歴史と紅葉と温泉と。秋の大分ドライブ(1)国東半島から宇佐へ

最上階からの眺め。正面に見える断崖は、南台武家屋敷がある高台 「別府温泉」や「由布院温泉」を筆頭に数多くの温泉地を有して、近年は“日本一のおんせん県”をキャッチフレーズにしている大分県。また、県北部の山間に位置する「耶馬渓」は、日本新三景や日本三大奇勝のひとつに数えられ、紅葉の名所として全国的に知られている。温泉と紅葉――秋のドライブに欠かせないこの2つを求めて、レンタカーで大分県の北部を巡ることにした。
スタートは大分空港。そこから日本で唯一の“サンドイッチ型城下町”で知られる「杵築」へ。杵築からは宇佐を目指して北西へと走り、その途上「真木大堂」や「富貴寺」など国東半島六郷満山文化にまつわる寺社史跡を参拝。宇佐では全国の八幡社の総本宮である「宇佐神宮」を訪ねた。
山岳信仰や天台宗、宇佐神宮の八幡神信仰などが結びつき、奈良から平安時代にかけてこの地に起こった六郷満山は、来年2018年に開山1,300年を迎えるという。国東半島一帯はこれから注目が集まるエリアになるのではないだろうか。

ドライブルート

大分空港−(国道213号線)−杵築−(県道644号線、国道10号線、県道655号線など)−豊後高田市田染−(県道34号線、国道213・10号線など)−宇佐−(県道658、42号線など)−安心院−(国道500号線、宇佐別府道路/東九州自動車道、県道23号線など)−中津−(国道212号線、県道28号線など)−耶馬渓−(県道28号線、大分自動車道など)−日田−(大分自動車道、県道216号線など)−由布院−(県道216・11号線)−別府−(大分自動車道、国道197号線、県道635号線など)−佐賀関−大分空港

全行程 約440km、今回 約125km

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杵築城

城跡にそびえる三層の天守。昭和45年(1970)再建された

城跡にそびえる三層の天守。昭和45年(1970)再建された

「ニッポンレンタカー大分空港営業所」で車を借り、国道213号線(杵築沿海道)を20分ほど走ると杵築の市街地へと入っていく。今回の旅で最初に訪れたのは、八坂川河口の高台にそびえる「杵築城」だ。
杵築城は、室町時代初期の応永元年(1394)に大友氏一族の木付氏が、この地に城を築いたのがはじまり。木付氏が滅んだあとは豊臣系の武将が城主として入り、関ヶ原の戦い前後には細川家の家臣が城代として統治。江戸時代に入ると、九州諸藩の動きを監視するため、譜代の能見松平家が代々藩主を務めるようになり、幕末まで続いた。ちなみに、杵築という地名はもともと「木付」と表記していたが、松平家3代重休のとき、6代将軍徳川家宣からの朱印状において「杵築」と表記されていたことをきっかけに、木付から杵築へと変更されたといわれている。
現在残る三層の天守閣は、昭和45年(1970)に模擬天守として再建されたもので、内部は歴史資料館として公開されている。館内には、藩主松平公が使用した甲冑や、幕府に献上する豊後梅を入れた伊万里焼の壺などを展示。最上階から西側を眺めれば、これから向かう城下町の高台の断崖が見わたせた。
/入館料 300円

  • 城内は歴史資料館として公開され、甲冑、槍や鉄砲、杵築ゆかりの人物の史料などを展示

    城内は歴史資料館として公開され、
    甲冑、槍や鉄砲、杵築ゆかりの人物の史料などを展示

  • 石田三成の兄・正澄の兜。佐和山城落城の折の戦利品として杵築に伝わる

    石田三成の兄・正澄の兜。佐和山城落城の折の戦利品として杵築に伝わる

  • 最上階からの眺め。正面に見える断崖は、南台武家屋敷がある高台

    最上階からの眺め。正面に見える断崖は、南台武家屋敷がある高台

杵築の城下町

「志保屋の坂」から「酢屋の坂」を眺める。坂下右側の建物は「綾部味噌」

「志保屋の坂」から「酢屋の坂」を眺める。坂下右側の建物は「綾部味噌」

杵築のかつての城下町へと車で入っていくと、なるほどこの地が“サンドイッチ型城下町”と呼ばれるのがよくわかった。東西に延びる谷筋に商人町が広がり、その南北の高台に武家屋敷が点在。谷あいの商人町と、それを南北から挟み込む高台は20にものぼる坂道によって結ばれて、ほかの地域では見られない独特な町並みを形成していた。
はじめに向かったのは、杵築を代表する坂道である「酢屋の坂」。その名は、現在も坂の下で営業を続ける老舗味噌屋「綾部味噌」の前身が酢屋であったことに由来する。坂の上から振り返れば、正面に谷町から南台へと登っていく「志保屋の坂」を眺めることができた。ここは人気の撮影スポットのようで、坂を登ってきた多くの観光客がカメラを構えていた。
酢屋の坂の坂上には北台武家屋敷通りがあり、風情ある土塀の小路に沿って「大原邸」「能見邸」「磯矢邸」「藩校の門」などが連なっていた。

  • 杵築は「きものが似合う歴史的町並み」に認定。着物はレンタルでき、着物姿であれば公共観光施設の入館料が無料になるサービスも

    杵築は「きものが似合う歴史的町並み」に認定。着物はレンタルでき、
    着物姿であれば公共観光施設の入館料が無料になるサービスも

  • 北台武家屋敷通り。右側の門は、藩士の子弟が通った藩校・学習館の門。現在も杵築小学校の門として使用されている

    北台武家屋敷通り。右側の門は、藩士の子弟が通った藩校・学習館の門。
    現在も杵築小学校の門として使用されている

  • 北台武家屋敷通りにある「大原邸」の庭園。ちょうど紅葉が見ごろだった

    北台武家屋敷通りにある「大原邸」の庭園。ちょうど紅葉が見ごろだった

  • 「能見邸」では、食事や甘味をいただける「台の茶屋」が営業。散策の休憩にちょうどいい

    「能見邸」では、食事や甘味をいただける「台の茶屋」が営業。
    散策の休憩にちょうどいい

  • 北台の東端にある「勘定場の坂」

    北台の東端にある「勘定場の坂」

  • 北台と南台にはさまれた谷あいの大通り。かつての商人町で、現在は食事処やカフェが並ぶ

    北台と南台にはさまれた谷あいの大通り。
    かつての商人町で、現在は食事処やカフェが並ぶ

また、南台には「きつき城下町資料館」があり、杵築の歴史や文化を学ぶことができる。南台東端には展望台があり、守江湾に流れ込む八坂川と、その河口部の突端の台山にそびえる杵築城を遠望することができた。
/入館料 大原邸 200円、能見邸無料、磯矢邸 200円、きつき城下町資料館 200円

  • 南台にある「きつき城下町資料館」

    南台にある「きつき城下町資料館」

  • 南台東端の展望台からの眺め。正面の台山には杵築城がそびえる

    南台東端の展望台からの眺め。正面の台山には杵築城がそびえる

熊野磨崖仏

杵築からは国東半島南西部の山あいの道を走り、宇佐へと向かった。その途上、ぜひ立ち寄ってみたいと思っていたのが、来年2018年に開山1,300年という節目を迎える六郷満山(ろくごうまんざん)に関係する寺社や史跡であった。
六郷満山とは国東半島一帯にある寺院群の総称で、「六郷」とは半島中央の両子山(ふたごさん)の周囲の谷間に開かれた6つの郷を、「満山」とはそこに築かれた寺院群を指す。奈良から平安時代にかけて、この地には山岳信仰や天台宗、宇佐神宮の八幡神信仰などが結びついて生まれた神仏習合による独自の仏教文化が花開き、大いに栄えたといわれている。
まず向かったのは「熊野磨崖仏(まがいぶつ)」。国東半島は石造文化の宝庫で、全国の約8割がこの地にあるといわれる石造仁王像をはじめ、国東塔と呼ばれる独自の塔や、天然の岩壁に刻まれた磨崖仏が半島各地に点在している。
六郷満山の拠点のひとつであった胎蔵寺から、鬼が一夜で築いたとの伝説が残る急峻な自然石の乱積石段を登っていくと、やがて左手上方に断崖絶壁に刻まれた石仏が現れる。向かって左が不動明王で、高さは約8メートル。不動明王というと憤怒の相が特徴だが、この明王はどことなく柔和でやさしげな表情をしている。右の大日如来は高さ6.8メートルで、如来に相応しい端正な顔立ちをしていた。どちらも藤原時代末期(約900年前)の作と推定されている。あたり一帯には、周囲の自然と相まって、厳かな空気が漂っていた。
/拝観料 300円

  • 鬼が一夜で築いたと伝わる自然石の乱積石段。かなりの急こう配で、下りはバランスに要注意

    鬼が一夜で築いたと伝わる自然石の乱積石段。
    かなりの急こう配で、下りはバランスに要注意

  • 断崖に刻まれた不動明王

    断崖に刻まれた不動明王

  • 岩壁の下に立つ人と比べると、石仏の大きさがよくわかる

    岩壁の下に立つ人と比べると、
    石仏の大きさがよくわかる

  • 端正な顔立ちの大日如来

    端正な顔立ちの大日如来

真木大堂

右は受付。奥は仏像を安置する収蔵庫

右は受付。奥は仏像を安置する収蔵庫

県道655号線を進んでいくと、やがて道路左手に「真木大堂」が見えてきた。
かつてこの地には、六郷満山本山寺八ヶ寺のひとつとして36もの坊を従えていた馬城山伝乗寺があったと伝わっているが、中世以降に衰退し、現在は江戸時代再建の小さなお堂(真木大堂)一宇を残すのみとなっている。ただ、隆盛を誇った歴史を今に伝えるものとして、六郷満山の至宝とされる9躯の仏像を所有しており、収蔵庫にて見学することができる。
本尊の「阿弥陀如来坐像」や「不動明王像」などそれぞれにすばらしいが、なかでも目を奪われたのは「大威徳明王像」。像高は241cm。樟材の一木造りで、日本最大の大威徳明王像だという。その大きさといい、憤怒の相をたたえた6面の顔といい、まさに明王の名にふさわしい大迫力の像であった。
/拝観料 300円

  • 阿弥陀如来坐像と四天王立像(「豊後高田市」提供)

    阿弥陀如来坐像と四天王立像(「豊後高田市」提供)

  • 日本一の大きさの大威徳明王像(「豊後高田市」提供)

    日本一の大きさの大威徳明王像
    (「豊後高田市」提供)

  • 一帯は「田染(たしぶ)荘」と呼ばれ、宇佐神宮の荘園として栄えた歴史がある。今も昔ながらの田園風景が広がる(「豊後高田市」提供)

    一帯は「田染(たしぶ)荘」と呼ばれ、宇佐神宮の荘園として栄えた歴史がある。
    今も昔ながらの田園風景が広がる(「豊後高田市」提供)

富貴寺

富貴寺の仁王門と紅葉

富貴寺の仁王門と紅葉

「富貴寺」は、六郷満山を統括した西叡山高山寺の末寺のひとつで、寺伝によれば養老2年(718)に仁聞菩薩によって開基されたといわれている。
石造りの仁王像が守る仁王門をくぐり、参道を登って広場に出ると、正面に端正な佇まいの大堂が建つ。富貴寺大堂の建立は平安後期。宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつとされ、また現存する九州最古の木造建築物でもあり、国宝に指定されている。
堂内には、本尊の阿弥陀如来像(国重要文化財)を安置。訪れたときは運よく、六郷満山開山1,300年を迎えるにあたっての非公開文化財特別公開期間中で、内陣のまわりをぐるりと巡り、かつて壁や柱に描かれていた極彩色の仏画や浄土図、装飾文様の痕跡を間近に眺めることができた。
/拝観料 300円

  • 仁王門を守る石造の仁王像(阿形)。国東半島は石造文化の宝庫だといわれる

    仁王門を守る石造の仁王像(阿形)。
    国東半島は石造文化の宝庫だといわれる

  • 国宝の大堂。宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつ

    国宝の大堂。宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつ

  • 大堂内部に安置された阿弥陀如来坐像。その背後には、板壁に描かれた絵がうっすらと残っている

    大堂内部に安置された阿弥陀如来坐像。
    その背後には、板壁に描かれた絵がうっすらと残っている(「豊後高田市」提供)

宇佐神宮

寄藻川に架かる神橋を渡って境内へ

寄藻川に架かる神橋を渡って境内へ

国東半島の北西の付け根、寄藻川の南側に広大な社地を有するのが、全国に4万余りある八幡社の総本宮で、神輿と神仏習合の信仰の発祥地として知られる「宇佐神宮」である。
国道10号線沿いの駐車場に車を停め、寄藻川に架かる「神橋」をわたって境内に入ると、まず目に飛び込んでくるのが朱色の巨大な大鳥居。八幡社の総本宮にふさわしい広々とした参道を進むと、やがて鬱蒼としたイチイガシの杜のなかへと入っていく。「下宮」への参道を右手に見送り、若宮坂を登っていくと、行く手に現れるのは唐破風の華麗な造りの「西大門」。そして、その門をくぐった先、回廊沿いに南側へとまわると、宇佐神宮を象徴する「南中楼門(勅使門)」が見えてくる。国宝「上宮本殿」は、その奥に鎮座していた。本殿は3棟の御殿が横一列に並び、それぞれ八幡大神(応神天皇)、比売大神、神功皇后を祀る。現在の本殿は江戸末期に再建されたものだという。

  • イチイガシの杜のなかにひっそりと建つ春宮神社

    イチイガシの杜のなかにひっそりと建つ春宮神社

  • 周囲を池に囲まれた祓所。神聖な空気があたりをおおっていた

    周囲を池に囲まれた祓所。神聖な空気があたりをおおっていた

  • 薄暗い杜のなかから、陽光を浴びて光り輝く西大門を望む

    薄暗い杜のなかから、陽光を浴びて光り輝く西大門を望む

  • 宇佐神宮を象徴する建物のひとつ、南中楼門。この奥に上宮本殿が鎮座する

    宇佐神宮を象徴する建物のひとつ、南中楼門。この奥に上宮本殿が鎮座する

八幡神信仰の発祥は、今から1400年以上前の欽明天皇32年(571)まで遡り、この地に応神天皇の神霊である八幡大神が顕れたのがはじまりだとされる。その後、神亀2年(725)に八幡大神を祀る一之御殿、天平5年(733)に比売大神を祀る二之御殿、弘仁14年(823)に応神天皇の母・神功皇后を祀る三之御殿がそれぞれ創建された。八幡神信仰はここ宇佐神宮から全国に広まり、平安京の鎮護として創建された石清水八幡宮や、鎌倉時代に武門の守護として源頼朝によって創建された鶴岡八幡宮などはその代表である。
また、八幡神ははじめて仏教と融合した神様としても有名で、国東半島の六郷満山は八幡神の化身である仁聞菩薩によって開山されたと伝わり、奈良東大寺の大仏建立にも協力して八幡大菩薩の称号を賜ったといわれている。境内には、天平10年(738)に建立された「弥勒寺」の跡も残っており、日本ならではの神仏習合文化がこの地からはじまったことを今に伝えている。
/境内見学自由

  • 八幡神が降り立った地といわれ、神宮の奥宮がおかれる御許山を望む遥拝所

    八幡神が降り立った地といわれ、
    神宮の奥宮がおかれる御許山を望む遥拝所

  • 下宮。上宮と同じ祭神を祀る。宇佐地方では「下宮参らにゃ片参り」といわれるので、こちらもぜひ参拝しよう

    下宮。上宮と同じ祭神を祀る。宇佐地方では
    「下宮参らにゃ片参り」といわれるので、こちらもぜひ参拝しよう

  • さまざまな商店が軒を連ねる仲見世

    さまざまな商店が軒を連ねる仲見世

仙の岩

宇佐神宮を出たあとは中津へと向かう予定であったが、少し時間に余裕があったため、宇佐の南の安心院(あじむ)方面へ寄り道をすることにした。
旧安心院町の中心部を通る国道500号線から県道50号線に入り3kmほど走ると、正面に屏風状に連なる急峻な岩峰群がそびえ立っていた。耶馬渓六十六景のひとつ「仙の岩」である。
大昔インドの僧・法道仙人が住んでいたので「仙の岩」と呼ばれるようになったといわれ、岩峰にはそれぞれ「平岩」「剣ヶ岳」「屏風岩」という名が付けられている。高さ100mもある大絶壁には大巖寺岩窟や奥の仙岩窟などがあり、山岳仏教の修行場になっているそうだ。
頂上には展望台があり、登っていくこともできるが、下から眺めるだけでも十分に満足できる圧倒的な景観であった。

  • 県道50号線から仙の岩を見上げる

    県道50号線から仙の岩を見上げる

地獄極楽(桂昌寺跡)

安心院地区にある全国的にも珍しい史跡「地獄極楽」にも足を延ばしてみた。
この地にはもともと室町時代開基の桂昌寺という寺院があったが、江戸時代に荒廃。その後、江戸後期の文政3年(1820)頃、午道法印という天台僧が境内の岩窟内に大衆教導の場として「地獄極楽」を造り、現在に至っている。
岩窟の入口から入ってすぐのところには、閻魔大王が裁判を行う閻魔庁が。その奥の地獄道を進むと、奪衣婆がいる三途の川、赤鬼青鬼が待ち構える血の池地獄が闇のなかに現れる。無事に地獄道を抜けると今後は極楽道となり、13の仏の加護を受けながら、来迎弥陀(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)の前へ。その横の5mほどの竪穴を鎖に頼って登っていくと、穴を出た丘の上が極楽浄土で、阿弥陀如来をはじめ多くの菩薩が迎えてくれる、という展開。洞窟に潜り、山を登ることで、地獄から極楽までのストーリーを追体験できる、ユニークな史跡であった。
/拝観無料

  • 地獄極楽の入口。ここから洞窟内に入っていく

  • 中央に閻魔大王。その両側に牛頭羅刹と馬頭羅刹。閻魔の庁を再現している

    中央に閻魔大王。その両側に牛頭羅刹と馬頭羅刹。
    閻魔の庁を再現している

  • 右に行けば地獄道。左に行けば極楽道。まずは右の地獄道から巡ろう

    右に行けば地獄道。左に行けば極楽道。まずは右の地獄道から巡ろう

  • 極楽道。左右の壁には、薬師如来、釈迦如来、弥勒菩薩、観音菩薩、文殊菩薩などが次々に現れる

    極楽道。左右の壁には、薬師如来、釈迦如来、弥勒菩薩、
    観音菩薩、文殊菩薩などが次々に現れる

  • 針の耳の竪穴。高さは5mほどだが、ほぼ垂直。鎖に頼って登っていくが、登る自信がない人は無理をしないように

    針の耳の竪穴。高さは5mほどだが、ほぼ垂直。
    鎖に頼って登っていくが、登る自信がない人は無理をしないように

  • 針の耳を登りきると、そこは極楽浄土。山の斜面に阿弥陀如来などが鎮座する

    針の耳を登りきると、そこは極楽浄土。
    山の斜面に阿弥陀如来などが鎮座する

  • 極楽世界からの展望

    極楽世界からの展望

ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

大分県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、大分県の営業所リストをご覧いただけます。

大分県観光公式サイト「日本一のおんせん県おおいた」
大分県の観光スポットやグルメ、イベント情報などのほか、ドローンで撮影したダイジェスト動画も紹介。
大分県杵築市観光協会
杵築城下町のイベント情報や観光スポットを紹介しているほか、特産品や町の歴史を掲載。
八幡総本宮 宇佐神宮
八幡信仰の総本山である宇佐神宮の案内。月毎の行事・神事を紹介。

記事・写真:谷山宏典 取材:2017年11月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。