新潟・山里巡り(3)〜長岡市街から「寺泊」の魚市場へ〜

鏝絵蔵の北側。戸袋などにさまざまなモチーフの鏝絵が描かれていた。なまこ壁も美しい 越の大橋を渡り、長岡市に入ってからは国道17号線を北上。途中、江戸時代から醸造の町として栄える「摂田屋地区」に立ち寄りつつ、長岡市の中心部へと車を走らせた。
長岡市街では、火焔土器の発見地である史跡馬高・三十稲場遺跡の一画にある「馬高縄文館」や、司馬遼太郎の『峠』の主人公・河合継之助関連の展示が並ぶ「河合継之助記念館」、長岡市郷土史料館や動物園などがある「悠久山公園」などを巡った。
長岡市街からはいったん進路を東にとり、国道351号線を「栃尾」へ。この地は、戦国時代の名将・上杉謙信が青年期を過ごした場所として知られている。栃尾名物の油揚げに舌鼓を打ったあとは県道210号線を西へ。見附や中之島を経由して、一路日本海に面した「寺泊」へと向かった。

ドライブルート

小千谷−(国道17号線、県道370号線)−摂田屋−(県道370号線、国道404・8・351号線など)−長岡市中心部−(国道351号線、県道19号線など)−栃尾−(県道9号線、国道290号線、県道210号線)−見附−(県道20・22号線)−寺泊

行程 約95km

<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>

  • サムネイル1
  • サムネイル2
  • サムネイル3
  • サムネイル4
  • サムネイル5
  • サムネイル6

醸造の町・摂田屋

江戸創業の「越のむらさき」。右の社は明治22年(1889)にこの地に勧請された「竹駒稲荷」。その奥には旧三国街道が延びる

江戸創業の「越のむらさき」。右の社は明治22年(1889)にこの地に
勧請された「竹駒稲荷」。その奥には旧三国街道が延びる

国道17号線から県道370号線へと入り、しばらく北へ向かって車を走らせると「摂田屋地区」へと入っていく。
江戸時代、摂田屋一帯は天領(幕府直轄領)として長岡藩の干渉もなく、年貢などが優遇される一方で、良質の水や穀物などに恵まれたため、おのずと味噌、醤油、酒などの醸造業が栄え、町には多くの蔵元が立ち並んだ。現在でも6つの蔵元が残り、製造を続けている。
最初に訪れたのは、「越のむらさき」。天保2年(1831)にはじまった醤油づくりは、180年以上もの歴史がある。明治初期に建てられたという木造社屋の横を通り、旧三国街道を歩くと、両側に立ち並ぶ土蔵群からは香ばしい醤油の匂いが漂ってきた。

  • 越のむらさきの前に建つ辻地蔵。文化3年(1806)建立で、台石には「右は江戸 左は山道」と彫られ、道しるべとなっている

    越のむらさきの前に建つ辻地蔵。文化3年(1806)
    建立で、台石には「右は江戸 左は山道」と
    彫られ、道しるべとなっている

  • 旧三国街道。両側の蔵からは醤油の香りが漂う

    旧三国街道。両側の蔵からは醤油の香りが漂う

旧三国街道沿いにある、吉乃川酒蔵資料館「瓢亭」

旧三国街道沿いにある、吉乃川酒蔵資料館「瓢亭」

そのまま旧三国街道を行くと、右手に見えてくるのが「吉乃川酒蔵資料館『瓢亭』」。酒蔵・吉乃川の創業は、戦国時代の天文17年(1548)。数多くの酒蔵がある新潟県においても最も古く、日本屈指の老舗である。「瓢亭」では、昔の酒造用具や酒造りの写真などを展示するほか、吉乃川のお酒の販売も行っていた。
県道370号線沿いに建つ「機那サフラン酒本舗」もぜひ訪れたい場所だ。サフラン酒とは、江戸末期に日本に入ってきたサフランという植物を使った薬用酒のこと。明治時代に初代吉澤仁太郎によって創業された同店は、その後、販路を日本海航路に沿って山形、秋田、青森、北海道まで拡大。昭和初期にはハワイまで進出し、同じ薬用酒の養命酒と人気を二分するほどになったそう。主屋右手の土蔵には、壁や扉、軒、戸袋などに極彩色の鏝絵(こてえ)がいくつも描かれていた。作者は近所の出入りの左官だそうだが、その見事さゆえ、この蔵は「日本一の鏝絵蔵」と称されている。

  • 瓢亭の内部。昔の酒造用具や酒造りの写真などを展示。天井にはたくさんの瓢箪が吊り下がっていた

    瓢亭の内部。昔の酒造用具や酒造りの写真などを展示。
    天井にはたくさんの瓢箪が吊り下がっていた

  • 瓢亭では吉乃川のお酒の販売も。ここでしか買えない限定酒も売っていた

    瓢亭では吉乃川のお酒の販売も。
    ここでしか買えない限定酒も売っていた

  • 「機那サフラン酒本舗」。左が主家で、右が鏝絵蔵

    「機那サフラン酒本舗」。左が主家で、右が鏝絵蔵

  • 鏝絵蔵の北側。戸袋などにさまざまなモチーフの鏝絵が描かれていた。なまこ壁も美しい

    鏝絵蔵の北側。戸袋などにさまざまなモチーフの鏝絵が描かれていた。なまこ壁も美しい

馬高縄文館

縄文時代、長岡市街の西側、信濃川左岸の段丘上には大規模な集落があったことがわかっている。現在、その集落跡は「馬高・三十稲場遺跡」として整備され、その一画に「馬高縄文館」はある。
同館には、馬高・三十稲場遺跡から発掘された土器や土偶などの出土品が展示されているが、なかでもいちばんの見どころは、昭和11年(1936)に馬高遺跡で最初に発見された「火焔土器」だ。口縁部の装飾的な突起が燃え上がる炎をイメージさせるその土器は、日本の縄文文化を象徴する存在であり、重要文化財に指定されている。また、火焔土器に類似した「火焔型土器」や「王冠型土器」も数多く展示・保存されていた。
/入館料 200円

  • 馬高・三十稲場遺跡には、竪穴住居が復元されていた。左奥の建物が馬高縄文館

    馬高・三十稲場遺跡には、竪穴住居が復元されていた。
    左奥の建物が馬高縄文館

  • 馬高縄文館の内部

    馬高縄文館の内部

  • 昭和11年(1936)に発見された「火焔土器」。重要文化財に指定されている

    昭和11年(1936)に発見された「火焔土器」。
    重要文化財に指定されている

  • さまざまな形状の「火焔型土器」や「王冠型土器」も数多く展示されていた

    さまざまな形状の「火焔型土器」や「王冠型土器」も数多く展示されていた

長岡城趾

江戸時代末期の北越戊辰戦争では、長岡藩と新政府軍の間で長岡城を巡る激しい攻防戦が繰り広げられた。慶応4年(1868)5月19日、長岡城は一度は新政府軍によって占拠されるが、家老の河合継之助を中心に奪還作戦が練られ、同年7月25日見事奪還に成功。その数日後には新政府軍の猛反撃に遭い、再び落城してしまうが、いったんは奪われた城を奪い返すという長岡武士の意地を見せたのだった。
そんな激戦の舞台となった長岡城はどこにあったのかといえば、現在ではその城郭を偲ばせる痕跡は残っていない。本丸跡には長岡駅が建ち、周辺も開発されているためだ。かろうじて、駅前の大手通り沿いにあるシティホールプラザ「アオーレ長岡」の敷地内に、「長岡城趾(二の丸跡)」を示す石碑が建っているのみだった。

  • かつてこの場所に長岡城の二の丸があったことを示す石碑

    かつてこの場所に長岡城の二の丸があったことを示す石碑

  • 市庁舎、ホール、アリーナなどが集まった複合施設「アオーレ長岡」。そのエントランス広場の一角に長岡城趾の石碑が立つ

    市庁舎、ホール、アリーナなどが集まった複合施設「アオーレ長岡」。
    そのエントランス広場の一角に長岡城趾の石碑が立つ

河合継之助記念館

河合継之助記念館の入口

河合継之助記念館の入口

長岡藩の城下町、かつて河合継之助の生家があった場所に、現在「河合継之助記念館」が建っている。
館内に入ってすぐのところに展示されていたのは、北越戊辰戦争で使われたガトリング砲の複製。当時日本にはガトリング砲が3門しか入っておらず、うち2門を継之助が購入して長岡藩が所持していたことから、戦に負けはしたものの継之助の先見性の高さがうかがえる。ほかにも常設展示として、継之助直筆の書や書簡、西国遊歴の模様を書き綴った旅日記「塵壺」の複製、司馬遼太郎の『峠』関連の品々などが並び、継之助の生涯とともに彼の哲学にも触れることができる展示内容となっている。
司馬遼太郎は「『峠』のこと」という文章の中でこう書いている。「武士の世の終焉にあたって、長岡藩ほどその最後をみごとに表現しきった集団はない」と。その長岡藩を率いた河合継之助について知りたければ、ぜひ立ち寄りたいスポットだ。

  • 記念館の裏には、河合継之助の住居跡の石碑が

    記念館の裏には、河合継之助の住居跡の石碑が

  • 北越戊辰戦争で使用されたガトリング砲の複製

    北越戊辰戦争で使用されたガトリング砲の複製

悠久山公園/長岡市郷土史料館

長岡市街の南東側、地元の人たちに「おやま」の愛称で親しまれているのが「悠久山公園」である。総面積39.9haの広大な敷地では、春はサクラやツツジ、秋は紅葉、冬は雪景色など四季折々の風景を楽しむことができ、1年を通じて長岡の人々の憩いの場となっている。また、河合継之助、山本帯刀、小林虎三郎など長岡を代表する人々の石碑や、旧長岡藩主牧野家霊廟があり、園内を巡りながら長岡の歴史に触れることもできる。

  • 悠久山公園へ向かう。正面の小高い山の上に見えるのが、長岡市郷土史料館

    悠久山公園へ向かう。正面の小高い山の上に
    見えるのが、長岡市郷土史料館

  • 河合継之助の碑。公園内には、こうした長岡ゆかりの人々の石碑が数多く建つ

    河合継之助の碑。公園内には、こうした長岡ゆかりの
    人々の石碑が数多く建つ

  • 公園内には小動物園もあった。写真はサル山

    公園内には小動物園もあった。写真はサル山

城郭を模した、長岡市郷土史料館

城郭を模した、長岡市郷土史料館

公園内の高台には「長岡市郷土史料館」があった。建物の外観が城郭のようになっているのは、北越戊辰戦争によって長岡城が焼失してしまい、地域のシンボルになる建物がなかったため、昭和43年(1968)に同史料館を建設するときに城を模したデザインにしたという。その石垣の一部には、長岡駅の地下工事中に発見された長岡城塁の礎石が使われている。
館内には、長岡藩主牧野家の代々のことや、北越戊辰戦争を戦った河合継之助、長岡の教育の礎を築いた小林虎三郎と米百俵の精神(他藩から送られた米百俵を元手に学校設立のための資金を集めたことから、何よりも教育を大事にする精神を指す)、太平洋戦争時に連合艦隊司令長官を務めた山本五十六など、長岡出身の偉人たちに関する豊富な史料を展示。4階の展望台からは市街地や新潟平野を一望にすることができた。
/長岡市郷土史料館入館料 300円

  • 史料館の入口付近の石垣には、長岡城塁の礎石が使われていた

    史料館の入口付近の石垣には、長岡城塁の礎石が使われていた

  • 史料館の内部。河合継之助や小林虎三郎、山本五十六など長岡ゆかりの偉人たちに関する品々を展示

    史料館の内部。河合継之助や小林虎三郎、山本五十六など
    長岡ゆかりの偉人たちに関する品々を展示

  • 史料館4階の展望台からの眺め。遠くにこんもりと盛り上がっているのは弥彦山

    史料館4階の展望台からの眺め。遠くにこんもりと盛り上がっているのは弥彦山

栃尾と名物「油揚げ」

長岡市の中心部から東へ、国道351号線を20分ほど走ると、周囲を山に囲まれた「栃尾地区」へと着く。
栃尾は、戦国時代の天文12年(1543)、当時14歳だった長尾景虎(のちの上杉謙信)が栃尾城に入城し、19歳で春日山城に移るまでの青年期を過ごした土地として知られている。一帯には、謙信が旗揚げして初陣を飾った「栃尾城跡」や、謙信によって創建された「常安寺」、謙信の銅像が建つ「秋葉公園」などゆかりの場所が多い。
地区内には雪国ならではの雁木の通りがあちこちに残っていた。そのうち表町では、新潟大学と協働で「雁木プロジェクト」を進め、昔ながらの木造の雁木による街づくりを行っているので、通りを歩きながらさまざまなかたちの雁木を見てまわるのも楽しいだろう。

  • 秋葉公園

    秋葉公園

  • 公園内に建つ上杉謙信の像

    公園内に建つ上杉謙信の像

  • 天文20年(1551)、謙信が遷宮した秋葉神社。火伏せ神・秋葉信仰の二大霊山の一山として、江戸時代には全国から参拝者を迎えた

    天文20年(1551)、謙信が遷宮した秋葉神社。火伏せ神・秋葉信仰の二大霊山の
    一山として、江戸時代には全国から参拝者を迎えた

  • 秋葉神社の奥の院。精巧な彫刻は石川雲蝶と熊谷源太郎の手による

    秋葉神社の奥の院。精巧な彫刻は石川雲蝶と熊谷源太郎の手による

  • 上杉謙信が旗揚げした栃尾城跡への登り口。ここから本丸跡へはおよそ25分

    上杉謙信が旗揚げした栃尾城跡への登り口。
    ここから本丸跡へはおよそ25分

  • 昔ながらの木製の雁木が続く、表町の通り

    昔ながらの木製の雁木が続く、表町の通り

  • 柱は金属で補強されているが、木の部分をよく見ると「天保13年」の文字が。歴史を感じる

    柱は金属で補強されているが、木の部分をよく見ると
    「天保13年」の文字が。歴史を感じる

栃尾に来たら、ぜひ食べたいのが名物の「油揚げ」だ。栃尾の油揚げは、今から250年ほど前、火の神様として崇められていた秋葉神社の神宮から「参拝人のおみやげを考えてほしい」と依頼された豆腐屋林蔵が、江戸で修行したのちに考案したものだと言われている。栃尾のような山間地ではもともと魚介類の入荷が少なかったため、タンパク質や脂肪を摂るために油揚げが頻繁に食べられるようになった。
地区内には何軒もの豆腐店・油揚げ店があり、店頭で揚げたてを食べることもできる。

  • 栃尾地区には多くの豆腐店、油揚げ店がある。そのひとつが国道290号線沿いにある「栃尾豆庵」。大きな油揚げの看板が目印

    栃尾地区には多くの豆腐店、油揚げ店がある。そのひとつが
    国道290号線沿いにある「栃尾豆庵」。大きな油揚げの看板が目印

  • 栃尾豆庵の食堂で、揚げたての油揚げを食べる。写真の「揚げたてネギぶし」は310円

    栃尾豆庵の食堂で、揚げたての油揚げを食べる。
    写真の「揚げたてネギぶし」は310円

寺泊へ向かってひた走る。弥彦山が間近に見えるようになった

寺泊へ向かってひた走る。弥彦山が間近に見えるようになった

寺泊魚の市場通り(魚のアメ横)

上越国境から新潟の山間部をドライブしてきたが、気づけば日本海まで1時間とかからないところまで来ていた。せっかくここまで来たのだからと、ロングドライブの締めくくりとして、日本海岸の寺泊を目指すことにした。
栃尾から県道210号線、県道20号線を西へ。信濃川を渡ったところで進路を北へと向けて、県道22号線をひた走る。海岸沿いの道へと出ると、車窓には陽光に輝く日本海が広がった。

鮮魚店が立ち並ぶ、魚の市場通り

鮮魚店が立ち並ぶ、魚の市場通り

寺泊のいちばんの人気スポットといえば、やはり「寺泊魚の市場通り」、通称「魚のアメ横」だろう。実際、平日だというのに、駐車場には多くの車が停まり、通りの歩道も観光客であふれていた。
魚の市場通りにはおよそ10店の鮮魚店が立ち並び、名物の紅ズワイガニをはじめ、地元寺泊港や出雲崎港で水揚げされた新鮮な魚介類を格安価格で販売していた。店頭ではイカ、エビ、サバ、タイ、鮎などを串焼きにしたり、サザエやホタテをつぼ焼きにした、寺泊名物「浜焼き」が並び、食べ歩きを楽しむこともできる。店先から漂う香ばしい香りに誘われて、ついイカ焼きを一本買ってしまった。食事がまだであれば、店舗併設の食堂がおすすめ。リーズナブルな価格で新鮮な魚介を使った料理をお腹いっぱい食べることができる。

  • 名物の紅ズワイガニ。1000円以下のものから、2000円以上するものまで、懐具合によって大きさを選ぶことができる

    名物の紅ズワイガニ。1000円以下のものから、2000円以上する
    ものまで、懐具合によって大きさを選ぶことができる

  • 岩ガキはその場で殻をあけて、食べることができる

    岩ガキはその場で殻をあけて、食べることができる

  • 人気の浜焼きは、イカ、エビ、魚、貝類、練り物など、さまざまな種類が並ぶ

    人気の浜焼きは、イカ、エビ、魚、貝類、練り物など、さまざまな種類が並ぶ

海上に浮かぶように建つ、寺泊水族博物館

海上に浮かぶように建つ、寺泊水族博物館

寺泊水族博物館

「寺泊水族博物館」は、魚の市場通りから海岸沿いの道路を5分ほど走ったところにあり、近くなのでついでに立ち寄ってみることにした。
同館の見どころのひとつは、入ってすぐのところの海水温帯大水槽。水槽内では大きなアカウミガメが悠々と泳いでいた。また、大回遊水槽でのマリンガールによる餌付けショー、テッポウウオの餌取射撃ショーなどのイベントも行っている。屋上は日本海を一望できる展望台になっており、佐渡島や沖を通る漁船などを眺めることができた。 /入館料 700円

  • 館内にはテーマごとにさまざまな水槽が並ぶ

    館内にはテーマごとにさまざまな水槽が並ぶ

  • 水槽のガラスには、手書きの解説も

    水槽のガラスには、手書きの解説も

  • 電気うなぎから放電された電圧をデジタル表示で見ることができる

    電気うなぎから放電された電圧をデジタル表示で見ることができる

  • 屋上は展望台に。海の向こうに佐渡島の島影を遠望できた

    屋上は展望台に。海の向こうに佐渡島の島影を遠望できた

ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

新潟県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、新潟県の営業所リストをご覧いただけます。

にいがた観光ナビ
新潟県の公式観光情報サイト。観光スポットや「はやわかり新潟」、季節の特集やモデルコースも紹介。
観光 - 長岡市
長岡市役所による。長岡のイベントや観光スポット、史跡、体験施設、グルメ情報などを提供している。
Marine Resort 寺泊
寺泊観光協会による。魚の市場通りをはじめ寺泊の見どころを掲載。ライブカメラやアルバムも見られる。

記事・写真:谷山宏典 取材:2017年8月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。