北信濃・戸隠と春の高原巡り(1)

信越国境に広がる黒姫、妙高、斑尾の高原地帯は、冬は深い雪に覆われて日本有数のスキーリゾートとして大勢のスキー客で賑わっているが、春から秋にかけては雄大な自然に触れ合いながら爽快なドライブが楽しめるエリアとして人気を集めている。今回は、そんな高原ドライブとともに、長野北部の二大パワースポット――「善光寺」と「戸隠神社」を巡る旅をプランニングしてみた。
スタートはJR長野駅前の「ニッポンレンタカー長野駅東口営業所」。まずは長野市中心部にある善光寺を参拝し、その後戸隠バードラインを走り、戸隠の山内へ。戸隠神社は「宝光社」「中社」「奥社」など5つの社からなり、せっかく来たのだからと五社すべてを車で巡ることにした。また、戸隠といえば「戸隠そば」が有名で、ロードサイドの蕎麦屋に立ち寄って本場の味を堪能した。奥社参拝後は、県道36号線を北東へと抜けて、野尻湖、妙高高原方面へと向かった。

ドライブルート

長野市中心部−(戸隠バードライン)−飯綱高原−(戸隠バードライン)−戸隠−(県道36号線、国道18号線など)−野尻湖−(国道18号線、県道187・399号線など)−妙高高原−(県道96・97号線など)−斑尾高原−(国道292・117号線、県道38号線など)−野沢温泉−(県道38号線、国道117号線)−豊田飯山IC−(上信越自動車道)−須坂長野東IC−長野市中心部

全行程約150km、今回行程42km

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善光寺

善光寺の本堂

「長野市に来たならば、ここは絶対に外せない」ということで、最初に立ち寄ったのは、長野駅から北へ2キロほどのところにある「善光寺」。創建はおよそ1,400年前の皇極天皇元年(642)で、本尊の一光三尊阿弥陀如来は欽明天皇13年(552)に百済から伝わった日本最古の仏像という、国内屈指の古刹である。
間口20メートル、高さ20メートルという堂々たる佇まいの山門(三門)は、江戸中期の寛延3年(1750)の建立。楼上に上がることもでき、上層の仏間には文殊菩薩像・四天王像などが安置されていた。
山門をくぐり、その先に建つのが、国宝の善光寺本堂。創建以来十数回の火災に遭い、現在の建物は宝永4年(1707)に再建されたもの。国宝建造物のなかでは東日本最大、檜皮葺建造物としては日本一の規模を誇る。堂内内陣で秘仏である本尊と、善光寺を開いた本田善光よしみつ卿の木像にお参りをしたあとは、お戒壇巡りへ。お戒壇巡りとは、本尊が安置されている瑠璃壇下の真っ暗な回廊を通って本尊と結縁する道場のことで、一寸先も見えない暗闇のなかを手さぐりで進んでいくのは緊張した。江戸時代に代々真田家が治めた松代藩と隣接していることから、境内には真田家ゆかりの古搭も残っていた。
/拝観料(本堂・山門・経蔵・史料館セット)1,000円

  • 堂々たる姿の山門

  • 門前の仲見世通りには、みやげもの屋などが立ち並ぶ

  • 山門の楼上から、長野駅方面を眺める

  • 仏教経典を網羅した「一切経」が収められた輪蔵がある「経蔵」

  • 松代藩真田家の古塔。真田家の家紋である六文銭も彫られている

飯綱高原

飯綱高原の入口に立つ案内塔

戸隠バードラインを走っている途中、「飯綱高原」と大きく書かれた案内塔が目に入ってきた。予定にはなかったが、近くの観光案内所の駐車場に車を停めて、あたりを散策してみることにした。

飯綱高原は、飯縄山(1,917m)の南東一帯の標高900〜1,100mのゆるやかな起伏をもつ高原で、シラカバやカラマツの森が広がり、湿原や池も数多く点在している。観光案内所から歩いてすぐのところにある「大谷地湿原」は約5ヘクタールの広さがあり、湿原を一周する遊歩道は所要時間約20分と、ドライブ途中に立ち寄るのにちょうどいい。足元を見れば、黄色いリュウキンカが可憐な花を咲かせていた。
案内塔の南側に広がる「大座法師池」は、巨人のデーダラ法師(ダイダラボッチ)が飯縄山に腰を下ろし、一歩足を踏み出したときの足跡に水が溜まってできたという伝説が残る池で、こちらは約25分で周囲を一周できる。周辺には食事処やコンビニ、ガソリンスタンドのほか、キャンプ場やボート乗り場、フィールドアスレチックなどのレジャー施設も集まっていた。

  • 木道が敷かれた大谷地湿原。奥に見えるのが、飯縄山

  • 湿原に咲くリュウキンカ

  • 大座法師池。右側にボート乗り場が見える

  • ゆるやかに起伏する高原エリアを走る、戸隠バードライン

戸隠そば博物館とんくるりん

戸隠エリアの玄関口に建つ「戸隠そば博物館とんくるりん」

戸隠を代表する食と言えば、やはり「そば」だろう。戸隠でそばを提供しているお店は数多くあるが、そのなかでもそば打ち体験ができたり、そばの歴史を知るミュージアムを併設していたりとプラスαな楽しみが盛りだくさんなのが、戸隠エリアの玄関口に建つ「戸隠そば博物館とんくるりん」だ。
戸隠とそばとの関わりのきっかけは、平安時代から戸隠山一帯で行われていた修験道だった。山に籠って厳しい修行をする修験者(山伏)にとって、水に溶くだけで食べられるそば粉は重要な食糧で、そば粉を練って焼いたものを携行食として山に入っていたと伝わっている。江戸時代には日本各地で「戸隠講」が組織され、たくさんの信者が戸隠を訪れるようになり、その際に宿坊などで食べたそばの美味しさを信者たちが地元に帰って伝えたため、戸隠そばの名が全国に知られるようになったという。
食事は「そば御膳」を注文。ざるそばのほか、そばがき、そば団子、薄焼き、そばと紫蘇のゼリーなどさまざまなそば料理が堪能できる、そば尽くしなセットだった。
/ミュージアム入館料200円

  • ミュージアムでは、戸隠そばの歴史を学ぶことができる

  • 石臼や農機具などを展示する水車小屋展示室

  • 戸隠そばは、「ぼっち盛り」と呼ばれる独特の盛り付けが特徴

  • そば御膳(1,545円)につく、
    そばがき、そば団子、薄焼き、そばと紫蘇のゼリー

  • 建物裏手の展望台からは、戸隠山(右)はもちろん、残雪の北アルプスを望めた

戸隠神社宝光社

県道36号線と合流し、数百メートルほど走ると、正面に戸隠神社五社の最初の社「宝光社」の鳥居が見えてきた。
戸隠神社は戸隠山の麓にあり、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社という5つの神社からなっている。神代の昔、天の岩戸が飛来して戸隠山になったという言い伝えから、それぞれの社には岩戸開きの神事に功績のあった神々を祭神として祀っている。縁起によれば、開山は嘉祥2年(849)頃、学問行者によって寺院として開かれ、修験道の霊場として大いに栄えたといわれている。長く神仏習合の時代を過ごしたのち、明治時代初めの神仏分離政策を受けて寺院を切り離し、純粋な神社となって現在に至っている。
駐車場に車を停め、鬱蒼たる杉の木立のなか、270余段の石段を登っていくと、荘厳な佇まいの宝光社の社殿が現れる。祭神は、中社祭神の天八意思兼命あめのやごころおもいかねのみことの子、天表春命あめのうわはるのみこと。現存する社殿は、五社のなかでもっとも古く、江戸末期の文久元年(1861)に建てられた。神仏習合の面影を残す寺院建築の様式を取り入れた権現造りで、拝殿を飾る見事な彫刻は、江戸後期から明治にかけて活躍した宮彫師・北村喜代松の手によるもの。

  • 宝光社の入口

  • 狛犬。背後には270余段の急な石段が続く

  • 宝光社の社殿。五社のなかでもっとも古い建物

  • 拝殿を飾る壮麗な彫刻群

戸隠神社火之御子社

戸隠の山内を走る県道36号線

宝光社の1キロほど先に鎮座するのが「火之御子社」。創建は承徳2年(1098)で、神仏習合の時代にあっても、この社だけは純然たる神社として祀られてきた歴史をもつ。祭神として、天の岩戸の前で艶やかな舞を舞った天鈿女命あめのうずめのみことのほか、三柱の神様を祀っている。
境内には、平安時代の歌人・西行法師にまつわるエピソードが残る「西行桜」が立っていた。

  • 火之御子社の社殿。静かな境内だった

  • 西行桜

戸隠神社中社

火之御子社からさらに800メートルほど走ると、そば屋や旅館、宿坊などが立ち並ぶ一画へと入っていく。その先に見えてきたのが、深い杜を背に立つ「中社」の鳥居だった。
中社がこの地に遷祀されたのは寛治元年(1087)のこと。祭神は、天の岩屋に隠れた天照大神を誘い出すために天岩戸開神楽(太々神楽)を考案した智慧の神・天八意思兼命。境内には、樹齢700年を超える御神木、樹齢800年を超える三本杉が立つ。戸隠神社に伝わる宝物館を公開する「戸隠神社宝物館」もあった。
/入館料300円

  • 中社の周辺にはそば屋が多く、観光客で賑わっていた

  • 県道36号線沿いに立つ中社の鳥居

  • 御神木と中社の社殿

  • 急な階段を登っていくと、社殿前の広場に出る

戸隠神社奥社/九頭龍社

奥社参道の前半は、新緑が気持ちいい平坦な小道が続く

奥社」は戸隠神社の本社であり、戸隠に来たならばぜひ訪れたい場所である。ただし、ここまでに参拝してきた宝光社や中社とは決定的に違う点がある。それは、駐車場から約40分(往復で1時間15分ほど)の道のりを自らの脚で歩かなければならないということだ。
大鳥居からしばらくは、ブナやミズナラなどの新緑が美しい林のなかを進んでいく。やがて茅葺・朱塗りの「随神門」が現れ、門をくぐると戸隠を代表する景観のひとつである「杉並木」がまっすぐに延びていた。このクマスギの並木が整備されたのは、今から約400年前の17世紀のはじめ頃から。参道の両側500メートルほどにわたって杉の巨木が立ち並ぶ光景は圧巻で、歩いているだけで厳粛な気持ちにさせられる。

  • 道の脇のせせらぎ。小さな花も咲いていた

  • 路傍に咲く水芭蕉

  • 周囲の自然に溶け込んだ「随神門」

  • 樹齢400年の杉並木が500メートルにわたって続く

杉並木を抜けると徐々に勾配がきつくなり、自然石混じりの石段を息を切らして登っていくと、「奥社」と「九頭龍社」が鎮座する一画へとたどり着く。
奥社の祭神は、天照大神が隠れた天の岩戸を無双の神力をもって開いた天手力雄命あめのたぢからおのみこと。創建は、神武天皇から数えて8代目の孝元天皇の時代、紀元前210年ごろと伝わる。嘉祥2年(849)に学問行者が修験の道場として開山した際、山中に築いた三十三窟のうちの第一窟・本窟(宝窟)が社殿の奥にあり、まさに戸隠神社の発祥の地である。
一方の九頭龍社の創建は不明だが、奥社に天手力雄命が祀られる以前にすでに地主神として祀られていたといわれ、戸隠五社のなかでは最古の神社である。祭神の九頭龍大神は生命の源である水を司り、雨乞いの神、縁結びの神として尊崇されてきた。 参拝を終えて少し離れた場所から奥社を顧みると、その背後には屏風のように聳え立つ戸隠山の峻険な稜線が望めた。そんな絶景を眺めていると、古来この地が信仰の拠点とされてきた理由の一端がわかるような気がした。

  • 杉並木の先は、急な石段を登っていく

  • 神仏習合の時代を偲ばせる石仏

  • 九頭龍社

  • 奥社。背後には戸隠山の険しい稜線が望める

  • 参拝を終えて、県道36号線を黒姫・野尻湖方面へ

野尻湖ナウマンゾウ博物館

戸隠神社を参拝したあとは県道36号線を北東〜東方面へとひた走り、長野県内では諏訪湖に次いで2番目に大きい「野尻湖」へと向かった。野尻湖はナウマンゾウの化石が見つかった湖として全国的に知られている。ということで、まず立ち寄ったのは、湖の東側にある「野尻湖ナウマンゾウ博物館」だ。
野尻湖で初めてナウマンゾウの化石が見つかったのは、昭和23年(1948)のこと。昭和37年(1962)には第1次発掘が行われ、以来、今年平成30年(2018)の第22次発掘に至るまで50年以上にわたって発掘調査が続けられている。館内には、野尻湖から出土したナウマンゾウやオオツノジカの化石、ナウマンゾウの足跡の化石、"野尻湖人"が使っていた石器や骨器などを展示。日本の旧石器時代の遺跡では、人類の道具と動物の骨や植物の化石が一緒に見つかる場所は珍しいそうで、野尻湖はナウマンゾウの狩り場(キルサイト)だったと考えられている。
/入館料500円

  • 野尻湖ナウマンゾウ博物館の外観。
    2018年3月にリニューアルオープンしたばかり

  • 展示室。化石をもとに復元した、実物大のナウマンゾウが迎えてくれる

  • 野尻湖で出土したナウマンゾウの化石やほかのゾウの骨格などを展示

  • ナウマンゾウの足跡化石。第11次発掘で見つかった

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記事・写真:谷山宏典 取材:2018年5月

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