名古屋〜岐阜。名城と伝統の鵜飼を楽しむ(1)

平成30年(2018)6月、「名古屋城」で10年にわたって行われていた本丸御殿の復元工事が終わり、内部の全体公開がはじまった。「近世城郭御殿の最高傑作」と評された本丸御殿をぜひ自らの目で見ようと、名古屋を起点に犬山市や岐阜市を巡るドライブをプランニングした。
スタートは、名古屋駅そばの「ニッポンレンタカー名古屋駅前営業所」。「名古屋城」は駅からおよそ3キロ弱のところに位置し、早速お目当ての本丸御殿の見物を堪能した。名古屋城を出たあとは、名古屋高速や東名高速道路を走り、長久手の「トヨタ博物館」へ。犬山市では、明治時代の建造物を数多く移築して公開している「博物館明治村」や、全国に5つある国宝天守のひとつ「犬山城」を巡った。宿泊は、岐阜市内の「長良川温泉」に宿をとり、夜は1,300年以上の歴史をもつ「長良川鵜飼」を楽しんだ。

ドライブルート

名古屋市中心部−(名古屋高速都心環状線、名古屋高速2号東山線、東名高速道路など)−長久手市−(東名高速道路、中央自動車道など)−犬山市−(県道205・93・287号線など)−岐阜市・長良川−(国道256・156・21号線など)−各務原市−(東海北陸自動車道、名神高速道路、名古屋高速16号一宮線、名古屋高速6号清須線など)−名古屋市中心部

全行程約140km、今回行程85km

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名古屋城

名古屋城の天守。現在復元工事中のため、閉館中

名古屋市のシンボルともいえる「名古屋城」は、関ヶ原合戦後の慶長14年(1609)に豊臣方への備えとして築城が決まり、同17年(1612)に大小の天守や各櫓などが完成。普請を命じられたのは加藤清正、福島正則ら西国の大名20家で、こうした諸大名に作業を分担する方法を天下普請と呼ぶ。完成後は、家康の九男・義直が初代尾張藩主として入城し、以後御三家筆頭尾張徳川家の居城として繁栄を続けた。
戦前の昭和5年(1930)には天守および御殿が城郭建築としては初めて国宝に指定されるが、昭和20年(1945)の名古屋空襲によって本丸のほとんどが焼失。昭和34年(1959)に現在目にすることができる鉄骨鉄筋コンクリート造の天守が再建された。

  • 飲食店が軒を連ねる「金シャチ横丁」。
    2018年3月にオープンしたばかりの新スポット

  • 金箔で覆われた絢爛豪華≠ネ「金シャチ横丁ソフトクリーム」。980円

  • 天守石垣の普請は、築城の名手・加藤清正が担当。
    巨石の上で音頭をとる清正の様子を再現

  • 名古屋城で最大の石垣石材。
    加藤清正が積み上げたと伝えられ、「清正石」と呼ばれる

お目当ての本丸御殿は、正門から西之丸を経て、表二之門をくぐった先に建っていた。
復元工事が開始されたのは平成21年(2009)。その後、平成25年(2013)に玄関と表書院が、平成28年(2016)に対面所と下御膳所が順次公開となり、今年30年(2018)6月8日から上洛殿、御湯殿書院を含む全体公開がはじまった。
殿内に入り、玄関、表書院、対面所などの部屋を順番にまわっていく。どの部屋も復元模写された美しい障壁画で飾られて、往時の雰囲気を今に伝えてくれる。また、天井の造り、欄間の装飾、長押(なげし)の金具類なども、それぞれの部屋で意匠が異なり、思わず身を乗り出して見入ってしまう。まさに建物全体が芸術品であり、「近世城郭御殿の最高傑作」と謳われたのも十二分にうなずける。
圧巻だったのは、寛永11年(1634)に三代将軍・家光の上洛にあわせて増築された「上洛殿」。本丸御殿内でも最も格式の高い空間であり、天井には板絵、部屋の境には極彩色の彫刻欄間がはめ込まれ、豪華絢爛≠ニいう言葉がぴったりとくる。
なお、本丸御殿の全体公開と入れ替わるように、現在天守閣の木造復元工事がはじまっており、天守内部には立ち入ることができなくなっていた。完成は2022年末を予定している。
/観覧料500円

  • 本丸御殿の玄関。見学の入口は、玄関右手先にある

  • 上洛殿の廊下

  • 正式な謁見に用いられた「表書院」

  • 家光の御座所となった「上洛殿 上段之間」

  • 豪華絢爛な彫刻欄間

  • 釘隠しなどの金具類もすばらしい

トヨタ博物館

「トヨダAA型乗用車」のレプリカ。
トヨタ自動車の歴史がこの一台からはじまった

名古屋瀬戸道路・長久手ICを出てすぐのところにある「トヨタ博物館」は、車好きにはたまらないスポットだ。トヨタ自動車が創立50周年の平成元年(1989)に設立した車に関するミュージアムであり、国内外の名車約140台を間近に見ながら自動車誕生以来の歴史を学ぶことができる。
館内に入って、まず迎えてくれるのが、トヨタ自動車初の生産型乗用車として誕生した「トヨダAA型乗用車(レプリカ)」。エスカレーターを上がっていくと2・3階が展示フロアとなっており、「自動車の夜明け」「自動車の大衆化」「レーシングカー、スポーツカーの進化」「流線形時代の到来」などテーマごとに区切られたスペースに、その時代を代表する名車たちがずらりと並んでいた。黎明期の自動車から、歴史を感じさせるクラシックカー、スタイリッシュなスポーツカー、アメリカ大統領の専用車、最先端のエコカーなど、展示車両の充実ぶりは国内屈指。しかも、どの車もまるで新車のようにピカピカにメンテナンスされているのがすばらしい。見学後は「さすがはトヨタの公式ミュージアムだ!」と誰もが納得できるだろう。
/入場料1,000円

  • ロールスロイス社の最大の傑作「シルバーゴースト」をはじめ、
    マニア垂涎のクラシックカーがズラリ

  • ルーズヴェルト米大統領が乗った「パッカード トゥエルヴ」

  • 富士自動車の3輪キャビンスクーター「フジ キャビン 5A型」。
    一つ目小僧のようなかわいらしいデザイン

  • 今見てもスタイリッシュな、自動車の古いポスター

  • 「トヨタ FCV-R」など最先端の自動車も展示していた

博物館明治村

旧帝国ホテルの中央玄関

長久手から東名高速道路、中央自動車道を走って小牧東ICへ。県道49号線、同16号線などを経由して犬山市へと入り、「博物館明治村」を目指した。
明治村は、約100万平方メートル(南北約1,100メートル、東西約620メートル)という広大な敷地に明治時代の建造物などを移築・展示している屋外ミュージアムで、展示建造物は68件にも上る。うち国の重要文化財に指定されている建物が11件。さまざまな映画やドラマのロケ地としても使われている。 ひとつひとつの建物をじっくり見ていったら優に1日はかかってしまうため、地図を片手に駆け足で村内をまわっていった。駐車場のある北口から入場し、まず目を引いたのが大正12年(1923)建設の「帝国ホテル中央玄関」。かつて京都市にあったゴシック様式の教会「聖ザビエル天主堂」、大阪府池田市にあった芝居小屋「呉羽座」、三重県伊勢市にあった「宇治山田郵便局舎」、兵庫県西宮市にあった別荘住宅「芝川又右衛門邸」なども見ごたえがあった。現在放送中のNHK大河ドラマ『西郷どん』にも登場している西郷隆盛の弟・從道の邸宅「西郷從道邸」は、まさに西洋化が急速に進んだ明治時代の洋館といった趣で、邸内を巡っていると時代の空気を肌で感じることができた。
/入村料1,700円

  • 帝国ホテル中央玄関の内部

  • 村内は広いので、バスや市電での移動が便利

  • ステンドグラスが美しかった聖ザビエル天主堂

  • 尾西鉄道蒸気機関車1号

  • 宗教大学車寄と入鹿池

  • 関西の豪商、芝川又右衛門の別荘邸宅

  • 芝川又右衛門邸の内部。
    玄関ホールや階段室の壁は一面金色で渦巻き模様が施されていた

  • 両側に古い建物が建ち並ぶレンガ通り

  • 明治時代風の衣装に身を包み、記念撮影や村内の散策ができる

  • 西郷隆盛の弟・西郷從道の邸宅

  • 西郷從道邸の内部。洋式の食堂

犬山城

犬山を代表する史跡といえば、やはり「犬山城」がその筆頭だろう。
犬山城は、市中心部の北西、岐阜との県境をなす木曽川のほとりの小高い山のうえに建つ。築城されたのは、戦国時代の天文6年(1537)、織田信長の叔父である織田信康によると伝わる。天正12年(1584)の小牧・長久手合戦の際には、羽柴秀吉が大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣を敷いた徳川家康と対峙した。江戸時代になると、尾張藩付家老であった成瀬正成が城主となり、以後代々成瀬家が治めて幕末を迎えた。
国宝に指定されている天守の創建は、天正年間(1573〜92)とも、慶長5〜6年ごろ(1600〜01)ともいわれ諸説あるが、現存する天守のなかでは最も古いと言われている。外観は三重構造で、高さは19メートル。内部は4階+地下2階(石垣のなか)となっており、4階の高欄の間では四方の廻縁に出ることができ、周囲の景色をぐるりと一望にすることができた。
城山の麓には、古来この地に鎮座する尾張五社のひとつ「針綱神社」や、織田信康や成瀬家代々の城主に厚く崇敬されてきた「三光稲荷神社」もあるので、あわせて参拝していこう。
/入場料550円

  • 犬山城の天守を見上げる

  • 天守内の様子

  • 甲冑などの武具が展示されていた

  • 4階の廻縁からの眺め。眼下に流れるのは木曽川

  • 4階・高欄の間に飾られていた成瀬家代々の肖像画

  • 城下の本町通りには食事処やみやげもの屋などが並ぶ

長良川温泉

木曽川を渡って岐阜県へと入り、その日の宿をとった岐阜市の「長良川温泉」を目指して車を走らせた。
長良川温泉は、長良川沿いに7軒の旅館・ホテルが立ち並ぶ温泉街。温泉が採掘されたのは昭和40年代と比較的新しいが、一帯は古くから舟運の中継地として大いに栄えた歴史があり、江戸時代には商家や船宿が軒を連ねていた。長良川温泉屈指の老舗旅館、万延元年(1860)創業の「十八楼」も、その前身は船宿だったそう。温泉の泉質は鉄分を豊富に含んでおり、源泉は無色透明だが、大気に触れると徐々に赤い濁り湯に変化するのが特徴。
時間があれば、川の南側の「川原町」を散策するのがおすすめだ。長良川舟運の中継地・中河原湊(現・岐阜市湊町)の役所があった場所で、かつては大小の木材問屋や紙問屋が軒を並べていた。現在も格子戸の古い建物が数多く残されており、往時の雰囲気を色濃く感じさせてくれる。
「温泉総選挙2017」では女子旅部門第1位に選出されるなど、今後さらに人気の高まっていく温泉地かもしれない。

  • 十八楼/蔵の湯(「岐阜観光コンベンション協会」提供)

  • 川原町の古い町並み(「岐阜観光コンベンション協会」提供)

長良川鵜飼

鵜匠による鵜飼漁の解説。鵜を使ってどのように鮎を獲るかを実演してくれた

今回の旅の宿泊地を長良川温泉に決めたのには理由がある。1,300年以上の歴史がある「長良川鵜飼」を見物するためだ。
夕方、観覧船乗り場に着くと、すでに多くの観光客が集まり、川辺には観覧船が停泊していた。出発前には鵜匠による長良川鵜飼の歴史や鵜飼漁の手法などについての説明もあった。
長良川鵜飼に関する記録は、正倉院に納められている大宝2年(702)の美濃国の戸籍に「鵜養部(うかいべ)」という記述が残されており、それが1,300年以上の歴史を持つとする由来になっている。室町将軍の足利義教、織田信長、徳川家康など時代の権力者たちも鵜飼を観覧したと伝えられ、江戸時代には川遊びを兼ねた鵜飼見物が庶民にも広がっていった。現在、長良川の鵜匠は「宮内庁式部職鵜匠」という肩書を持ち、宮内庁に所属。鵜飼漁自体は岐阜・愛知県境の木曽川、京都の宇治川や嵐山などでも見られるが、宮内庁の職位が与えられているのは岐阜市長良6人、関市小瀬3人の長良川の鵜匠だけである。


観覧船の出船は18時15分、18時45分、19時15分の3回にわかれており、今回は船内で夕食を食べる予定だったので早い時間に出船する船に乗り込む。船は少し上流に移動したのち、広い川原に停泊。食事や飲み物は基本各自の持ち込みで、周辺のホテルや旅館の鵜飼プランに申し込むと事前に用意しておいてくれるシステムになっている。
日もすっかり暮れた19時45分ごろ、花火の合図で鵜飼漁がはじまる。観覧は、川や出船の状況などにより「狩り下り」(観覧船が船団を組み、鵜舟1隻と並走して川を下る)もしくは「付け見せ」(停泊したままの観覧船から、鵜舟が順次川を下る様子を見る)という方法で行われる。その後、6隻の鵜舟が川幅いっぱいに横一列になり、一斉に鮎を浅瀬に追い込む「総がらみ」を見物して、終了となる。
乗船から下船までおよそ2時間。川面を流れる涼風を浴びながらの夕食から伝統の鵜飼見物と贅沢なひとときを過ごすことができた。
/乗合船3,400円。ホテル・旅館の鵜飼プランに申し込めば、船の予約、食事・飲み物の準備などをすべて行ってくれる。

  • 船頭が棹を使って船を操る

  • 早めに出船した観覧船は川原に停泊し、ここで乗客は持ち込んだ夕食を食べる

  • ホテルが用意してくれた鵜飼弁当。お酒は持参

  • 花火の合図で鵜飼漁が開始される

  • 鵜舟上で、鵜につながった手縄(たなわ)を操る鵜匠

  • 鵜飼のクライマックス「総がらみ」

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記事・写真:谷山宏典 取材:2018年6月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。