大な敷地内に幕末期の主屋のほか、大正時代の座敷や洋館、昭和初期の茶室や蔵など、時代の異なるさまざまな建物が建つ複合的な町家遺構「城東むかし町家(旧梶村家住宅)」などがあるため、あわせて見学してみるといいだろう。

/津山洋学資料館入館料 300円、箕作阮甫旧宅および城東むかし町家 入館無料

  • 箕作阮甫旧宅の入口

    箕作阮甫旧宅の入口

  • 箕作阮甫旧宅の内部。小規模町家の典型的な造り

    箕作阮甫旧宅の内部。小規模町家の典型的な造り

二の丸跡から見上げる「備中櫓」。平成16年(2004)、城内の建物では唯一、復元整備された

二の丸跡から見上げる「備中櫓」。平成16年(2004)、
城内の建物では唯一、復元整備された

備中櫓の内部。全室畳敷き、天井張りで、「御座之間」「御上段」などの空間を持つ、全国的にも珍しい構造の櫓

備中櫓の内部。全室畳敷き、天井張りで、「御座之間」「御上段」
などの空間を持つ、全国的にも珍しい構造の櫓

津山城跡(鶴山公園)

津山市中心部を流れる吉井川と宮川の合流点の北西側、少し小高くなった一帯に「津山城跡(鶴山公園)」はある。
津山城を建てたのは、美濃(岐阜県)出身の戦国武将で、本能寺の変で織田信長とともに非業の最期を遂げた森蘭丸の弟・森忠政。徳川家康に仕え、慶長8年(1603)に美作一国の国持ち大名となった忠政は、翌慶長9年(1604)にもともと「鶴山」と呼ばれていたこの山を「津山」と改めて、築城を開始。途中、江戸城および駿府城の普請や大坂の陣への出陣などに多くの歳月が費やされてしまうが、足かけ13年間かけて元和2年(1616)に城郭を完成させた。
ありし日の津山城は、五層の天守がそびえ、本丸・二の丸・三の丸には数多くの櫓が立ち並び、その縄張りの巧妙さは攻守両面において優れ、実戦重視の城だったそうだ。その後、城内の建物は明治のはじめまで残ったが、明治6年(1873)の廃城令によって取り壊しが決定。明治33年(1900)に城跡は鶴山公園となり、現在に至っている。
園内を歩いていると、残された石垣が複雑に入り組み、城内に建造物がひしめき合うように立ち並ぶ堅固な城郭であったことが想像された。天守跡まで登ると、眼下には津山の町並みを一望にできた。広大な敷地には現在、約1,000本ものソメイヨシノが植えられており、西日本有数の桜の名所として、毎年春になると多くの花見客で賑わうという。
/入園料 300円

  • ありし日の津山城を描いた絵。天守、御殿、櫓など数多くの建物がひしめくように建っている様子がわかる

    ありし日の津山城を描いた絵。天守、御殿、櫓など数多くの建物がひしめくように建っている様子がわかる

  • 複雑に入り組んだ石垣。攻めにくく、守りやすい構造

    複雑に入り組んだ石垣。攻めにくく、守りやすい構造

  • 多門櫓跡から天守台の石垣を眺める

    多門櫓跡から天守台の石垣を眺める

  • かつて天守があった石垣に上がれば、津山の街を一望にできる

    かつて天守があった石垣に上がれば、津山の街を一望にできる

津山まなびの鉄道館

旧津山扇形機関車庫と転車台。車庫には13台の車両が収蔵されている

旧津山扇形機関車庫と転車台。車庫には13台の車両が収蔵されている

全国に11ヵ所現存している扇形機関車庫(扇のかたちをしている機関車庫)のうち、京都の梅小路機関車庫(京都鉄道博物館内)に次ぐ2番目の規模の機関車庫が津山駅近くにあると知り、訪ねてみることにした。
「津山まなびの鉄道館」は昨年(平成28/2016年)4月に開館したばかりの新しい施設で、昭和11年(1936)建設の旧津山扇形機関車庫を中心に、津山の町並みをジオラマで再現した「まちなみルーム」、岡山の鉄道の歴史を紹介する「あゆみルーム」、鉄道の構造を学べる「しくみルーム」で構成されている。扇形機関車庫には、「デゴイチ」の愛称で知られる「D51形蒸気機関車」をはじめ、ディーゼル機関車、気動車など合計13車両が収蔵。車庫前には転車台も残っていた。
蒸気機関車全盛期には全国各地で見られた扇形機関車庫だが、鉄道車両の移り変わりとともに次々に姿を消し、わずかに残っていた車庫も建物の老朽化や維持の困難さから解体・撤去が行われ、近年ますますその数を減らしている。その意味で、津山の扇形機関車庫は鉄道遺産としてこれからさらに貴重なものになっていくのだろう。
/入館料 300円

  • D51形蒸気機関車

    D51形蒸気機関車

  • DD13形ディーゼル機関車

    DD13形ディーゼル機関車

  • キハ28形気動車

    キハ28形気動車

  • キハ33形気動車

    キハ33形気動車

  • 「まちなみルーム」に展示された津山の街のジオラマ

    「まちなみルーム」に展示された津山の街のジオラマ

長法寺

左手奥の建物は、阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂

左手奥の建物は、阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂

6月の花と言えば、やはりアジサイである。津山の南、神南備山の麓にある「長法寺」は“あじさい寺”として有名で、毎年梅雨の季節になると境内に植えられた約3500株のアジサイが咲き誇る。ちなみに、なぜこの寺がアジサイの名所になったかと言えば、明治6年(1873)の津山城取り壊しの際、アジサイを描いた腰高障子が贈られたことがきっかけだったとか。
仁王門をくぐると、参道の両側には青や薄紫のアジサイが見事に咲いていた。本堂前もアジサイでいっぱいで、まさにあじさい寺の名にふさわしい景色を堪能することができた。
/境内見学自由

  • 参道の両側にアジサイが咲き誇る

    参道の両側にアジサイが咲き誇る

奥津温泉

国道179号線は院庄交差点の先で北へと進路を変える。そこから20kmほど車を走らせ、大釣トンネルを抜けると、やがて左手に奥津温泉の温泉街へと入っていく道が現れる。

  • 国道179号線を北へと走る

    国道179号線を北へと走る

  • 温泉街への入口

    温泉街への入口

左の重厚な建物は、奥津温泉を代表する温泉旅館「奥津荘」

左の重厚な建物は、奥津温泉を代表する温泉旅館「奥津荘」

「奥津温泉」は、無色透明な弱アルカリ性の単純泉で、肌をきれいにすることから「美人の湯」とも呼ばれている。群雄割拠した戦国時代には武将たちが入湯して戦いの傷を癒したと伝えられ、江戸時代に入るとさらに開かれ、多くの人々が訪れるようになったという。津山藩の初代藩主であった森忠政も、この地の湯をとても気に入り、専用の湯治場を設けたと言われている。
山あいの静かな温泉街という風情で、現在営業している温泉宿や旅館の数は10軒にも満たない。温泉街の真ん中には吉井川が流れているが、この日のドライブで車窓からたびたび眺めていた下流域とは異なり、両側を山にはさまれた清らかな渓流という雰囲気だった。5月の終わりから梅雨の季節にかけてはホタルも見られるそうで、実際夜中に川べりを歩いていると暗闇のなかを漂うほのかな光をいくつも観察することができた。
奥津橋のたもとでは、3月下旬〜12月上旬の日曜・祝日の朝、この地に古くから伝わる「足踏み洗濯」の実演が行われている。熊や狼を避けるため、見張りをしながら立ったままで踏み洗いをしていたのがその起源で、現在では奥津温泉独特の風習として観光の目玉になっている。

  • 奥津橋のたもとにある、足踏み洗濯の洗濯場

    奥津橋のたもとにある、足踏み洗濯の洗濯場

  • 温泉街を流れる吉井川。河原には足湯もある

    温泉街を流れる吉井川。河原には足湯もある

  • 足踏み洗濯の様子を描いた絵

    足踏み洗濯の様子を描いた絵

  • 奥津温泉に宿泊した翌日はちょうど鮎釣りの解禁日で、20人以上の釣り人が吉井川に糸を垂らしていた

    奥津温泉に宿泊した翌日はちょうど鮎釣りの解禁日で、
    20人以上の釣り人が吉井川に糸を垂らしていた

  • 吉井川沿いには「歌の小径」という遊歩道が整備されている

    吉井川沿いには「歌の小径」という遊歩道が整備されている

  • 昭和8年(1933)には与謝野鉄幹・晶子夫妻がこの地を訪れ、奥津温泉の風情を歌に詠んだ

    昭和8年(1933)には与謝野鉄幹・晶子夫妻がこの地を訪れ、
    奥津温泉の風情を歌に詠んだ

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記事・写真:谷山宏典 取材:2017年6月

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