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南紀と世界遺産の紀伊山地熊野を巡る(1)

ドライブライン

熊野速玉大社本殿 紀伊山地には高野山、吉野山、大峯山、そして熊野三山と日本を代表する霊場があり、古代から篤い信仰の道として多くの参詣者や巡礼者を集めた。これらの霊場を結ぶ参詣道が紀伊半島にいまも広く残され、豊かな自然と共に平成16年(2004)、世界遺産に登録された。
熊野三山を巡る道は大きく分けて紀伊半島を西回りする「紀伊路」と東回りの「伊勢路」がある。さらに高野山につながる「小辺路」、吉野から続く修験道「大峯奥駆道」、そして海岸線を回る「大辺路」と山中を巡る「中辺路」など幾筋もの道があり、総していまは「熊野古道」と呼ばれている。
一時は「蟻の熊野詣で」と称されたほどの賑わいを見せた道も、現在はその多くは国道や県道に整備されたが、難所だったゆえに開発を免れ、往時のままの石畳の道、史跡や石仏なども残し、海や山川の大自然の景観が訪れる人々の心を癒してくれる。
今回はこの紀伊半島を尾鷲市の北、大紀町から南端の串本を経由、西の白浜から熊野山中を抜けて、再び尾鷲市へと古の人々に思いを馳せ、山深い道、長い海岸線や清流の川辺りを辿る旅だった。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
名古屋−(東名阪自動車道・伊勢自動車道)−紀勢大内山IC−(国道42号線)−尾鷲市−熊野市−新宮市−太地町−串本−白浜−(国道311号線)−熊野本宮−(国道169号線)−北山村−(国道42号線)−尾鷲市−(伊勢自動車道・東名自動車道)−名古屋
全行程 約800km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●黒潮の道・伊勢熊野路

伊勢自動車道の紀勢大内山ICを出ると、国道42号線を辿る。この国道42号線は松阪から串本を通り、和歌山市まで南紀州の海岸線をぐるりと巡る、かつての熊野参詣路の一つである。
今回の旅はこの紀勢大内山ICを出て間もなく熊野古道でもある荷坂峠口からはじまった。
荷坂峠旧道
荷坂峠旧道

ツヅラト峠への熊野古道
ツヅラト峠への熊野古道
ツヅラト峠への道
ツヅラト峠への道

昔はこれより西にあるツヅラト峠が、紀州への入り口であったが、江戸時代紀州徳川家の藩祖・頼宣公が入国の際に通ったという荷坂峠は、東よりの玄関口として正式ルートとなった。
また荷坂峠を越えて続く「熊野古道」は、ほとんどが昔ながらの徒歩道だ。だが、開発により国道や県道となった古道も、現在の自動車道と平行して走り、時にはその姿を見せてくれるところも多く、観光地として駐車場や休憩所トイレなどの設備が整えられたところもある。
長島漁港は伊勢エビ漁のシーズンだった
長島漁港は伊勢エビ漁の
シーズンだった


紀伊長島道の駅
紀伊長島道の駅
道の駅ではマンボウ串焼きが人気
道の駅ではマンボウ串焼きが人気

●「馬越峠」と「種まき権兵衛」

荷坂峠、ツヅラト峠、一石峠、始神(はじかみ)峠と続くが、徒歩で行く古道であり、車で行けるのは峠の入り口までだった。しかし、道の駅「海山」から徒歩5分で石畳の古道に出会うところがあった。馬越峠だ。
車を道の駅に駐め、国道を横切ると小川にかかる大きな一枚岩の先には、重厚な自然石が折り重なるように約2kmも敷き詰められた道が続く。日本でも雨量の多さでは上位といわれる尾鷲周辺の雨でも崩れなかったという立派な道は、熊野古道の中でも絶好の撮影ポイントであり、古の人々の歩いた道を体験することができるところでもある。
馬越峠は熊野古道で人気のコース
馬越峠は熊野古道で人気のコース

始神峠への標示
始神峠への標示
馬越峠の石畳。昭和初期まで使われていたという
馬越峠の石畳。昭和初期まで
使われていたという


古道へと向かうハイカー
古道へと向かうハイカー
始神峠途中の農業用ダム
始神峠途中の農業用ダム
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道の駅「海山」の裏手にある銚子川に沿って約1kmの場所に民話とともに俗謡で唄われた「権兵衛さんが種まきゃ カラスがぁ ほぜくる・・・」で知られた「種まき権兵衛の里」という公園がある。
日本庭園や四阿、からくり時計などもあるが、俗謡で知られる権兵衛さんのゆかりの地である。
国道標示をみて種まき権兵衛へ
国道標示をみて種まき権兵衛へ

権兵衛さんの公園は無料
権兵衛さんの公園は無料
権兵衛資料館
権兵衛資料館

江戸時代この地で武士の子として生まれたが、父の望みで農家を継いだ。武芸には長けても鍬を持つ手がぎごちなく、蒔いた種をカラスやスズメがついばんでも追い払おうとしない権兵衛の様子を村人たちが笑った歌として伝えられたという。
後に、紀州一の難所といわれる馬越峠に大蛇が出没、鉄砲の名人であった権兵衛が退治したが、大蛇の毒をあびたため、元文元年(1736)命を落とした。近くの宝泉寺に墓が残されている。

権兵衛さんの菩提寺、宝泉寺
権兵衛さんの菩提寺、宝泉寺
村おこしに一役買った権兵衛記念碑
村おこしに一役買った
権兵衛記念碑


●鬼ヶ城と獅子岩

尾鷲から八鬼越え二木島峠、逢神坂峠と続く古道の下に、現代の道はトンネルで熊野市へと結び、国道は熊野灘を望む海岸線を行く。
伊勢半島から続くリアス海岸の最南端で、隆起と風化と波の浸食及び幾度かの大地震などにより、階段状に並ぶ岩や、大小無数の海食洞からなる造形美を作り上げている。これより約1km南、熊野灘に面して続く。この自然の芸術は国の名勝・天然記念物であり、世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部でもある。

松本峠への路傍に野仏があった
松本峠への路傍に野仏があった
峠道は人家の庭先を通っていた
峠道は人家の庭先を通っていた

鬼ヶ城
鬼ヶ城
浸食された岩は下が平らな大洞窟
浸食された岩は下が平らな大洞窟

浸食された巨大な洞には遊歩道があり、手すりを頼りに岩伝いに歩くと荒波が岩に砕ける音とともに自然の驚異が感じられる。鬼ヶ城の山頂からは熊野古道「松本峠」への道があり、ハイキングコースにもなっている。松本峠を越えた集落には車で行くことができる。
鬼ヶ城より数百メートル南にある獅子岩は、高さ約25m、周囲約210mの岩塊で長い年月の浸食風化で作られた形が、大きな獅子が熊野灘に向かって吠えているように見えることから、人気の観光名所になっている。
獅子岩
獅子岩
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この先は崩落で通行止め
この先は崩落で通行止め
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波に洗われる鬼ヶ城の岸壁
波に洗われる鬼ヶ城の岸壁

●紀宝町ウミガメ公園

岩塊や岩礁の海岸線から一転、「七里御浜」と呼ばれる砂浜海岸が約20kmも続く。国道42号線は防風林で海とは隔てられているが、民家に干された魚網や潮の香りに海を感じながら走るとウミガメ公園の看板が目に飛び込んできた。地元の産物を売る道の駅に隣接するウミガメ水族館だ。七里御浜は5月下旬から8月上旬にかけてウミガメが産卵のためにやってくるところ。
飼育展示されているウミガメは、丸い大小2つのプールに分けられ、アオウミガメ、アカウミガメ、マイタイなど8匹だ。なかでも面白いウミガメは、甲羅に長さ20〜30cmもある海藻をつけているものだ。飼育係りの人の話では「長い間、甲羅を洗っていないから背中に海藻が生えた」のだという。そういえば、浦島太郎の乗ったカメもこんなカメだったのかもしれないと思った。
/入場料 無料、TEL 0735-32-3686

紀宝町のウミガメ・センター
紀宝町のウミガメ・センター
プールを泳ぐウミガメ
プールを泳ぐウミガメ

ウミガメや魚は無料で見ることができる
ウミガメや魚は無料で見ることができる
ガラス越しに見るとこんなポーズも
ガラス越しに見るとこんなポーズも

●熊野速玉大社

熊野本宮大社、熊野那智大社と並んで熊野三山の一つであり、全国に祀る熊野神社の数千社の総本山。本宮から熊野川を下った河口、千穂ヶ峰の麓、すなわち現在は国道42号線に沿うように鎮座する。
もとは約2000年前、景行天皇御世に熊野三所権現が最初に降臨されたところは神倉山であったが、のちに南に2kmほど離れた現在地に速玉大社が遷された。これより、神倉神社の『旧宮』に対して、『新宮』といわれるようになった。
熊野速玉大社(新宮)
熊野速玉大社(新宮)

熊野速玉大社の参道
熊野速玉大社の参道
参道脇の梛(なぎ)の大木は国の天然記念物
参道脇の梛(なぎ)の大木は
国の天然記念物


鮮やかな朱塗りの鳥居をくぐり参道を進むと、右手に同じく朱塗りの神宝館がある。この建物の左手には樹齢1000年と推定される梛(なぎ)の大樹が大きく枝を広げている。これは平安時代に熊野三山造営奉行を務めた平重盛(清盛の嫡男)の手植えと伝えられている(国の天然記念物)。

熊野速玉大社本殿
熊野速玉大社本殿
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宝物殿には国宝も展示されている
宝物殿には国宝も展示されている

神門を抜けると、社殿が5棟並ぶ。向かって左から第一殿、第二殿といい、神倉宮の三社相殿(あいどの)と第五殿となっている。第一本社は熊野結大神(那智の主神)が祀られ、第二は速玉宮(熊野速玉大神)が祀られている。まだ真新しく見える社殿は昭和に再建されたもの。
神宝館には国宝・重文を含む古神宝類1,204点を所蔵、うち一部が展示されている。
/入館料 500円、TEL 0735-22-2533

●那智の大滝

落差133mの日本一の直瀑で「日本の滝100選」、「日本の音風景100選」にも選定される見事な滝である。滝の落ち口の岩盤には3つの切れ目があって、水が3本に落ちることから「三筋滝」ともいわれている。
滝の落ち口の幅は約13mもあり、その落ち口には注連縄が張られている。この縄は毎年、7月9日と12月27日の2回、神職によって張り替えられる。滝の周囲に広がる原生林は、国の天然記念物に指定されている。
滝壺の深さは現在は10mだが、明治から昭和にかけての世界的博学者であった南方熊楠によると、滝の上の原生林を伐採したため岩石が落下、かつての3分の1の浅さになったという。
この滝を神とし、滝を直接拝むことから本殿も拝殿もなく、滝そのものが熊野那智大社御神体なのである。
那智大滝
那智大滝

熊野那智大社に近い大門坂
熊野那智大社に近い大門坂
那智大滝への入り口
那智大滝への入り口

●熊野那智大社

参道は長い石段だが、500円の通行料での自動車道もある。ただし境内の駐車料500円も必要だ。
石段の上には、朱色の大鳥居があり、その先の拝殿奥には鈴門・瑞垣を挟んで本殿がある。向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)がならぶ。主神はイザナミノミコト。本殿の屋根は桧皮が使われている。天正9年(1581)に戦火によって焼失した後、嘉永6年(1853)に再建された。国の重要文化財である。
その他、境内には神武天皇を大和まで導いた八咫烏(ヤタガラス)、三本足のカラスが石に姿を変えたという烏石や、平重盛が手植えをしたという樹齢800年の樟(くす)が広く枝を伸ばしている。約8.5mの幹回りの根幹の部分は空洞化している。これを「胎内くぐり」として潜り抜けることができるが、賽銭として300円と立て札が立っていた。

熊野那智大社
熊野那智大社
八咫烏(ヤタガラス)
八咫烏(ヤタガラス)

●青岸渡寺

那智大社境内にあり「如意輪堂」と称された寺は、仁徳天皇(4世紀)のころ印度天竺の僧が那智大滝で修行を営み、滝壺で観音菩薩を感得し、ここに草庵を築き安置したと伝えられている。中世以降は天皇・皇族の熊野詣での折りの宿泊所ともされていた。
近世までは神仏習合の修験道場であった。が、明治に入って神仏習合が廃されたとき、本宮と速玉大社では仏堂はすべて廃されたが、如意堂は破却を逃れた。
その後、信者等の手によって青岸渡寺として復興した。天台宗の寺院で西国三十三ヶ所第一番札所でもある。

那智山・青岸渡寺本堂
那智山・青岸渡寺本堂
青岸渡寺三重の塔と那智の滝
青岸渡寺三重の塔と那智の滝
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熊野古道|紀伊山地の霊場と参詣道
熊野古道などの参詣道が通る4エリア(高野山周辺、熊野周辺、吉野・大峯、伊勢路)を紹介している。
熊野速玉大社
社殿案内図や御神宝をはじめ宝物の解説、行事・祭礼の案内などが見られる。
熊野那智大社
社殿案内図や由緒、年中行事、「那智の火祭」の予定などが掲載されている。

取材:2010年11月

※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。