長崎・佐世保・平戸。潜伏キリシタンの歴史を訪ねて(2)

長崎市の外海地区では、バスチャンという日本人伝道士が隠れ住んだと伝わる「バスチャン屋敷跡」や、明治時代にド・ロ神父が建設した「大野教会堂」も訪ねた。その後、国道202号線を北上。西海市を走り抜け、うず潮の名所でもある西海橋を渡って佐世保市へと入った。
佐世保市中心部でご当地グルメである「佐世保バーガー」を堪能し、「海上自衛隊佐世保史料館」を見学したあとは、美しい海と島々の景観を求めて、九十九島の大パノラマが望める「展海峰」や日本本土最西端の「神崎鼻公園」へ。平戸市に入ると、平戸瀬戸を望む丘の上に建つ「田平教会」にも足を延ばしてみた。
なお、今回走った長崎市から西海市、佐世保市、平戸市へと至る海岸沿いの道路(国道202号線、県道18号線など)は「ながさきサンセットロード」と命名されており、随所で雄大な海岸線や大海原、夕方にはあたりを茜色に染めながら海に沈んでいく夕日などを望むことができ、絶好のドライブコースとなっている。

ドライブルート

長崎空港−(長崎自動車道、ながさき出島道路など)−長崎市中心部−(国道206・202号線など)−外海地区−(国道202号線)−西海市−(県道43号線、国道202・205号線、西九州自動車道)−佐世保市中心部−(SSKバイパス、県道149号線)−展海峰−(SSKバイパス、県道11・139・18号線)−神崎鼻−(県道18号線、国道204号線、県道221号線)−平戸市田平町−(国道383号線など)−平戸市中心部−(県道19号線)−春日町−根獅子町−(国道383号線)−紐差町−宝亀町−(西九州自動車道、長崎自動車道など)−長崎空港

全行程約345km、今回行程約125km

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バスチャン屋敷跡

出津集落からは国道202号線に戻らず、山のほうへ車を走らせた。向かったのは、新牧野町の山中にある潜伏キリシタン関連の伝承地「バスチャン屋敷跡」だ。
バスチャンとは、江戸時代の禁教令下に外海地区のキリシタンたちを指導したといわれる日本人伝道士のこと。激しい弾圧の中、バスチャンが追っ手を逃れるために潜伏した場所のひとつがこの地だと伝わっている。外海地区のかくれキリシタン(明治時代に禁教令が解かれたあともカトリックに復帰せず、江戸時代の独自の信仰を維持した人々)の間では今日でも「バスチャンの日繰り」と呼ばれるキリシタン暦が伝承されているほか、バスチャン川やバスチャン井戸などの伝承地も残っている。
車を停めて山道を数分歩くと、鬱蒼と木々が茂る谷間に石造りの小さな建物が見えてくる。小屋ははじめ昭和58年(1983)に木造で建てられ、平成5年(1993)に石造りに建て替えられたそう。内部には祭壇やかまどが再現されていた。

  • バスチャン屋敷跡へは道路から山道を130メートルほど歩く

  • 鬱蒼とした谷間の杉木立のなか、左奥に屋敷跡が見える

  • 再現された屋敷跡

  • 内部には祭壇やかまども再現されていた

大野教会堂

石造りの素朴な教会堂

世界文化遺産の構成資産のひとつ「外海の大野集落」では、「大野教会堂」を訪ねた。 坂道を登っていくと、山の斜面の平坦地に赤みを帯びた石壁のこじんまりした建物が建っていた。その温もりある外観は、どことなくヨーロッパの田園風景を思い浮かばせてくれる。
この教会堂が建てられたのは明治26年(1893)。外海地区の主任司祭であったフランス人宣教師マルコ・マリ・ド・ロ神父が、大野・神浦集落の高齢の信徒のための巡回教会として建設した。大野教会堂の特徴は、何よりもその壁である。外海地区では昔から温石おんじゃくと呼ばれる水平に割れやすい石を使って石段や塀、かまどなどを作っていたが、ド・ロ神父はその工法を応用し、石には地元の玄武岩、接合剤には赤土を水に溶かして石灰と砂をこね合わせたものを用いて、40〜50センチの厚い壁を作りあげた。神父が考案した耐久性の高いこの壁を、地元では今も昔も「ド・ロ様壁」と呼んでいる。

  • 教会堂の前に建つ、ロザリオの聖母の像

  • 側面の窓の上部は半円アーチ形のレンガ造り

  • 教会堂の入口前には、風よけのための壁が建つ。風が強い外海ならではの特徴

中浦ジュリアン記念公園

国道202号線沿いの「とるぱ」の案内看板。
「とるぱ」とは、フォトスポットとパーキングがセットになった場所のこと

外海地区を離れたあとは、国道202号線をひた走り、西海市と佐世保市を結ぶ西海橋を目指した。その途中、立ち寄ったのが「中浦ジュリアン記念公園」である。

  • 西海市の雪浦下郷ポケットパーク。海と海岸線の絶景が望める

中浦ジュリアンは、戦国時代に日本初の遣欧使節としてヨーロッパ各国を巡り、ローマ教皇にも謁見を果たした天正遣欧少年使節団のひとり。8年半に及ぶ大旅行から帰国したのちは司祭となり、江戸初期に禁教令が布告されたあとも潜伏して九州各地で布教したが、ついには捕らえられて、寛永10年(1633)65歳のときに長崎の西坂で殉教した。日本におけるキリスト教受容の激動期を生きた、まさに波乱の人生である。
公園が整備されている西海市中浦南郷地区は中浦ジュリアンの出生の地といわれており、園内には中浦ジュリアンの像や小さな資料館が建つ。資料館内では、ジュリアンの生涯をテーマにした壁画や関連資料が展示されていた。
/見学自由

  • 公園の入口

  • 資料館の内部

  • 資料館の屋上には、中浦ジュリアンの像が建つ

西海橋公園

西海市と佐世保市を結ぶ西海橋では、休憩も兼ねて「西海橋公園」に立ち寄った。
西海橋公園は、西海橋と新西海橋という2つの橋が架かる針尾瀬戸の両岸に広がる総面積38.6ヘクタールの広大な公園で、展望台やアスレチック広場、遊歩道などが整備されている。また、針尾瀬戸は大村湾と外海とをつなぐ海の出入口で、うず潮の名所としても有名。春の大潮のころには迫力あるうず潮の景観を望むことができる。ちなみに西海橋は、全長316メートル、海面からの高さは42メートルあり、架設された昭和30年(1955)当時、同じ形式の橋としては世界第3位、東洋一の規模を誇っていた。
西海橋も新西海橋も歩いて渡ることができるので、針尾瀬戸の上を行き来して、大村湾や瀬戸の景色を楽しみながら園内を回遊するのがおすすめだ。

  • 西海市側のアスレチック広場からの展望

  • 新西海橋。有料道路の西海パールラインが通っている

  • 新西海橋の道路下には歩道もあり、歩いて渡ることができる

  • 窓から下をのぞくと、針尾瀬戸が足下に見える

  • 新西海橋から望む、針尾瀬戸と西海橋

佐世保バーガー

佐世保のご当地グルメとして、全国にその名が知られているのは、やはり「佐世保バーガー」だろう。第二次世界大戦後に米軍基地のある街として歩んできた佐世保では、多くのアメリカ文化が基地を通じて入ってきたが、ハンバーガーもそのひとつだった。
現在、市内には佐世保バーガーを提供する店が数多く点在している。何をもって佐世保バーガーと定義するのかといえば、実は決まったスタイルがあるわけではなく、佐世保市内の店で提供される「手作り」で「注文に応じて作りはじめる」こだわりのハンバーガーの総称とされる。そのため店によって大きさも具材もさまざまだという。
今回訪れたのは、西九州自動車道・佐世保中央ICを出たすぐのところにある有名店「ログキット」の本店。注文したのは、ジューシーなパティと肉厚ベーコン、卵焼き、レタス、トマト、オニオンなどがサンドされたスペシャルバーガー。直径約15センチ、重量は500グラムもあり、食後のお腹は大満足であった。

  • ログキットの入口。お店は建物の2階に

  • いちばん人気のスペシャルバーガー。直径約15センチもある

海上自衛隊佐世保史料館

佐世保は明治以来の日本海軍の拠点のひとつであり、横須賀(神奈川)、呉(広島)、舞鶴(京都)とともに鎮守府がおかれ、街には海軍関連の施設が数多く建っていた。そのひとつ、海軍士官の懇談や外国艦隊士官の接待などに使われていた「水交社」の建物を一部利用して、平成9年(1997)にオープンしたのが、「海上自衛隊佐世保史料館」である。
建物は7フロアもあり、各階を見てまわることで江戸から明治、大正、昭和にかけての日本海軍の歩みや、日清・日露戦争や太平洋戦争など国際間戦争の背景や戦況の変遷、戦後の海上自衛隊の歴史や活動など、日本の海軍史を網羅できる展示となっている。
/入館無料

  • 手前が旧佐世保水交社で、奥にそびえるのが7階建てのセイルタワー

展海峰

佐世保港外から平戸瀬戸までの海岸線沿いには208もの島々が浮かぶ多島海が広がる。その一帯は九十九島と呼ばれ、日本最西端の国立公園にも指定されている。佐世保市内には九十九島の美しい景観を眺める展望スポットが点在しているが、なかでも特に人気が高いのが市の中心部から南へ約9キロ、俵ヶ浦半島のなかほどに位置する「展海峰」だ。
展望台に上がると、眼下には九十九島の大パノラマが広がる。展望盤によれば平戸島や五島列島も望めるようだが、島の数が多すぎて、どれがどれだかよくわからない。相浦富士とも呼ばれる愛宕山や、俵ヶ浦半島のつけ根の向こう側の佐世保湾や佐世保の市街地も見渡せた。晴れの日を狙って訪れてよかったと心の底から思える、すばらしい景色を堪能することができた。

  • 展望盤

  • 展望台から九十九島の多島海を望む

  • 右奥が佐世保湾と佐世保の中心市街

神崎鼻公園

佐世保市の展望スポットとして、もうひとつ外せないのが、市の西端に位置する「神崎鼻公園」だ。神崎鼻は平成元年(1989)の国土地理院による人工衛星を使った位置確定測量によって、日本本土最西端(沖縄を除く)の認定を受けた場所で、園内にはそのシンボルモニュメントや、日本本土の東西南北の端を示した四極交流のモニュメントなどが整備されていた。
訪れたのはちょうど夕暮れどきだったため、西海の潮騒に耳を傾けながら、どこまでも広がる水平線に徐々に沈んでいく夕日の絶景を眺めることができた。

  • 日本本土最西端のシンボル塔

  • 日本本土の東西南北の端を示した、四極交流のモニュメント

  • 園内の高台に建っていた「日本本土最西端の地」の碑

  • 海の間際に整備された海中遊歩道

  • 海や空をオレンジ色に染めながら、夕日が水平線へと沈んでいく

田平教会

レンガの色づかいや積み方に変化をつけることで、
多彩な表情を作り出している

江迎町で県道18号線から国道204号線に移り、5キロほど走ると平戸市に入る。そのまま204号線を北上していけば、平戸大橋を渡って平戸島へと至ることになるが、その前に訪ねておきたい教会があった。平戸瀬戸を望む丘の上に建つ「田平教会」だ。 車で県道221号線を走っていると、やがて遠くにレンガ造りの大きな建物が見えてくる。周囲には民家や畑しかなく、一帯は高台になっているため、その堂々たる教会の存在感はひときわ際立っていた。
明治のころにはこのあたりには原野が広がっていたそうだが、明治19年(1886)に黒島教会のラゲ神父が自費で土地を買い、黒島から3家族が移住。その翌年には出津教会のド・ロ神父も土地を買って、4家族を移住させた。以後、徐々に移住者が増えてキリシタンの集落が形成されると、地域の人々のための祈りの場を求める声が高まり、資金難や崖崩れ事故などを乗り越えて、大正7年(1918)田平教会は完成した。
正面は十字架をいただく八角ドームの鐘堂を備えた3層構造の塔屋で、正面に立つとその重厚さ、荘厳さに圧倒される。内部は高窓をもつ三層構成になり、優美なリブ・ヴォールト天井の高さは10メートルを超えているそう。連続するアーチの高窓、椿の花の浮き彫り、随所に使われている金色などが空間を華やかに演出している。なお、設計と施工を担当したのは、教会建築の第一人者である鉄川与助。彼にとっては最後のレンガ造り教会で、4年前に完成した福岡の今村教会とともに傑作と評されている。

  • 田平教会の正面

  • 夕日を浴びて輝く教会堂

  • 信徒移住100周年記念(1986年)に際して作られたルルド

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記事・写真:谷山宏典 取材:2018年11月

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