横浜・横須賀シーサイドドライブ

みなとみらいや中華街、元町などを擁する日本屈指の観光都市・横浜を起点に南へ。八景島や金沢八景に立ち寄りながら、横須賀の観音崎や久里浜を目指してドライブした。
横浜市中区では、横浜を代表する人気スポット「山下公園」へ。そこから小高くなった山手地区へと入っていき、「エリスマン邸」や「ベーリック・ホール」など、この一帯が外国人居留地だったことを今に伝える洋風住宅を巡った。
幕末の開港以来、異国文化の流入の窓口であった横浜には「○○発祥の地」があちこちに点在するが、競馬場もそのひとつ。かつて東洋一の規模を誇っていた根岸競馬場があった「根岸森林公園」には、まるで要塞のような「根岸競馬場一等馬見所跡」が残っていた。
「三渓園」で広大な日本庭園を散策したあとは、首都高湾岸線に乗って金沢区八景島の「八景島シーパラダイス」へと向かった。

ドライブルート

横浜市中区−三渓園料金所−(首都高湾岸線)−幸浦出口−横浜市金沢区八景島−同区金沢町−同区瀬戸−(国道16号線)−横須賀市中心部−(国道16号線、県道209号線)−観音崎−(県道209・208・211号線)−久里浜

全行程約50km、今回行程約20km

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山下公園と日本郵船氷川丸

横浜には数多くの公園があるが、もっとも有名かつ人気なのは、やはり「山下公園」だろう。 開園したのは、昭和5年(1930)。関東大震災(大正12/1923年)の復興事業として、海岸線に散乱していた瓦礫の山を埋め立てて作られた日本初の臨海公園である。
約7万4,000平方メートルの敷地には緑の芝生が広がり、海沿いには広々とした遊歩道が真っすぐに延びる。東には山下埠頭やベイブリッジ、西には大さん橋、赤レンガ倉庫、ランドマークタワーなど、港湾都市・横浜を象徴する景色を一望にすることができる。

  • 左のもっとも高い建物が、横浜のシンボル・ランドマークタワー。
    右側の大さん橋には、大型客船が停泊していた

  • 海に向かって、数えきれないほどのベンチが並ぶ

  • 噴水と花壇。通りをはさんだ向こう側に、昭和2年(1927)開業の
    老舗ホテル、ニューグランドが見える

山下公園に来たら、ぜひ立ち寄りたいのが、公園前の海に係留保存されている「日本郵船氷川丸」だ。
昭和5年(1930)にシアトル航路用に建造された豪華貨客船で、第二次大戦中は病院船、終戦後は引揚船として活躍し、昭和28年(1953)に再び貨客船としてシアトル航路に復帰した。昭和35年(1960)に引退し、翌年から山下公園に係留保存され、以来横浜港のシンボルとして多くの人々に親しまれてきた。
船内では、客室、食堂、社交室などの「船客エリア」や、機関室、操舵室などの「乗組員エリア」を見学でき、戦前に建造された大型貨客船の様子を詳しく知ることができる。歴史を紐解けば、数多くの著名人たちが乗船している。昭和7年(1932)にはチャップリンが横浜からアメリカへの帰国のためにこの船に乗り、昭和13年(1938)には第12回オリンピックの日本招致に成功(のちに戦争激化のために返上)した講道館柔道創始者の嘉納治五郎が欧米からの帰路にバンクーバーから乗船し、その直後に病に倒れて船上で亡くなっている。まさに歴史の生き証人≠ニ言える船なのだ。
/氷川丸入場料400円

  • かつて日本とシアトルを行き来した氷川丸

  • 一等社交室。船内の公式レセプションやダンスパーティーに使われた

  • 一等特別室。チャップリンをはじめ、各国のVIPや著名人が利用した

  • 氷川丸の船上から横浜港を眺める。多くの船が行き交っていた

  • 操舵室

  • 機関室。竣工当時、最新鋭だったエンジンが現役時代のまま残されている

港の見える丘公園

港の見える丘公園の展望台

山下公園から谷戸坂を登っていくと、小高い丘の上に広がる「港の見える丘公園」へと着く。 開港当時、この丘にはフランス軍とイギリス軍が駐屯し、その後はフランス領事館やイギリス総領事公邸がおかれた。戦後になって横浜市が公園用地として取得して整備を進め、昭和37年(1962)に開園。園内には、フランス領事館の遺構が残り、かつてのイギリス総領事公邸は「横浜市イギリス館」として公開されている。
いちばんの見どころは、その名が示す通り、高台から見渡す横浜港の展望だ。ベイブリッジの眺望もすばらしく、展望台のベンチにはたくさんの人が腰を下ろし、眼前に広がる大パノラマを満喫していた。園内のローズガーデンも人気で、5月・10月頃の花の最盛期には大勢の観光客で賑わうそうだ。

  • 横浜港とベイブリッジが一望に

  • 園内には四季折々の花が咲く

園内の「大佛次郎記念館」(入館料200円)にも立ち寄ってみた。
大佛次郎は大正から昭和にかけて活躍した作家で、「鞍馬天狗」「赤穂浪士」「霧笛」「パリ燃ゆ」など、時代小説から現代小説、戯曲、エッセイ、童話と幅広く執筆活動を行ってきた。横浜に生まれ、昭和初期には横浜の老舗ホテル・ニューグランドの一室を仕事場としながら、横浜を舞台にした数々の名作を生み出したことから、昭和53年(1978)にこの記念館が開館。建物は、大理石やレンガタイル、色ガラスを用いた洋風建築で、大佛の業績と生涯をさまざまな資料で紹介している。
大佛は大の猫好きとしても有名で、館内の随所に彼自身が収集した猫の置物などが飾られているのも印象的だった。

  • 大佛次郎記念館。
    レンガタイルの外観が公園の雰囲気によく合っている

  • 仕事場を再現した部屋

  • 館内のあちこちに、愛猫家の大佛が収集した猫の置物が飾られていた

エリスマン邸

横浜開港の8年後の慶応3年(1867)、山手地区は居留外国人の住宅地として開放され、一帯には住宅のほか、病院、教会、学校、公園、墓地などが建設された。関東大震災によって一度は壊滅的な被害を被ったが、昭和初期におおかた復興されて、現在もいくつかの西洋館(洋風住宅)が残っている。
山手地区の西洋館には駐車場がないため、港の見える丘公園前の有料駐車場に車を停めて、歩いて地区を散策してみた。

最初に向かったのは「エリスマン邸」だ。
生糸貿易商社の横浜支配人として活躍したスイス人、フリッツ・エリスマンの邸宅として、大正14年(1925)から15年(1926)にかけて山手町127番地に建設された建物で、平成2年(1990)に現在地に移築復元された。設計は、多くの日本人建築家を育成したことから日本の「近代建築の父」といわれるチェコ出身のアントニン・レーモンド。
1階は応接室や居間兼食堂、庭を眺めるサンルームが再現され、かつて3つの寝室があった2階では山手の洋館に関する資料を展示していた。
/入館無料

  • 元は別の場所に建っていたが、
    平成2年(1990)にここに移築復元した

  • 階段から1階を見下ろす。奥の部屋は応接室

  • 2階の窓から庭を眺める

ベーリック・ホール

エリスマン邸の小道をはさんだ隣には「ベーリック・ホール」が建つ。 昭和5年(1930)にイギリス人貿易商B.R.べリックの邸宅として建設。設計は、山手111番館や根岸競馬場なども手がけたアメリカ人建築家J.H.モーガンだ。
外観は、玄関の3連アーチや、四つ葉状の文様の小窓、赤茶色のスペイン瓦の屋根、クリーム色のスタッコ仕上げの外壁など、海辺のリゾートを彷彿とさせるスパニッシュスタイルに。戦前の山手の西洋館としては最大規模を誇り、館内は広々とした居間や食堂、パームルーム(植物などを置いた休憩室)、サンポーチのある寝室などで構成される。白と黒のタイル張りの床や、フレスコ技法によって復元された室内の壁、玄関や階段のアイアンワークといった建築学的な見どころも多い。
/入館無料

  • 玄関のアーチや四つ葉状の文様の小窓など、
    さまざまな意匠が施されている

  • 広々とした居間。
    コンサートなどのイベントが行われることもある

  • パームルーム。奥には獅子型の壁泉もある。
    植物などを置いて休憩室として使っていたと考えられている

  • 夫人寝室

根岸森林公園(根岸競馬場一等馬見所跡)

瀟洒な雰囲気の山手本通りを西へと走り、山元町交差点で横浜駅根岸道路へ。そこからさらに1キロほど走ると「根岸森林公園」に着く。園内にはゆるやかに起伏する芝生の広場が一面に広がり、何ともいえない開放感がある。
この公園は、戦前までは競馬場として利用されていた。その歴史は幕末までさかのぼり、慶応2年(1866)に日本初の本格的洋式競馬場として根岸競馬場が完成。当初は居留外国人の娯楽としてはじまった競馬は、やがて日本の宮家や政府要人の社交の場としても利用されるようになり、現在の天皇賞のルーツともいえる帝室御賞典(エンペラーズカップ)競走も根岸競馬で始まった。
園内の一画にそびえ立つ「根岸競馬場一等馬見所跡」は、昭和5年(1930)に建設されたもので、在りし日の根岸競馬場の姿を今に伝える唯一の遺構である。競馬場の敷地は戦後にアメリカ軍に接収され、大部分はのちに返還されて公園として整備されたが、一部は今も米軍施設の区域となっている。馬見所跡の正面側は米軍の敷地であるため、正面から建物の様子を見られないのが残念であった。

  • ゆるやかに起伏しながら芝生の広場が一面に広がる

  • 園内にそびえ立つ、根岸競馬場一等馬見所跡

  • 建物は裏側から見学する。
    正面側は米軍施設の区域内で、見ることはできなかった

  • 公園は高台に位置しているため、展望もすばらしかった。
    ランドマークタワーがよく見えた

公園に隣接する「馬の博物館」も、時間があれば立ち寄ってみるといいだろう。根岸競馬の歴史を詳しく知ることができるほか、人と馬との関わりについて自然史・歴史・民俗・美術工芸など幅広い観点から紹介する展示を行なっている。訪れたときは「馬にこめられた願い」というテーマ展が開催中で、西アジア、インド、中国、日本における信仰にかかわる馬のデザインを紹介していた。

  • 馬の博物館は、根岸競馬記念公苑内にある

  • 帝室御賞典競争の優勝馬主賞品として贈られた御紋付花盛器

  • 馬の進化について解説する展示

三渓園

横浜市中区で最後に訪れたのは、本牧地区の「三渓園」。明治から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓(富太郎)が、東京湾に面した“三之谷„と呼ばれる谷あいの地に造りあげた、約17万5,000平方メートル(5万3,000坪)という広大な敷地をもつ日本庭園である。
園内は、明治39年(1906)に一般公開された「外苑」と、元は三渓の私庭で戦後になって一般に公開された「内苑」の2つの庭園からなり、京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物と四季折々の自然が調和した景観が広がっている。
外苑の見どころは、小高い山の上に建つ「旧燈明寺三重塔」と大池が織りなす景色。三重塔は京都・木津川市の燈明寺にあった建物で、室町時代の建築とのこと。内苑では、江戸初期に紀州徳川家初代頼宣によって建てられた別荘建築「臨春閣」とそのまわりの庭園の風景が特に美しかった。
/入園料700円

  • 外苑。大池と旧燈明寺三重塔

  • 園内はとにかく広い。散策に疲れたら、茶屋で一服しよう

  • 旧燈明寺三重塔。建てられたのは室町時代で、
    大正3年(1914)にこの地に移築された

  • 旧矢篦原(やのはら)家住宅。合掌造りの建物で、
    かつては飛騨・白川郷に建っていた

  • 旧矢篦原家住宅は、園内の歴史的建造物の中で
    唯一内部を見学できる

  • 内苑。右に見えるのが、臨春閣の一部

  • 内苑を散策する

  • 春草盧しゅんそうろ。室内の三畳台目の小間(茶室)は、
    織田信長の弟・有楽の作と伝わる

八景島シーパラダイス

首都高湾岸線を幸浦出口で下りて、国道357号線(湾岸道路)をさらに南へ2キロほど走ると「八景島シーパラダイス」の駐車場に到着する。
八景島シーパラダイスは、横浜市沿岸に浮かぶ人工島・八景島に水族館、遊園地、ショッピングモール、レストラン、ホテルなどが集まった複合型テーマパークだ。訪れたのが天気のよい休日ということもあって、園内にはとにかく人が多かった。
1日中でも遊べるテーマパークだが、まだ先の予定がある今回は、水族館エリア「アクアリゾーツ」だけを駆け足でまわることに。アクアリゾーツには4つの施設があり、メインはピラミッドのような三角屋根が特徴的な「アクアミュージアム」。館内には、5万尾のイワシの大群泳が見られる大水槽や、まるで海の中にいるような気分を味わえるアクアチューブ、セイウチやイルカのショーが楽しめるアクアスタジアムなど、見どころが満載であった。

「ドルフィンファンタジー」ではアーチ型水槽を悠々と泳ぐイルカたちの姿を見ることができ、「うみファーム」では釣った魚をその場で調理して食べる“海育„を体験できる。「ふれあいラグーン」は、その名の通り、海の生きものたちを身近で観察し、シロイルカやペンギンなどと触れ合える施設だ。
/アクアリゾーツパス3,000円。そのほか、プレジャーランドパス3,000円、ワンデーパス(水族館4施設パス+アトラクションフリーパス)5,050円がある

  • マリンゲートの橋を渡って、八景島へ!

  • 左の三角屋根の建物がアクアミュージアム

  • アクアチューブ

  • ドルフィンファンタジー。バンドウイルカが
    まるで空を飛んでいるように頭上を泳いでいく

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記事・写真:谷山宏典 取材:2019年07月

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