新潟・山里巡り(2)〜“日本のミケランジェロ”石川雲蝶を訪ねる〜

現代の闘牛の様子。闘牛開催日には多くの人で賑わう 南魚沼市から魚沼市に入って、まず訪れたのは「西福寺」。この寺には“日本のミケランジェロ”と呼ばれる江戸末期の名工・石川雲蝶が手がけた壮大な作品群が残されていた。その後、三国街道(国道17号線)を北上し、小出からは国道352号線を東へ。長大なトンネルが続く、奥只見シルバーライン(県道50号線)を通って、「奥只見湖」を目指した。
奥只見の自然を満喫したあとは往路を引き返し、堀之内の古刹「永林寺」で雲蝶の彫刻群を拝観。そこから国道291号線を走って山古志地区へと入り、のどかな里山の風景のなかをドライブしながら、「中山隧道」「山古志闘牛場」「油夫アルパカ牧場」を巡った。

ドライブルート

南魚沼市長森−(県道28号線、国道17号線など)−魚沼市−(国道17号線、国道352号線、県道50号線)−奥只見湖−銀山平−(県道50号線、国道352・17・252・291号線、県道23号線など)−山古志−(国道291・17号線など)−小千谷……【新潟・山里巡り(3)に続く】

行程 約130km

<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>

  • サムネイル1
  • サムネイル2
  • サムネイル3
  • サムネイル4
  • サムネイル5
  • サムネイル6

西福寺

西福寺の外観。右が本堂。左が開山堂

西福寺の外観。右が本堂。左が開山堂

「西福寺」は室町時代後期の天文3年(1534)に開山された曹洞宗の古刹。この寺のいちばんの見どころは、何といっても境内の開山堂だ。安政4年(1857)に落成した堂内に一歩足を踏み入れると、天井や四方の欄間などに施された精緻かつ圧倒的な迫力の彫刻群に誰もが思わず息を呑むだろう。これらの彫刻を手がけたのが、江戸末期の名工で、“日本のミケランジェロ”とも称される石川雲蝶である。
江戸に生まれ、20代のころにはすでに彫物師として名を馳せていた雲蝶が、越後入りしたのは30代前半のころ。はじめは越後三条を拠点に制作活動を行い、その活躍の噂を聞きつけた西福寺23世・大龍和尚が開山堂建立に際して、雲蝶に彫刻などを依頼。雲蝶は約6年の歳月をかけて、現在見ることのできる圧倒的な空間を作り上げた。
雲蝶は彫刻のみならず、絵画や漆喰鏝絵でもその才をいかんなく発揮し、開山堂内の壁画や漆喰鏝絵のほか、本堂の襖絵「孔雀遊戯の図」「三顧の礼」なども手がけている。そうしたマルチな活躍が“日本のミケランジェロ”と呼ばれる所以である。
/拝観料 500円

  • 開山堂の天井には大彫刻『道元禅師猛虎調伏』。四方を囲む欄間の彫刻も素晴らしい

    開山堂の天井には大彫刻『道元禅師猛虎調伏』。四方を囲む
    欄間の彫刻も素晴らしい(「魚沼市観光協会」提供)

  • 開山堂内の階段の両脇には『鬼退治の仁王像』が立つ

    開山堂内の階段の両脇には『鬼退治の仁王像』が立つ
    (「魚沼市観光協会」提供)

  • 本堂の襖絵『孔雀遊戯の図』も雲蝶の作品。岩絵具で描かれている

    本堂の襖絵『孔雀遊戯の図』も雲蝶の作品。岩絵具で描かれている(「魚沼市観光協会」提供)

  • 境内には、仁王像を制作する雲蝶の像が立っていた

    境内には、仁王像を制作する雲蝶の像が立っていた

  • 山門前の『火除け地蔵』も雲蝶の作。この地蔵のご加護か、村ではほとんど火事がないそう

    山門前の『火除け地蔵』も雲蝶の作。
    この地蔵のご加護か、村ではほとんど火事がないそう

奥只見湖遊覧船

国道352号線を東へと走り、大湯地区手前で左折して県道50号線へ。この道路は「奥只見シルバーライン」と呼ばれ、奥只見ダムへと通じる全長22kmのうち、18kmにわたってトンネルが続いている。

  • 奥只見方面へは、国道352号線から県道50号線へと入る

    奥只見方面へは、国道352号線から
    県道50号線へと入る

  • 奥只見シルバーラインのトンネル。もともとはダム・発電所建設の工事用道路だったそう

    奥只見シルバーラインのトンネル。もともとはダム・発電所建設の工事用道路だったそう

長いトンネルを抜けると、そこが秘境・奥只見だ。駐車場からは巨大な奥只見ダムを望むことができた。昭和36年(1961)に完成したこのダムは、高さ157m、幅475mもあり、重力式ダムとしては日本一の高さを誇る。また、ダムのほぼ中央あたりを新潟県と福島県の県境が通っている。
「奥只見湖遊覧船」の乗り場は、駐車場から遊歩道を10分ほど歩いたところにある。坂道を登ってダム広場へと出ると、目の前に雄大な奥只見湖の絶景が広がった。遊覧船の航路は「周遊コース」「銀山平コース」「尾瀬口コース」の3つがあり、今回は40分かけて湖をぐるりと巡る周遊コースを選んだ。船上からは緑に覆われた周囲の山々の景色を堪能でき、湖上を吹き抜ける涼しげな風を浴びながら、爽やかな遊覧を楽しむことができた。
/周遊コース乗船料金 980円

  • 巨大な奥只見ダム。ダムの上を歩くこともできる

    巨大な奥只見ダム。ダムの上を歩くこともできる

  • 奥只見の観光用駐車場

    奥只見の観光用駐車場

  • ダムによってできた奥只見湖。総貯水量は6億トンで、人造湖では日本第2位の規模

    ダムによってできた奥只見湖。総貯水量は6億トンで、
    人造湖では日本第2位の規模

  • 遊覧船ファンタジア号は、19世紀アメリカ・ミシシッピ川の貨客船をモチーフにした船

    遊覧船ファンタジア号は、19世紀アメリカ・ミシシッピ川の
    貨客船をモチーフにした船

  • 湖上を渡る風に吹かれながら、船からの展望を楽しむ

    湖上を渡る風に吹かれながら、船からの展望を楽しむ

銀山平

奥只見から戻る途中、「銀山平」にも立ち寄ってみた。奥只見湖の上流域に位置する銀山平は、越後駒ケ岳や荒沢岳などの山々に囲まれた自然豊かなエリア。周辺には銀山平温泉の温泉宿や日帰り入浴施設、キャンプ場などがあり、自然のなかでのんびりと滞在したり、釣りや登山などのアクティビティを楽しむこともできる。
ちなみに銀山平という名は、かつてこの一帯に銀山があったことに由来している。その歴史は江戸時代前期の寛永年間にはじまり、無人だった山あいのこの地は鉱山町として栄え、最盛期には約2万人以上が働き、約1,000軒の家が立ち並んでいたという。しかし、安政6年(1859)に只見川の川底が破れ、300人以上が亡くなる大事故が起きたため、閉山に。残されていた銀山の坑道のほとんどは現在、奥只見ダムの湖底に沈んでいる。

  • 銀山平へは、トンネル内の分岐を左折する

    銀山平へは、トンネル内の分岐を左折する

  • 銀山平キャンプ場のキャンプサイトは沢の両岸に点在する

    銀山平キャンプ場のキャンプサイトは沢の両岸に点在する

  • こちらはオートサイト。キャンプサイトのそばまで車で乗り入れることができる

    こちらはオートサイト。キャンプサイトのそばまで
    車で乗り入れることができる

  • 管理棟。源泉露天風呂「かもしかの湯」を併設している

    管理棟。源泉露天風呂「かもしかの湯」を併設している

永林寺

永林寺の入口

永林寺の入口

石川雲蝶の作品は新潟県内の各地に残されているが、西福寺開山堂とともにその規模や美しさで群を抜いているのが「永林寺」の作品群である。
この寺と雲蝶のかかわりのはじまりは、嘉永5年(1852)のこと。当時の弁成和尚と雲蝶が酒を飲みながら賭け勝負をして、「雲蝶が勝ったら(和尚が)金銭を支払い、弁成和尚が勝ったら(雲蝶が)本堂一杯に力作を手間暇惜しまず制作する」と約束。この賭けに弁成和尚が勝ち、安政2年(1855)に雲蝶は約束通りに寺を訪れ、その後13年という歳月をかけて欄間の彫刻をはじめ、絵画や書院障子など100点を超える作品を手がけた。
本堂の欄間には龍、鳳凰、孔雀、唐獅子、鯉などさまざまなモチーフの彫刻が彫られ、岩絵具による彩色は今も鮮やかに残っている。なかでも天女の透かし彫りは傑作の誉れ高く、雲中に天衣をはためかせて舞うその姿は彫り物とは思えない優美さ、華麗さを見せてくれる。

  • 本堂の欄間を飾る「天女(飛天)」の彫刻。「両面透かし彫り」という高度な技術で彫られている

    本堂の欄間を飾る「天女(飛天)」の彫刻。「両面透かし彫り」という
    高度な技術で彫られている(「魚沼市観光協会」提供)

  • 同じく本堂欄間の「雲水竜」。今にも動き出しそうな躍動感がみなぎっている

    同じく本堂欄間の「雲水竜」。今にも動き出しそうな躍動感が
    みなぎっている(「魚沼市観光協会」提供)

中山隧道

左が国道291号線の「中山トンネル」。右の小さな入口が「中山隧道」

左が国道291号線の「中山トンネル」。右の小さな入口が「中山隧道」

国道252号線から国道291号線へと入り、山あいの道を10分ほど走ると、やがて前方に中山トンネルが見えてくる。そのトンネルを抜けると、山古志地区へと入る。「中山隧道」は、中山トンネルの山古志側の出入口のすぐ隣にあった。
この隧道は、877mもの長さがあり、人を通した手掘りの隧道としては日本一の長さといわれている。その掘削の歴史を振り返れば、雪国の山里暮らしの困難さを知ることができる。
一帯の小松倉集落は旧山古志村の最東部に位置し、周囲を山々に囲まれて、かつてはどこに行くにも峠越えを強いられていた。特に冬の間は4mを超える積雪のために峠越えもままならず、吹雪で道に迷う危険や急病人への救助が間に合わないなど犠牲者も出ていた。そこで集落の人々は、自分たちの生命と生活を守るため、隧道掘削を思い立ち、昭和8年(1933)から16年の歳月をかけてツルハシによる手掘りで掘り抜き、中山隧道を完成させた。
隧道内に入り、その壁に今も残るツルハシの跡を見れば、隧道掘削に向けられた地元の人々の途方もない情熱と苦労を偲ぶことができるだろう。

  • 中山隧道の内部。手掘りの跡が今も残る

    中山隧道の内部。手掘りの跡が今も残る

  • 隧道開通時の竣工記念写真

    隧道開通時の竣工記念写真

山古志闘牛場

山間部に位置する旧山古志村では、古くから闘牛が行われており、昭和53年(1978)には「牛の角突き」として国指定重要無形民俗文化財に指定された。その角突きを見物できるのが「山古志闘牛場」だ。開催日は5〜11月の間の毎月2回程度で、訪れた日は残念ながら開催されていなかったが、闘牛場入口のギャラリーでは山古志村や闘牛の歴史を知ることができた。
越後地方における闘牛の起源は定かではなく、そのはじまりは1,000年前とも言われている。江戸時代、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』に掲載された「越後州古志郡二十村闘牛図」には当時の闘牛の様子が描かれており、茶店などが立ち並び、たくさんの人々が見物する姿を見ることができる。足腰が強く、寒さや粗食に耐える牛は、昔から棚田での米づくりをはじめ、運搬や農耕に欠かせない存在であり、飼い主との密接な関係のなかで「牛の角突き」は山古志の人々の娯楽として根付いてきたのだろう。

  • 闘牛場入口のギャラリー。旧山古志村や闘牛の歴史を写真と文章で解説

    闘牛場入口のギャラリー。
    旧山古志村や闘牛の歴史を写真と文章で解説

  • ギャラリーに展示されていた写真。昔の闘牛の熱気が伝わってくる

    ギャラリーに展示されていた写真。
    昔の闘牛の熱気が伝わってくる

  • 闘牛場の入口に飾られていた牛のオブジェ

    闘牛場の入口に飾られていた牛のオブジェ

  • 巨大な牛が角を突き合わせる。大迫力の闘い!

    巨大な牛が角を突き合わせる。大迫力の闘い!(「長岡市山古志支所」提供)

  • 現代の闘牛の様子。闘牛開催日には多くの人で賑わう

    現代の闘牛の様子。闘牛開催日には多くの人で賑わう(「長岡市山古志支所」提供)

油夫アルパカ牧場

訪れたときは、ほとんどのアルパカは小屋にいて、外にいたのは数頭のみだった

訪れたときは、ほとんどのアルパカは小屋にいて、外にいたのは数頭のみだった

愛くるしいアルパカと触れ合うことができる「油夫アルパカ牧場」は、山古志地区の人気スポットである。とはいえ、「山古志でなぜアルパカ?」と疑問に思う人も多いだろう。そもそものきっかけは、平成16年(2004)に起こった新潟県中越地震だという。
この大地震によって山古志地区も甚大な被害を受けたが、地域の人たちの不断の努力によって徐々に復興への道を歩んでいた。そんな震災復興の途上の平成21年(2009)、アメリカ・コロラド州でアルパカ牧場を経営している人が「山古志の復興と日米友好のシンボルのため」として、アルパカを寄贈。以後、油夫集落と種苧原(たねすはら)集落の2ヵ所の牧場で飼育されるようになったそうだ。
油夫の牧場では、現在22頭を飼育。アルパカといえば、もふもふした体毛が特徴だが、夏のこの時期は暑さ対策のため、毛が刈られてさっぱりした姿になっていたのが印象的だった。

  • 暑さ対策のため、体の毛をすっかり刈られたアルパカたち。その姿はちょっと笑える

    暑さ対策のため、体の毛をすっかり刈られた
    アルパカたち。その姿はちょっと笑える

  • エサやりもできる。アルパカたちは人なつっこく、首を伸ばしてエサを食べてくれる

    エサやりもできる。アルパカたちは人なつっこく、
    首を伸ばしてエサを食べてくれる

  • 油夫集落の北側に広がっていた棚田。山古志地区では、こうした山里らしい風景をあちこちで目にすることができた

    油夫集落の北側に広がっていた棚田。山古志地区では、こうした山里らしい風景をあちこちで目にすることができた

司馬遼太郎『峠』文学碑

文学碑は、越の大橋の西側、小千谷バイパス(国道17号線)沿いに建つ

文学碑は、越の大橋の西側、小千谷バイパス(国道17号線)沿いに建つ

中越地方の中心都市である長岡は、幕末から明治にかけて新政府軍と旧幕府軍の間で行われた戊辰戦争において、北越戦争の主戦場となった場所として知られている。当時の長岡藩を率いたのは家老であった河合継之助であり、彼を主人公にした歴史小説が司馬遼太郎の『峠』である。
小千谷市と長岡市の境、信濃川に架かる越の大橋の西のたもとに「司馬遼太郎『峠』文学碑」があるということで、立ち寄ってみることにした。
文学碑は、小千谷バイパス(国道17号線)沿いにあり、周辺には駐車スペースがないため、橋西詰の高梨交差点を南へと入り、堤防に上がったところの広いスペースに車を停めた。碑の表と裏には、『峠』の一節や司馬遼太郎が河合継之助について綴った文章が刻まれていた。
また、信濃川の対岸(右岸)の県道589号線沿いには、北越戦争の戦場のひとつである「榎峠古戦場パーク」もあるので、あわせて寄ってみるのもいいだろう。

  • 信濃川に架かる越の大橋。車を停めた堤防からの眺め

    信濃川に架かる越の大橋。車を停めた堤防からの眺め

ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

新潟県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、新潟県の営業所リストをご覧いただけます。

にいがた観光ナビ
新潟県の公式観光情報サイト。観光スポットや「はやわかり新潟」、季節の特集やモデルコースも紹介。
いいね魚沼
魚沼市観光協会による。魚沼の見どころや温泉情報、魚沼を満喫するおすすめプランなどが見られる。

記事・写真:谷山宏典 取材:2017年7月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。