残雪の北アルプスとアートを楽しむ。安曇野・大町ドライブ(1)

北アルプスの山麓に位置する長野県の安曇野市と大町市。このエリアの春の見どころといえば、やはり残雪をいただく壮大な山岳展望と咲き誇る桜の共演だろう。また、美術館や博物館が数多く点在し、それらは「安曇野アートライン」で結ばれている。美しい山並みを眺めながら、美術館や博物館を巡る――そんな"眼福な旅"をプランニングしてみた。
ドライブの起点は、岳都・松本。国宝「松本城」や「旧開智学校校舎」を見学したあとは、車を北へと走らせて、安曇野市の「大王わさび農場」や池田町の「北アルプス展望美術館」を巡った。県道51号線をさらに北上して大町市へ入ってからは、国宝「仁科神明宮」や「大町山岳博物館」へ。山岳博物館の背後にそびえる標高1,167mの「鷹狩山」へは車で登っていくことができ、山頂の展望台からは鹿島槍ヶ岳や爺ヶ岳をはじめとする北アルプスの大パノラマを一望にすることができた。

ドライブルート

長野自動車道・松本IC−(国道143号線など)−松本市中心部−(国道19号線など)−安曇野市−(県道51号線など)−池田町−(県道51号線など)−大町市中心部−鷹狩山−(国道147号線、県道45号線など)−大町温泉郷−木崎湖−(国道148号線など)−中綱湖−青木湖−(国道148号線、県道306号線など)−松川村−(県道306・25・308号線)−安曇野市−(国道147号線、県道310号線)−長野自動車道・安曇野IC

全行程約120km、今回行程60km

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松本城

長野自動車道・松本IC出口から国道143号線を東へと走り、松本市の中心部へと入っていく。今回の旅でまず訪れたのは、松本のシンボルともいえる国宝「松本城」だ。
この地にはじめて城が築かれたのは、戦国時代初頭。信濃の守護・小笠原氏の居城である林城を取り囲む支城のひとつとして、深志城が建てられた。その後、いったんは武田氏の支配下となるが、本能寺の変による動乱の最中、小笠原氏が深志城を取り戻し、名を松本城と改める。豊臣時代になると秀吉配下の石川数正が松本城へと入って城郭や城下町を整備し、その子・康長の代の文禄3年(1594)頃に今も残る天守三棟(天守、乾小天守、渡櫓)をはじめ、御殿、太鼓門、黒門などが完成して近世城郭としての基礎が築かれた。江戸時代には城主が小笠原氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏など目まぐるしく交代し、明治へと移り変わっていく。

  • 松本城公園から眺める内堀と天守。背後には残雪をいただく北アルプスの山並みも望める

黒門をくぐり、かつて本丸御殿があった広場に立つと、正面には五重六階の大天守を中心とした天守群がそびえ立つ。大天守の右に乾小天守が渡櫓で連結され、左には辰巳附櫓たつみつけやぐらと月見櫓が複合している「連結複合式」と呼ばれる構造は、松本城だけに見られる珍しい様式だという。壁面の上部を白漆喰しろしっくい、下部を黒漆塗りの下見板で覆っているため、外観は白と黒のコントラストが美しく際立つ。天守内部の見学もでき、最上階の6階からは松本の市街地はもちろん、遠く北アルプスの山並みも見渡すことができた。
明治時代初期、全国のほかの城同様、松本城も破却されることになり、一時は天守も競売で落札されて取り壊しが決まっていた。しかし、松本の有志が保存運動に立ち上がり、そのおかげで解体をまぬがれたのだという。今その威風堂々たる天守の姿を仰ぎ見るにつけ、城を守った先人たちの努力に感謝の念が堪えない。

  • 本丸への入口となる「黒門」。
    一の門と二の門があり、写真は昭和35年(1960)復元の一の門

  • 本丸御殿跡の広場から、天守を見上げる。黒と白のコントラストが美しい

  • 天守2階は「松本城鉄砲蔵」として、
    さまざまな火縄銃や関連史料が展示されていた

  • 天守5階。重臣たちが作戦会議を開く場所と考えられている

  • 天守6階からの展望

  • 最上階の天守6階。戦のときは望楼として使われていた

旧開智学校校舎

「旧開智学校校舎」は松本城から北へ数分のところにある。
開智学校は、明治5年(1872)の学制発布を受け、翌6年(1873)に開校。当初は、廃仏毀釈はいぶつきしゃくで廃寺となった寺院の建物を校舎として利用していたが、明治8年(1875)に新校舎の建設に着工し、翌年に完成。それが現在も残る、擬洋風建築の校舎である。
擬洋風建築とは和風と洋風がまじり合った建築様式のことで、建物正面を見ればたしかに「バルコニー」や「天使の彫刻」などの洋風と、「瓦屋根」「唐破風からはふ」「龍の彫刻」などの和風が混在していることがよくわかる。擬洋風建築は幕末から明治10年代にかけて日本各地で流行したといわれ、現存するものとしてはほかに静岡県松崎町の「岩科学校」や愛媛県西予市の「開明学校」が有名。
校舎は昭和38年(1963)までの約90年間にわたって使われ、廃校後はもともとあった女鳥羽川めとばがわのほとりから現在地に移築し、新築当時のかたちに復元された。現在、館内は教育博物館として利用され、開智学校に関する古い資料や写真、明治以降の教科書や教材など豊富な資料を展示している。
/入館料 300円

  • 旧開智学校校舎の外観。校舎前の桜は満開だった。

  • 旧開智学校のシンボル、校舎正面の天使の彫刻。 昭和30年頃に
    一時期外されたが、昭和38年(1963)の移築修理工事で復元された

  • 展示室。昔の教室の様子を再現

  • 昔の授業で使われていた掛図。掛図とは、今でいう視覚教材

  • 明治時代の教科書など

  • 校舎2階の講堂

大王わさび農場

「大王わさび農場」は、穂高川や高瀬川が犀川さいがわと合流するあたり、北アルプスの雪解け水が豊富に湧き出す一帯に広がっている。敷地内にはレストランもあるので、昼食も兼ねて立ち寄ってみることにした。
売店の脇を通り、敷地に入ってまず目に飛び込んできたのが、見渡すかぎりに広がるわさび畑。透きとおった清流はわさび畑の中から湧き出しているそうで、年間を通じて13℃ほどに保たれた濁りを知らない湧き水はわさびの生育にもっとも適しているという。八重桜がちょうど見ごろの時期で、新緑に輝く土手や散策路を鮮やかに彩っていた。

  • 見渡すかぎりに広がる、わさび畑。
    流れる清流は、北アルプスの雪どけ水が湧き出したもの

  • 敷地内の散策路。新緑と八重桜の共演

もともとこの地は雑木の生い茂る湿地帯や砂利ばかりの荒地であったが、大正6年(1917)に初代深澤勇市が近隣の農民たちとともに開拓に着手し、およそ20年かけてわさび畑を開墾。その後、二代目によってわさび畑の拡充や売店、レストランの建設などが行われ、現在のようなわさび畑を中心とした一大観光スポットへと進化していった。
食事処では、4種類のわさび漬けの薬味がついた「わさびづくしせいろう」を注文。食後はデザートに「本わさびソフトクリーム」も堪能した。

  • 開拓者の胸像。左が初代深澤勇市夫妻、右が二代目勇市夫妻

  • 敷地内にあるそば処「そば蔵 大王店」

  • 4種類のわさび漬けの薬味がついた「わさびづくしせいろう」1,320円

  • 本わさびソフトクリーム。360円

  • 水車小屋が建つ美しい水辺。黒澤明の映画『夢』のロケ地にもなった

  • 残雪の山並みを眺めながら、池田町方面へと向かう

北アルプス展望美術館

安曇野市から白馬村までの約50kmの地域には19もの美術館・博物館が点在しており、それらを結んだ道路を「安曇野アートライン」と呼んでいる。
アートラインの一部である県道51号線を北上していき、最初に訪れた美術館は小高い丘陵地帯に建つ「北アルプス展望美術館」。館内には、山下大五郎、奥田郁太郎、小島孝子、篠田義一など安曇野の自然に魅せられた作家たちの作品を展示。建物の周辺には緑豊かな庭園が広がり、正面には美しい北アルプスの山々や山麓の田園風景を一望にすることができる。今、自分の目の前に広がる光景を、作家たちはどのように表現したのか――そんな視点で絵を見ていくと、より深く楽しめるのではないだろうか。
/入館料 400円

  • 小高い丘陵地帯に建つ、北アルプス展望美術館

  • 美術館の前からは、北アルプスの山並みや安曇野の田園風景が一望に

仁科神明宮

仁科神明宮の境内へ。奥に見えるのは神門。
鳥居は伊勢神宮から撤下てっかされたもの

県道51号線をさらに北上して大町市に入ると、すぐに「仁科神明宮」の入口を示す看板が見えてきた。
仁科神明宮は、かつてこの地域一帯が伊勢神宮の御領である「仁科御厨にしなみくりや」(御厨とは、魚菜類の貢進を担う所領のこと)であったことから、御厨の鎮護のために創建された。その年代ははっきりしないが、今から900年ほど前の平安時代中頃ではないかと考えられている。
境内を進んでいくと、周囲は杉やヒノキなどの古木が林立する鬱蒼とした林となる。その林の奥に国宝の社殿が静謐な佇まいで建っていた。社殿の構造は伊勢神宮と同じ神明造りだが、江戸時代初頭の寛永13年(1636)以降はそれ以前の社殿の部分修理のみを行って今日に至っているため、日本でもっとも古い神明造りのかたちを遺していることになる。本殿・中門・釣屋で構成された簡素な社殿は、まわりの社叢しゃそうに溶け込み、森厳な雰囲気を漂わせていた。
/境内見学自由

  • 国宝の社殿(左から釣屋、中門、本殿)。日本最古の神明造り

  • 社殿のまわりには巨木が林立する鬱蒼とした社叢が広がっていた

  • 初代御神木大杉。昭和55年(1980)に枯死したため伐採。切り株だけ残る

大町山岳博物館

大町山岳博物館へと向かう途中、
正面に鷹狩山と山頂部に建つ展望台が見えた

「大町山岳博物館」は、大町市中心部の東側にそびえる鷹狩山の入口の高台に建つ。昭和26年(1951)に日本で初めての山岳をテーマとした博物館として開館し、以来「山博さんぱく」の愛称で親しまれてきた。
見学の順路は3階の「展望ラウンジ」からで、広々とした窓の向こうには北アルプス後立山連峰の大展望を眺めることができた。1つ下の2階は「山の成り立ち」と「山と生きもの」をテーマとし、化石や岩石、さまざまな動物たちの剥製が展示されていた。1階の展示は「山と人」と題して、先史時代以降の北アルプスの山々と人との関わりを年代順に紹介。特に日本の近代登山の幕開けからヒマラヤ登山へと至る時代の展示は、"山のまち"大町ならではの貴重な史料が数多く並び、思わず見入ってしまった。

  • 二ホンカモシカの銅像が立つエントランス

  • 1階の「山と人」コーナー。
    "山のまち"大町ならではの貴重な史料を展示

  • 2階の「山と生きもの」コーナー。さまざまな動物の剥製が並ぶ

  • 昔の山小屋の様子を再現したエリア

  • ピッケル、登山靴、衣類などの登山用具の変遷を知ることができる

付属の動植物園では、国の特別天然記念物であるライチョウのほか、ニホンカモシカ、ホンドタヌキ、ホンドギツネ、ハクビシン、トビ、フクロウなどの飼育を行っており、見学をすることもできる。
/入館料 400円

  • 付属の動植物園。ライチョウやニホンカモシカなどを飼育している

  • 山岳博物館前の大町公園。園内の桜はすでに散りはじめていた

鷹狩山展望公園

大町山岳博物館の背後にそびえる鷹狩山の頂上へは車で登っていくことができる。曲がりくねった山道を走ること約20分、「鷹狩山展望公園」の一画にある駐車場へと着く。

  • 鷹狩山山頂へと向かう

  • 山頂への途上、道路脇の桜が満開だった

鷹狩山という山名は、江戸時代にこの付近で鷹の幼鳥を捕獲して飼育し、松本藩に献上していたことに由来する。展望台からは、残雪をいただく北アルプスの雄大な大パノラマや、高瀬川や鹿島川によって形成された複合扇状地に広がる大町市街地や田園風景を一望のもとに見渡すことができた。園内には散策路も整備されており、春から秋にかけて約200〜300種の草花が目を楽しませてくれる。

  • 山頂の芝生広場からの景色。
    蓮華岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳など後立山連峰の名峰が一望できた

  • 山頂の展望台

  • 山頂の桜も華やかに咲き誇っていた

  • 頂上一帯には散策路も整備されている

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記事・写真:谷山宏典 取材:2018年4月

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