鹿島灘沿岸を行く(1)香取・鹿島の古社と"小江戸"佐原

鹿島灘は、関東平野最東端の千葉県犬吠埼から茨城県大洗岬に広がる海域で、海岸線には海水浴場や展望の良い公園、観光施設などが点在している。首都圏からは東関東自動車道でのアクセスが便利だ。
今回の旅は、東関東自動車道を佐原香取ICで下りて、まずは神武天皇の御代に創建されたと伝わる日本屈指の古社「香取神宮」を参拝。江戸時代、舟運業で栄えて"小江戸"と呼ばれた「佐原」では、今も残る古い町並みを散策した。また、佐原は江戸後期に日本初の実測地図を作りあげた人物として名高い伊能忠敬ゆかりの地でもあり、「伊能忠敬記念館」や「伊能忠敬旧宅」も訪れた。
香取市からは利根川や鰐川をわたって鹿嶋市へ。香取神宮と同じく、神武天皇の時代に創建されたといわれる「鹿島神宮」を参拝し、戦国時代の剣豪「塚原卜伝の墓」を巡ったあとは、鹿島灘沿いの国道51号線を北上して、鉾田市や大洗町を目指した。

ドライブルート

東関東自動車道・佐原香取IC−(県道55号線)−香取市香取−佐原−(国道51号線など)−鹿嶋市−(国道51号線)−鉾田市−(国道51号線、県道106号線)−涸沼−(県道106・2号線)−大洗町―(県道108号線)−ひたちなか市―(県道6・247号線)−常陸那珂有料道路・ひたち海浜公園IC

全行程約105km、今回行程40km

<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>

  • サムネイル1
  • サムネイル2
  • サムネイル3
  • サムネイル4
  • サムネイル5
  • サムネイル6

香取神宮

佐原香取ICを出て県道55号線を1kmほど走ると、すぐに「香取神宮」の大きな駐車場へと到着する。
香取神宮は日本を代表する古社のひとつであり、創建は初代神武天皇18年(紀元前643)と伝わる。祭神は、神代の昔に天照大神の神勅を奉じて、鹿島神宮の祭神・武甕槌大神たけみかづちのおおかみとともに日本建国の基を築いた経津主大神ふつぬしのおおかみを祀る。
両側に食事処やみやげもの屋が並ぶ参道商店通りを抜け、朱色の大鳥居から森厳な社叢へと入っていく。表参道をしばらく行くと、総門を経て、元禄13年(1700)造営の楼門へと至る。楼門の右手前には、水戸藩主の徳川光圀が参拝の折に手植えをしたといわれる「黄門桜」が立っていた。現在残る木は、手植えの桜のひこばえ(樹木の切り株や根元から生えてくる若芽)が成長したものだという。

  • 元禄13年(1700)造営の楼門

  • 楼門のそばに立つ黄門桜

楼門をくぐった先に建つのが、檜皮葺、黒漆塗に極彩色の長押が鮮やかに映える重厚な社殿。奥の本殿は、元禄13年(1700)に徳川5代将軍・綱吉によって造営されたもので、重要文化財に指定。拝殿は昭和15年(1940)の大修繕の際に新築されたものだ。
社殿を参拝したあとは、楼門から西へと延びる旧参道を行く。途中、「要石」や「奥宮」にも立ち寄った。要石は、地震を起こす大鯰を抑えるために地中深くまで差し込まれているといわれる霊石で、鹿島神宮にも同じものがある。奥宮は経津主大神の荒魂を祀る場所で、巨木が並ぶ森閑とした林の中に小さな社が鎮座していた。
/境内拝観自由、宝物館300円

  • 社殿は黒漆塗で重厚な佇まい

  • 奥の本殿は元禄13年(1700)造営で、重要文化財に指定

  • 要石。香取神宮の石は頭頂部が凸形

  • 奥宮手前には、室町時代に天真正伝神道流(香取神道流)を
    開いた飯篠長威斎の墓があった

  • 奥宮の入口

  • 経津主大神の荒魂を祀る奥宮

水郷佐原山車会館

山車会館の入口。八坂神社の境内にある

佐原の古い町並みは、香取神宮から県道55号線を西へ約3km、車で5分ほどのところに広がっている。町並みの中心部に入っていく手前で、「水郷佐原山車会館」に寄っていくことにした。
佐原では年に2回、7月の「八坂神社祇園祭」と10月の「諏訪神社祭り」という大きな祭りが行われている。両祭りを総称して「佐原の大祭」といい、大祭のいちばんの見どころが、神話や歴史上の人物を題材にした大きな人形が据えられた山車の曳き廻しである。
人形の大きさは身の丈4〜5mほどで、山車全体では9m近くの高さになる。その起源は江戸中期までさかのぼり、およそ300年もの歴史をもつ。現在、夏の祇園祭では10台、秋の諏訪神社祭では14台の山車が出て、佐原囃子の情緒的な響きとともに町中を曳き廻される様はまさに壮観で、町全体が熱気に包まれるという。
同館では、大祭で使われる絢爛豪華な山車が常時2台展示されており、天上部の巨大な人形や木部に彫られた見事な彫刻を間近に見ることができる。また、祭りに欠かせない佐原囃子の楽器や、江戸・明治時代の名工たちが手がけた山車彫刻、江戸中期に制作された最古の大人形・猿田彦(天狗)なども展示されていた。
/入館料400円

  • 実物の山車2台を常時展示。高さは9mほどにもなる

  • 見事な山車彫刻

  • 江戸中期に制作された最古の大人形・猿田彦(天狗)

  • 大正のはじめの頃の祭りの様子

佐原の古い町並み

忠敬橋からの眺め。小野川の両岸には古い家屋が軒を連ねる

佐原は、江戸時代に利根川の舟運の中継基地として栄えた町で、当時の大動脈であった小野川と香取街道沿い(県道55号線)には現在も江戸、明治、大正、昭和初期の町屋や土蔵、洋館などが数多く残り、商業都市として栄えたかつての景観を今に伝えてくれる。足早に通り過ぎるだけではなく、時間をかけてのんびりと散策したい――そう思わせてくれる魅力的な町並みだ。
散策の起点は、県道55号線と小野川が交わる「忠敬橋」。橋のたもとの「中村屋商店」は江戸末期の建物で、もとは荒物や雑貨を扱う商家だったが、現在はホテル・レストランとして営業している。ほかにも県道や川沿いには、昔からの家業を受け継いで営業している商家や蕎麦屋、古い建物を再利用したレストランや和菓子屋などが軒を連ね、"昔"と"今"が調和した風情ある景色が広がっていた。

  • 江戸末期に建てられた中村屋商店。
    現在はホテル・レストランとして営業する

  • 県道55号線沿いの正文堂。
    明治時代の建物で、かつては書店を営んでいた

  • 小野川沿いに建つ正上醤油店。江戸後期の建物

  • 小野川を行く小舟。佐原を代表する景観

せっかくなので、小舟に乗って小野川から町並みを見物する「小江戸さわら舟めぐり」も楽しむことに。乗船場所は樋橋のたもとで、およそ30分かけて川を行き来する。船頭の方の案内を聞きながら、舟の上から柳越しに眺める風景も涼やかで格別であった。
/舟めぐり料金1,300円

  • せっかくなので、舟めぐりをすることに。樋橋たもとの乗船場

  • 電線は地下化されているそうで、空が広々して、町並みは整然とした印象に

伊能忠敬記念館/伊能忠敬旧宅

佐原でぜひ訪れたいと思っていたのが、「伊能忠敬記念館」である。
伊能忠敬は、江戸中期の延享2年(1745)に上総国山辺郡小関村(現・九十九里町)で生まれ、17歳のときに佐原の伊能家に婿入りし、家業の米の売買や酒造りに邁進。49歳で隠居してから江戸に出て天文や暦学を学び、55歳のときの第1次測量を皮切りに、以後計10回、17年におよぶ日本全国の測量を行って本邦初の実測日本地図を作りあげた。
同館では、忠敬の人生を年代順に追いながら、その業績の結晶である伊能図を数多く展示。測量結果や地名などが細かく書き込まれた地図を間近に見ていると、忠敬の息遣いが伝わってくるようであった。また、測量や作図に使われた器具類も展示されていた。
小野川をはさんだ向かい側には、忠敬が30年余りを過ごした江戸時代の店舗の一部と表門、土蔵がそのまま残された「伊能忠敬旧宅」もあるので、あわせて訪ねてみるといいだろう。
/記念館入館料500円、旧宅は見学自由

  • 伊能忠敬記念館の入口

  • 旧宅の表門

  • 旧宅内の店舗部分

  • 庭に建っていた、伊能忠敬の像

鹿島神宮

佐原から利根川や鰐川をわたって鹿嶋市へと入り、「鹿島神宮」へと向かった。
鹿島神宮の創建は、神武天皇即位の年(紀元前660)といわれ、祭神は武甕槌大神。日本の建国神話では、武甕槌大神と香取神宮の祭神・経津主大神は天照大神の命を受けて共に出雲国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就したと伝わる。香取神宮とともに日本屈指の歴史を有する古社である。
社叢の深緑に朱色が鮮やかに映える「楼門」は、寛永11年(1634)に水戸徳川家初代藩主・頼房によって奉納されたもので、日本三大楼門のひとつに数えられる。楼門を入ってすぐ右手に建つ社殿は、元和5年(1619)に徳川2代将軍・秀忠が寄進したもので、本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる。

  • 鹿島神宮の大鳥居

  • 寛永11年(1634)造営の楼門

  • 楼門をくぐると、右手に社殿が建つ

  • 本殿。その背後には神木が立つ

社殿の先には、スギやヒノキ、スダジイ、サカキなど多様な樹々が鬱蒼と生い茂る社叢の中を奥参道がまっすぐに延びていた。300mほど進んだところに鎮座していたのが、武甕槌大神の荒魂を奉祀する「奥宮」。その社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康が本殿として奉納したものを、元和の造営の際に引き移したものだという。
奥宮の後方の道を150mほど行くと、鹿島神宮の大神が降臨した御座とも、地震を起こす大鯰の頭を押さえている鎮石ともいわれる霊石「要石」の神域へと至る。香取神宮にも同じく要石があるが、香取神宮の石は頭頂部が凸形、鹿島神宮の石は凹形という違いがある。
いったん奥宮まで戻ったあとは、奥宮前から北へ延びる坂を下っていく。その先にあるのが「御手洗池」で、古くはこの池のあたりに参道の起点があり、人々は池の水で禊をしてから参拝していたという。今も1日400キロリットル以上の清水が湧き出ており、水底が一面見渡せるほど美しく澄みきった池であった。
/境内拝観自由

  • 森厳な雰囲気の奥参道

  • 奥宮

  • 大鯰の碑

  • 要石。鹿島神宮の石は頭頂部が凹形に

  • 美しく澄みきった御手洗池

鎌足神社

日本の歴史において1200年以上もの間、朝廷の一大勢力として権力を持ち続けた藤原氏。その祖である中臣鎌足は、推古天皇22年(614)に生まれ、大化元年(645)には中大兄皇子(のちの天智天皇)を助けて大化の改新を成し遂げた。
彼の出生地には諸説あり、奈良県の藤原(橿原市)や大原(明日香村)のほか、ここ鹿嶋の地とする伝承も残っている。その生誕地として伝わる場所に建つのが「鎌足神社」で、創建の年代は不明だが、江戸時代には鎌足ゆかりの地とされていたことが文献でわかっている。
こじんまりした境内には、小さな社が建つほか、「大織冠藤原公古宅址碑」と書かれた明治時代の石碑が残っていた。
/境内見学自由

  • 鎌足神社の社

剣聖塚原卜伝の墓

墓地の入口

鹿嶋から輩出された歴史上の偉人ゆかりの地として、「剣聖塚原卜伝の墓」にも足を延ばしてみた。
鹿島新當流の開祖である塚原卜伝は、戦国時代はじめの延徳元年(1489)に鹿島神宮の神職の子として生まれ、幼いころに塚原城主・塚原安幹の養子となった。10代後半〜20代にかけての最初の武者修行の旅以降、生涯で3度の修行の旅を経験。3度目の旅では、京で室町将軍・足利義輝や伊勢の北畠具教など多くの大名や武人に剣を教えたと伝わる。帰国後は塚原城近くの草庵に住み、元亀2年(1571)に83歳で亡くなるまで弟子たちに剣の指南をし続けたという。人々から「剣聖」と呼ばれる所以は、親子や兄弟が争う戦国時代にあって「剣は人を殺める道具にあらず、人を活かす道なり」(活人剣)という独自の剣術思想を説いたためである。
墓は、田園地帯の一画、山裾の小高くなった場所にあった。地元の人たちに大切にされているのであろう、墓のまわりはきれいに掃除され、花が供えられていた。
/見学自由

  • 塚原卜伝の墓

  • 墓地のまわりはのどかな田園風景が広がる

大野潮騒はまなす公園

公園のシンボル、宇宙展望塔

国道51号線に合流したあとは進路を北へ。途中、角折交差点で左折し、「大野潮騒はまなす公園」に立ち寄った。
同公園のシンボルともいえるのが、高さ77mの「宇宙展望塔」。3階の展望フロアは360度ガラス窓になっており、鹿島灘の海岸線をはじめ、筑波山など関東平野を一望にできる。また、1・2階には郷土資料館やプラネタリウムなどの施設も備えていた。
公園は9ヘクタールもの広大な敷地をもち、湧き水を利用した散策路や全長154mもあるジャンボすべり台、広場や野外ステージなどが整備されていた。園名にもなっている「はまなす」は、赤や白の花を咲かせるバラ科の植物で、公園の北にある大小志崎海岸が自生南限地とされている。園内には「はまなす園」もあり、4月中旬〜5月下旬にかけて見ごろを迎えるそうだ。
/展望塔入館料300円

  • 全長154mのジャンボすべり台。鹿島灘に向かって滑り降りていく

  • 展望フロアからの眺め。鹿島灘が一望に

  • 公園内のはまなす園。見ごろは4月中旬〜5月下旬

ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

茨城県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、茨城県の営業所リストをご覧いただけます。

鹿島市
行政情報のほか、鹿島神宮はじめ観光案内、宿泊案内、鹿島アントラーズ情報や潮干狩情報などが見られる。
香取市
香取市の観光スポット、季節のイベントなどを観光情報が見られます。
潮来市
潮来市の観光スポット、季節のイベントなどを観光情報が見られます。

記事・写真:谷山宏典 取材:2018年7月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。