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山陽道・歴史をたずねて(1)

ドライブライン
今年(平成26年)のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公、黒田官兵衛の生まれ故郷である姫路から、播磨・備前・備中を貫く山陽道を倉敷まで走った。この間、山陽自動車道で約100kmだが、主に国道2号線および旧街道や多くの寄り道をしたため、いつもながら数倍の距離を走ることになった。
この地域は、国宝であり世界遺産でもある姫路城や蔵の町として有名な倉敷の町並みなどを除き、あまり観光地として扱われてこなかった史跡などが多いところ。だが今年の大河ドラマの影響でにわかに脚光を浴びている。しかし、地元の人すら忘れかけていたような史跡は、急に注目されても、多くは幹線道路から外れた交通の便の悪いところにあることに変わりはない。
エレベーターで昇り修理中の天守閣の屋根を見る
そこで活躍するのがレンタカーだ。ニッポンレンタカーは乗用車・ワゴン車にカーナビを標準装備している。これを活用すれば、目的地へは簡単にいくことができる。しかし、注意したいのは、ナビに登録されていないところも結構多くあり、また車を降りて徒歩でなければ行き着くことができないところもある。いつものことながら地図を読み、自分の足で歩き、目で確かめ、心で感じる旅を楽しんでいるが、今回もまた地元の人に尋ね、教えられ、新しい発見の多いところであった。
サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6
ドライブライン
<コース>
姫路−姫路城周辺−(国道2号線)−旧閑谷学校−(国道2号線)−備前−岡山−岡山周辺−(県道40号線)−児玉−岡山−(国道180号線)−総社−岡山−(国道2号線)−倉敷−(山陽自動車道)−姫路
行程 約430km
<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>

姫路城
市の中心部の「姫山」(標高約45m)の丘の上にそびえる別名白鷺城といわれ、国宝であり、ユネスコの世界遺産にも登録されている日本の誇る名城だ。
修理中の姫路城天守(曲輪から)
修理中の姫路城天守(曲輪から)
堀を渡って城門を入る(天守はテントに覆われている)
堀を渡って城門を入る(天守はテントに覆われている)
入城口である菱の門
入城口である菱の門
穴門。正門を通らず抜け道の門
穴門。正門を通らず抜け道の門
連立式天守をはじめとする独特の建築構造を持つ美しい形でありながら、要塞として精巧な意匠と工夫を凝らし、巧みな機能を持つ。築城400年の歳月が経ちながらも保存状態も良く保たれた城として世界的にも高い評価を得ている。

正平元年(1346)赤松貞範により築城されたと伝えられている。当時は砦や館のような小規模なものだったが15〜16世紀にかけて、黒田氏や羽柴氏が城代になり、山陽道の交通の要衝が姫路に置かれると、本格的な城郭に整備拡張された。その後、関ヶ原の戦いが終わると、城主・池田輝政により城は本格的に改築され今日見られるような城となった。

現在姫路城は、平成21年秋から大天守保存修理工事が行われ、天守内には入ることができない。その他の西の丸や二の丸の見学はできる。また大天守の修理現場を観ることができる見学施設「天空の白鷺」がある。
見事な石垣が続く
見事な石垣が続く
化粧櫓
化粧櫓
千姫の休息所だった化粧櫓内部
千姫の休息所だった化粧櫓内部
江戸、明治、昭和と天守のシャチホコは修復のたびに変わった
江戸、明治、昭和と天守のシャチホコは修復のたびに変わった
鎧武者が展示されていた
鎧武者が展示されていた
エレベーターで昇り修理中の天守閣の屋根を見る
エレベーターで昇り修理中の天守閣の屋根を見る [+拡大]
歴代城主の紋瓦
歴代城主の紋瓦
「天空の白鷺」は天守の側面につくられた足場のような建物にエレベータが付けられ8階の高さまで上る。7階と8階からは天守の屋根修理、壁面修理などの職人による伝統技術を観ることができるとともに、姫路の町の景観も満喫できる。ただし、大天守の修理が完了するのが平成26年度予定のため、「天空の白鷺」は平成26年(2014)1月中頃で閉鎖される。
代わって城内は「官兵衛の歴史館」となり、黒田官兵衛にまつわる資料などが特別展示される。
/入館料400円、TEL 079-287-3681
天守閣修理ビルから城内と曲輪を見る
天守閣修理ビルから城内と曲輪を見る
廣峯神社
今からおおよそ二千年余り前、崇神天皇の時代、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と五十猛尊(いそたけるのみこと)を白幣山に祀ったことからはじまった。社伝では神功皇后が三韓征伐に出兵の途中、この地に寄り白幣山に登り素戔嗚尊に勝利を祈り、願い叶ったあかつきに、感謝を込めて小宮を建立したと伝えられている。
廣峯神社の随神門
廣峯神社の随神門
廣峯神社拝殿(重文)
廣峯神社拝殿(重文)
平安時代には陰陽師たちが崇拝する聖地となり、鎌倉時代には勝利の神として、また御利益あるありがたい神社として全国的に知られるようになった。当時の様子は紀州の熊野詣にも劣らないほどの人気であったと記録にも残されている。

そして時代は下って中世、黒田官兵衛の祖父重隆は仕官することもかなわなかったころ、仕官の道を探すため広峯神社にたびたび参拝に訪れるかたわら、黒田家秘伝の目薬を売っていた。やがて黒田の目薬は良薬として評判も高く商売繁盛、財をなしたと同時に、念願の武士として、小野家に仕えることになった。ここから黒田家の武士としての歴史が始まる。
本殿(重文)
本殿(重文)
本殿は室町時代、拝殿は桃山時代の建築で寛永3年(1626)姫路城主本田忠政が再建したもの。随神門下にある宝篋印塔(ほうきょういんとう)は南北時代のもので、ともに国の重要文化財だ。

拝殿の横には享保2年(1717)に作られた木製の馬に引かせる神輿がある。かつては御幸があったが、今は生きた馬の代わりに木で造られた馬が、車に積まれた神輿を引く形で保存されている。境内には黒田家ゆかりということから目薬の木も植えられている。
享保2年(1717年)の神輿は木製の馬に引かせて保存されている
享保2年(1717年)の神輿は木製の馬に引かせて保存されている
廣峯神社から姫路市街と瀬戸内海を見る
廣峯神社から姫路市街と瀬戸内海を見る
室町時代(1500年頃)の寶筺印塔(重文)
室町時代(1500年頃)の寶筺印塔(重文)
御着(ごちゃく)城址
姫路城から国道2号線を東へ約5km、妻鹿(めが)にある播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城跡。天正6年(1578)羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡したとされていたが、16世紀後半まで存続していたことが最近の発掘調査で判明。城の中核に本丸と二の丸、西と南は天川を利用した二重の堀、北と東には四重の堀、外郭部には家中屋敷や町屋の記載された絵図も残されていた。
現在は城跡の中央には国道2号線が走り、本丸跡には城を模った建物の姫路市役所東出張所と公民館が建ち、周囲は御着公園となっている。公園内には黒田家の廟所があり官兵衛の祖父重隆と生母明石が祀られている。
御着城址。城に見えるのは姫路市東出張所
御着城址。城に見えるのは姫路市東出張所
黒田家廟所
黒田家廟所
移築された石造りの太鼓橋
移築された石造りの太鼓橋
公民館の裏には文政11年(1828)、姫路藩が旧西国街道の天川に架橋した総竜山石製の全長約26mの太鼓橋がある。昭和47年(1972)の洪水により中央が崩れたため、現在は旧西国街道より200m離れたこの公園に移築された。
国道2号線に挟まれた向かいは、かつての西国街道で、古い町並みが残されている。また町の北、小高い丘の上には官兵衛の父・職隆が毛利水軍を監視するために構えたといわれる「国府城」跡がある。官兵衛が秀吉に姫路城を譲ったあと、ここを居城とした。そのため城下には黒田官兵衛ゆかりの寺や資料館なども点在する。
旧西国街道と御着の街並み
旧西国街道と御着の街並み
小寺氏居城跡には、小寺大明神が鎮座
小寺氏居城跡には、小寺大明神が鎮座
旧閑谷学校
庶民の学校・地方のリーダーを育てる学校として寛文10年(1670)に藩主池田光政により創立された。現在の講堂をはじめ堅固な石積塀に囲まれた建物は、元禄14年(1701)に建築されたもの。
鶴鳴門と呼ばれる校門を入ると正面には孔子を祀る廟と学校の創設者である池田光政を祀る閑谷神社がある。その左には入母屋造りに備前焼瓦を乗せた大屋根の壮麗な講堂が建つ。この建物は国宝である。
旧閑谷学校校門(右)と講堂
旧閑谷学校校門(右)と講堂
孔子を祀った聖廟
孔子を祀った聖廟
学校の創設者、池田光政藩主を祀った閑谷神社
学校の創設者、池田光政藩主を祀った閑谷神社
奥には学舎や学寮を隔てる樹木のない人工の丘が築かれている。これは学寮などから万一、火災があっても、現在は国宝や重要文化財となっている建物を火災から守るための工夫である。さらに校地を取り巻く石塀の石組みは「切り込みはぎ式」とよばれる精巧なもので、このような構造物は他になく、長さ765mの石塀は閑谷学校独特の景観を見せてくれる。
さらに敷地内へと入る最初の校門は元禄10年(1697)に建てられた3.8mもの高さを誇った石柱だったが、現在は地中深くに埋もれ地上に1mほど残すのみとなった。
/入館料 400円、TEL 0869-67-1436
閑谷学校の講堂
閑谷学校の講堂
磨き上げた床が見事な講堂内部
磨き上げた床が見事な講堂内部
学校を取り巻く石塀
学校を取り巻く石塀
石門。元禄10年(1697)に校門として造られた
石門。元禄10年(1697)に校門として造られた
備前焼の里
国道2号線にそったJR赤穂線伊部駅を中心に、備前焼の窯元やギャラリーが集まり、新旧の職人たちが腕を競う焼物の里として知られている。備前焼は歴史が1000年以上もあり、中世六窯といわれた瀬戸・常滑・丹波・越前・信楽・備前の中で最も古い窯だ。特徴は1200度以上の高温で10日から2週間以上かけて焼き続けること。そのため炎や灰などによる土の変化に美を見出す。釉薬もかけず絵付けもしない土の風合いが持ち味であり、それだけに価値も高い。
「焼き物は土が命だが、備前に限らずその元である土が不足、職人たちはデザインを競うようになった」とは、ある窯元の若いアーティストの話。
美術品から日用品、置物、小さいものでは箸置きまで手頃な作品も多い。軒を連ねる窯元とその作品を並べた窓や飾り付けを眺めるだけでもかなりの時間が必要だ。
静かな備前焼の里
静かな備前焼の里
旧道には備前焼の窯元、専門店が並ぶ
旧道には備前焼の窯元、専門店が並ぶ
天津神社は山門の屋根、壁、参道まで備前焼
天津神社は山門の屋根、壁、参道まで備前焼
店先の展示を見ていて飽きない
店先の展示を見ていて飽きない
岡山県備前陶芸美術館
伊部駅前にあり、古備前から人間国宝の備前焼作品まで幅広く展示されている。また備前焼の歴史から制作工程などを作品や写真で紹介している。
国道2号線をはさんだ前の「備前焼伝統産業会館」では、備前焼展示即売場があり観光情報センターも併設している。
/美術館入館料 700円、TEL 0869-64-1400
産業会館 TEL 0869-64-1001
備前陶芸美術館
備前陶芸美術館
備前長船刀剣博物館
備前国は、砂鉄の産地である中国山地や美作から、吉井川の水運により豊富な原料が運ばれていた。長船は鎌倉〜室町時代にかけて「鍛冶屋千軒」と呼ばれるほど多くの刀匠が住んでいたところ。しかし、16世紀吉井川の大氾濫で町は壊滅、多くの刀匠や工房も流され、一時は鍛冶屋も少なくなったが江戸時代の岡山藩主池田家のお抱え刀匠が長船鍛冶の伝統を守り続けた。こうして受け継がれてきた刀匠たちの情熱や伝統を守りつづけた日本刀の技がここに伝わっている。
日本刀ができるまでの多くの行程や道具、見事に出来上がった日本刀や懐剣などが展示されている。さらに1300度の高熱と刀打ち職人の作業が毎月第2日曜日に公開されている。
/入館料 500円、TEL 0869-66-7767
備前おさふね刀剣の里へ寄った
備前おさふね刀剣の里へ寄った
日本刀、切れそう!
日本刀、切れそう!
短刀
短刀
備前福岡の市
吉井川沿いにある鎌倉時代から栄えた山陽道第一級の都市だった町。九州の筑前福岡の地名は、黒田氏がここから福岡に城を構えたことから由来している。山陽道と吉井川が交わるところで、農産物・海産物・備前焼から刀などが取引された市場として栄えたが、吉井川の氾濫で次第に寂れていったという。
それでも七小路の広い道路や共同井戸などとともに、古い寺や町屋などの町並みを残す静かな町である。ところが最近になって黒田官兵衛の曾祖父の墓所のある妙興寺は、急に訪れる人も多くなり、まだ受け入れ準備もされていないと寺の人の話だったが、墓地には真新しい説明版が立てられていた。
妙興寺の境内には官兵衛の曾祖父と祖父の墓の他、岡山城を築城した宇喜多直家の父・宇喜多興家の墓もある。歴史マニア以外知る人も少なかった町も、テレビドラマの舞台になったことを機会に、多くの人が訪れる町にしたいと、中世の賑わいを再現した朝市が毎月第4日曜日に開催される。
備前福岡の妙興寺
備前福岡の妙興寺
福岡の共同井戸跡
福岡の共同井戸跡
黒田家墓地。右奥が官兵衛の祖父の墓石
黒田家墓地。右奥が官兵衛の祖父の墓石
官兵衛さんのお土産が多い
官兵衛さんのお土産が多い

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姫路城公式ホームページ(姫路城大図鑑)
姫路市サイト内。姫路城の案内や歴史などのほか、修理期間中の見学ルート情報を掲載している。
特別史跡旧閑谷学校
閑谷学校の概要や案内のほか、「閑谷かわら版」やリーフレットのPDFも見られる。

取材:2013年12月
※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。