野尻湖に浮かぶ琵琶島(弁天島)にわたって「宇賀神社」を参拝したあとは、国道18号線を北へ。長野・新潟の県境を越えて、妙高高原へと向かった。妙高山は北信五岳のひとつに数えられ(ほかは飯縄山、戸隠山、黒姫山、斑尾山)、その山麓には温泉地やスキー場などが点在している。今回の旅では、妙高山の展望が美しい「いもり池」や、江戸時代から続く歴史ある温泉地「赤倉温泉」を訪ねた。
妙高高原からは県道96・97号線を東へと走り、「斑尾高原」へ。高原の南側に聳える斑尾山は、「うさぎ追いし、かの山〜♪」という歌い出しで有名な唱歌「ふるさと」の舞台でもある。斑尾高原では「沼の原湿原」や「希望湖」などを巡り、高原地帯の豊かな自然を満喫した。その後、千曲川沿いに出て国道117号線を北上し、「野沢温泉」で「日本スキー博物館」を訪ねたり、外湯巡りを楽しんだ。
長野市中心部−(戸隠バードライン)−飯綱高原−(戸隠バードライン)−戸隠−(県道36号線、国道18号線など)−野尻湖−(国道18号線、県道187・399号線など)−妙高高原−(県道96・97号線など)−斑尾高原−(国道292・117号線、県道38号線など)−野沢温泉−(県道38号線、国道117号線)−豊田飯山IC−(上信越自動車道)−須坂長野東IC−長野市中心部
全行程約150km、今回行程108km
<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>
野尻湖の北西側のほとりに立つと、正面に朱色の大きな鳥居が建つ、こんもりとした緑の小島が見える。それが琵琶島(弁天島)で、鳥居は島に鎮座する「宇賀神社」のものだ。琵琶島へは定期運航の遊覧船のほか、レンタルボードで渡ることができる。
湖畔から琵琶島を眺める。朱色の鳥居も見える
野尻湖を巡る遊覧船。手前に停泊しているのが、定員310名の「雅」
湖上からの眺め。左の山が黒姫山、右が妙高山
宇賀神社の歴史は古く、天平2年(730)に地元の
湖に面した大鳥居をくぐると、急な石段が続き、第二鳥居の下へ。そこからは杉の大木が立ち並ぶ森厳な雰囲気の参道を行き、社殿前へと至る。現存する社殿は、慶応2年(1866)に建てられたもので、その内部にはさらに古い寛永5年(1628)建造の社殿が残されている。
/遊覧船乗船料1,100円〜
琵琶島に上陸。正面が、湖畔から見えていた第一の大鳥居
杉の大木が立ち並ぶ参道を行く
慶応2年(1866)造営の社殿
関川に架かる橋をわたって新潟県・妙高市へ。左には妙高山も見える
「いもり池」のいちばんの見どころは、池のほとりから眺める妙高山の絶景。山頂を形づくる中央火山丘とそれを取り囲む外輪山からなる美しくも荒々しい山容を一望にでき、その姿を池の水面に映すさまは、妙高高原を代表する景観のひとつである。池の周囲には約600mの遊歩道が整備され、春の時期には湿地帯に群生するミズバショウやミツガシワを観賞できる。池の入口に建つ「妙高高原ビジターセンター」では、妙高山の形成史をはじめ、いもり池の自然や生物、豪雪の中で育まれた人々の歴史や暮らしに関する資料を展示しているので、時間があれば立ち寄ってみるのもいいだろう。
/ビジターセンター入館無料
いもり池のほとりから妙高山を望む
池のまわりには散策路が整備されている
湿地帯に咲くミツガシワ
妙高高原ビジターセンターでは、妙高山やいもり池、
地域の暮らしに関する資料を展示
昭和12年(1937)創業の赤倉観光ホテル前の道路は、妙高山の展望がすばらしかった
妙高高原には7つの温泉、5つの泉質、3つの湯色があり、これを称して「七五三の湯」と呼んでいる。7つの温泉地のうち、江戸時代の文化13年(1816)に開湯され、現在も一帯にホテルや旅館、飲食店やみやげもの屋などが軒を連ねる大きな温泉地が「赤倉温泉」である。
温泉の湯は、妙高山の北地獄谷から引湯しており、源泉は51.1℃と高温だが、赤倉温泉までの数kmにわたる旅によってちょうどよい湯加減となって宿泊施設などに供給されている。泉質は、硫酸塩泉と炭酸水素塩泉という2つの泉質を併せ持ち、神経痛や疲労回復のほか、傷の回復や美肌づくりにも効果があるといわれている。江戸時代には、引湯のために佐渡や越中から500本もの大竹を取り寄せて、北地獄谷からの約7kmもの距離を結んだという今では信じられないような逸話も残っている。
温泉街の入口に立つ看板
赤倉温泉のメインストリート、ホテルや旅館が立ち並ぶ赤倉本通り
広々とした野天風呂が人気の日帰り入浴施設「滝の湯」。温泉街の外れにある
滝の湯のそばには足湯もあった
赤倉温泉でぜひ訪ねてみたいと思っていた場所が、温泉街から山側へ少し登ったところにある「岡倉天心六角堂」である。
東京美術学校や日本美術院の創設、日本の古美術の保護など通じて、近代日本美術の発展に寄与した岡倉天心は、明治39年(1906)に初めて妙高高原を訪れたとき、この地の風光に魅せられて、のちに自らの山荘を建設。日本滞在中は、茨城県の五浦とここ赤倉温泉を活動の拠点とした(茨城県五浦については『冬こそ、南福島・いわきへ(1)』を参照)。
山荘のあった場所には、現在「天心岡倉先生終焉之地」の石碑と、昭和33年(1958)に建立された「岡倉天心六角堂」が残されている。
岡倉天心六角堂の入口に立つ、赤倉山荘跡を示す石碑
六角堂(右)と「天心岡倉先生終焉之地」の石碑(左)
妙高高原を出たあとは県道96・97号線を走り、北信五岳のひとつである斑尾山の北側山麓に広がる「斑尾高原」を目指した。
斑尾高原は標高1,000mに広がるリゾートエリアで、夏は平均気温20℃前後という過ごしやすい環境の中でトレッキングや湿原・森林散策、ジップラインやグラススキー、ゴルフなどを、冬は極上パウダーをスキーで滑ったり、雪の森をスノーシューで散策したりと、1年を通じて豊かな自然と触れ合い、さまざまなアクティビティを満喫できる。
宿泊は、斑尾高原ホテルを中心とした一帯に数多くのホテルやペンションなどが立ち並び、滞在の目的やグループ構成にあわせて幅広く選択可能。キャンプ場もある。また、周辺には里山の自然を感じることができる20数本のトレイルが整備されているため、時間や体力にあわせて自由にコースを組み立てることができる。
斑尾高原ホテル。風呂は斑尾高原唯一の天然温泉で、日帰り入浴もできる
高原エリアにはたくさんのペンションが建っていた
唱歌「ふるさと」の詩が刻まれた石碑
斑尾高原ホテル前は、ちょうど長野県と新潟県の県境
ビジターセンター「まだらお高原 山の家」。
トレッキングガイドの紹介などもしてくれる
「沼の原湿原」は、斑尾高原ホテルからおよそ3km、車で10分ぐらいの場所に位置している。駐車場に車をおいて、階段を下りるとすぐそこが約19ヘクタールの広大な湿原地帯で、木道を歩いていくとミズバショウやリュウキンカ、ミツガシワなどの可憐な花々の群生を目にすることができた。
コースは全長1.6km(約50分)のショートコース、2.8km(約90分)のロングコースなどがあり、今回はショートコースを歩いたが広々とした湿原の展望と美しい花々を十分に満喫できた。6月上旬〜7月上旬にかけてはカキツバタの群生、6月下旬から7月中旬にかけてはニッコウキスゲの群生を楽しめるそうで、春から夏にかけては時期をずらしながら何度か訪れるのもいいだろう。
広々とした湿原に木道が延びる
リュウキンカ
ミズバショウ
ミツガシワ
湖のそばに設置されていた、信越トレイルの案内標柱
「
地元ではもともと「沼池」「沼ノ池」と呼ばれていたこの湖に県内外から人が訪れるようになったのは、観光協会が湖を借り上げてワカサギ、ニジマス、フナなどの卵や稚魚を放流し、人気の釣り場となったため。例年5月初旬から10月上旬にかけて多くの釣り人が訪れ、釣り糸を垂らしているという。
「希望湖周回トレイル」は約2.5kmで、ところどころにベンチがあるので、野鳥のさえずりを聴きながら弁当を食べたり、のんびりするのもいいだろう。希望湖と沼の原湿原を結ぶ「希望湖トレイル」と、湖畔から毛無山方面へと向かう「毛無山トレイル」は、長野と新潟県境の里山を結ぶ全長80kmの長大なトレイルコース「信越トレイル」の一部でもある。
湖畔からの展望。湖面の青と森の緑のコントラストが眩しい
博物館の入口。教会のような雰囲気
斑尾高原から飯山方面へと抜けて、千曲川沿いの国道117号線に合流したあとは、野沢温泉を目指して北へとひた走った。野沢温泉では、温泉街の散策の前に、車で一気にスキー場まで登っていき、ゲレンデ内に建つ「日本スキー博物館」を訪ねた。
同館は、日本はもとより、世界各地から収集した豊富な資料を収蔵している国内唯一のスキー専門博物館である。館内に入って最初のホールでは「日本のスキー史」と題して、日本におけるスキーの発祥から現在までの歴史的な流れを6つのパートにわけて、その時代を代表するスキー用具や資料、写真パネルなどを展示。奥の部屋では、オーストリアのミュルツツーシュラーグ・ウインタースポーツ博物館で長年にわたって収集・展示されていた貴重な資料の数々や、中国やモンゴルのスキーなど展示していた。
また、特別展示室では、長野オリンピック・パラリンピック開催20周年事業として「長野オリンピック感動と興奮の16日間」「日本冬季五輪史」をテーマに当時のウェアや用具、資料などが展示されており、懐かしく見てまわった。(※同特別展の開催は、2018年6月10日まで)
/入館料300円
「日本のスキー史」の展示室。
各時代を代表するスキー板やスキー用具、写真パネルが並ぶ
明治時代、日本にスキーを伝えた
オーストリア・ハンガリー帝国の軍人、レルヒ少佐の写真
オーストリアの博物館で収集・展示されていた資料。
昔のスキー板やビンディング
昭和3年(1928)、スイスのサンモリッツで行われた
第2回冬季オリンピックの資料
「野沢温泉」の歴史は古い。その起源は諸説あり、聖武天皇の頃(724〜748年)にこの地を訪れた僧・行基が温泉を発見したとも、修行中の山伏が見つけたとも言われている。多くの人々が訪れるようになったのは江戸時代のことで、飯山藩主の松平氏が惣湯(大湯)に別荘を建てて、一般の人々にも湯治を許可したことがきっかけだった。 現在は入り組んだ通りに、温泉宿やホテル、食事処やカフェ、居酒屋、みやげもの屋などが軒を連ね、日本有数の温泉地のひとつとして年間を通じて多くの観光客やスキー客で賑わっている。
みやげもの屋などが立ち並ぶ、大湯通り
野沢温泉を代表する景観のひとつといえば、やはり「
麻釜には、用途別に大釜、ゆで釜、丸釜、竹のし釜、下釜の5つの釜がある
湯沢神社の社殿
健命寺の山門前の「野沢菜発祥の地」の碑
せっかくなので、本場の野沢菜漬をおみやげに
温泉街をそぞろ歩き、外湯めぐりも楽しんだ。外湯とは無料の共同浴場のことで、湯量豊富な野沢温泉には13ヵ所もの外湯がある。湯仲間というこの地域独特の制度によって江戸時代から守られてきた村民の共有財産であり、観光客はもちろん、地元の人たちもやってきては1日の汗を流していた。
野沢温泉のシンボル「大湯」
「松葉の湯」。1階部分は洗濯場になっていた
昔は河原にあったという「河原湯」
記事・写真:谷山宏典 取材:2018年5月