ニッポンレンタカーHOME > 旅のお役立ちガイド > ドライブガイド > 明治大正ロマン・歴史の町小樽と余市

明治大正ロマン・歴史の町小樽と余市

ドライブライン

倉庫と運河 北海道はもうすぐ冬が駆け足でやって来る。広大な大地が白銀の世界に染まるちょっとその前に、大きな目的もないままに札幌へと飛んだ。千歳空港からレンタカーで高速道路を一気に華やかな観光地小樽の町へと走った。
小樽は函館と並んで江戸時代から交易港として栄え、明治維新以降、欧米列強に並ぶ国家建設を目指すにあたり、産業革命に必要な石炭資源を幌内地区から運ぶため、北海道で最初に鉄道が敷かれたところでもある。
現在も小樽市には運河沿いに並ぶ倉庫群に代表される歴史的建造物が多数あり、明治時代にタイムスリップしたような街並みは、四季を通して人気のあるところ。隣り町余市もまた、江戸時代交易の跡や当時の運上家、ニシンの漁場として繁栄した当時の建造物をいまに残す。その他、縄文時代の岩盤彫刻など、古代人の文化遺産も覗くことができる。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
千歳空港−(道央自動車道)−(札樽自動車道)−小樽−(国道5号線)−余市−小樽−千歳
行程 約180km


<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>



●小樽運河

小樽の観光スポットになくてはならない運河は、大正3年(1914)に着工し、9年の歳月をかけ同12年(1923)に完成した。特徴は「埋め立て式運河」と呼ばれ、内陸に水路を掘ったのではなく、沖合を埋め立て陸との間にできた運河だ。大型の船は直接運河に入らず海上に停泊し、船舶から艀に荷物を積み、艀から人によって倉庫へ荷揚げをしていた。
最盛期には千数百にものぼる人夫が威勢よい掛け声とともに働いていたが、第二次世界大戦後には樺太(サハリン)との交易が途絶え、また港湾の近代化などにより運河利用は衰退の一途を辿った。

昭和40年(1965)代に入ると、使われなくなった運河はヘドロが溜まり悪臭を放つようになった。このころから不用となった運河を埋め立て道路にするという市側の方針に対して、保存派との意見が折り合わないまま、昭和58年(1983)埋め立て工事に着手、妥協案として半分を埋め立て散策路やガス灯などが整備された。
結果的には、当時の風景を残す北運河よりも、運河の半分を埋め立て、両岸にレンガ造りの重厚な倉庫が並ぶ方に人気が集まり、平成8年(1996)には都市景観100選を受賞した。
小樽運河
小樽運河

●運河に並ぶ倉庫群

運河の完成と同時に両岸には、当時の貿易商社の倉庫が建てられた。最も古いものは、運河完成以前から続く明治25年(1892)建造された木骨石造りとレンガの旧小樽倉庫をはじめ、明治・大正・昭和初期に建造された赤レンガや石積み、コンクリートの建物が並ぶ。現在も倉庫として使われているものもあるが、多くは外装は昔の面影を残し、内部は様々な用途に改装されている。しかし、運河の水面に映える古い倉庫群は小樽を代表する景観だ。
ガス灯の付いた散策路の裏側に廻ると風景は一変、改造された内部はレストラン、カフェ、ビアホールからガラス工房、雑貨商などの店に再利用され、カラフルな色彩や趣のある店づくりがされている。

倉庫と運河
倉庫と運河
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

倉庫群が影を落とす
倉庫群が影を落とす

小樽倉庫のビヤホール
小樽倉庫のビヤホール
ビヤホール内部
ビヤホール内部

●浅草橋

運河と倉庫群を眺めるビューポイント、記念写真を撮るにも最適とあっていつも混雑している。橋の上には観光案内所もあり、観光人力車の乗り場でもあるところから運河観光の中心部ともいえる。
この浅草橋から北へ向かう通りは“日銀通り”と呼ばれるところ。旧日本銀行小樽支店をはじめ、旧北海道銀行、拓殖銀行などの金融関係の建物が多く建ちかつては北のウォール街とも言われた。
運河プラザ。案内所がある
運河プラザ。案内所がある

小樽浪漫館。旧百十三銀行小樽支店
小樽浪漫館。旧百十三銀行小樽支店
かつての拓銀はホテルになっていた
かつての拓銀はホテルになっていた

現在はホテルになっている旧拓殖銀行は、大正12年(1923)、国会議事堂を手がけた建築家、矢橋賢吉の設計。優雅な曲線を描いた石造りで、内部は古典的な円柱が立つ吹き抜けとなっている。また旧北海道銀行(現在の北海道銀行とは無関係)は大正時代の建造物だが、現在はレストランになっている。

●旧日本銀行小樽支店(金融資料館)

日本橋にある日本銀行本店をはじめ全国各地に数多く建築作品を残し、日本の近代建築の礎を築いた建築家、辰野金吾とその弟子である長野宇治平治が設計。
屋根は5つのドームを配したルネッサンス様式を取り入れた外観が特徴。外壁はレンガの表面にモルタルを塗り石造り風で、鉄骨やコンクリートなど当時では新しい技術を取り入れた。
内部窓口のカウンターやロビー周辺は岐阜県産の大理石が使われている。1階の天井は高さ約10mの柱のない吹き抜けになっていて、内部の大きさが感じられる。その内壁には12体、外壁に18体のアイヌの主神シマフクロウをモチーフにした塑像の装飾がある。これは夜間にフクロウが見守っている、という意味も込められているそうだ。

旧日銀小樽支店。今は金融資料館になっている
旧日銀小樽支店。今は金融資料館になっている
日銀時代の大金庫
日銀時代の大金庫

この歴史的な建物の雰囲気を活かしながら、日本銀行の歴史や業務、金融の仕組みを分かりやすく解説してくれる。
とくに興味をそそられたのは、実際に平成14年(2002)まで使用していた金庫や、そこに1億円の束とそれを400億円積み上げたと仮定した実物大見本を見せてくれるコーナーだった。
/入館料 無料、TEL 0134-21-1111
1億円の札束はこの大きさ
1億円の札束はこの大きさ

●歴史的建造物が多い色内・堺町通り

古い建物を利用した商店
古い建物を利用した商店

現在なお漁家、倉庫、店舗、料亭、寺院など歴史的建造物が多く残され、それぞれに当時の最先端の技術とデザインが施されている。これらは優れた文化財として68件が市の「歴史的建造物」に指定されている。
主に倉庫群や銀行などだが、運河から一筋内陸側に入ったこの通りには、商店や問屋街ということもあり、古い店舗や会社事務所などの歴史的建造物が並ぶ。

大正ガラス館
大正ガラス館
ガラス細工は見事
ガラス細工は見事

岩永時計店
岩永時計店
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

蔵造りの家が生かされている
蔵造りの家が生かされている

市指定の歴史的建造物はほとんどが、内部を改装し、特産物や雑貨、ガラス商品などを商う店やレストランやカフェなどとなっている。だが、指定された建物には、「歴史的建造物」と書かれた銅板が家の外壁に貼られている。さらに紫色に白ぬき文字の説明板があり、建築年、構造、デザインなど建物の特徴と当時の店で扱っていた商品や、なかには働いていた人々の様子まで描かれているものもある。
運河からこの2筋の通りを散策し、再び運河へと戻るのが代表的な小樽の観光ルートだ。
運河館。昔のモノが展示されている
運河館。昔のモノが展示されている

ガラス細工の店
ガラス細工の店
昆布屋さんの店内
昆布屋さんの店内

飲食店も古い建物を利用
飲食店も古い建物を利用
この家は喫茶店です
この家は喫茶店です

沢山の店が入っている小樽運河食堂
沢山の店が入っている小樽運河食堂
ガラス工房
ガラス工房
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)


●フゴッペ洞窟

昭和25年(1950)札幌市の少年が発見した土器片がきっかけとなって、続縄文期に属するおよそ1〜5世紀の刻画が描かれた洞窟遺跡が発見された。岩壁に刻まれた絵の他に、土器や石器、動物や魚の骨が多くあった。描かれた岩面刻画は約800点にも及ぶという。人物像やその人物が角や翼を用いて仮装したと思われるもの、その他、舟や4本足獣、魚などもある。これに類似したものは、小樽市にある手宮洞窟だけで、他に国内にはない。

2つの洞窟刻画と類似したものは、遠くアムール川流域や中国最東部、朝鮮半島北部など日本海側で舟や角を持った人物が数ヵ所みられることから、日本海を囲んで、大きな交流があったのではと考えられている。
残念なことに洞窟の入り口には立派な建物が建ち、洞窟内は暗く、絵と思われる箇所に薄暗い光が当ててあるだけで、一般の人には形すらよくわからない。もちろん撮影は禁止だ。国指定史跡。
/入館料 300円、TEL 0135-22-6170
フコッペ洞窟は建物に覆われ暗いライトで壁画を見る
フコッペ洞窟は建物に覆われ
暗いライトで壁画を見る


●忍路環状列石(ストーンサークル)

忍路環状列石
忍路環状列石
環状列石標示
環状列石標示

小高い山の麓に大きな石を円形状に並べた遺構(ストーンサークル)が文久元年(1861)に発見された。約3500年前の縄文後期のもので、直径は約33m、東西約22mの楕円形に2〜3m幅に石が環状に置かれている。
近くには西崎山環状列石があり、ここも大小100個の自然石群からなるストーンサークルで、共に国指定史跡だ。西崎山へは大きな駐車場もあって、訪ねる観光客も多いが、こちらは地元の人に尋ねても分かり難いところにある。余市の観光協会で場所と行き方を調べてから出かけると良い。
/余市観光協会、TEL 0135-23-2116

●旧下ヨイチ運上家

運上屋
運上屋

江戸時代松前藩は渡島半島の南端(現江差、松前、函館周辺)に位置し、農業は成り立たず蝦夷地の砂金や木材などの産物の交易品、それに伴う交易船からの税金が主な収入だった。交易は運上金を払った商人が請け負い、商人は蝦夷地における漁業の権利を得ることになった。
運上家は場所請負人竹屋林長左衛門が、嘉永6年(1853)に改築した当時の古図面をもとに復元されたもの。広い敷地に番人のいる番屋を置き、出稼漁者らを監視し、運上家を拠点に交易が行われていた。
幕府は、2度にわたり蝦夷地を直轄し、場所の直営や航路開発なども行った。文化3年(1806)に目付遠山景晋(金四郎)、勘定奉行“遠山金さん”の父も下ヨイチ運上家に派遣され数日滞在したという。内部には実物大の人形で当時の様子を再現している。国の重要文化財に指定されている。
/入館料 300円、TEL 0135-23-5915

運上屋へは幕府からの役人が監視に来た
運上屋へは幕府からの役人が監視に来た
運上屋、当時の様子
運上屋、当時の様子

●よいち水産博物館

地域の基礎をつくったニシン漁などの漁労具や、生活用品などが展示されている。
かつてはアイヌ民族の居住地であった蝦夷地“ヨイチ”は、江戸時代の早い時期から、松前藩との交易をし、明治時代まではその主な輸送路は海上であった。そのため航海の安全を祈願して神社に奉納された船絵馬や北陸地方を母港とする北前船の模型などもある。その他、アイヌの衣装や熊の毛皮で作られた防寒具など珍しいものも展示されている。
/入館料 300円、TEL 0135-22-6187
松前藩はアイヌとの取引で毛皮なども納めた
松前藩はアイヌとの取引で
毛皮なども納めた


●旧余市福原漁場

余市から積丹半島までの日本海沿岸は江戸時代からニシン漁で賑わったところ。この史跡は、明治時代に福原家が経営していた漁場建築群である。親方や家族、漁夫が寝起きしていた主屋の他、米味噌倉、漁に使われる網や浮きなどを入れた網倉、製品にしたニシンを保管した石蔵など8棟が復元されたもの。国の指定史跡だ。
/入館料 300円、TEL 0135-22-5600

福原漁場の広間
福原漁場の広間
表示板
表示板

●積丹半島

ちょっと足を延ばして、奇岩、巨岩とさまざまな岩礁に魅せられて、乙女の化身ともいわれる神威岩まで車を走らせていた。トンネルが多いが、それだけに突然開けた青い海に浮かぶさまざまな形の奇岩や岩礁がフロントガラスを額縁に一瞬の名画を見せてくれる。

ローソク岩
ローソク岩
豊浜トンネルは平成8年に崩落事故があった
豊浜トンネルは平成8年に崩落事故があった

余別川。サクラマス、鮭などが遡上する
余別川。サクラマス、鮭などが遡上する
余別の民宿。ソイ、ブリの刺身、鱈の鍋など
余別の民宿。ソイ、ブリの刺身、鱈の鍋など

島武意海岸
島武意海岸
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

しゃこたんの湯
しゃこたんの湯

途中、島武意(しまむい)海岸に寄り道。駐車場から人二人がやっと並んで歩ける位の小さなトンネルを抜けると、透明度が高くシャコタンブルーといわれる海と岩礁、岩峰が出現する。「日本の渚100選」にも選ばれた神秘的なまでに美しい海岸だ。
神威へは変化に富んだ海岸線の続く快適なドライブコースだ。神威岬まで、余市から約30km。好天に恵まれたら、車を走らせたいところである。
神威岬への道
神威岬への道

海上からの神威岬と神威岩
海上からの神威岬と神威岩
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

神威岬
神威岬



○ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

○北海道内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、北海道内の営業所リストをご覧いただけます。


小樽市観光協会
観光協会会員のブログやFacebookとのリンク、小樽観光DVD「DISCOVER小樽」のダイジェスト版も見られる。
余市町 余市観光協会
余市町のみどころや宿泊施設などを紹介しているほか、観光マップや壁紙画像のダウンロードもできる。

取材:2011年10月

※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。