播磨・但馬・丹波〜兵庫周遊の旅〜(2)

朝来市和田山町の竹田地区を目指して国道312号線を北へと走っていると、山頂部に広大な石垣群が築かれた山が見えてきた。それが「竹田城跡」であった。竹田城跡を見物し、古い建物や寺院が残る山麓の町並みを散策したあとは、進路を東へと変えて、隣接する京都府福知山市へと向かう。その途上では、5世紀前半に造られた古墳「茶すり山古墳」や但馬国一之宮「粟鹿あわが神社」などにも立ち寄った。
福知山市では、中心部に入る前に、由良川に沿って走る国道175号線を北上。途中、府道9号線へと入り、元伊勢三社の「元伊勢外宮豊受大神社」「元伊勢内宮皇大神社」「天岩戸神社」を参拝。せっかく大江山近くまで来たのだから″鬼″にまつわるスポットも訪ねようと、「日本の鬼の交流博物館」にも足を延ばした。

ドライブルート

姫路市中心部−書写山−(県道67号線、中国自動車道など)−福崎町−(播但連絡有料道路、国道312・429号線など)−朝来市生野町−(国道312・429号線)−神子畑−(国道429・312号線)−竹田−(国道312号線、県道136・276・275号線など)−山東町粟鹿−(国道9・175号線、府道9号線)−福知山市大江町−(府道9・55号線)−福知山市中心部−(国道9号線、舞鶴若狭自動車道、県道306号線など)−篠山市中心部−(国道372号線、県道292・311・313号線など)−加東市−(県道144・75号線など)−小野市−(県道353・510号線など)−三木市−(県道20号線、国道2号線など)−姫路市中心部

全行程約315km、今回行程約51km

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竹田城跡

JR竹田駅近くの観光駐車場に車を停めて、「竹田城跡」を目指して山を登っていった。登山道は、駅裏登山道(徒歩約40分)、表米神社登山道(徒歩約45分)など複数あるが、時間短縮のため、舗装された南登山道をタクシーで登り、中腹の乗降所から20分ほど歩くコースを採った。
標高353.7メートルの山の頂に位置する竹田城跡は、嘉吉3年(1443)に但馬国の守護大名・山名宗全が家臣の太田垣氏に築かせたのが始まりと伝わる。その後、羽柴秀吉の但馬攻めで落城。現在見られる豪壮な石垣の城郭は、慶長年間のはじめ、当時城主を務めていた赤松広秀の時代に整備された。
城跡を歩いていると、まず何よりその規模と石垣の保存状態のすばらしさに驚かされる。縄張りは南北約400メートル、東西約100メートルにも及び、完存する石垣遺構としては全国屈指の広さを誇る。その広大な敷地には、最高所の天守台を中心に、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配置され、南北の両端に北千畳と南千畳と呼ばれる平場が鳥の双翼のように築かれており、かつての威容をありありと伝えてくれた。
/観覧料500円

  • 県道277号線の竹田交差点付近から竹田城跡を望む。
    山頂の左側に石垣群が見える

  • 竹田城跡の入口。
    山の頂上にあるため、ひたすら登り坂

  • 山頂に着いたときは、周囲は白い雲に包まれていた

  • 堅牢な石垣群が、かつての城郭の威容を今に伝えてくれる

  • 天守台からの眺め。天空の城≠ニいう呼び名にふさわしい絶景!

竹田の町並み

竹田城跡の山麓には、街道沿いの宿場町だった往時の雰囲気を今に伝える古い建物や寺院などが残っている。城跡見物のついでに、一帯を散策してみることにした。
播但線の線路の山側を南北に延びるのは、白壁の塀や松並木が美しい寺町通り。通り沿いには小川が流れ、竹田城に縁のある4つの古刹が建ち並んでいた。

  • 白壁の塀と松並木が続く、寺町通り

  • 治水と防火のため、江戸時代に造られた用水路。「絹屋溝」と呼ばれる

駅前を通る県道104号線と県道277号線が合流する場所に建つ古い建物は「旧木村酒造場」。木村家は、武田信玄の家臣であった飯尾氏を祖とし、江戸時代初期の寛永2年(1625)頃に竹田に移り住み、以来但馬地方を代表する酒蔵として栄えてきた。酒造りは昭和54年(1979)に休業してしまうが、その建物は現在「旧木村酒造場EN」としてリノベートされて、ホテル、レストラン、カフェ、ワークショップのスペースなどを備えた複合施設として営業している。

  • 明治初期の造り酒屋の建物をリノベートした「旧木村酒造場EN」

  • 旧木村酒造場の内部。主屋は天井が高く、重厚な雰囲気

  • 旧木村酒造場の中庭。ホテル、レストラン、カフェのほか、
    敷地内には情報館「天空の城」がある

  • 竹田地区がある但馬地方の名物といえば「但馬牛」。
    近隣のレストランで堪能できる

茶すり山古墳

国道312号線を加都北交差点で右折。県道136号線へと入り、東へ2キロほど走ると、道路の左手に小高い円形の丘が見えてきた。それが「茶すり山古墳」だった。
茶すり山古墳は、直径約90メートル、高さ約18メートルの円墳で、近畿地方では最大規模を誇る。5世紀前半に造られたと考えられており、古墳の頂上の2つの埋葬施設からは4面の鏡や武具など数多くの副葬品が見つかっている。 頂上へと登っていくこともでき、斜面中ほどのテラスや頂上の外周には往時の様子を再現すべく、たくさんの埴輪が並べられていた。頂上からは周囲の田園風景や山並みもよく見渡せて、隠れた展望スポットと言ってもよいのではないだろうか。
/見学自由

  • 県道136号線のすぐ脇にある

  • 頂上の外周には埴輪を並べ、往時の雰囲気を再現している

  • 埋葬施設のひとつは、ガラス越しに内部の様子を観察できる

  • 古墳頂上からの展望。田園や山々の景観が美しい

粟鹿神社

参道。奥に見える2つの門は「勅使門」(右)と「随身門」(左)

茶すり山古墳からさらに東へ5キロほど車を走らせると、但馬国の一之宮「粟鹿神社」へと着く。
創建は今から2,000年以上前の崇神天皇の頃といわれ、但馬最古の社だと伝わる。道路沿いの石鳥居をくぐり、参道へ入っていくと、2つの門が見えてくる。手前は「勅使門」と呼ばれ、朝廷の勅使が神社に参向する際に出入りする門であった。記録では、国家の大難に際して4回の勅使参向があったとされ、同社への朝廷の崇敬の高さがうかがえる。先の門は「随身門」で、こちらから境内の奥へと進んでいく。
訪れた時間が早かったこともあり、境内には人の姿はなく、ひっそりと静まり返っていた。入って右手には古色蒼然たる社殿が鎮座する。祭神は、第9代開化天皇の第三皇子である日子坐王ひこいますのおうのほか、阿米弥佐利命あめのみさりのみこと彦火々出見命ひこほほでみのみこと。境内にはほかに天満宮や厳島神社、稲荷神社などが鎮座し、スギやヒノキの巨木が立つ広大な社叢に囲まれて、森厳な雰囲気に包まれていた。

  • 厳かな雰囲気の社殿

  • 社殿の両脇を守る狛犬

  • 本殿裏の塚は、日子坐王が葬られた御陵だと伝わる

  • 社叢の小高い場所に祀られた稲荷神社。社叢林は1540坪もの広さがある

  • 地面や木々は苔むし、境内には静謐な空気が流れていた

當勝神社

當勝まさかつ神社」は、粟鹿神社から南へ1キロほどのところに鎮座する。創建は奈良時代の天平2年(730)と伝わり、およそ1,300年の歴史を有する古社である。祭神として、開運繁栄の神、万物造成の神、織物の神の三柱を祀る。
「當勝」という社名が「當(当)たる」「勝つ」と読めることから、試験合格のご利益があるとされ、當勝天神を祀る社殿左側の古宮(旧本殿)には学生や受験生の絵馬がたくさん奉納されていた。また、拝殿を飾る獏や獅子、龍や鳳凰などの彫刻がすばらしかった。

  • 参道を行く。朱色の鳥居の奥に見えるのが、随身門

  • 拝殿。手前はモミジで、秋には紅葉が美しそう

  • 見上げれば、拝殿の欄間や妻壁には精緻な彫刻が施されていた

  • 當勝天神を祀る古宮(旧本殿)は、
    合格祈願、必勝祈願の社として有名

元伊勢外宮豊受大神社

兵庫県朝来市は県北部にあって、京都府と県境を接している。せっかくなので、県境を越えて京都の福知山市にも足を延ばしてみることにした。
国道9号線を走って福知山市へと入ると、市の中心部に向かう前に、途中で国道175号線に移って北上。「元伊勢三社」を目指した。元伊勢とは、今から2,000年以上前に皇祖神である天照大神のご神体を大和から伊勢に移す際に一時的に祀ったという伝承が残る場所のことで、近畿や東海地方にいくつか点在している。福知山市北部の元伊勢三社は「元伊勢内宮皇大神社」「元伊勢外宮豊受大神社」「天岩戸神社」の3つの神社を指す。最初に参拝したのは、国道175号線から県道9号線に入って1キロほどのところにある「元伊勢外宮豊受大神社」だ。

同社は、天照大神の食事を司る農業の神「豊受大神」を祀り、伊勢神宮外宮の元宮といわれている。急な石段を登って境内に入っていくと、中央に拝殿と本殿、その左右には土宮、多賀宮が鎮座していた。本社社殿のまわりには数多くの境内社が並び、その後方一角には月宮と風宮も祀られていた。豊受大神を祀る正宮のほか、土宮、多賀宮、風宮、月宮という別宮を祀る構成は、伊勢神宮と同じである。また、神社のそばを流れる川は宮川という清流で、その名からも伊勢とのつながりを感じさせられた。

  • 境内中央に本社社殿(拝殿・本殿)、
    その両脇に土宮(右)と多賀宮(左)が鎮座する

  • 茅葺の本殿。建物は明治7年(1874)の建造

  • 社殿のまわりには、境内社がずらりと並ぶ

  • 境内のそばを流れる宮川

元伊勢内宮皇大神社と天岩戸神社

参道入口の石柱

「元伊勢内宮皇大神社」は、元伊勢外宮豊受大神社から北へさらに3キロほど車を走らせたところにある。杉の古木が立ち並ぶ鬱蒼とした山の中を登っていくと、厳かな霊気漂う境内へと入っていく。全国で2つしか例がないという黒木の鳥居(樹皮のついたままの鳥居。同社のほかに京都・嵯峨野の野宮神社にある)の奥に、茅葺神明造りの社殿が鎮座していた。伊勢神宮より先立つこと50年余り前、ここに天照大神が祀られていたのだ。社殿の両側には脇宮2社、周囲には皇大神ゆかりの摂社や全国の一之宮を集めた80の小宮が祀られていた。

  • 鬱蒼とした林が続く参道

  • 皇大神社の社殿。手前は黒木の鳥居

  • 参道途中に立つ「麻呂子杉」。麻呂子親王は用明天皇の第三皇子で、鬼退治伝説が残る

「天岩戸神社」へは、元伊勢内宮皇大神社から歩いていくことができる。林道の途中、樹林の開けた場所には、岩戸山(日室岳)の遥拝所があった。岩戸山は三角錐の端整な山容で、神霊降臨の神山とされている。夏至の日には、山頂に太陽が沈む神秘的な光景も見られるそうだ。
林道をさらに進んでいくと、谷に向かって下りていく急な階段が現れる。その階段を下りていった先、まさに幽境という言葉がふさわしい岩戸渓谷の峻険な岩盤の上に、天岩戸神社の小さな社が祀られていた。祭神である櫛岩窓戸命と豊岩窓戸命は門を守る岩石の神。社殿背面にある巨石は「御座石」という名で、神が天降り座したところといわれている。また、御座石から岩戸渓谷を隔てた下手には「神楽石」と呼ばれる石もあった。

  • 岩戸山(日室岳)の遥拝所。岩戸山は神霊降臨の神山とされる

  • 渓谷の底に向かって、急な階段を下りていく

  • 岩盤の上に祀られた天岩戸神社

  • 鎖を伝って岩盤を登る。
    登り下りに不安がある人は無理をせず、下から参拝しよう

日本の鬼の交流博物館

道路脇に立つ鬼の像が道案内をしてくれる

福知山市の北端に大江山という山がある。大江山といえば、やはり酒呑童子伝説が有名だろう。平安時代、酒呑童子を頭目とした鬼の一味が京の都で乱暴狼藉を働いたため、一条天皇の命を受けた源頼光、藤原保昌らが山伏姿に身を変えて、鬼たちが住み着く大江山へ潜伏。酒呑童子たちを酒に酔わせて、見事討ち果たした、というのがその物語である。大江山近くにきたのだから″鬼″にまつわるスポットも訪ねてみようと、山麓の「日本の鬼の交流博物館」に向かった。

  • こちらは山伏姿の源頼光ら鬼退治の一行

  • 博物館の外観。鬼の二本角をイメージしているのだろうか

「日本の鬼」のコーナーでは、鬼面と写真で「祀られる鬼」「暮らしの中の鬼」「節分の鬼」「民俗芸能の鬼」などテーマごとに日本の鬼を紹介。世界各国の仮面を展示した「世界の鬼」のコーナーもあった。「鬼瓦のうつりかわり」のコーナーでは、日本の代表的な鬼瓦の複製や実物を約50個展示。大江山に伝わる3つの鬼伝説も紹介されていた。展示はどれも鬼、鬼、鬼・・・まさに鬼尽くしのユニークな博物館であった。
/入館料320円

  • 「日本の鬼」コーナー。さまざまな鬼面や写真を展示

  • 東北の山里に伝承される鬼のわら人形

  • 「世界の鬼」コーナー。さまざまな異形の仮面を展示

  • こうして各地の鬼瓦を見比べると、
    鬼瓦にもいろいろな顔があることがよくわかる

  • 大江山平成の大鬼。世界一の鬼瓦を目指し、
    130のパーツに分けて製作された。高さ5メートル、重さは10トン

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記事・写真:谷山宏典 取材:2018年9月

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