甲州街道ドライブ(3)甲府、韮崎を巡る

武田神社の社殿(拝殿) 旧甲州街道(国道411号線)に戻ってからは進路を西にとり、甲府へと向かった。かつて甲斐武田家の本拠地であったこの地には、武田信玄が開基した「甲斐善光寺」、武田氏の館・躑躅ヶ崎館跡でもある「武田神社」、信玄の隠し湯のひとつとして知られる「湯村温泉郷」など武田家ゆかりの場所が多い。
その後、県道7号線、通称「昇仙峡ライン」を北上。山梨を代表する観光スポット「昇仙峡」では、ロープウェイに乗ったり、渓谷を散策して絶景を満喫した。昇仙峡からは山あいの道をひた走り、甲斐武田家発祥の地である韮崎へ。代々の当主が氏神として尊崇した「武田八幡神社」や武田勝頼の命で真田昌幸が築城した「新府城跡」を巡った。

ドライブルート

山梨市−(県道314号線、県道208号線、国道411号線など)−石和温泉−(国道411号線、県道6号線、県道31号線など)−甲府−(県道7号線など)−昇仙峡−(県道27号線、県道17号線など)−韮崎 ……【甲州街道ドライブ(4)に続く】

行程 約45km

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笛吹川と笛吹権三郎像

国道411号線のすぐそばに建つ笛吹権三郎の像

国道411号線のすぐそばに建つ笛吹権三郎の像

国道411号線の笛吹川沿いを走っていると、道路脇の小さな広場に一体の像が建っているのが目に入った。笛吹川という名の由来だと伝わる、「笛吹権三郎の像」だった。

権三郎は、およそ600年前、上釜口の芹沢(現在の山梨市三富地区)で母親と二人暮らしをしていた。ある晩、豪雨のために川が氾濫。二人は濁流にのみ込まれてしまうが、若い権三郎は九死に一生を得ることができた。助かった権三郎は、毎日毎晩母親の好きだった曲を笛で吹きながら、川下の方まで母親を捜し歩くが、結局見つからず。しかも不幸なことに、権三郎自身も川の深みで足を滑らせて帰らぬ身となってしまう。それからしばらくして、夜になると川の流れの中から美しい笛の音が聞こえてくるようになり、いつしか地元の人々はこの川を笛吹川と呼ぶようになったそうだ。

甲斐善光寺

国道411号線を善光寺入口交差点で右折。善光寺通りを進んでいくと、正面に「甲斐善光寺」の大きな山門が見えてきた。
この寺は、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れた武田信玄が、本尊の善光寺如来像をはじめとした諸仏寺宝類を奉還したことにはじまる。その後、武田氏滅亡により、本尊は織田・徳川・豊臣の各氏を転々とするが、慶長3年(1598)に信濃に帰座。甲斐善光寺では新たに本尊を定めて、現在に至っている。

  • 善光寺通り。正面に朱色の山門が見える

    善光寺通り。正面に朱色の山門が見える

  • 山門から金堂方向を眺める

    山門から金堂方向を眺める

境内の見どころのひとつは、金堂天井に描かれた二頭の巨大な龍の絵。絵が描かれた廊下の部分のみ吊り天井になっていて、手をたたくと多重反響現象による共鳴が起こるため、「日本一の泣き龍」と呼ばれている。
金堂後方からは戒壇廻りをすることもできる。戒壇廻りとは、死後の世界に見立てた金堂下の真っ暗な通路を一回りして地上に戻ることで生まれ変わりを疑似体験する宗教儀式のこと。本尊善光寺如来の真下に当たる場所には幸運の鍵がかけられ、その鍵に触ると仏様と縁を結び、極楽行きが約束されるといわれている。
急な階段を下り、地下に下りてみると文字通りの真っ暗闇で何も見えず。壁を伝って、すり足気味にゆっくりと通路を進み、ふたたび地上に戻ったときには深い安堵感を覚えた。
/拝観料 500円、TEL 055-233-7570

  • 甲斐善光寺の金堂。山門とともに重要文化財に指定されている

    甲斐善光寺の金堂。山門とともに重要文化財に指定されている

武田神社

甲府駅から北北東の方向にまっすぐ延びる県道31号線、通称「武田通り」を進んだ先に「武田神社」はある。この神社の敷地は、もともと武田信玄が本拠とした躑躅ヶ崎(つつじがさき)館があった場所で、神社を囲む堀や土塁、石垣などにその名残を見ることができる。
躑躅ヶ崎館は永正16年(1519)、信玄の父・信虎が石和より移って建てた館で、天正9年(1581)に信玄の子・勝頼が新府(韮崎)に移るまでの62年の間、甲斐国の政庁としての機能を果たしてきた。周囲には武田二十四将をはじめとする諸将の屋敷のほか、職人町などもあり、広大な城下町を形成していたといわれている。
神社として社殿が造営されたのは大正時代に入ってからで、祭神はもちろん武田信玄その人である。

  • 武田神社の正面入口。朱色の神橋を渡って、境内に入る

    武田神社の正面入口。朱色の神橋を渡って、境内に入る

  • 武家館だった名残だろう、まわりは堀に囲まれていた

    武家館だった名残だろう、まわりは堀に囲まれていた

  • 武田信玄と言えば、やはりこの「孫氏の旗」

    武田信玄と言えば、やはりこの「孫氏の旗」

  • 武田神社の社殿(拝殿)

    武田神社の社殿(拝殿)

隣接する宝物殿には信玄や武田二十四将を描いた絵画、太刀、甲冑、軍扇など武田家ゆかりの貴重な品が展示されており、時間があればぜひ見学したい。
/宝物殿入館料 300円、TEL 055-252-2609

  • 境内には、信玄が使ったと伝わる井戸の跡が残っていた

    境内には、信玄が使ったと伝わる井戸の跡が残っていた

  • 武田家ゆかりの貴重な品々が見られる宝物殿

    武田家ゆかりの貴重な品々が見られる宝物殿

湯村温泉郷

甲府市中心部の西側に位置し、かつては信玄公の隠し湯のひとつであったといわれる「湯村温泉郷」。山の手通りから湯村交差点を右折して、細い道を走っていくと、やがて温泉宿が立ち並ぶ一帯へと入っていく。
湯村温泉の歴史は古く、その起源にはいくつかの伝承が残っている。ひとつは「杖の湯伝説」で、大同3年(808)に弘法大師がこの地に立ち寄った際、突いた杖のあとからお湯が湧き出たというもの。また、「鷲の湯伝説」によれば、その昔、一羽の鷲が1日に何度も飛んで来ては萱場の中に出たり入ったりしていたので、不思議に思った村人たちがその場所を調べてみると温泉が湧き出てきたという。

  • 湯村温泉郷の入口

    湯村温泉郷の入口

  • 古くからの源泉「鷲の湯」の跡に建つ「鷲温泉」。かつては共同浴場として営業していたが、現在は休業中

    古くからの源泉「鷲の湯」の跡に建つ「鷲温泉」。
    かつては共同浴場として営業していたが、
    現在は休業中

  • 弘法大師ゆかりの源泉「杖の湯」に入れる旅館「杖温泉弘法湯」

    弘法大師ゆかりの源泉「杖の湯」に入れる旅館「杖温泉弘法湯」

  • 弘法湯の裏手に「杖の湯」跡があり、案内板などはあったが、史跡らしさはなかった……

    弘法湯の裏手に「杖の湯」跡があり、案内板などは
    あったが、史跡らしさはなかった……

いっとき甲府に住んでいた太宰治もたびたび足を運んだようで、「明治温泉」を常宿として作品の執筆に取り組んだといわれている。

  • 太宰治が常宿にした「旅館明治」

    太宰治が常宿にした「旅館明治」

  • 湯村温泉郷の守り神である湯谷大権現を祭神とする「湯谷神社」

    湯村温泉郷の守り神である湯谷大権現を祭神とする「湯谷神社」

  • 弘法大師によって開山された塩沢寺の地蔵堂。室町末期の建築で、国の重要文化財に指定

    弘法大師によって開山された塩沢寺の地蔵堂。室町末期の建築で、国の重要文化財に指定

昇仙峡

秩父多摩甲斐国立公園内に位置する「昇仙峡」は、深い渓谷に沿って屹立する花崗岩の巨岩や断崖絶壁を流れ落ちる滝など、自然が作り出した数々の絶景に出会える山梨を代表する観光スポットである。

まずは昇仙峡ロープウェイに乗ってパノラマ台へ。上空は晴れて気持ちのいい天気だったが、まわりの高い山のあたりには雲がたまっていて、残念ながら富士山や南アルプスを遠望することはできなかった。ロープウェイ乗り場の看板に「山頂はパワースポット」と書かれていたが、たしかに「福を呼ぶ鐘(出愛の鐘)」「龍の松」「富士山遥拝所」「和合権現」などあちこちにパワースポットを謳う場所があり、多くの観光客でにぎわっていた。

  • 昇仙峡ロープウェイの乗り場

    昇仙峡ロープウェイの乗り場

  • ロープウェイに乗って、パノラマ台へ!

    ロープウェイに乗って、パノラマ台へ!

  • ロープウェイからの眺め

    ロープウェイからの眺め

  • 見晴らしのいい丘の上に建つ「福を呼ぶ鐘」

    見晴らしのいい丘の上に建つ「福を呼ぶ鐘」

  • パノラマ台の浮富士広場。このデッキから富士山を遠望できるが、この日は残念ながら雲の中だった

    パノラマ台の浮富士広場。このデッキから富士山を
    遠望できるが、この日は残念ながら雲の中だった

  • 展望台からは甲府盆地や周囲の山々が一望に

    展望台からは甲府盆地や周囲の山々が一望に

落差30mの壮麗な「仙娥滝」

落差30mの壮麗な「仙娥滝」

パノラマ台から下りてきたあとは、昇仙峡の渓谷へ。道は遊歩道がしっかり整備されているため歩きやすい。階段を下りていくと、まず迎えてくれたのが断崖を轟々と流れ落ちる高さ30mの「仙娥滝」。そこからしばらく行くと、右手に昇仙峡のシンボルである「覚円峰」が見えてきた。その名は昔、澤庵禅師の弟子の僧侶覚円が畳数畳分の広さの頂上で修行したことに由来する。花崗岩が風化水食を受けてできたもので、高さはおよそ180mにもなる。
食事に入った店の人の話では、秋になると紅葉が美しく、もっともおすすめの季節だという。今回は夏の最盛期だったが、あらためて秋にまた訪ねてみたくなった。
/TEL 055-287-2158(昇仙峡観光協会)

  • 右手の屹立する岩塔が、昇仙峡のシンボル「覚円峰」

    右手の屹立する岩塔が、昇仙峡のシンボル「覚円峰」

  • 遊歩道に突き出た巨大な岩の下を通過する「石門」

    遊歩道に突き出た巨大な岩の下を通過する「石門」

  • 山梨は山間部に数多くの水晶鉱山を有し、水晶の発掘地として栄えた歴史がある。昇仙峡の沿道にも水晶を扱う店が軒を連ねていた

    山梨は山間部に数多くの水晶鉱山を有し、水晶の発掘地として栄えた歴史がある。
    昇仙峡の沿道にも水晶を扱う店が軒を連ねていた

参道から拝殿を見上げる

参道から拝殿を見上げる

武田八幡神社と武田の里

甲斐武田家のルーツをたどると、現在の韮崎市の「武田の里」と呼ばれる一帯に行き着く。
平安末期、清和天皇の流れを汲み、甲斐源氏の祖といわれる源義光(新羅三郎義光)の曾孫・源信義は武田ノ荘と呼ばれたこの地を与えられ、祖父義清と同じ武田姓に復姓して自らを武田太郎と名乗った。彼は甲斐源氏一族を率いて勢力を広げ、その後の甲斐武田家の発展の礎を築いたといわれている。

武田の里には、信義が元服したと伝わる「武田八幡神社」が今も残っている。同社はもともと日本武尊の王子・武田王を祀った宮社が起源で、弘仁13年(822)に九州宇佐八幡を迎えて武田王(武田武大神)と合祀して武田八幡宮と称するように。信義以降は甲斐武田家の氏神として尊崇され、現存する本殿は武田信玄によって再建されたものだ。

  • 拝殿の奥に建つ本殿は、天文10年(1541)に武田信玄によって再建された

    拝殿の奥に建つ本殿は、天文10年(1541)に武田信玄によって再建された

  • 石鳥居の両脇には歴史を感じさせる巨木が立っていた。奥の総門は工事中

    石鳥居の両脇には歴史を感じさせる巨木が
    立っていた。奥の総門は工事中

武田の里にはほかにも「武田信義館跡」や信義が築城した「白山城跡」などの史跡がある。また、武田氏とは関係ないが、韮崎出身で平成27年(2015)にノーベル医学・生理学賞を受賞した大村智博士が長年収集してきた美術品を展示する「韮崎大村美術館」もあり、立ち寄ってみるのもいいだろう。

  • 武田信義がこの地に館を構え、その後の甲斐武田家の繁栄の礎を築いた

    武田信義がこの地に館を構え、その後の甲斐武田家の繁栄の礎を築いた

  • 「韮崎大村美術館」は、全国でもあまり例がない、近代から現代までの女流作家の作品を数多く展示している美術館

    「韮崎大村美術館」は、全国でもあまり例がない、近代から現代までの
    女流作家の作品を数多く展示している美術館

  • 同館の館長であり、ノーベル医学・生理学賞の受賞者である大村智の胸像

    同館の館長であり、ノーベル医学・生理学賞の受賞者である大村智の胸像

  • 美術館のそばには日帰り入浴ができる「白山温泉」があった

    美術館のそばには日帰り入浴ができる「白山温泉」があった

新府城跡

県道17号線。左手の斜面を上がったところに新府城跡はある

県道17号線。左手の斜面を上がった
ところに新府城跡はある

「新府城」は天正9年(1581)、武田勝頼が配下の真田昌幸に命じて築かせた城である。当初は勢力を拡大する織田・徳川連合軍に対する劣勢の挽回を期して築かれたが、天正10年(1582)織田軍の侵攻を前に自ら火を放ち、城を捨てて退去する。勝頼らのその後の運命は、「甲州街道ドライブ(1)(2)」の「岩殿山」「景徳院」に書いた通りである。

県道17号線のすぐ脇の斜面につけられた急な階段を登っていくと、城跡に建てられた藤枝神社の前に出る。その先には夏草が茂る平坦地が広がっているだけで、素人目には城の痕跡を見つけることはできない。「蔀の構」や「二の丸」などのかつての構造物や建物を示す看板も立っていたが、それがなければ何も知らずに通り過ぎてしまうだろう。
ただ、外堀の水準と本丸との80mもの標高差や、南西側に切れ落ちた七里岩とその下を流れる釜無川、北西〜北〜北東にわたってめぐらされた堀などから強固な防御を誇る城であっただろうことは想像できる。

  • 城跡へ至る急な石段。新府城の険しさを体感できる

    城跡へ至る急な石段。新府城の険しさを体感できる

  • 城跡の一画に建つ藤枝神社

    城跡の一画に建つ藤枝神社

  • 新府城落城のエピソードは、現在放送中のNHK大河ドラマ『真田丸』の序盤でも描かれた。敷地内には『真田丸』ののぼりがあちこちに立っていた

    新府城落城のエピソードは、現在放送中のNHK大河
    ドラマ『真田丸』の序盤でも描かれた。敷地内には
    『真田丸』ののぼりがあちこちに立っていた

  • 本丸跡には草が生い茂る平坦地がただただ広がっていた

    本丸跡には草が生い茂る平坦地がただただ広がっていた

  • 新府城本丸跡の碑

    新府城本丸跡の碑

  • この先に二の丸跡があるが、看板がなければ見過ごしてしまうだろう

    この先に二の丸跡があるが、看板がなければ見過ごしてしまうだろう

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富士の国やまなし 観光ネット
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e-甲府ドットコム(甲府市観光協会)
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記事・写真:谷山宏典 取材:2016年8月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。