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そうだ「北へ」行こう・道北の秋(2)

ドライブライン

間宮林蔵立像と最北端の碑 オホーツク海沿岸、頓別平野にはポロ沼、モケウニ沼など砂州によって隔てられた海跡湖が点在し、夏の季節には湿原植物などが花を咲かせる原生花園が広がる。網走からオホーツク海に沿ってはじまる国道283号線は、さらに宗谷、稚内へと続く。
日本最北端である宗谷岬、日本海に浮かぶ最北の島、礼文・利尻へのフェリーが発着する稚内港で、通称オホーツクライン約320kmの長い道だ。その北部をかすめながら最北端へと向かった。


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ドライブライン

<コース>
新千歳空港−(道央自動車道)−旭川−和寒IC−(国道40号線)−剣淵町−士別−名寄−音威子府−(道道12号線)−枝幸町−(国道238号線)−クッチャロ湖・浜頓別−(国道283号線)−猿払−宗谷岬−稚内−(道道245号線)−ノシャップ岬−(道道106号線)−稚咲−(町道444号線)−サロベツ原生花園−(道道84号線)−豊富−天塩大橋−(国道232号線)−天塩−初山別−羽幌−留萌−(国道33号線)−(深川留萌自動車道)−留萌幌糠IC−(道央自動車道)−新千歳空港
全行程 約1,000km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●さるふつ公園

広大な村営牧場の一角にある。陸と海岸線が一つに溶け合ったような場所に「道の駅」があり、園内には「インディギルカ号慰霊碑」と大きな台座に乗せられたホタテ化石群がある。
昭和14年(1939)12月12日未明、荒れる海と吹雪の中、旧ソ連の貨客船インディギルカ号が、猿払浜鬼別沖で座礁沈没。千数百名の乗客の内700余名の犠牲者を出した世界海難史上に残る大惨事となった。
このとき、猿払の村民総出で救助活動にあたり約400人を救助、犠牲者の慰霊とともに、国境を越えた人間愛の証として昭和46年(1971)に建立した。
ソ連船、インディギルカ号遭難碑
ソ連船、インディギルカ号遭難碑

さるふつ公園道の駅
さるふつ公園道の駅
インディギルカ号慰霊碑
インディギルカ号慰霊碑

一方の「ホタテ化石群」は一見、ただの岩のように見えるが、これが約4000万年前のホタテの集団化石。よく見ると巨大な固まりの中に扇状に広がるホタテ貝が無数にあり、ホタテ貝特有の模様がある。ちなみに重さ40トンという。

ホタテ化石群。40トンもある塊だ
ホタテ化石群。40トンもある塊だ
近づくと貝の模様が見え、貝の塊だと分かる
近づくと貝の模様が見え、貝の塊だと分かる
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猿払はいま、北海道を代表するホタテ貝の産地であり、その品質には定評がある。一時乱獲により絶滅した天然ホタテを、養殖に切り替えて成功。「道の駅」のレストランで自慢のホタテ料理が食べられる。

●宗谷岬

北緯45度31分14秒の位置にある。岬の先にサハリンの島影を望む日本最北端の地だ。北極星をモチーフに空に向かってデザインされた三角錐の塔は最北端を示している。塔の中央にあるNは北をさす。円形の台座は平和と協調を表現している。
この岬には、最北端の地を自分の足で踏みしめ、確かめ合う旅行者の姿が絶えない。岬の塔は夜にはライトアップもされている。

背後の丘から見る最北端の地
背後の丘から見る最北端の地

宗谷岬。日本最北端の地
宗谷岬。日本最北端の地

●宗谷岬灯台

明治18年(1885)に点灯されたという灯台は、道内では根室の納沙布岬、小樽の日和山に次いで三番目に建てられたもの。白と赤のツートンカラーの灯台の高さは17mで、光の届く距離は約32kmという。対岸のサハリンまでは43kmというから海に引かれた国境線の遙か先にまで到達していることになる。

この灯台は光ばかりではなく霧信号所、無線方位信号所の機能も備えている。濃霧の日には霧笛を鳴らしたり、遠くで航行している船舶のために24時間電波を発信して、宗谷の方向を知らせている。
宗谷岬灯台
宗谷岬灯台

●間宮林蔵の立像

安永9年(1780)常陸国筑波郡上平柳村(現つくばみらい市)の農家に生まれ、天保15年(1844)江戸で64歳の生涯を終えた、江戸後期の探検家。19歳で北海道に渡り43歳までの23年間、北海道と樺太探検に生きた人だが、「間宮海峡」を発見した人物といえば、だれもがうなずく。
彼は、詳細で正確な日本地図を作った伊能忠敬から測量技術の教授を受け、樺太ばかりでなく、北海道も12年間の歳月を費やして測量した。蝦夷地の測量の大半は間宮林蔵が伊能忠敬の代わりを果たしたといわれている。
宗谷岬の塔から稚内に向かってわずか1kmのところには樺太(現サハリン)に向け出港した場所があり、新しい碑の横には、自らの死を覚悟して稚内に持参したという墓石が立つ。しかし、ここには車を駐める人は少ない。

稚内教育委員会の標示ができるまで、間宮林蔵出航の地はこの小さな石碑だけだった
稚内教育委員会の標示ができるまで、間宮
林蔵出航の地はこの小さな石碑だけだった
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間宮林蔵が樺太へ渡った地は、最北端から少し稚内寄りだった
間宮林蔵が樺太へ渡った地は、
最北端から少し稚内寄りだった


岬の塔の背後にある宗谷岬展望台周辺には、さまざまなモニュメント、史跡、文化財がある。
牧柵を形どった台座に野良着姿で立つ男女のブロンズ像は、宗谷丘陵に果てしなく広がる牧草地を見つめる「あけぼの像」で、北海道の牛乳生産100万トンと飼育乳牛50万頭突破を記念して昭和46年(1971)に建設されたものだ。

間宮林蔵立像と最北端の碑
間宮林蔵立像と最北端の碑
世界の都市への距離が示されている
世界の都市への距離が
示されている


その他「世界平和の鐘」は平和を願う世界81ヶ国の人々から寄せられたコインやメダルなどで鋳造されたもので、昭和63年(1988)に建てられた鐘である。
また、ひときわ高い塔は、昭和58年(1983)に起きた「大韓航空機追撃事件の遭難者の慰霊の塔」であり、近くにある古いトーチカのようなものは「旧海軍望楼」で、明治35年(1902)に帝政ロシアとの戦いに備えて造られた要塞。日露戦争時には、宗谷沖でロシア軍艦「ノーウイック号」と日本海軍巡洋艦「対馬」「千歳」との戦いを見守った。
旧・海軍望楼
旧・海軍望楼

咲き遅れたハマナスと秋空
咲き遅れたハマナスと秋空
ちょっと惚けた注意標示
ちょっと惚けた注意標示

●稚内

日本最北の都市であり、ロシアとの国境の町。漁業と貿易で栄えた町は、また利尻・礼文島、さらにはサハリンへの玄関口でもある。野鳥の訪れは春を告げ、緑の原野が花々で覆われる短くも美しい夏、海の幸、山の幸にめぐまれる秋、雪に閉ざされ流氷が海を埋め尽くす冬、それぞれの季節が北の果ての旅情を誘う。自然に恵まれ、食にも満足という北海道のすべてが、この最北の都市にある。
稚内名物タコしゃぶ
稚内名物タコしゃぶ

●稚内港

宗谷湾に面し、その歴史は江戸時代に運上屋という上納金取扱場所が置かれたのが港としてのはじまり。戦前には稚内と樺太を結んだ「稚泊航路」として活躍していた。現在は漁港、貿易の拠点となっている。
フェリー発着場は2008年中央埠頭に新しくオープン、向かいはサハリンへの国際船乗り場となっている。北埠頭にあった古いターミナルはすでに解体された。

稚内フェリーターミナル
稚内フェリーターミナル
稚内漁港のイカ釣り船
稚内漁港のイカ釣り船

●北防波堤ドーム

稚内の観光スポットでもあり、シンボルでもある半アーチ式の防波堤ドームは、人命に関わる歴史が建築の背景にあることは、案外知られていない。
一年中を通して強風や高波に襲われる最北の地では、大正・昭和のはじめにかけて造られていた北防波堤の高さは5.5mもあった。だが高波はそれを簡単に乗り越え、乗客が海に転落する事故が度々起き(船着き場が北埠頭にあった)危険とされていた。
そのため昭和6年(1931)から5年の歳月をかけ、高さ13.2m、延長424mの半アーチの波避けの堤防を完成させた。
北防波堤ドーム
北防波堤ドーム

太い円柱70本となだらかな曲線を描く防波堤ドームは古代ローマ建築を思わせる。その後、老朽化に伴って全体の復元工事が行われ、昭和53年(1978)に現在の防波堤となった。高さは変わらないが、ドームの総延長は427mとなっている。この防波堤は夏には様々なイベント会場ともなる。

●稚内公園

別名「氷雪の丘公園」とも呼ばれ、観光コースからはずせないスポットだ。晴れた日には宗谷海峡の向こうにサハリンを望みながら、数々のモニュメントが建ち並ぶ丘をゆっくり探索したい。冬期もオープンしている。

稚内公園から稚内港方面
稚内公園から稚内港方面
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稚内からいくつかの都市への距離が分かる
稚内からいくつかの都市への距離が分かる
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●氷雪の門

市内を一望する高台に、遠くサハリンに向かって延びる2本の白い塔、異国になってしまった樺太への望郷の念が込められて昭和38年(1963)に全国から寄せられた支援で建立された。
望郷の門ともいわれる高さ8mの2つの塔の間に立つブロンズ像は、雪と氷の中で逞しく生き抜いた人々を象徴するもの。
氷雪の門
氷雪の門

●九人の乙女の碑

「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」という文字が刻まれている碑は、終戦直後の昭和20年(1945)8月20日、ソ連軍による樺太侵攻により、真岡郵便局の交換台を命をかけて最後まで守った9人の若い女性たちの慰霊碑である。
昭和38年(1963)氷雪の門と同時期に建立された。
終戦5日後、樺太で最後の業務を終え、命を絶った9人の女性電話交換手の慰霊碑
終戦5日後、樺太で最後の業務を終え、
命を絶った9人の女性電話交換手の慰霊碑


●南極観測樺太犬記念碑

昭和32年(1957)南極観測隊が初めて参加した当時、極地での物資輸送には犬そりが欠かせなかった。そこで20頭の犬ぞり隊が編成された。犬は稚内周辺から集められた樺太犬だ。翌年には南極の悪天候のため、樺太犬15頭が現地に置きざりにされるという悲劇が起こった。1年後にその中でタロ・ジロの2頭が生きていたことは、当時、感動のニュースとして世界中に広がった。冬の南極を生き延びた奇跡の犬の物語は、映画「南極物語」となり多くの人に感動を与えた。
ジロをモデルにしたこのブロンズ像は、その功績をたたえて制作されたものである。台座には南極で採取された真っ白な石がはめこまれている。

樺太犬慰霊碑
樺太犬慰霊碑
樺太犬記念碑
樺太犬記念碑

●開基百年記念塔・北方記念館

稚内公園からさらに内陸に入った丘の上に北方記念館がある。塔は市内からも見えるが、稚内公園までで観光コースを打ち切るケースも多いと聞いた。公園より少し高いところにあるが少し足を延ばしたい。
稚内は明治11年(1878)、現在の宗谷地方宗谷村が設置され、役所などが正式に置かれた。その後昭和24年(1949)に市制が敷かれ、道内14番目の市となった。明治から数えて100年、また市制が敷かれて30年となった昭和53年(1978)に稚内市開基100年を記念して建てられた高さ80mの塔である。内部は郷土資料や樺太関係の貴重な資料が展示されている北方記念館だ。塔の展望台にはエレベーターで上れる。ここからの眺めは360度の大パノラマだ。
開基100年記念塔・北方記念館
開基100年記念塔・北方記念館

●ノシャップ岬

アイヌ語でノッシャムという。その意味は岬が顎のように突き出たところ、または波の砕ける場所ともいわれている。利尻・礼文・サハリンの島影を望む。岬の周辺はサンセットの見どころとして人気のスポットでもある。
岬のシンボルは、赤と白の縞模様の稚内灯台だ。高さは北海道では一番、全国でも島根県の日御碕灯台に次いで2番を誇る。明治33年(1900)に建てられたが、現在の灯台は2代目。岬に建つもう一つの白い灯台は、漁港に入る地元の漁船用だと、年配の漁師が教えてくれた。

ノシャップ岬
ノシャップ岬
稚内灯台とイルカ
稚内灯台とイルカ

灯台と並んで建つ「ノシャップ寒流水族館」は昭和43年(1968)に開館。120種、3,000もの生き物を飼育展示している。メインは360度ぐるりと見渡せる水量90トンの大回遊水槽で、ホッケ・アメマス・オヒョウ・ヒラメなど北方系の魚を間近に見ることができる。
/入館料 400円、TEL 0162-23-6278

ノシャップ岬を過ぎて南へ
ノシャップ岬を過ぎて南へ
ハマナスに赤い実がついていた
ハマナスに赤い実がついていた



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稚内観光協会
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さいほくネット
宗谷地域の観光情報交換サイト。イベントや温泉情報、フォトアルバム、紹介ムービーなどがある。

取材:2010年10月

※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。