三河・奥三河探訪(3)岡崎を巡る

瀧山東照宮。土日のみ拝観ができる松平郷をあとにして、次に向かったのは徳川家康生誕の地・岡崎。市内には、家康が生まれた「岡崎城」をはじめ、徳川将軍家代々の位牌を安置する「大樹寺」、日本三大東照宮のひとつ「瀧山東照宮」、家康が戦の前に必勝祈願をしたと伝わる「伊賀八幡宮」など、徳川家ゆかりの史跡や寺社が数多く点在している。
岡崎は旧東海道の宿場町としても栄え、「岡崎宿二十七曲がり」など現在の町並みにもその名残を見ることができる。「カクキュー八丁味噌の郷」では、江戸時代からこの地で造られてきた三河地方の伝統的食材・八丁味噌の工場や史料館を見学した。

ドライブルート

豊橋−(国道259号線・国道1号線・県道495号線など)−豊川−(県道495号線・国道151号線)−設楽原・長篠−(国道151号線)−湯谷温泉−(県道524号線・鳳来寺山パークウェイ)−鳳来寺−(鳳来寺山パークウェイ・県道524号線・県道389号線・国道32号線・国道257号線・国道420号線・県道35号線・国道301号線など)−豊田−(国道301号線・県道39号線・国道248号線)−岡崎−(国道1号線など)−豊橋

全行程 約190km、今回行程 約55km

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大樹寺本堂。安政2年の火災により一度は焼失するが、安政4年(1857)に13代将軍家定が再建した

大樹寺本堂。安政2年の火災により一度は焼失するが、
安政4年(1857)に13代将軍家定が再建した

大樹寺

「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」――戦のとき、徳川家康はこの八文字の言葉を旗印として掲げていた。その由来をたどると「大樹寺」に行きつく。
創建は文明7年(1475)、松平家4代親忠による。親忠は先祖3代の墓をこの寺に移して廟所を建設し、松平家の菩提寺とする。そして、ときは下って永禄3年(1560)。桶狭間の合戦で今川義元が討たれ、身の危険を感じた19歳の家康(当時は今川家配下)はここ大樹寺に逃れて、先祖の墓前で自害しようとした。そのとき、家康を思いとどまらせたのが13代住職登誉(とうよ)上人で、上人は家康に「厭離穢土 欣求浄土」(戦国乱世を終わらせ、住みよい浄土にするのがお前の役目だ)と諭して翻意させた。自らの危機を救い、人生の転換点となった場所であるためだろう、家康は晩年、遺命に「位牌は三河大樹寺に祀るべきこと」と遺し、以後徳川歴代将軍の位牌も安置されることになる。

  • 寛永18年(1641)、3代将軍家光が建立した山門。境内から見ると、山門、総門をとおして、その中心に家康が生まれた岡崎城が見える。家光がいかに祖父家康を尊敬していたかがわかる

    寛永18年(1641)、3代将軍家光が建立した山門。境内から見ると、
    山門、総門をとおして、その中心に家康が生まれた岡崎城が見える。
    家光がいかに祖父家康を尊敬していたかがわかる

  • 天文4年(1535)、家康の祖父・松平清康建立の多宝塔

    天文4年(1535)、家康の祖父・
    松平清康建立の多宝塔

本堂で黄金色に輝く阿弥陀如来を参拝したあとは、大方丈、文化財収蔵庫、位牌堂を巡った。文化財収蔵庫では、幕末期の土佐派絵師・冷泉為恭(れいぜいためちか)が安政4年(1857)年の大樹寺再建に際して、大方丈と本堂に描いた障壁画が公開されていた。その色彩の豊かさと大和絵らしい物語性は実に見事。また、位牌堂には松平家8代・徳川家14代(15代慶喜は除く)の等身大の位牌が安置されている。どの位牌もだいたい150〜160cmぐらいの大きさで、今と比べて当時の日本人は小柄だったことがうかがえた。
/宝物殿拝観料 400円、TEL 0564-21-3917

参道入口。急な石段を登っていく

参道入口。急な石段を登っていく

瀧山寺・瀧山東照宮

大樹寺から東へ10分ほど車を走らせると、青木川のほとりの山の上に建つ「瀧山寺」に着く。
創建はおよそ1,300年前の天武天皇のころ。その長い歴史において、源頼朝の従兄弟にあたる寛伝上人や、家康に仕えた天海僧正の仏弟子亮盛上人が住職を務めた時期もあり、頼朝や徳川将軍家から厚い信仰と庇護を受けてきた。

  • 瀧山寺本堂。南北朝期に再建されたもので、県内最古の木造建築

    瀧山寺本堂。南北朝期に再建されたもので、県内最古の木造建築

  • 徳川家5代将軍綱吉が寄進したと伝わる鐘

    徳川家5代将軍綱吉が寄進したと伝わる鐘

瀧山寺本堂の東側には、徳川家3代将軍家光の命によって正保3年(1646)に創建された「瀧山東照宮」が建つ。日光、久能山と並ぶ三大東照宮のひとつで、本殿、幣殿、拝殿、中門などの建造物のほか、宮内に所蔵されている3代家光寄進の太刀「長光」、4代家綱寄進の太刀「正恒」が国の重要文化財に指定されている。

  • 瀧山東照宮。土日のみ拝観ができる

    瀧山東照宮。土日のみ拝観ができる

坂を下った先にある宝物殿では、鎌倉時代の仏師、運慶・湛慶父子作の聖観音・梵天・帝釈天三尊像をはじめ、貴重な仏像を間近に拝観できる。三尊像は、頼朝の死後、寛伝上人が追善のために建立した寺院の本尊として安置されたもので、聖観音の大きさは頼朝の等身大で、仏身には髪と歯が納められている。

/宝物殿見学料 300円、東照宮本殿見学料(土日のみ)200円
TEL 0564-46-2296(瀧山寺)、0564-46-2516(瀧山東照宮・土日のみ)

  • 宝物殿。貴重な仏像や寺宝を手が届くほどの近さで拝観できる

    宝物殿。貴重な仏像や寺宝を手が届くほどの近さで拝観できる

  • 本堂から1キロほど離れたところに建つ三門(仁王門)。かつての寺領の広さをうかがわせる

    本堂から1キロほど離れたところに建つ三門(仁王門)。
    かつての寺領の広さをうかがわせる

伊賀八幡宮

文明2年(1470)、松平家4代親忠が、氏神として伊賀国からこの地に移し祀ったのが「伊賀八幡宮」のはじまり。以来、松平家、徳川家代々の祈願所となった。
堂々とした随神門をくぐり境内へ。正面に見える極彩色の拝殿は寛永13年(1636)に徳川家3代将軍家光によって、その奥の本殿は慶長16年(1611)徳川家康によって造営されたもので、ともに国の重要文化財に指定。江戸時代初期の建築を代表し、当時の神社配置形式を伝えるものとして、貴重な史跡とされている。

  • 随神門。神域の守り神、随神様が門の両側に配置されている

    随神門。神域の守り神、随神様が門の両側に配置されている

  • 拝殿。寛永13年(1636)、3代将軍家光によって本殿に増設して造営された

    拝殿。寛永13年(1636)、3代将軍家光によって本殿に増設して造営された

家康は、出陣の際には必ずこの神社で戦勝祈願をしたといわれ、関ヶ原の合戦や大坂の陣のときには神殿が鳴動し、鳥居が移動したりするなどの不思議なことが起こったと伝わる。また、桶狭間の合戦の際には、追っ手から逃れてようやく矢作川にたどり着いたものの、対岸に渡る川瀬が見つからずに困っていたとき、八幡宮の神使の鹿が現れて導いてくれ、何とか無事に対岸の大樹寺に入ることができたという逸話も残っている。
こうした歴史ゆえ、伊賀八幡宮には今もスポーツの試合や受験などの必勝祈願に訪れる参拝者が多いという。
/TEL 0564-26-2789

岡崎宿二十七曲がり

天正18年(1590)、家康が関東に移封されると、岡崎城には豊臣配下の田中吉政が入城。家康の西上に備えるため、新しい城下町づくりに着手した。そのひとつが東海道の再整備で、もともと菅生川の南にあった街道を城下へと引き入れ、さらに外敵からの防衛を有利にするために屈折を繰り返す長い道とした。これが「岡崎宿二十七曲がり」である。

  • 旧街道沿いの曲がり角には、案内柱が立つ

    旧街道沿いの曲がり角には、案内柱が立つ

  • 籠田公園の近くに建つ田中吉政像。彼が岡崎城主だった時代に、10年かけて二十七曲がりの街道が整備された

    籠田公園の近くに建つ田中吉政像。彼が岡崎城主だった時代に、
    10年かけて二十七曲がりの街道が整備された

二十七曲がりの旧東海道沿いには、現在も史跡や寺社のほか、さまざまな商店が軒を連ねているので、近隣の駐車場に車を停めて散策してみるのもいいだろう。東の「二十七曲がりの碑と冠木門」から西の「松葉総門碑」まで完全踏破しようとすると距離約8.9km、所要時間2時間30分程度のなかなかハードなウォーキングとなるため、事前に見どころを調べておいて、気になるポイントだけ歩くのがおすすめだ。

  • こちらも籠田公園近くの岡崎信用金庫資料館。大正6年(1917)に旧岡崎銀行本店として建造された建物で、赤レンガと地元産御影石を組み合わせたルネッサンス様式を取り入れている

    こちらも籠田公園近くの岡崎信用金庫資料館。大正6年(1917)に
    旧岡崎銀行本店として建造された建物で、赤レンガと地元産御影石を
    組み合わせたルネッサンス様式を取り入れている

  • 明治時代の道標

    明治時代の道標

  • 伝馬通り沿いの永田屋本店は明治23年(1890)創業の精肉店。大正のはじめに現在の場所に移転した。食べ歩きできる惣菜も売っている

    伝馬通り沿いの永田屋本店は明治23年(1890)創業の精肉店。大正のはじめに
    現在の場所に移転した。食べ歩きできる惣菜も売っている

  • 歩道にも道案内の標識が

    歩道にも道案内の標識が

岡崎城

明治8年(1875)、旧藩士を中心とした保存運動によって、日本最初の公園のひとつとして整備された岡崎公園。その園内の南側に建つのが、昭和34年(1959)に復興された「岡崎城」の天守閣だ。外観は三層五重の堂々とした構えで、内部は1〜4階が歴史資料の展示室、5階が展望台となっている。

  • 国道1号線沿いに建つ大手門は、平成5年(1993)に再建

    国道1号線沿いに建つ大手門は、平成5年(1993)に再建

  • 岡崎城天守閣を見上げる

    岡崎城天守閣を見上げる

  • 天守閣5階の展望台から望む岡崎の街。正面を流れるのは乙川

    天守閣5階の展望台から望む岡崎の街。正面を流れるのは乙川

天守閣の入口近くには、家康の遺訓を刻んだ石碑が建つ

天守閣の入口近くには、家康の遺訓を刻んだ石碑が建つ

室町時代の15世紀中頃、西郷頼嗣(稠頼)が菅生川の北岸に砦となる城をはじめて築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城してこの地を本拠とし、本格的な岡崎城を構えた。 徳川家康がこの城で生まれたのが、天文11年(1542)12月26日のこと。城の西側には、今も家康のえな(胞衣。胎盤のこと)を埋めた「えな塚」や産湯に使用した「東照公産湯の井戸」が残っている。家康はその後、織田家や今川家での人質生活を経て、桶狭間の合戦後の混乱に乗じて岡崎城に入城し、今川家からの自立を果たした。
江戸時代には岡崎城は「神君出生の城」として神聖視されて、本多氏、水野氏、松平氏という家格の高い譜代大名が代々の城主となった。石高こそ5万石前後と少なかったが、大名はこの城の城主となることを誇りにしたといわれている。

園内にはほかに、家康と本多忠勝を祀る「龍城神社」や歴史資料館「三河武士のやかた家康館」、家康の人形が能を舞う「からくり時計塔」、本多平八郎忠勝公銅像や徳川家康公銅像などが建つ。

/岡崎城入場料 200円、三河武士のやかた家康館入館料 360円、TEL 0564-22-2122(岡崎城)

  • 家康が生まれた際、その胎盤(えな)を埋めたと伝わる「えな塚」

    家康が生まれた際、その胎盤(えな)を
    埋めたと伝わる「えな塚」

  • 「東照公産湯の井戸」。この井戸の水を家康誕生時の産湯にしたと伝わる

    「東照公産湯の井戸」。この井戸の水を
    家康誕生時の産湯にしたと伝わる

  • 天守閣のすぐ隣に建つ「龍城神社」。江戸時代に城内にあった東照宮と本多忠勝を祀る神社が明治時代に合祀された神社

    天守閣のすぐ隣に建つ「龍城神社」。江戸時代に城内にあった
    東照宮と本多忠勝を祀る神社が明治時代に合祀された神社

  • 徳川四天王のひとりで、武田軍との戦で「家康に過ぎたるもの」と称された、本多忠勝の銅像

    徳川四天王のひとりで、武田軍との戦で「家康に
    過ぎたるもの」と称された、本多忠勝の銅像

  • 三方ヶ原の合戦で武田軍に惨敗したときの肖像画をもとに作られた「しかみ像」

    三方ヶ原の合戦で武田軍に惨敗したときの
    肖像画をもとに作られた「しかみ像」

  • 家康と三河武士がテーマの歴史博物館「三河武士のやかた家康館」

    家康と三河武士がテーマの歴史博物館
    「三河武士のやかた家康館」

  • 徳川家康の銅像。その背後には岡崎城天守閣が見える

    徳川家康の銅像。その背後には岡崎城天守閣が見える

カクキュー八丁味噌の郷

味噌は古くから日本人に親しまれ、全国各地で独自の味噌が造られているが、三河地方を代表する味噌と言えば、八丁味噌をおいてほかにない。八丁味噌とは、大豆と食塩のみを原料とした豆味噌で、濃厚な旨味と色の濃さが特徴。その名は、岡崎城から西へ八丁(約870m)の距離にある八帖町(旧・八丁村)で造られていることに由来する。八帖町には現在も江戸時代から続く2軒の味噌醸造元が営業しており、八丁味噌やその加工品の販売のほか、工場見学も行っている。
訪れたのは、正保2年(1645)創業の「カクキュー 八丁味噌の郷」。通り沿いに建つ本社事務所の正面には、伝統の屋号と味噌のラベルが大きく描かれており、一目でそれとわかる。

  • 本社事務所は昭和2年(1927)の建築で、白と黒を基調とする教会のようなモダンなデザインが目を引く

    本社事務所は昭和2年(1927)の建築で、白と黒を基調とする教会のようなモダンなデザインが目を引く

工場見学(無料)では、明治40年(1907)建築の味噌蔵を改装した史料館をまわったのち、巨大な味噌桶が並ぶ熟成蔵へ。「六尺」と呼ばれる大きな杉桶の中には6トンもの味噌が仕込まれ、その上には山のように積み上げられた重石3トンが載っている。熟成には二夏二冬以上かかるそう。見学の最後には味噌の試食があり、お土産までもらえるので、なかなかお得感のある見学ツアーだった。
併設する食事処ではオリジナルの八丁味噌料理が食べられるほか、売店では味噌ソフトクリームも販売している。その味は……ぜひ自分の舌でたしかめてほしい。
/TEL 0564-21-1355

  • 現在の工場もガラス越しに見学できる

    現在の工場もガラス越しに見学できる

  • 昔のカクキューの看板。描かれている絵は、日吉丸(のちの豊臣秀吉)と蜂須賀小六との出会いの場面。日吉丸がかぶっていたこも(マコモを編んだ敷物)がカクキューに忍び込んで盗んだものとの言い伝えから、商品のパッケージの図柄などに使われた

    昔のカクキューの看板。描かれている絵は、日吉丸(のちの
    豊臣秀吉)と蜂須賀小六との出会いの場面。日吉丸がかぶっていた
    こも(マコモを編んだ敷物)がカクキューに忍び込んで盗んだもの
    との言い伝えから、商品のパッケージの図柄などに使われた

  • 史料館。味噌の仕込み作業を再現

    史料館。味噌の仕込み作業を再現

  • 巨大な味噌桶が所狭しと並ぶ熟成蔵。蔵内にはほのかに味噌の香りが漂っていた

    巨大な味噌桶が所狭しと並ぶ熟成蔵。
    蔵内にはほのかに味噌の香りが漂っていた

  • 昔のパッケージなども展示されていた

    昔のパッケージなども展示されていた

  • 見学ツアーの最後には、八丁味噌や赤出し味噌、田楽の試食も

    見学ツアーの最後には、八丁味噌や赤出し味噌、田楽の試食も

  • 味噌蔵が並ぶカクキューの裏手の通りは「八丁蔵通り」と呼ばれる

    味噌蔵が並ぶカクキューの裏手の通りは「八丁蔵通り」と呼ばれる

  • 岡崎は平成18年(2006)のNHK連続テレビ小説『純情きらり』の舞台となり、カクキューもロケ地に。付近には出演者の手形が点在していた

    岡崎は平成18年(2006)のNHK連続テレビ小説
    『純情きらり』の舞台となり、カクキューも
    ロケ地に。付近には出演者の手形が点在していた

  • カクキューのすぐ隣には、もうひとつの八丁味噌の醸造元「まるや八丁味噌」がある。こちらでも工場見学や商品の販売を行っている

    カクキューのすぐ隣には、もうひとつの八丁味噌の醸造元「まるや八丁味噌」がある。
    こちらでも工場見学や商品の販売を行っている

六所神社

斉明天皇(655〜661年)の勅願により創建されたと伝わり、家康が生まれた際には産土神(うぶすながみ/神道において、その者が生まれた土地の守護神のこと)として参拝された。以来、徳川将軍家から厚い崇敬を受け、現在の極彩色の社殿は3代将軍家光の命によって造営された。
本殿、幣殿、拝殿、神供所(しんぐしょ)、楼門などが国の重要文化財に指定されているが、現在本殿、幣殿、拝殿は平成の大修復の最中で、実際に目にすることはできなかった。完成予定は平成29年(2017)11月末とのこと。
/TEL 0564-51-2930

  • 石段下から見上げる楼門。この石段は、かつては五万石以上の大名だけが登ることを許されたといわれる

    石段下から見上げる楼門。この石段は、かつては五万石
    以上の大名だけが登ることを許されたといわれる

  • 神供所。この建物も重要文化財

    神供所。この建物も重要文化財

法蔵寺

岡崎の市街地を離れ、国道1号線を南へ。本宿町で旧東海道へ入り、道沿いの小高い山の上に建つのが「法蔵寺」だ。訪れたのが平日だったためか、境内には人気がなくひっそりとしていたが、江戸時代には東海道に接していることから参詣者も多く、幕府の庇護を受けていたために大いに権勢をふるったといわれている。
本寺も家康との深い縁があり、幼いころにここで手習いや漢籍を学んだとされて、徳川家ゆかりの宝物も数多く残されている。

  • 法蔵寺本堂。大宝元年(701)、僧行基によって二村山出生寺として創建されて、至徳2年(1385)に法蔵寺と改められた

    法蔵寺本堂。大宝元年(701)、僧行基によって二村山出生寺
    として創建されて、至徳2年(1385)に法蔵寺と改められた

  • 家康の父・松平広忠をはじめ、松平家ゆかりの人々の墓が並ぶ

    家康の父・松平広忠をはじめ、松平家ゆかりの人々の墓が並ぶ

  • 法蔵寺の境内にも東照宮があった

    法蔵寺の境内にも東照宮があった

  • 近藤勇の首塚

    近藤勇の首塚

境内には、幕末の京都で活躍した新撰組局長・近藤勇の首塚もある。近藤は慶応4年(1868)、新政府軍に捕らえられ、東京・板橋の刑場で斬首。その首は京都の三条河原で晒されるが、同志がひそかに持ち出して、近藤が生前に敬慕していた寺院の住職に埋葬を依頼しようとした。しかし、住職は半年前からここ法蔵寺に移ってきており、近藤の首も京都から遠く離れた三河国まで運ばれ、この境内にて供養されたと伝わる。最後まで徳川幕府に尽くした男が、巡り巡って家康誕生の地・岡崎で眠っていることに、人の縁の不思議さを感じさせられた。
/TEL 0564-48-2636

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記事・写真:谷山宏典 取材:2016年3月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。