米沢から裏磐梯、猪苗代へ(2)

裏磐梯高原に点在するさまざまな湖沼の多彩な情景を満喫したあとは、「磐梯山ゴールドライン」に入り、表磐梯方面を目指した。ゴールドラインでも標高1,000メートル付近から道路両側の木々が赤や黄色に染まり、この時期ならではの秋色ドライブを楽しむことができた。
表磐梯では、まず会津仏教文化の発祥の地である「慧日寺跡」へ。10年ほど前に復元された金堂と中門のほか、約3年もの歳月をかけて復元制作され、今年(平成30年/2018)7月から公開されている薬師如来坐像を拝観した。その後は猪苗代湖畔に向かい、明治時代の洋風建築「天鏡閣」や猪苗代出身の偉人・野口英世の足跡を今に伝える「野口英世記念館」、猪苗代湖と磐梯山の好展望地「天神浜」を巡った。
帰路は国道115号線をひた走り、福島市街へ。その途上、せっかくだから温泉に入っていこうと、山あいの温泉地「土湯温泉」にも立ち寄った。

ドライブルート

福島市中心部−信夫山−(国道13号線など)−米沢市−(県道2号線、西吾妻スカイバレー)−裏磐梯高原−(国道459号線、磐梯山ゴールドライン、県道64・7号線など)−猪苗代町−猪苗代湖畔−(国道49・115号線)−土湯温泉−(国道115号線など)−福島市中心部

全行程約210km、今回行程約105km

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磐梯山ゴールドライン

「磐梯山ゴールドライン」は、磐梯山の西側を南北に走る山岳道路で、裏磐梯と猪苗代・会津地方をつないでいる。道路沿いにはいくつもの展望スポットや見どころが点在し、この道を走ること自体がひとつの名所巡りになっている。以下に立ち寄ったスポットを紹介する。

  • 標高1,000メートルから上は道路両側の木々が鮮やかに色づいていた

《望湖台/ばや池》
ゴールドラインに入って2.5キロほど走り、道路両側の木々の色づきが鮮やかになってきたころ、「望湖台」の駐車場が見えてきた。望湖台という名は、ここから桧原湖を望めることから命名されたようだが、鬱蒼と茂る木々によって視界をさえぎられ、湖はあまりよくは見えなかった。
ただ、ここにはもうひとつの見どころがある。駐車場から南にすこし歩き、山林の中に整備された遊歩道を150メートルほど行くと「ばや池」と呼ばれる池が眼前に広がる。池のまわりの木々はちょうど紅葉の見ごろで、多くの人が池や木々に向かってカメラを構えていた。ほとりからは磐梯山が見えるはずだったが、あいにくの曇り空のため山の姿は望めなかった。

  • ばや池。秋色に染まった森の中にひっそりと広がっていた

  • 池のほとりのかえでは真っ赤に紅葉していた

《黄金平》
「黄金平」という名に「どんな絶景が望めるのだろう」と期待して向かったが、周囲に立ち込めた霧と曇り空によって何も見えなかった。晴れていれば、磐梯山の爆裂火口壁が間近に見られたようだ。

《八方台》
ゴールドラインの最高地点で、標高は1,194メートル。木々の色づきは最盛期といった感じで、一帯には美しく黄葉したブナ林が広がっていた。ここは磐梯山や猫魔ヶ岳、雄国沼への登山口でもあり、駐車場には多くの車が停まっていた。

  • 八方台の駐車場。多くの車が停まる

  • 八方台周辺のブナ林を散策

  • ブナの黄葉が美しかった

  • 八方台は、磐梯山への登山口でもある

《幻の滝》
駐車スペースから道路沿いをすこし歩き、山の中の遊歩道を200メートルほど歩くと、目の前に落差18メートルほどの大きな滝が現れる。「幻の滝」と呼ばれるのは、遊歩道がつけられるまで地元でも知る人が少なかったからだそう。

  • 幻の滝。滝と黄葉の共演

《山湖台》
「山湖台」は、眼下に猪苗代の町並みと猪苗代湖を一望できる展望スポット。ここまで来ると、峠を越えて裏(磐梯)から表(磐梯)へとついに来た、という実感が湧いてくる。

  • 山湖台。眼下には猪苗代湖が広がる

慧日寺跡

ゴールドラインから続く県道64号線が県道7号線に合流したところで右折し、「慧日寺跡」へと向かった。
慧日寺の歴史は古く、平安時代初期までさかのぼる。興福寺または東大寺で法相宗を学んだ徳一菩薩によって創建され、一時は子院が3,800も連なるほどの大きな勢力を誇り、大伽藍を形成したといわれている。しかし、長い歴史の中で幾度となく火災や戦災に遭い、そのたびに再興を繰り返してきたが、次第に寺勢を失い、明治の廃仏毀釈で廃寺となってしまった。
その後、昭和45年(1970)に国の史跡に指定されると、寺跡の整備事業や発掘調査が地道に続けられ、平成20年(2008)に金堂、翌21年(2009)に中門が復元。平成27年(2015)には金堂内にかつて鎮座していた本尊・丈六薬師如来坐像の復元制作がはじめられ、約3年の歳月をかけて完成した今年(平成30年/2018)7月から一般公開されるようになった。
近くには、慧日寺の歴史をわかりやすく展示・紹介している「磐梯山慧日寺資料館」もあるので、あわせて立ち寄ってみるといいだろう。
/拝観料500円

  • 平安初期の古式建築技法によって
    復元された「金堂」

  • 金堂内部。復元制作された
    薬師如来坐像が鎮座する

  • 寺域の最奥部にある徳一廟の覆堂。
    周辺には古い石塔が数多くあった

  • 覆堂内部の五重石層塔。 平安時代の造営で、徳一の墓と伝わる

  • 「磐梯山慧日寺資料館」の入口

  • 県道7号線を猪苗代湖方面に向かう。
    左手には磐梯山の雄大な姿が望めた

天鏡閣と福島県迎賓館

天鏡閣外観

「天鏡閣」は猪苗代湖の北西のほとりの高台に建つ。
竣工したのは明治41年(1908)。その前年に猪苗代湖畔を巡遊した有栖川宮威仁親王が、この地の風光の美しさに魅了され、自身の別邸として建設したルネッサンス風の洋風建築である。ちなみに天鏡閣という名は、竣工の翌月、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が行啓して滞在した際、唐の詩人・李白の「明湖落天鏡」という句に由来して命名したという。
館内には、客間や食堂、撞球室、御座所、居間など数多くの部屋があり、それぞれルネッサンス様式の意匠をこらした優雅な造りとなっている。各部屋の暖炉を飾る大理石のマントルピースや天井に吊るされた絢爛たるシャンデリアなどの豪華な調度品が、明治時代後期の皇族別邸の雰囲気を今に伝えてくれる。

  • 客間

  • 書斎として使われていた御座所

  • 明治30年(1897)イギリスでの写真。前列中央が有栖川宮威仁親王。
    その左には、随行した伊藤博文の姿も

  • 最上階の展望室から庭園を見下ろす

天鏡閣から歩いて5分ほどのところには、同じく元は皇族の別邸だった「福島県迎賓館(旧高松宮翁島別邸)」があった。こちらは大正天皇の第三皇子・高松宮宜仁親王が大正11年(1922)に建てたもので、純日本風の造りとなっていた。建物内は日ごろは公開されておらず、庭園のみ散策することができた。
/天鏡閣入館料360円、福島県迎賓館の庭園散策は無料

  • 福島県迎賓館の長屋門

  • 建物の造りは純日本風。
    内部は特別公開日のみ見学できる

野口英世記念館

「野口英世記念館」は国道49号線沿いに建つ

福島が世界に誇る偉人といえば、野口英世をおいてほかにはいないだろう。
明治9年(1876)猪苗代の貧しい農家に生まれた英世は、苦学の末に医師となり、渡米して細菌学の研究に邁進。特に梅毒の研究ではめざましい成果を挙げて、ノーベル賞の候補にも選ばれた。また、当時世界各地で猛威を振るっていた黄熱病の原因と治療法の解明のため、中南米やアフリカに渡り、自身が51歳で黄熱病に倒れるまで研究を続けたことは、今も世界中の人々によって尊敬と感謝の念をもって語り継がれている。
そんな英世の足跡を学ぶことができるのが、彼の生家があった場所に建つ「野口英世記念館」である。敷地内には、今も生家が当時のままの姿で保存され、1歳半の英世が左手に大やけどを負った囲炉裏や、19歳で上京するときに決意の言葉を刻んだ床柱などが残っていた。

  • 敷地内に保存されている、野口英世の生家

  • この囲炉裏で、1歳半のときに大やけどを負った

館内では彼の生涯を「猪苗代・会津若松時代」「東京時代」「アメリカ・デンマーク時代」「中南米・アフリカ時代」に分けて解説し、遺品や資料などを展示。
「素顔の英世」のコーナーでは、趣味の釣りやチェスで実際に愛用していた品々や、彼が描いた絵画などが展示されており、偉人伝などで読んできた研究者としての顔とはまた違った側面を知ることができた。
/入館料600円

  • 時代ごとに遺品や資料を展示

  • アフリカで実際に使用していた医療器具

  • 野口英世ロボット。
    手前のボタンを押すと、動きながら話し出す

  • ニューヨーク郊外の自然豊かな別荘で
    家族や知人と撮った写真なども展示していた

猪苗代湖と天神浜

観光ガイドでよく見るような猪苗代湖と磐梯山がワンフレームにおさまった写真を撮ってみたいと思い、いろいろ調べてみたところ、湖の北東側の「天神浜」が絶好の撮影スポットだとわかり、車を走らせた。
天神浜は、長瀬川の河口にできた三角州の一画にあり、松林に沿って遠浅の美しい砂浜が続いている。夏には湖水浴場として利用され、通年のキャンプ場も開設されている。また冬には、季節風による波しぶきが岸辺の樹木などにかかって凍結する「しぶき氷」という珍しい氷を見ることもできるそうだ。さて、お目当ての猪苗代湖と磐梯山の共演であるが、残念ながら曇り空で見ることはできなかった。

  • 訪れたとき、磐梯山は雲に隠れてしまっていた

  • 晴れていれば、こんな絶景が!
    (画像提供「猪苗代観光協会」)

浜のそばには「小平潟天満宮」が鎮座していた。創建は平安時代の天暦2年(948)と古く、案内看板によれば「京都・北野」「九州・大宰府」とともに日本三大天満宮に数えられる由緒ある神社とのことだったが、境内や社殿はこぢんまりとした雰囲気であった。小平潟地区にはほかにも、戦国時代にこの地で生まれ、連歌師として最高位の栄職である北野連歌会所奉行及び宗匠となった猪苗代兼戴の碑などの史跡が点在していた。

  • 天神浜そばの「小平潟天満宮」

  • 猪苗代兼載の碑

土津(はにつ)神社

今年2018年は戊辰戦争150周年にあたる。会津はその激戦地のひとつであり、会津藩の人々が最後まで戦い抜いた背景には、藩祖・保科正之の遺訓「会津藩家訓十五カ条」の存在があったといわれている。猪苗代には、その保科正之の墓と彼を祀った「土津神社」があり、訪ねてみることにした。
そもそもなぜ猪苗代に正之が祀られているのかといえば、彼が「自分の死後は、磐梯山の神を祀った磐椅神社の神地に葬るように」という遺言を残したため。実際、正之の没後には2代藩主正経や家臣らによって、磐梯山の南東のふもとの見祢山に墳墓や社殿が造営され、延宝3年(1675)に土津神社として創建された。当時その社殿は日光東照宮と比べられるほど絢爛豪華なものだったと伝わるが、その後の戊辰戦争で焼失してしまい今は見ることができない。現在残る社殿は、明治13年(1880)に再建されたものだ。
社殿右側から石畳の参道を400メートルほど登っていくと、正之の墓所「奥の院」があった。会津藩代々の藩主や家臣たちもここを参拝したのだろうと考えると、何百年もの歴史に触れる思いがした。

  • 参道には、戊辰戦争150周年の幟が並んでいた

  • 土津神社の社殿

  • 奥の院へと続く石畳の参道

  • 奥の院の保科正之墳墓。
    棺は円墳の下に埋められている

土湯温泉

3キロ以上もある土湯トンネルを抜け、土湯バイパス(国道115号線)を一気に下っていく。土湯温泉が近づくと、案内看板に従って信号を左折。県道52号線を行くと、やがて荒川沿いに広がる「土湯温泉」の温泉街へと入っていく。
「土湯」という地名は「突き湯」から変化したといわれており、千年以上昔、国造りの神・大穴貴命(おおあなむちのみこと)が荒川のほとりを鉾で突いたところ、温泉が湧き出たという伝説に由来する。また、聖徳太子の命によって東国を旅していた秦河勝によって発見されたという言い伝えも残っている。
温泉街には9軒の温泉宿・旅館のほか、共同浴場やみやげもの屋が建ち並び、谷あいののどかな温泉地の風情があった。現在は70ヶ所ほどの源泉が湧き、泉質は単純温泉、炭酸水素塩泉、硫黄泉、鉄泉など10種類もあり、さまざまな温泉が楽しめるのが土湯温泉の特徴だという。また、伝統工芸品の「土湯こけし」は160年以上の歴史をもち、温泉街のあちこちでこけしの姿を目にすることができた。

  • 土湯温泉の展望台から温泉街を眺める

  • 公衆浴場の「中之湯」

  • 荒川沿いにある足湯「きぼっこの湯」

  • こちらは荒川の支流・東鴉川沿いの足湯「土ゆっこ」。
    近くには親水公園がある

  • 温泉街に立つ巨大こけし

  • お店の店内にもこけしが飾られていた。
    素朴な模様でかわいらしい

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記事・写真:谷山宏典 取材:2018年10月

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