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三浦半島・三崎の海

ドライブライン
三浦半島は、横須賀港や久里浜港、三浦海岸、そして近海漁やマグロの水揚げとして名高い三崎港がある。さらに幾つもの漁港やマリーナ、海水浴場なども多い。この半島突端の観音崎は、浦賀水道を隔てて房総半島とともに東京湾を囲む。半島中央には三浦丘陵が走り森林や畑など、大都会東京に近い距離でありながら緑深い景観が広がっている。
都内から片道約1時間の日帰りドライブコースとして人気の半島でもある。ところが意外と知らないところも多く、みどころ発見の春の日の半島巡りであった。
城ヶ島灯台
サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6
ドライブライン
<コース>
都内−(第三京浜道路)−(横浜横須賀道路)−横須賀−(国道16号線)−観音崎−久里浜−三浦海岸−(県道26号線)−三崎港−油壺−(国道134号線)−(三浦縦貫道路)−(横浜横須賀道路)−(湾岸道路)−都内
行程 約180km
<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>

三笠公園
半島名の由来は中世、源頼朝の挙兵に従った三浦氏の領土であったことから三浦と呼ばれていた。三笠公園の南に位置する浦賀は、江戸時代には幕府直轄の天領であり、鎖国後は廻船問屋が建ち並び賑わっていた。後の幕府は浦賀奉行を設置。江戸湾防衛のための警備を会津藩に、後に川越藩に担当させていたが、相次ぐ黒船来航で重要さは増した。
明治に入ると三浦半島は国防上の要衝地としてさらに重要度を増し、日露戦争の日本海軍・旗艦として活躍した戦艦「三笠」の本拠地となった。その三笠は保存措置が施され、展示されているのがこの公園である。
東郷元帥と旗艦・三笠
東郷元帥と旗艦・三笠
三笠の船尾
三笠の船尾
船内には射程距離1万メートルの主砲をはじめ、日本海開戦の様子や実物大の人形による戦闘や通信シーン、司令官公室、東郷元帥の私室なども観ることができる。戦艦の前の広場には「皇国興廃在此一戦」(皇国の興廃この一戦にあり)の檄文とともに戦闘を指揮した東郷元帥の立像が建つ。
/記念艦「三笠」入館料500円、TEL 046-824-6291
三笠グッズ
三笠グッズ
猿島への渡船桟橋
猿島への渡船桟橋
お土産に人気だと聞いた
お土産に人気だと聞いた
海軍カレー。店によって異なる
海軍カレー。店によって異なる
売れ筋の海軍カレーパン
売れ筋の海軍カレーパン
猿島
東京湾に浮かぶ周囲約1.6km、標高は最高で約40mの無人島。三笠公園より約2km北東沖合にあり、三笠桟橋から船で約10分の距離。鬱蒼とした自然林に覆われた東京湾内最大の自然島だ。平成15年(2003)横須賀市が国から猿島を無償譲与され「猿島公園」として整備管理している。
渡船は猿島と三笠桟橋を10分程で結ぶ
渡船は猿島と三笠桟橋を10分程で結ぶ
猿島からの富士山
猿島からの富士山
島内からは縄文、弥生時代の土器や人骨が出土している。日蓮聖人にまつわる伝説も残るなど、古くから親しまれてきた。幕末から第二次世界大戦前までは、東京湾の首都防衛拠点として重要な位置にあった。明治時代には陸軍省、海軍省の所管となり、東京湾要塞のための砲台が多数築造され、島内には岸壁を掘り、周りをレンガで覆った弾薬庫や兵舎が造られた。
岩をくりぬいて造られたトンネルやレンガ造りの要塞跡が現在も残され、度々テレビや映画のロケ地にもなっているとか。このトンネルや要塞はフランス積みといわれるレンガ造りで、日本各地に多く見られるイギリス積みとは異なり、明治初期に採用された貴重な建築物だという。
明治時代の石垣とレンガ造りの地下壕入り口
明治時代の石垣とレンガ造りの地下壕入り口
島内中央部はトンネルで結ばれている
島内中央部はトンネルで結ばれている
猿島中央部は切り通しで、左右にレンガ造りの壕がある
猿島中央部は切り通しで、左右にレンガ造りの壕がある
この他、海水浴場、磯釣り場やバーベキューなどが楽しめるレジャーの島でもある。観光スポットでありながら、かつて軍の機密保持で島そのものの存在も隠されていたし、公園として一般開放されて日も浅いせいか、知名度はまだ低いと、地元の人の言葉だった。
こちらは自然の洞窟。弥生時代の遺物が出た
こちらは自然の洞窟。弥生時代の遺物が出た
磯釣りをする人も多かった
磯釣りをする人も多かった
観音崎公園と灯台
東京湾に突き出た岬。変化に富んだ岩場や砂浜があり磯遊びや海水浴、釣りなどが楽しめるところ。浦賀水道を行き交う世界の船や、対岸の房総半島を眺めながら灯台へと続く散策路を登る。
途中で見る洞窟は権現洞といい、大昔にここには大蛇が棲みつき漁民たちを苦しめていたという。諸国修行でこの地に立ち寄った行基善菩が大蛇を退治し、その霊を鵜羽山権現として祀ったという伝説の洞窟だ。
天平13年(741年)行基菩薩が観音崎の洞窟に住む大蛇を退治したという
天平13年(741年)行基菩薩が観音崎の
洞窟に住む大蛇を退治したという
かつては東京湾の入り口を守る要所として会津藩が台場を築き、一般人は立ち入り禁止区域とされていた山の上に、明治初期に建造された砲台跡をみることができる。木々で覆われた高台に造られた北門第一砲台、三軒家砲台が、現在でも当時の原型に近い形で残されている。
砲台跡に隣接する高い塔にアンテナが張りめぐらされた建物は海上保安庁東京湾海上交通センターだ。
東京湾海上交通センター
東京湾海上交通センター
観音崎灯台
観音崎灯台
東京湾を監視するレーダーと監視室
東京湾を監視するレーダーと監視室
岬の一番高いところには明治2年(1869)に点灯された日本最初の洋式灯台「観音崎灯台」が建つ。現在の灯台は大正14年(1925)に完成した3代目だ。灯台の上部へ上ることができる。
/観音崎灯台 入館料 200円、TEL 046-843-8316
灯台の上から見る駿河湾
灯台の上から見る駿河湾
灯台付近の岩場の切り通し
灯台付近の岩場の切り通し
浦賀港と渡し船
湾が1.5kmも深く切り込んだ浦賀港は享保5年(1720)、浦賀奉行所が置かれると、江戸湾に出入りする船は、すべて浦賀で船改めをすることが義務づけられた。以降、黒船の来航、咸臨丸の出港、日本最初の洋式船鳳凰丸の建造地として、歴史の舞台に登場してきた。
湾を挟んだ東西の町を結ぶ渡し船があり「浦賀の渡し」という。人々の往来を古くから支えてきた船は、今もポンポン船の名で庶民に親しまれている。今も昔もなくてはならない交通機関である。しかし、時刻表はない。船が対岸にいるとき利用者は呼び出しボタンを押して、船が来るのを待つ。
約3分の乗船時間だが、浦賀ドックなどを眺めながらのプチクルーズが楽しめる。
/料金 150円、TEL 046-841-1509
東・西の叶神社は渡し船でも往復できる
東・西の叶神社は渡し船でも往復できる [+拡大]
浦賀の渡し、西の待合所
浦賀の渡し、西の待合所
渡し場の近くには、江戸時代から大正末期まで続いた浦賀を代表する旅館があったという。いまはその跡に碑が立っていた。正式に旅館(御用御宿)となったのは文化8年(1811)であり、浦賀での旅館のはじまりとある。ペリーが来航した嘉永6年(1853)黒船を見聞するため吉田松陰が宿泊し、ここで佐久間象山と会っていたと書かれている。さらに浮世絵師の安藤広重、木戸孝允など多くの近代日本に関わった人々が訪れた旅館である。

大正12年(1923)の関東大震災の際に倒壊。今は、狭い道筋に残る徳田屋の跡から、激動の幕末、また明治維新に浦賀を訪れた数多くの偉人たちを想う。この場で日本を見、世界を見て何を思ったのか…。たった一つの碑を眺めながら、たくさんの思いを巡らせてくれるところでもある。
吉田松陰、佐久間象山は東の渡し場のほとりで会談した
吉田松陰、佐久間象山は
東の渡し場のほとりで会談した
叶(かのう)神社
祭神は京都の石清水八幡宮と同じ応神天皇である。平家物語に登場する文覚上人が、源氏の再興を願い、神社を建てる場所を探したところ、源頼朝ゆかりの千葉・鹿野山の対岸である西浦賀の地を選び、石清水八幡宮を勧請した。文治2年(1186)壇ノ浦で平家が敗れると、源氏の世となり願いが叶ったことにより「叶明神」の称号が与えられたという。 「叶神社」という縁起のよい名前を持つ神社は、ここ横須賀の浦賀にしかないそうだ。この浦賀には浦賀港を挟んで2つの叶神社がある。どちらも同じ御祭神で正式名称も同じ。地元では区別するため東岸を東叶神社、西側を西叶神社と呼ぶ。
東叶神社、背後の森は県の天然記念物
東叶神社、背後の森は県の天然記念物
勝海舟が断食修行で使った井戸(東叶神社)
勝海舟が断食修行で使った井戸(東叶神社)
東叶神社には勝海舟が咸臨丸でアメリカへ航海する前に水垢離をしたという井戸があり、神社の裏山の神明山・奥宮には「勝海舟断食の場」の標柱がある。また拝殿前には子供を抱いてお乳を飲ませている珍しい狛犬がある。
一方、西叶神社の社殿は天保13年(1842)に再建されたもので、社殿に施された多くの彫刻は安房国(千葉県)の彫刻師・後藤利兵衛の作品だという。鑑賞する価値がある。
西叶神社
西叶神社
叶神社のお守りは東西で一組。守り袋は東、勾玉は西
叶神社のお守りは東西で一組。守り袋は東、勾玉は西
叶神社は「願いが叶う」ということから、いまパワースポットとして人気がある。西叶神社の勾玉を、東叶神社のお守り袋に収めて身につけると良縁が叶うそうだ。この日も縁を求めて若い女性たちが参拝に訪れていた。
/TEL 東叶神社 046-841-5300、西叶神社 046-841-0179
久里浜・ペリー公園
嘉永6年(1853)黒船を率いて来航したマシュー・ペリー提督上陸の地で、久里浜にある公園。園内には伊藤博文の揮毫(きごう)によるペリー上陸記念碑を中心に、ペリー来航当時の久里浜周辺の様子や黒船を再現したジオラマ模型、資料などが展示された「ペリー記念館」がある。
/入園料 無料、TEL 046-834-7531
久里浜・ペリー上陸記念碑と記念館(右)
久里浜・ペリー上陸記念碑と記念館(右)
記念館入り口のペリー胸像
記念館入り口のペリー胸像
三浦海岸
東京湾入り口の浦賀水道に面する横須賀市野比から三浦市下浦までの約10kmの海岸。緩やかに弧を描いて続く浜で、冬から春にかけてはワカメの養殖が盛んだ。浜には自然乾燥のワカメの棚や沢庵漬けの大根干しが、冬の海岸の風物詩となっている。シロギスの投げ釣りのメッカとしても知られ、穏やかな海はウィンドサーフィンを楽しむ人も多い。とくに夏は首都圏からの海水浴客で賑わう。
その海岸線を外れ、県道215号線を辿って三浦半島東南端に位置する剱埼(つるぎさき)灯台へ。大根やキャベツ畑の中をぬうように、車1台がやっと通れる細い道の先に建つ、白亜の塔形(八角形)の大型灯台だ。明治5年(1872)に建造されたが、大正の関東大震災で倒壊し、現在は2代目のもの。東京湾に出入りする航路における要所の一つだ。
春風に遊ぶウィンドサーファー
春風に遊ぶウィンドサーファー
入り江には漁港がある
入り江には漁港がある
ワカメ漁も春とともに終わる
ワカメ漁も春とともに終わる
剱埼灯台
剱埼灯台
城ヶ島
三浦半島の南端に位置する周囲約4kmの島。半島とは城ヶ島大橋(普通車往復150円)で結ばれている。
奇岩と断崖が織りなす自然の造形美を見せるこの島は東西に細長く、東に安房ヶ崎、西に長津呂崎、南には赤羽根崎、北は遊ヶ崎という岬がある。長津呂崎には城ヶ島灯台、安房ヶ崎には安房埼灯台が建つ。
島の東半分は「城ヶ島公園」となっていて、海岸植物や岩礁巡り、また各所に設けられた展望所からは、太平洋へと続く大海原や奇岩や岩礁に波打つ光景が眺められる。
城ヶ島灯台
城ヶ島灯台
城ヶ島大橋
城ヶ島大橋
城ヶ島の雨。北原白秋歌碑
城ヶ島の雨。北原白秋歌碑
また城ヶ島大橋の下にある北原白秋記念館(閉鎖中であった)には「城ヶ島の雨」の詩碑がある。『城ヶ島の雨』は白秋が三崎滞在中(1913)に演出家の島村抱月の依頼で作った。三崎の風情を詠ったこの詩により、城ヶ島はロマンの島として全国的に広まった。
三崎港
城ヶ島の対岸、三浦半島の先端にある漁港。カジキ、マグロ、ブリからタイ、キンメダイまでさまざまな魚が水揚げされる漁港で有名だが、今はマグロ料理店が並ぶ観光地として人気が高い。とくに東京から日帰りで訪ねられるということもあり週末などは、どの店もいっぱいだ。
三崎にはマグロ料理の店が多い
三崎にはマグロ料理の店が多い
三崎一番人気のマグロ丼
三崎一番人気のマグロ丼
平成13年(2001)にオープンした「三崎フィッシャリーナ・ウォーフ(愛称)うらり」はマグロをはじめ旬の魚介類や野菜などを販売する産直センターで、いつも近隣や首都圏から新鮮な食材を求める買い物客で溢れている。
三崎港内の遊覧船もある
三崎港内の遊覧船もある
三崎漁港の産直センター
三崎漁港の産直センター
センター内の魚屋
センター内の魚屋
産直センター大人気
産直センター大人気
しかし、マグロ(冷凍)売り場はたくさんあるが、鮮魚を扱う店は少ない。「生魚を家庭で調理して食べる人が少なくなったからねぇ」と市場の人はいう。魚好きには残念だが、世の流れには逆らえないか、と呟きながら、夕日に赤く染まる油壺マリーナのヨット係留地を眺めて帰途についた。
ヨットハーバーの夕暮れ(油壺)
ヨットハーバーの夕暮れ(油壺)

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横須賀市観光協会
「開国のまち横須賀」内でみどころを紹介しているほか、観光情報マップやハイキングコースなどがある。
三浦市観光案内
三浦市観光協会。エリア別で観光スポットを探したり、ウォーキングガイドを見ることができる。

取材:2014年4月
※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。