長崎・佐世保・平戸。潜伏キリシタンの歴史を訪ねて(1)

2018年7月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録された。そこで長崎市から北へ向かって西海市、佐世保市、平戸市をドライブしながら、世界遺産の構成資産や、県内に点在するキリスト教関連の史跡や施設、今も地域の人々の祈りの場として大切にされている教会群を訪ねてみることにした。 長崎空港からレンタカーを走らせて、最初に向かったのは幕末の元治2年(1865)に「使徒発見」の舞台となった国宝「大浦天主堂」。JR長崎駅に近い「西坂公園」と「日本二十六聖人記念館」を訪れたあとは、角力灘沿いの海岸線をひた走り、外海地区へ。江戸時代の禁教期、多くの潜伏キリシタンが暮らしたというこの地域では「枯松神社」「遠藤周作文学館」「旧出津救助院」「ド・ロ神父記念館」「出津教会堂」などを巡った。

ドライブルート

長崎空港−(長崎自動車道、ながさき出島道路など)−長崎市中心部−(国道206・202号線など)−外海地区−(国道202号線)−西海市−(県道43号線、国道202・205号線、西九州自動車道)−佐世保市中心部−(SSKバイパス、県道149号線)−展海峰−(SSKバイパス、県道11・139・18号線)−神崎鼻−(県道18号線、国道204号線、県道221号線)−平戸市田平町−(国道383号線など)−平戸市中心部−(県道19号線)−春日町−根獅子町−(国道383号線)−紐差町−宝亀町−(西九州自動車道、長崎自動車道など)−長崎空港

全行程約345km、今回行程約70km

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大浦天主堂

みやげもの屋や飲食店が軒を連ねるグラバー通りの坂道を登っていくと、やがて正面の高台に白壁が美しい「大浦天主堂」が見えてくる。
この天主堂が建てられたのは、江戸末期のこと。安政5年(1858)に幕府が諸外国と修好通商条約を結んで長崎が開港されると、大浦海岸に外国人居留地が造られ、彼らの祈りの場として宣教師たちが教会の建設を計画、元治元年(1864)に完成した。豊臣時代の慶長元年12月(1597年2月)に西坂の丘(現在のJR長崎駅前)で殉教した日本二十六聖人に捧げられたため、正式には「日本二十六聖殉教者聖堂」といい、建物は殉教地の西坂に向けて建てられている。当初、外観は黒地に白い格子のナマコ壁、内部はこうもり傘のような優美なリブ・ヴォールト天井という和洋折衷の建物だったため、長崎の人々は「フランス寺」と呼んでいたそうだ。
大浦天主堂が世界文化遺産の構成資産のひとつとされているのは、教会完成の翌年(元治2/1865年)、禁教令下も密かに信仰を守り続けてきた潜伏キリシタンと外国人宣教師が出会った「使徒発見」の舞台となったためだ。堂内には今も、この使徒発見を見守ったマリア像が祀られている。
敷地内にはほかに「旧羅典神学校」(明治8/1875年建設)と「旧長崎大司教館」(大正4/1915年)があり、現在はともに「大浦天主堂 キリシタン博物館」として公開されている。館内では、日本におけるキリスト教の歴史や天主堂の歩みを紹介する資料などが展示されていた。
/拝観料1,000円

  • 大浦天主堂(左)と旧長崎大司教館(右)

  • 使徒発見の場面を描いた記念碑

  • 聖堂の正面に立つ「日本之聖母」像

  • 旧羅典神学校。現在はキリシタン博物館として公開されている

グラバー園

大浦天主堂に隣接した「グラバー園」にも立ち寄ってみた。
グラバーとは、幕末から明治にかけて日本で活躍したスコットランド出身の貿易商トーマス・ブレーク・グラバーのこと。彼は安政6年(1859)に来日するとグラバー商会を設立し、武器や船舶の輸入や茶などの輸出を手がける一方で、薩摩藩と共同で蒸気機関を動力とした「小菅修船場」を築造したり、日本初の蒸気機関を用いた炭坑「高島炭坑」を佐賀藩と開発するなど、西南雄藩と協力して西洋技術を導入して日本の近代化に多大な貢献をした人物である。
かつての外国人居留地であった園内には、文久3年(1863)に建てられた現存する日本最古の木造洋風建築「旧グラバー住宅」のほか、同じく幕末期に日本で活躍したイギリス商人ウィリアム・オルトの「旧オルト住宅」、フレデリック・リンガーの「旧リンガー住宅」など往時を偲ばせる洋風住宅が残され、さらに長崎市内から移築復元した6つの明治期の洋館が保存・公開されていた。
高台に位置しているため、園内の各所からは長崎の中心市街や長崎湾、対岸の造船施設などを一望にでき、港町の雰囲気を存分に味わうことができる。
/入園料610円

  • 旧グラバー住宅。平成27年(2015)世界文化遺産に登録された
    「明治日本の産業革命遺産」の構成資産でもある

  • グラバーの胸像

  • 旧グラバー住宅のそばに立つ大きな蘇鉄は、
    親交のあった薩摩藩主島津侯から贈られたもので、
    樹齢300年余りといわれる

  • 旧グラバー住宅の内部。
    左の写真はグラバー、右はグラバーの妻のツル。
    夫婦には長女・ハナと長男・富三郎という2人の子供がいた

  • 旧オルト住宅

  • 円柱が並ぶ堂々たるベランダ(旧オルト住宅)

  • 旧オルト住宅の内部。オルトは土佐藩との関係が深く、
    坂本龍馬や岩崎弥太郎らはたびたびオルトのもとを訪ねていた

  • フレデリック・リンガーとその家族の写真

  • 旧リンガー住宅では、長崎が舞台のオペラ
    「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」で
    名を馳せたオペラ歌手・喜波貞子の展示を行っていた

  • 園内のもっとも高いところに建つ「旧三菱第2ドックハウス」。
    明治29年(1896)の建築

  • 旧三菱第2ドックハウスの2階テラスからの展望。長崎の中心市街や長崎湾が一望に

西坂公園と日本二十六聖人記念館

日本二十六聖人殉教記念碑。
二十六聖人の列聖100周年を記念し、昭和37年(1962)に完成した

長崎市の中心部を離れる前に、もうひとつ訪れておきたい場所があった。JR長崎駅のすぐそばにある「西坂公園」「日本二十六聖人記念館」だ。
桃山時代、豊臣秀吉のキリシタン禁令によって、26人のキリスト教徒(うち日本人は20人、外国人が6人)が大坂・京都で捕縛され、見せしめのために長崎で処刑された。その悲劇の場所となったのが、この西坂の丘である。26人の殉教の出来事は、ヨーロッパにも広く伝わり、文久2年(1862)には盛大な祭典がローマで執り行われ、ローマ教皇は殉教者たちを聖人に列して「日本二十六聖人」とした。
公園の広場には、賛美歌を歌いながら昇天する26人の姿が描き出された「日本二十六聖人殉教記念碑」が建っていた。二十六聖人の殉教と日本のキリシタン史を紹介する「日本二十六聖人記念館」は記念碑の裏にあり、館内にはフランシスコ・ザビエルや中浦ジュリアン直筆の手紙や潜伏キリシタンが祈りを捧げた聖画「雪のサンタマリア」など貴重な資料が数多く展示されていた。
/記念館入館料500円

  • 二十六聖人殉教跡の碑。背後の教会は、
    アントニオ・ガウディ研究の第一人者の今井兼次が設計した
    「聖フィリッポ教会」

  • 日本二十六聖人記念館の内部。
    日本のキリスト教関連の貴重な史料が並ぶ

枯松神社

国道202号線を走り、角力灘に面した外海地区に入っていく。最初に訪れたのは、黒崎町の山中にひっそりと祀られる「枯松神社」だ。
このあたりはかつて、禁教時代も信仰を守り続けた潜伏キリシタンたちが密かに集まってオラショ(祈り)を伝承してきた場所だといわれている。明治に入ると信徒たちは神社を建立し、日本人指導者バスチャンの師であるサン・ジワン神父を祀った。キリシタンを祀った神社は全国的にも珍しく、この地のほかに2ヵ所のみ知られている。現在の社殿は、以前の旧社殿の老朽化により、平成15年(2003)に旧来通りに再築されたものである。
社殿の周辺には、十字の形をした墓石や板石を伏せて置くキリシタン墓も多く残されており、ここが潜伏キリシタンたちにとっての聖なる場所であったことを今に伝えてくれる。

  • 山のなかにひっそりと佇む枯松神社の社殿

  • 社殿近くに立っていた十字をいただく墓石。
    側面には「明治二十六年」と彫られていた

黒崎教会

国道202号線に戻り、黒崎川を渡ったすぐのところの高台に建つ「黒崎教会」にも足を延ばしてみた。
教会の建設が計画されたのは、この一帯が出津教会(後述の「出津教会堂」の項を参照)から黒崎小教区として独立した明治20年(1887)のこと。はじめは外海地区の布教に生涯を捧げたド・ロ神父が計画し、ド・ロ神父の没後は代々の神父が引き継ぎ、ようやく大正9年(1920)に完成した。
建物はレンガ造り。内部は奥行きのある三廊式で、板張りのリブ・ヴォールト天井のアーチが堂内全体を覆い、伸びやかでありながらも厳粛な空間を形づくっていた。

  • レンガ造りの外観が特徴

  • 屋根は日本の教会らしく瓦葺き

遠藤周作文学館

角力灘に面した高台に建つ

潜伏キリシタンをテーマとした小説としてもっとも知られているのは、やはり遠藤周作の『沈黙』だろう。作中に登場する潜伏キリシタンの里「トモギ村」は外海地区の村落をモデルにしたといわれ、また『沈黙』執筆後も遠藤はこの地を愛し、たびたび訪れたそうだ。「遠藤周作文学館」は、そんな縁深い外海の地に、遠藤が亡くなった4年後の平成12年(2000)に開設された。
常設展は、生誕95年の節目にあたる今年(平成30/2018年)リニューアルされて、彼の生涯と文学を年代ごとに紹介する構成に。生前使用していた書斎や日記、愛蔵品などの史料のほか、原稿用紙の裏に細かい文字でびっしりと書き込まれた『沈黙』の草稿など、貴重な品々を展示していた。
文学館からは少し離れているが、「外海歴史民俗資料館」のそばには「沈黙の碑」が建てられているので、あわせて訪ねてみるといいだろう。
/入館料360円

  • 文学館の入口

  • エントランスホール。
    ステンドグラスは『沈黙』の文学世界をイメージしているそう

  • 敷地内の広場から眺める角力灘。天気も良く、すばらしい展望だった

  • 文学館そばの道の駅から世界遺産の構成資産である出津集落を眺める。
    右方に出津教会堂も望める

  • 「沈黙の碑」は出津集落の外海歴史民俗資料館のそばに建つ。
    「人間がこんなに哀しいのに主よ 海があまりに碧いのです」と刻まれる

旧出津救助院

右からマカロニ工場、旧製粉工場、授産場

世界文化遺産の構成資産である「外海の出津集落」の歴史を振り返るとき、必ずその名が挙げられるだろう、ひとりの神父がいる。それはフランス人宣教師のマルコ・マリ・ド・ロ神父。明治12年(1879)、外海地区の主任司祭としてこの地に赴任すると、陸の孤島と呼ばれて田畑にも恵まれない厳しい自然環境の中で暮らす村民たちの窮状を目の当たりにして、私財を投じて教会の建設とともに授産・福祉施設を創設。製粉、機織、パン、そうめん、マカロニなどの製造技術を教え、村民の生活向上に力を尽くした。
出津集落の一画にある「旧出津救助院」は、当時造られた授産場やマカロニ工場などの施設で構成されている。授産場はその中心的な建物で、内部の見学が可能。1階はそうめんづくりや機織が行われた広々とした作業場で、2階は製糸作業のほか、修道女の生活場所や礼拝堂として使われたという。2階の奥にはド・ロ神父が明治時代に購入して持ち込んだハルモニュウム(リードオルガンの一種)が置かれていた。案内をしてくれたシスターが「もしよければ弾きましょうか」と言ってくれたので、しばしの間、かつて村人たちも日々のミサで聞いただろう美しい音色を堪能させてもらった。
/入館料300円

  • 授産場の1階部分。
    実際に利用されていた調度品や器具を見ることができる

  • 板に書かれた数字は、ド・ロ神父の直筆だそう

  • 複製されたド・ロ神父の記録簿「日日の帳」。
    ローマ字で書かれているので、読むこともできる

  • 2階部分。左のハルモニュウム、真ん中の柱時計も、
    ド・ロ神父が救助院のためにヨーロッパから取り寄せたもの

ド・ロ神父記念館

旧出津救助院の通りをはさんだ向かい側には「ド・ロ神父記念館」が建っていた。
建物はもともと救助院の鰯網工場として明治18年(1885)に建設されたもので、のちに保育所として使用された。現在は史料館として公開され、館内にはド・ロ神父が実際に使用した祭礼具や日用品、授産場で使われていたさまざまな用具などが並ぶ。展示品は、手術用器材や人体模型などの医療関係、大工・左官道具などの土木関係、染料などの染色関係、ソーメンやマカロニの製造用具などの産業関係と多岐にわたっており、ド・ロ神父がいかに多くのものをこの海沿いの村にもたらしたかを知ることができた。
/入館料300円

  • 記念館入口

  • 展示室。正面のハルモニュウムも現役

  • ド・ロ神父が中国から輸入した版画

  • ド・ロ神父の愛用品や救助院で使用された品々が並ぶ。
    写真は、パリ製の計算機(左)と勘定器

  • 左は救助院の制服。右は製作された織物など

  • 記念館前に立つド・ロ神父の像

出津教会堂

明治12年(1879)に外海地区の主任司祭として赴任したド・ロ神父が、布教の拠点としたのが、この「出津教会堂」である。
着工は明治14年(1881)、翌年には小さなレンガ造りの聖堂が完成した。明治24年(1891)には信者数の増加にともなって増築。明治42年(1909)さらに玄関部の拡張や鐘楼の建設を行い、現在見ることのできる姿となった。外壁の構造は今もレンガ造りだが、モルタルで覆っているため、見た目には白壁となっている。屋根を低くしているのは、海に面したこの地域特有の激しい風に備えるためであり、実用性を重視した設計であることがうかがえる。

  • 天井が低いのは、強風を避けるため。内部も平天井になっている

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記事・写真:谷山宏典 取材:2018年11月

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