歴史と紅葉と温泉と。秋の大分ドライブ(2)中津から耶馬渓

最上階からの眺め。正面に見える断崖は、南台武家屋敷がある高台 日本各地にはたいてい、その地域から輩出された歴史上の名士・偉人にまつわる史跡や資料館がある。そうした場所を訪れ、彼らの知られざるルーツに触れるのも、全国を旅する楽しみのひとつである。では、中津出身の偉人とは? きっと誰もが真っ先に名前を挙げるのは、1万円札でもおなじみの福澤諭吉であろう。
中津では、まず福澤が幼少期〜青年期を過ごした場所にある「福澤諭吉旧居/福澤記念館」を探訪。その後、豊臣秀吉の天下統一を支えた稀代の名軍師・黒田官兵衛孝高が築いた「中津城」へと向かった。
中津中心部の観光を終えたあとは、国道212号線を南へと走り、今回の旅のハイライトである「耶馬渓」へ。耶馬渓では「青の洞門」「競秀峰」「羅漢寺」「御霊もみじ(御霊神社)」「一目八景」など、人気の定番スポットを順々に巡った。お目当ての紅葉はまさに見ごろで、赤や黄色に染まる絶景を思う存分堪能することができた。

ドライブルート

大分空港−(国道213号線)−杵築−(県道644号線、国道10号線、県道655号線など)−豊後高田市田染−(県道34号線、国道213・10号線など)−宇佐−(県道658、42号線など)−安心院−(国道500号線、宇佐別府道路/東九州自動車道、県道23号線など)−中津−(国道212号線、県道28号線など)−耶馬渓−(県道28号線、大分自動車道など)−日田−(大分自動車道、県道216号線など)−由布院−(県道216・11号線)−別府−(大分自動車道、国道197号線、県道635号線など)−佐賀関−大分空港

全行程 約440km、今回 約80km

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福澤諭吉旧居/福澤記念館

福澤諭吉旧居。享和3年(1803)築の木造茅葺きの平屋建て

福澤諭吉旧居。享和3年(1803)築の木造茅葺きの平屋建て

中津から輩出された歴史上の人物のうち、日本人にもっとも馴染みが深いのは、やはり1万円札でおなじみの福澤諭吉だろう。
福澤諭吉は、江戸末期の天保5年(1835)に大坂の中津藩蔵屋敷にて下級武士・福澤百助の次男として誕生。1歳6ヶ月のときに父親が亡くなったため、母子6人で中津へと帰ってきた。「福澤諭吉旧居」は彼が青年期を過ごした家で、隣には勉強部屋にしていたという土蔵も残っていた。また、中津に帰郷してすぐの幼少期に住んだ家は現在残されていないが、「福澤家旧宅跡」として間取りが石組で復元されていた。
隣接する「福澤記念館」には、彼の遺品・遺墨・書簡をはじめ、関連する資料を展示。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり……」という書き出しで有名な「学問のすゝめ」ももちろん展示されていた。同書はもともと中津に洋学校(中津市学校)を開設するにあたり、中津の若者のために書いたものだったが、やがて大ベストセラーとなって17編・340万部が読まれたという。
数々の書物を著したり、慶應義塾を創立して人材を育成したりと、日本の近代化の旗振り役となった福澤諭吉。その偉大な業績をあらためて知ることができた。
/拝観料 400円

  • 土蔵の2階。少年時代の福澤諭吉がここで勉強をしたと伝わる

    土蔵の2階。少年時代の福澤諭吉がここで勉強をしたと伝わる

  • 福澤諭吉の胸像

    福澤諭吉の胸像

中津城

中津城天守。手前の堀は川とつながっているため、潮の干満で水位が上下する

中津城天守。手前の堀は川とつながっているため、潮の干満で水位が上下する

「中津城」は、中津川の河口、周防灘を臨む場所に建つ。築城は天正16年(1588)、豊臣秀吉の命により九州を平定した黒田官兵衛孝高(如水)による。慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦後に黒田家が筑前(福岡)に移ると、細川氏や小笠原氏が城主となり、江戸時代の享保2年(1717)に奥平昌成が入城してからは代々奥平氏が治めた。
現在残る天守閣は昭和39年(1964)に再建されたもので、内部は「奥平家歴史資料館」として奥平家に伝わる甲冑、陣羽織、武具、宝物類などを公開。奥平家はもともと三河国(現・愛知県東部)の山間部の小豪族に過ぎなかったが、戦国時代に織田・徳川連合軍と武田軍が激突した長篠・設楽原の戦いにおいて長篠城主として大活躍し(長篠・設楽原の戦いについては、『三河・奥三河探訪(1)豊橋から設楽原・長篠の古戦場へ』「長篠城跡と長篠城址史跡保存館」の項を参照)、奥平家2代信昌が徳川家康の長女・亀姫をめとるなどして徳川家臣団の中心的存在となった。江戸時代に7代昌成が中津城主となったのも、ときの8代将軍徳川吉宗から西国の抑えを期待されたためである。
敷地内にはほかに、「黒田本丸の石垣と細川時代の石垣」、「三斎池」(三斎とは、黒田家のあとに城主となった細川忠興の号)、「奥平神社」など代々の城主ゆかりの建物や史跡が数多く残っていた。
/天守閣入城料 400円

  • 斜めの目地の右側が黒田時代の石垣、左が後年積まれた細川時代の石垣

    斜めの目地の右側が黒田時代の石垣、左が後年積まれた細川時代の石垣

  • 黒田氏のあと城主となった細川忠興の号から名づけられた「三斎池」

    黒田氏のあと城主となった細川忠興の号から名づけられた「三斎池」

  • 明治初期の西南戦争で戦った中津隊の碑。来年のNHK大河ドラマ『西郷どん』にちなみ、早くものぼりが立っていた

    明治初期の西南戦争で戦った中津隊の碑。
    来年のNHK大河ドラマ『西郷どん』にちなみ、
    早くものぼりが立っていた

  • 天守前に建つ「奥平神社」。奥平家中興の祖として貞能・信昌・家昌の三柱を祀る

    天守前に建つ「奥平神社」。
    奥平家中興の祖として貞能・信昌・家昌の三柱を祀る

  • 「中津城公園内の木々はちょうど紅葉の見ごろだった

    中津城公園内の木々はちょうど紅葉の見ごろだった

  • 「黒田官兵衛資料館」では、中津入り後の黒田官兵衛の足跡をパネルなどで紹介している

    「黒田官兵衛資料館」では、中津入り後の黒田官兵衛の足跡をパネルなどで紹介している

  • 天守閣内部は「奥平家歴史資料館」として、甲冑や武具、宝物類を展示

    天守閣内部は「奥平家歴史資料館」として、甲冑や武具、宝物類を展示

  • 信昌の四男・松平忠明の陣羽織。忠明は大坂の陣で活躍し、3代将軍家光の後見人となった人物。大坂道頓堀の名付け親でもある

    信昌の四男・松平忠明の陣羽織。
    忠明は大坂の陣で活躍し、3代将軍家光の後見人となった人物。
    大坂道頓堀の名付け親でもある

  • 奥平家が監修した、幕末期の諸侯格式一覧表。271の大名家の禄高、藩地、職名、家格などを列挙した貴重な史料

    奥平家が監修した、幕末期の諸侯格式一覧表。
    271の大名家の禄高、藩地、職名、
    家格などを列挙した貴重な史料

  • 長篠合戦図。奥平氏が武功をあげた長篠・設楽原の戦いに関する史料も数多く展示されていた

    長篠合戦図。奥平氏が武功をあげた長篠・設楽原の戦いに
    関する史料も数多く展示されていた

  • 天守の最上階から中津川と周防灘を望む。この地が水上交通の要衝であったことがわかる

    天守の最上階から中津川と周防灘を望む。
    この地が水上交通の要衝であったことがわかる

  • 中津を発つ前に、中津名物のからあげと大分の郷土料理・とり天で腹ごしらえ

    中津を発つ前に、中津名物のからあげと
    大分の郷土料理・とり天で腹ごしらえ

耶馬渓橋

中津の中心部から国道212号線を南へと走り、今回の旅のハイライトである耶馬渓エリアへ。およそ20分で最初の目的地「耶馬渓橋」に到着した。
耶馬渓橋は大正12年(1923)、観光道路として架設。8つのアーチが連なる均整のとれた石造橋で、116mもの長さは石橋として日本一を誇り、8連のアーチも日本唯一。広々とした山国川とまわりの山並みとともに、まるで絵画のような美しい景観をかたちづくっていた。
なお、大分県内には500を超える石橋が現存し、中津・耶馬渓エリアにも「馬渓橋」「羅漢寺橋」など数多くの石橋があるため、興味があれば石橋めぐりをしてみるのもいいだろう。

  • 均整のとれたアーチが美しい

    均整のとれたアーチが美しい

青の洞門

耶馬渓橋から山国川右岸の道路を競秀峰方面へ向かう途中、川沿いの断崖絶壁の下をくり抜くようにして掘られたトンネルを通過する。それが「青の洞門」だ。
江戸時代、人々は競秀峰の岩壁に設置された鉄の鎖を命綱にして、川沿いの道を行き来していたが、危険な難所であったため、命を落とす人や馬があとを絶たなかった。旅の途上、耶馬渓に立ち寄った禅海和尚はその話を聞き、トンネルを掘って安全な道を作ることを決意。自力で岩壁を掘りはじめ、明和元年(1764)、およそ30年もの歳月をかけて全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させる。なお、掘削途中の寛延3年(1750)には「人は4文(現在の貨幣価値で約70円)、牛馬は8文(約140円)」の通行料を徴収したという逸話が残っており、日本初の有料道路であったともいわれている。
現在の道は明治以降に改修されたもので、かつての道とは大きく異なっているが、トンネル脇には一部分だけ禅海和尚が作った手掘り部分が残っていた。

  • 青の洞門の入口

    青の洞門の入口

  • 洞門内には歩道もあり、歩いて見学もできる

    洞門内には歩道もあり、歩いて見学もできる

  • 禅海和尚の手掘り部分に残る、最初に開けたあかり窓

    禅海和尚の手掘り部分に残る、最初に開けたあかり窓

  • 昔の洞門の様子

    昔の洞門の様子

  • 禅海和尚の像。石工を雇い、ノミと槌だけで掘り抜いたといわれる

    禅海和尚の像。石工を雇い、ノミと槌だけで掘り抜いたといわれる

競秀峰

競秀峰。荒々しい岩峰と渓流が織りなすこの絶景を福澤諭吉も愛したという

競秀峰。荒々しい岩峰と渓流が織りなすこの絶景を福澤諭吉も愛したという

青の洞門を抜けると、右に山国川の雄大な流れ、左に断崖絶壁が聳え立つ、広々とした場所に出る。駐車場に車を停め、山国川にかかる橋を半分ほど渡って振り返ると、耶馬渓を代表する名勝「競秀峰」の全景を望むことができた。
川に沿って競い合うように屹立する巨大な岩峰群は、下流側から一の峰、二の峰、三の峰、恵比須岩、妙見岩、大黒岩、殿岩、釣鐘岩、陣の岩などと呼ばれ、その連なりは約1kmにもわたる。断崖と渓流が織りなす絶景はすばらしく、中津出身の福澤諭吉もこの景色を愛したそう。そのことは、明治27年(1894)に競秀峰の山々が売却されることになった際、その話を耳にした福澤が「万一心ない人に渡って、天下の絶景が損なわれては取り返しがつかない」 と一帯の土地を自ら購入したというエピソードにも表れている。この福澤の行動は、日本の自然保護運動の先駆だといわれている。

  • 競秀峰頂上の展望台へと至る探勝道の入口。一部鎖場があるので要注意

    競秀峰頂上の展望台へと至る探勝道の入口。一部鎖場があるので要注意

  • 角度を変えて眺めると、道路側にせり出すようにしてそそり立つ様がよくわかる

    角度を変えて眺めると、
    道路側にせり出すようにしてそそり立つ様がよくわかる

羅漢寺

競秀峰からは国道500号線に入り、「羅漢寺」を目指した。
羅漢寺の歴史は古く、その起源は大化元年(645)、インドの僧・法道仙人がこの岩山の洞窟で修行したことにさかのぼる。南北朝時代の暦応元年(1338)には円龕昭覚(えんがんしょうかく)禅師が庵を建立し、延文4年(1359)逆流建順禅師とともに約1年かけて五百羅漢像をはじめとした石仏を刻んで洞窟内に安置、羅漢寺を開いたとされる。
寺は山の中腹にあり、麓から石畳と石段の参道を30分ほど登れば着くが、時間がなかったり、体力に自信がなければ、耶馬渓リフトを利用するのがおすすめ。羅漢寺駅でリフトを降りて、石畳の道を数分歩くと、岩壁に食い込むようにして建つ山門が見えてくる。

  • 耶馬渓リフトで山を登る。羅漢寺駅まで約3分

    耶馬渓リフトで山を登る。羅漢寺駅まで約3分

  • 山門。室町幕府3代将軍の足利義満によって建立されたと伝わる

    山門。室町幕府3代将軍の足利義満によって建立されたと伝わる

山門をくぐり、その先には「無漏窟(むろくつ)」と呼ばれる岩屋があった。岩屋の内部にはおよそ500余体の羅漢像をはじめ、石造の釈迦如来像や四天王像などが安置され、石仏の圧倒的な数と荒々しい岩屋内に漂う厳粛な空気に思わず背筋が伸びる思いがした。
さらに奥には、山門と同様、岩壁と一体化したような本堂が建つ。本堂内部および庭園は有料で拝観でき、本堂2階からは耶馬渓の絶景を一望できた。また、山の斜面をそのまま生かした庭園は、周囲の自然や山々と相まって見事な景をなし、鮮やかな深紅色に葉を染めた木々が目を楽しませてくれた。
/本堂・庭園拝観料 300円、耶馬渓リフト羅漢寺駅往復 700円

  • 無漏窟の内部。荒々しい自然の岩屋内に石仏が所狭しと並ぶ(「(公社)ツーリズムおおいた」提供)

    無漏窟の内部。荒々しい自然の岩屋内に石仏が所狭しと並ぶ
    (「(公社)ツーリズムおおいた」提供)

  • 羅漢像は一体一体、表情が異なる (「(公社)ツーリズムおおいた」提供)

    羅漢像は一体一体、表情が異なる
    (「(公社)ツーリズムおおいた」提供)

  • 岩壁と同化するように建つ、羅漢寺本堂

    岩壁と同化するように建つ、羅漢寺本堂

御霊もみじ(御霊神社)

御霊神社の参道の入口。紅葉が美しい

御霊神社の参道の入口。紅葉が美しい

国道500号線から国道212号線に戻り、6kmほど走ると「御霊神社」へと着く。ここは「御霊もみじ」という紅葉の名所としても知られている。
御霊神社は、天正17年(1589)黒田官兵衛孝高、長政父子によって謀殺された宇都宮鎮房の侍女たちの霊をこの地に祀ったことがはじまり。社殿は山上の林の中に建ち、赤や黄色に色づいた木々が境内の参道や山の斜面や鮮やかに彩っていた。

  • 境内の中段広場。色づいた落葉が地面に敷き詰められ、足元も鮮やかに

    境内の中段広場。色づいた落葉が地面に敷き詰められ、足元も鮮やかに

  • 石段の下から山上を見上げる

    石段の下から山上を見上げる

一目八景

耶馬渓めぐりの最後に立ち寄ったのは、耶馬渓の代表的な景勝地である「一目八景」
平日にもかかわらず多くの車や観光バスであふれた駐車場に車を停めて、県道28号線を歩いて展望台へ。道路の両側にはみやげ物屋や茶屋、食事処が立ち並び、人気の観光地らしい賑わいを見せていた。

  • 紅葉シーズンは、平日でも駐車場はいっぱい

    紅葉シーズンは、平日でも駐車場はいっぱい

  • 駐車場から展望台へは徒歩5分ほど。県道28号線沿いにはみやげ物屋や茶屋が立ち並ぶ

    駐車場から展望台へは徒歩5分ほど。
    県道28号線沿いにはみやげ物屋や茶屋が立ち並ぶ

一目八景という地名は、一ヶ所にいながら八方の奇岩を仰ぎ見られることから名づけられたそうだが、実際展望台に上がると正面には群猿山〜夫婦岩〜鳶巣山の大パノラマが広がり、さらにぐるりと周囲を見渡せば、烏帽子岩や仙人ヶ岩などの岩峰を望むことができた。紅葉シーズンのこの時期、峻険な岩峰・岩塔群は錦繍のもみじに彩られ、名勝の名にふさわしい絶景を堪能することができた。
展望台からの帰り道は、車と観光客で混雑した県道28号線を避け、対岸の遊歩道を散策しながら駐車場へと戻った。

  • 展望台からの眺め。正面右が群猿山

    展望台からの眺め。正面右が群猿山

  • 訪れたのは11月下旬。紅葉は一部すでに落ち始めていたが、それでもまだ十分に見ごたえのある景色だった

    訪れたのは11月下旬。紅葉は一部すでに落ち始めていたが、
    それでもまだ十分に見ごたえのある景色だった

  • 展望台から見下ろす県道28号線。奥にそびえるのは、烏帽子岩と仙人ヶ岩

    展望台から見下ろす県道28号線。
    奥にそびえるのは、烏帽子岩と仙人ヶ岩

  • 山移川左岸の遊歩道を散策する。この遊歩道の紅葉も美しかった

    山移川左岸の遊歩道を散策する。この遊歩道の紅葉も美しかった

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大分県観光公式サイト「日本一のおんせん県おおいた」
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中津耶馬渓観光協会
中津城や福沢諭吉旧居をはじめとする中津市の観光情報、イベント情報などを紹介。

記事・写真:谷山宏典 取材:2017年11月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。