長崎・佐世保・平戸。潜伏キリシタンの歴史を訪ねて(3)

平戸大橋を渡って、平戸島へと入っていく。平戸は、天文19年(1550)に日本ではじめてポルトガル船が入港した地であり、江戸時代前期まで欧米諸国の商館が設置されるなど国際貿易都市として栄えてきた。港に面したその中心地区には「オランダ塀」や「オランダ埠頭」などの史跡が今も残り、往時の倉庫が「平戸オランダ商館」として復元されるなど、見どころが多い。
高台に建つ「平戸ザビエル記念教会」に立ち寄ったあとは、市街地を離れて県道19号線を西へ。世界文化遺産の構成資産である「春日集落」へと向かった。平戸島の西岸一帯は、長崎市の外海地区と並んで、江戸時代の禁教令下に数多くのキリシタンが潜伏していた地域であり、根獅子ねしこ地区の「平戸市切支丹資料館」では潜伏キリシタンに関する貴重な史料の数々を目にすることもできた。

ドライブルート

長崎空港−(長崎自動車道、ながさき出島道路など)−長崎市中心部−(国道206・202号線など)−外海地区−(国道202号線)−西海市−(県道43号線、国道202・205号線、西九州自動車道)−佐世保市中心部−(SSKバイパス、県道149号線)−展海峰−(SSKバイパス、県道11・139・18号線)−神崎鼻−(県道18号線、国道204号線、県道221号線)−平戸市田平町−(国道383号線など)−平戸市中心部−(県道19号線)−春日町−根獅子町−(国道383号線)−紐差町−宝亀町−(西九州自動車道、長崎自動車道など)−長崎空港

全行程約345km、今回行程約150km

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平戸の町並み

さまざまな商店が軒を連ねる、オランダ商館通り(写真提供:長崎県観光連盟)

平戸の中心地区の観光には、港の北側、観光案内所そばの駐車場を利用するのが便利だ。
港沿いの道から一本山側に入った県道153号線は、通称「オランダ商館通り」「英国商館通り」と呼ばれる風情ある通りで、道の両側には飲食店やみやげもの屋などが軒を連ねるほか、「イギリス商館跡」「三浦按針終焉の地」「ポルトガル船入港の地碑」「吉田松陰宿泊紙屋跡」などの史跡が点在し、かつてここが平戸のメインストリートであったことを教えてくれる。徳川家康の外交顧問であった三浦按針(イギリス人で、本名はウィリアム・アダムス。オランダ艦隊の航海長として、慶長5年/1600年に豊後に漂着した)が暮らした屋敷跡は「按針の館」として今も残っており、1階部分には文亀2年(1502)創業の老舗菓子舗「平戸蔦屋」が店を構えていた。
観光案内所から東に300メートルほど歩いていくと、かつてオランダ商館が置かれていた一画に出る。周辺には「オランダ塀」「オランダ井戸」「オランダ埠頭」などオランダ商館ゆかりの史跡が残り、港に面した東端には復元された「平戸オランダ商館」が建っていた。

  • イギリス商館は慶長18年(1613)に設置され、
    元和9年(1623)に撤退するまでの10年間、
    平戸を拠点に活動を行った

  • イギリス人ウィリアム・アダムスは
    三浦按針と名乗り、徳川家康の外交顧問として活躍した

  • 按針の館1階の「平戸蔦屋」。
    文亀2年(1502)創業の老舗で、平戸藩松浦家の御用菓子司も務めた

  • 平戸銘菓「カスドース」。
    400年以上の歴史があり、かつては殿様だけが食べられる
    "お留め菓子"と呼ばれた

  • あご(とびうお)も平戸の名産品

  • 平戸港。正面に見える城郭は平戸城

  • 石段に沿って続く漆喰で塗り固められた塀は「オランダ塀」と呼ばれている

  • オランダ埠頭

平戸オランダ商館

かつてこの地にあった巨大な石造倉庫を復元した「平戸オランダ商館」

慶長14年(1609)、2隻のオランダ船がはじめて平戸に来航した。徳川家康・秀忠父子に謁見して交易の許可を得たオランダ人たちは、同年平戸の港に自分たちの商館を設置。以後、寛永18年(1641)に長崎の出島に移転を命じられるまで、平戸を拠点に交易事業を展開していく。
現在、平戸港に面して建つ「平戸オランダ商館」は、貿易額の増大に伴って寛永16年(1639)に築造された石造倉庫を復元したもので、館内は史料館として公開されている。18世紀の世界地図「新刻世界地図帳」、豊臣秀吉が発布した「キリシタン禁制定書(バテレン追放令)」、「南蛮甲冑」や「南蛮漆器」など、南蛮貿易やキリスト教に関する史料が展示されていた。
/入館料300円

  • 館内では、絵画や書物、甲冑、航海用具、交易品などの史料を展示

  • 「外国人之図」。松浦家に伝来した絵巻で、総勢43人の外国人が描かれている

  • 天正15年(1587)に発布された
    「豊臣秀吉キリシタン禁制定書(バテレン追放令)」

  • 商館員の生活スペースを再現したエリア

松浦史料博物館

町の北側の高台に建つ「松浦史料博物館」にも立ち寄ってみた。 建物は明治26年(1893)に建てられた旧平戸藩主・松浦家の私邸「鶴峯邸」で、昭和30年(1955)に松浦家に代々伝わる武具や美術品、史料とともに寄贈されて博物館として設立された。重厚な建物群や城郭を思わせる堅牢な石垣が、旧大名家の豪壮な屋敷の雰囲気を今に伝えてくれる。
館内では、松浦家に伝わった貴重な史料3万余点のうち、甲冑や屏風、絵図、大名婚礼調度品、日蘭貿易で得た舶来の品々など約200点を展示。敷地内にある茶室閑雲亭は平戸藩最後の藩主である37代詮公が明治時代に建てたもので、お茶とお菓子をいただくことができる。
/入館料510円

  • 旧大名家の屋敷にふさわしい堅牢な石垣

  • 主な展示場は「千歳閣」と呼ばれる大きな建物

  • 松浦家に代々伝わった貴重な品々が並ぶ

  • 松浦家当主が愛用した甲冑と屏風

  • 敷地内に建つ、茶室閑雲亭

  • 閑雲亭で抹茶とお菓子をいただく。
    お菓子は「烏羽玉」といい、江戸時代の菓子を復元したもの

平戸ザビエル記念教会

イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本にはじめてキリスト教を伝えたのは天文18年(1549)のこと。その翌年にザビエルは平戸を訪れて布教を行い、天文20年(1551)には日本初の教会が平戸に建設された。日本におけるキリスト教史を振り返ったとき、平戸は極めて重要な場所なのである。
しかし、禁教の時代に入るとほかの地域と同様に、多くのキリシタンが殉教もしくは棄教を強いられ、教会も破壊されてしまった。明治になって禁教令が解かれたあとも、しばらくは建設資金や用地の問題で新しい聖堂を建てることができなかったが、明治43年(1910)にまずは木造2階建ての教会を建設。その後、増え続ける信者に対応するため、昭和6年(1931)に現在の鉄筋コンクリート造の荘厳な教会堂が完成した。
外観は、正面中央に大塔、左側に小塔を配し、空に向かう垂直性を強調したデザインに。内部の壁や柱に施されたマーブル模様は、伝統的な漆喰塗りの技法を用いたもので、平戸の左官技術の高さをうかがうことができる。
なお、教会の名称だが、献堂当初は「カトリック平戸教会」と呼んでいたが、昭和46年(1971)に献堂40周年を記念して敷地内に聖フランシスコ・ザビエル像が建立されたのを機に「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになり、近年になって「平戸ザビエル記念教会」に改名されたそうだ。

  • 中央の巨大な大塔を小尖塔が取り囲む。
    こうしたスタイルをドイツ式ゴシックというらしい

  • 昭和46年(1971)に建てられたフランシスコ・ザビエルの記念像

春日集落

小春日地区にある春日集落案内所「かたりな」

平戸市には、世界文化遺産の構成資産が2ヶ所あり、そのうち実際に訪れることができるのが、平戸島の北西部に位置する「春日集落と安満岳」である。
春日集落は、海に面した2つの谷(小春日地区と春日地区)で構成される。まずは小春日地区の「春日集落案内所『かたりな』」に立ち寄り、集落の散策マップなどを入手。「お茶でも飲んで休んでいったら?」とお誘いをいただいたので、隣接する休憩所でお茶と漬物をいただいた。

  • 空から眺めた春日集落。左の谷が小春日地区で、右が春日地区。
    棚田が山から海へと連なる様子がよくわかる

  • 「かたりな」で販売されていた棚田の米

  • 世界文化遺産の認定書

  • 休憩所でお茶と漬物をごちそうになる。地元の方々に昔話を聞くのも楽しい

その後、春日地区へと移動し、小さな祠が立つ丸尾山へ。春日地区のちょうど真ん中に位置するこの小高い丘の頂にはかつて十字架が祀られていたと考えられており、近年の発掘調査によってキリシタンの墓地遺構だと思われる複数の長方形の穴も確認されている。山から海へと連なる棚田の絶景も一望にすることができた。
春日地区からは市内最高峰の安満岳を望むこともできる。安満岳の山頂には神社や寺跡、多くの石造物が残っており、古くから神道や仏教の信仰の対象にされてきた。そんな山が世界遺産の構成資産として認定されたのは、禁教令の時代、祈りの場である教会堂を持てない潜伏キリシタンたちが、代わりに古来信仰してきた安満岳を自分たちの聖地として崇めていたためだという。山の中腹あたりには駐車場があり、神社が鎮座する山頂まで歩いて登っていくこともできる。

  • 春日地区。右手奥に見えるのが安満岳

  • 丸尾山の頂から棚田を望む。もっとも高いところで標高150mに達するそう

  • 両側に尾根が迫り、その谷間の狭い土地を棚田にして人々は生活を続けてきた

人津久の浜

春日集落から県道19号線を南へ6キロほど走ると、山あいを抜けて、道路の右手に碧く広がる海と美しい海岸線の展望が開けてきた。道路沿いに駐車場に車を停めて、「人津久の浜」に立ち寄ってみることにした。
天気が良かったこともあり、浜辺の砂は白く輝き、遠浅で透き通ったエメラルドグリーンの海と青い空がどこまでも広がっていた。まるで海外のビーチリゾートのような景色である。次ははぜひ夏に訪れて、この美しい入江でのんびりと過ごしたいと思える場所であった。

  • 入江になっており、白砂の浜辺におだやかに波が打ち寄せていた

根獅子の浜と平戸市切支丹資料館

根獅子の浜。かつてこの浜で多くのキリシタンが殉教した

人津久の浜からさらに数分走ると、根獅子地区へと入っていく。この地区にも「根獅子の浜」という美しい砂浜が広がり、夏には多くの海水浴客で賑わうそうだ。
16世紀中頃、この一帯を治めていた籠手田こてだ氏と一部氏がキリスト教に入信したのをきっかけに領民たちも一斉改宗させられて、根獅子はキリシタンの里となった。その後、禁教の時代になると迫害や殉教が相次ぎ、信徒たちは潜伏して仏教や神道を並存させつつ密かに信仰を守り続けることになる。しかし、宣教師不在の影響は大きく、長い歳月の中で彼らの信仰はまったく独自の宗教へと変化してしまった。
根獅子の浜のそばに建つ「平戸市切支丹資料館」では、そんな根獅子地区の潜伏キリシタンやのちのかくれキリシタンの人々の信仰の特徴を解説しつつ、祭具、聖画、メダイなど代々受け継いできた信仰資料を数多く展示。一部、五島系キリシタン、外海系キリシタンの資料もあった。

  • 平戸市切支丹資料館

  • 展示品の多くは、根獅子地区のかくれキリシタンの家に代々伝わってきたもの

  • かくれキリシタンの家では納戸や棚にご神体を保管し、祀っていた。
    納戸に祀る神のことを「納戸神」という

  • かくれキリシタンの祈りの言葉「おらしょ」を記したもの。
    おらしょとは、ラテン語のオラシオ(祈祷文)に由来する

  • かくれキリシタンは聖画、お水瓶、
    糸印(中国から輸入した生糸に添えられた銅印)などをご神体として崇めた。
    写真は糸印

  • 御掛け絵。これもご神体だった。
    聖母子や天使が描かれているようだが、人物は和装

資料館の裏手には「ウシワキの森」と呼ばれる聖地が広がっていた。キリスト教が厳しく弾圧された時代、里の代表者であった「おろくにん様」一家は藩の取り調べを受けた末に殉教。その遺体を祀ったと伝わるのが、この森である。また、根獅子の浜は、おろくにん様をはじめとして多くの信者たちが殉教した場所で、浜辺の一画も聖地とされている。
/資料館入館料200円

  • ウシワキの森の入口。
    森全体がかくれキリシタンの聖地とされる

  • おろくにん様を祀った石祠

紐差教会

根獅子地区からは進路を東に変えて国道383号線に合流し、島の東岸を走って平戸大橋方面へと戻ることにした。その途上、2つの教会に立ち寄った。
ひとつが、紐差地区にある「紐差教会」。昭和4年(1929)、町を一望する高台に建てられた教会で、設計者は田平教会などを手がけた鉄川与助。大正7年(1918)竣工の田平教会がレンガ造であるのに対して、紐差教会は鉄筋コンクリート造。鉄川独特の八角ドームの鐘塔をもつ荘厳な白亜の教会で、旧浦上天主堂が原爆で破壊された一時期は教会建築としては日本最大の規模であった。
内部の天井は「船底天井」と呼ばれ、天井板を「へ」の字に折って真ん中を高くした構造はシンプルでありながら整然とした美しさをもつ。また、天井や壁面には花や葉の装飾が施され、ステンドグラスとともに堂内の雰囲気を華やかに演出していた。

  • 美しい白壁が青空によく映える

  • 高台に建つため、紐差地区を一望できる

宝亀教会

宝亀ほうき地区に入ったところで国道383号線を外れ、山側の細い道を登っていくと、やがて高台に建つ「宝亀教会」が見えてくる。 竣工は明治31年(1898)で、平戸市内では最も古く、県内の数ある教会の中でも15指に入る歴史を有している。正面は赤と白の特徴的な色合いでレンガ造のようにも見えるが、主体構造は木造、外壁も板張り。正面の玄関部分の1間だけがレンガ造で、ほかは赤と白のモルタルで仕上げられている。また、左右の両側面にベランダと床面まである窓を設けているのが特徴で、その長崎の洋館のような南国風テラスはほかの教会ではほとんど見られない珍しい構造だという。

  • 宝亀湾を見下ろす高台に建つ
    (写真提供:長崎県観光連盟。写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています)

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記事・写真:谷山宏典 取材:2018年11月

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