甲州街道ドライブ(2)勝沼ワインと武田家二代の菩提寺

景徳院総門 笹子峠から下っていくと、笛吹川の支流・日川沿いでふたたび国道20号線と合流する。その日川を上流方面へ3kmほどさかのぼったところにあるのが、織田・徳川の連合軍に追い詰められ、自刃して果てた武田勝頼とその一族郎党を弔う「景徳院」だ。
その後、国道20号線を西へと走り、日本屈指の葡萄とワインの産地として名高い勝沼へ。かつて甲州街道の宿場・勝沼宿がおかれたこの地の東端には、江戸から明治にかけての戊辰戦争の戦場となった「柏尾橋」や全国的にも珍しい葡萄薬師で知られる「大善寺」がある。車窓からはあちこちで葡萄棚が広がるのを目にすることができ、この一帯が“葡萄の郷”だということをあらためて実感できた。「勝沼トンネルワインカーヴ」や「宮光園」など勝沼ワインの今昔に触れる施設を見学したあとは、すこし寄り道をしようと甲州街道を離れて塩山方面へと北上。武田信玄の菩提寺「恵林寺」や国宝の仏殿が建つ「清白寺」を巡った。

ドライブルート

笹子峠−(県道212号線・国道20号線など)−大和−(国道20号線など)−勝沼−(県道38号線・県道34号線・国道411号線など)−塩山−(県道38号線、県道216号線など)−山梨市 ……【甲州街道ドライブ(3)に続く】

行程 約45km

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景徳院

「景徳院」の総門の脇には「武田勝頼之墓」の石碑が立つ。
天正10年(1582)3月、織田・徳川連合軍に攻め込まれた甲斐武田家当主・勝頼とその一族郎党はいったん大月の岩殿城を目指すが、城主・小山田信茂の裏切りによって入城できず、日川沿いの田野の高台に陣を構えた。しかし、最早戦うに足る兵力は残っておらず、勝頼はこの地で夫人と子・信勝、約50名の郎党らとともに自刃した。同年7月、甲斐国主となった徳川家康が武田家の遺臣に命じて、勝頼らの菩提を弔うためにここに田野寺を建立。その寺が、のちに勝頼の戒名である景徳院と呼ばれるようになった。

  • 景徳院総門

    景徳院総門

境内には勝頼、夫人、信勝が自害した「生害石」や、3人の遺体を埋葬した場所である「没頭地蔵尊」(首のない3体の地蔵が祀られている)、3人の坐像と殉難諸士の位牌を安置した「甲将殿」がある。甲将殿の背後に建つ「勝頼公主従の墓」は、二百年遠忌の安永4年(1775)に建立されたという。
「おぼろなる 月もほのかに 雲かすみ 晴れてゆくえの 西の山の端」
石碑に刻まれた勝頼の辞世の句を読みながら、彼の無念に思いを馳せた。
/TEL 0553-48-2225

  • 武田勝頼が自害した生害石

    武田勝頼が自害した生害石

  • 首のない3体の地蔵が祀られる没頭地蔵尊。ここに勝頼と夫人、信勝の遺体が埋葬されているという

    首のない3体の地蔵が祀られる没頭地蔵尊。
    ここに勝頼と夫人、信勝の遺体が埋葬されているという

  • 甲将殿。勝頼に従った将兵たちの亡骸は、この建物が建っている場所に掘った穴にまとめて葬られたと伝わる

    甲将殿。勝頼に従った将兵たちの亡骸は、この建物が建っている
    場所に掘った穴にまとめて葬られたと伝わる

  • 甲将殿の裏にある、勝頼公主従の墓

    甲将殿の裏にある、勝頼公主従の墓

  • 景徳院のそばを流れる雨沢。ここに湧く清水の池で勝頼親子の首を洗ったといわれ、別名「首洗い池」と呼ばれる

    景徳院のそばを流れる雨沢。ここに湧く清水の池で勝頼親子の
    首を洗ったといわれ、別名「首洗い池」と呼ばれる

  • 勝頼、夫人、信勝の辞世の句を彫った石碑が没頭地蔵尊のそばに建っていた

    勝頼、夫人、信勝の辞世の句を彫った石碑が
    没頭地蔵尊のそばに建っていた

勝沼トンネルワインカーヴ

国道20号線を深沢入口交差点で右折し、山の斜面に広がる葡萄畑を眺めながら1kmほど走ったところに「勝沼トンネルワインカーヴ」はある。管理事務所で受付を済ませて、重い鉄扉を開けてトンネルの中へ。入った瞬間にひんやりとした空気が肌に触れて、汗が引く感じがした。
ワインカーヴとはワイン貯蔵庫のことで、全長1,100メートルの坑内の両側には貯蔵ラックがずらりと並び、個人用およびワイナリー各社のワインが保管されている。最大で約100万本のワインを貯蔵できるという。見学者はラックが並ぶ手前まで入ることができる。
ここはもともと明治36年(1903)に開通した中央本線旧深沢トンネルで、100年近く旅客や貨物の輸送を支えたが、平成9年(1997)に隣に新トンネルが開通したため閉鎖。その後、JR東日本から旧勝沼町に譲渡されて、ワイン貯蔵庫として再利用されるようになった。レンガ造りのその構造は鉄道遺産としても貴重である。

  • トンネルワインカーヴの管理事務所。観光案内とワインの販売も行っている

    トンネルワインカーヴの管理事務所。
    観光案内とワインの販売も行っている

  • 勝沼トンネルワインカーヴの入口

    勝沼トンネルワインカーヴの入口

  • 坑内は年間を通じて温度6〜14℃、湿度45〜65%に維持され、ワインの熟成には最適な環境を保っている

    坑内は年間を通じて温度6〜14℃、湿度45〜65%に維持され、ワインの熟成には最適な環境を保っている

ワインカーヴの向かい側には、同じく中央本線の大日影トンネルがあり、以前は遊歩道として中を歩くことができたが、現在は漏水および経年劣化のため「当分の間、閉鎖」となっていた。
/TEL 0553-20-4610

  • 現在は通行禁止となっている、大日影トンネル

    現在は通行禁止となっている、大日影トンネル

  • 周囲には葡萄畑が広がっていた

    周囲には葡萄畑が広がっていた

柏尾橋と近藤勇像

柏尾橋のたもとに建つ近藤勇像

柏尾橋のたもとに建つ近藤勇像

日川の支流・深沢川に架かる「柏尾橋」。そのたもとに新選組の「近藤勇像」が建っていた。台座には「柏尾の古戦場」とある。
慶応4年(1868)3月5日、近藤勇を隊長とする幕府軍(甲陽鎮撫隊)は柏尾橋の東に布陣。翌6日、甲州街道を江戸に向かって東に進軍してくる板垣退助率いる新政府軍を迎え撃った。しばらくは深沢の渓谷をはさんで大砲の打ち合いが行われるなど一進一退を繰り返していたが、兵力の差は圧倒的で、三手にわかれて柏尾に迫る新政府軍に対して幕府軍はやがて総崩れとなり、正午ごろにはじまった戦闘は1時間ほどで新政府軍の勝利に終わった。
現在の柏尾橋から上流へ向かって歩くと、明治柏尾橋、大正柏尾橋、江戸柏尾橋の代々の橋台が残り、茂みの間に見ることができた。

  • 国道20号線が走る、現在の柏尾橋

    国道20号線が走る、現在の柏尾橋

  • 江戸時代の柏尾橋の橋台が今も残っている

    江戸時代の柏尾橋の橋台が今も残っている

大善寺の山門

大善寺の山門

大善寺

「大善寺」には、甲州葡萄の発祥の地であるという、いわゆる「大善寺伝説」があり、それゆえ別名「ぶどう寺」とも呼ばれている。
その物語は次の通りだ。養老2年(718)、僧行基が甲斐国を訪れたときに日川渓谷の大岩の上で修業をしたところ、夢の中に右手に葡萄を持った薬師如来が現れた。目覚めた行基はさっそく夢と同じ姿の薬師如来像を刻んで、像を安置する寺を開山。それが大善寺だといわれている。また、行基が寺のまわりに薬園をつくって、法薬の葡萄の栽培法を村人に教えたことから、この地で葡萄栽培が始まったとも伝えられている。

  • 柏尾坂の戦いを描いた錦絵にも、大善寺の山門が描かれている

    柏尾坂の戦いを描いた錦絵にも、大善寺の山門が描かれている

重厚な造りの山門をくぐり、石段を登ったところに建つのが、国宝に指定されている本堂、別名「薬師堂」だ。建立は弘安9年(1286)で、関東でもっとも古い木造建築である。全体にどっしりとした佇まいで、檜皮葺きの屋根は流麗なラインを描いて大きく広がっている。内部には、平安初期の作の薬師如来像(葡萄薬師)、日光・月光菩薩像が安置されているが、秘仏のため5年に1度の御開帳のときにしか、その姿を拝むことができないそうだ。
/拝観料 500円、TEL 0553-44-0027

  • 参道の階段。ここを登った先に本堂薬師堂がある

    参道の階段。ここを登った先に本堂薬師堂がある

  • 本堂(薬師堂)は国宝に指定されている

    本堂(薬師堂)は国宝に指定されている

  • 1,300年前、修験道の開祖・役行者が金峰山で大蛇を退治した故事に倣って、毎年5月8日に大蛇に見立てた藤蔓を切り落とす「藤切り祭」がここで行われる

    1,300年前、修験道の開祖・役行者が金峰山で大蛇を退治した
    故事に倣って、毎年5月8日に大蛇に見立てた藤蔓を
    切り落とす「藤切り祭」がここで行われる

  • ぶどう寺という名の通り、山門のそばにも葡萄棚が広がっていた

    ぶどう寺という名の通り、山門のそばにも葡萄棚が広がっていた

  • 高台になった境内から町を見下ろす

    高台になった境内から町を見下ろす

宮光園

勝沼には多くの観光ブドウ園があるが、そのルーツをたどると「宮光園」に行きつく。
宮光園は、日本のワイン産業の先駆者のひとり、宮崎光太郎が自宅に整備した宮崎葡萄酒醸造所と観光ブドウ園の総称。現在はその主屋が、貴重な映像資料や写真、当時のワインボトルやラベルなどを展示する資料館として開放されている。
勝沼で日本初のワイン醸造会社「大日本山梨葡萄酒会社」が設立されたのは明治10年(1877)のこと。その後、明治19年(1886)に同社は解散してしまうが、宮崎は醸造器具などいっさいを引き継いで、フランスでワイン造りを習得した土屋龍憲とともに「甲斐産葡萄酒醸造所」を開設し、自らワイン醸造をはじめた。宮崎らが造ったワインは「大黒天印甲斐産葡萄酒」と命名されて、東京にも広く販売。大正期には勝沼駅開業に合わせて、葡萄狩りとワイン工場見学をセットにした観光スタイルを企画し、皇族の人々や著名人が数多く訪れた。

  • 宮光園の門

    宮光園の門

  • 主屋。1階が日本建築、2階が洋館建築となっている独特な建物。右の大黒天は、米俵ではなく、ワイン樽に乗っている

    主屋。1階が日本建築、2階が洋館建築となっている独特な建物。
    右の大黒天は、米俵ではなく、ワイン樽に乗っている

  • 2階の展示スペースの廊下

    2階の展示スペースの廊下

  • 創業当時からのワインボトル。右のボトルのラベルには「甲斐産葡萄酒」とある

    創業当時からのワインボトル。右のボトルの
    ラベルには「甲斐産葡萄酒」とある

  • 大黒葡萄酒の看板

    大黒葡萄酒の看板

  • 通りをはさんだ向かい側に立つ「ワイン資料館」。運営はメルシャン

    通りをはさんだ向かい側に立つ「ワイン資料館」。運営はメルシャン

メルシャンのワインギャラリー。同社はもともと三楽酒造という社名で、大黒葡萄酒(当時の社名はオーシャン)などを吸収合併して事業を拡大した

メルシャンのワインギャラリー。同社はもともと三楽酒造という社名で、
大黒葡萄酒(当時の社名はオーシャン)などを吸収合併して事業を拡大した

宮光園の向かいに建つメルシャンの「ワイン資料館」は、もともと宮崎光太郎が明治37年(1904)に建てた宮崎第二醸造場の建物であり、館内には明治期以降に実際に使われていた醸造器具などが展示されている。あわせて見学してみるといいだろう。
/宮光園 入館料 200円、TEL 0553-44-0444

恵林寺

武田信玄公訓言の石碑

武田信玄公訓言の石碑

勝頼の菩提寺「景徳院」を訪ねたならば、その父・武田信玄公の菩提寺「恵林寺」にも参拝しようと思いつき、甲州街道を外れて北に進路をとり、塩山方面へと車を走らせた。
恵林寺は、元徳2年(1330)、この地を治めていた領主・二階堂道蘊(どううん)が夢窓国師を招き、自邸を禅院に改めたのが始まりである。その後、甲斐国主・武田信玄が自らの菩提寺として定め、信玄が病死した3年後の天正4年(1576)には息子・勝頼によって盛大な葬儀が行われたと伝えられる。武田家滅亡後、織田信長によって諸堂がことごとく焼かれてしまったが、本能寺の変ののち、甲斐を治めた徳川家康によって再建された。
ちなみに、織田軍の焼き討ちを受けたとき、燃え上がる三門楼上で快川国師が喝破した「安禅必ずしも山水を須(もち)いず 心頭滅却すれば火自ずから涼し」という言葉はあまりにも有名である。

  • 三門。門の両側の柱には「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」という快川国師の言葉がかけられている

    三門。門の両側の柱には「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」という快川国師の言葉がかけられている

  • 庫裏(右)と本堂(左奥)

    庫裏(右)と本堂(左奥)

  • 庫裏の内部。有料拝観の出発点でもある

    庫裏の内部。有料拝観の出発点でもある

  • 歩くと床がきしむ「うぐいす廊下」

    歩くと床がきしむ「うぐいす廊下」

本寺の見どころはやはり、信玄31歳のとき、京都より仏師を招き、自らの姿を模して彫らせたという等身大の不動明王「武田不動尊」だろう。不動明王が安置された明王殿の背後には信玄の墓が建つ。
夢窓国師によって築かれた庭園もすばらしい。のちに同師が手がけた京都の天龍寺や西方寺(通称「苔寺」)につながる名園の呼び声も高い。
/拝観料 300円、TEL 0553-33-3011

  • 武田信玄公墓所を背後から。平成28年(2016)6月より信玄公墓所への立ち入りは、月命日である毎月12日のみとなった

    武田信玄公墓所を背後から。
    平成28年(2016)6月より信玄公墓所への
    立ち入りは、月命日である毎月12日のみとなった

  • 国の名勝に指定されている恵林寺庭園

    国の名勝に指定されている恵林寺庭園

清白寺

あたり一帯に葡萄畑が広がるのどかな景色の中、案内の看板に従って細い道を進んでいくと「清白寺」に着く。平日の昼間のためか、ほかに観光客はおらず、境内はひっそりとしていた。
文献によると、本寺は足利尊氏が開基し、夢想国師を開山として、正慶2年(1333)に創立されたと伝わる。江戸中期の天和2年(1682)の火災で仏殿を残してほとんどの建物が焼失し、その後再建されて現在に至っている。火災を免れた仏殿は、室町中期の応永22年(1415)の建立で、禅宗仏殿の古い様式を伝える貴重な遺構として国宝に指定されている。
/TEL 0553-22-0829

  • 国宝の清白寺仏殿

    国宝の清白寺仏殿

  • 庫裏と本堂

    庫裏と本堂

根津記念館

長屋門。正面16間、側面3間もある

長屋門。正面16間、側面3間もある

明治時代、甲州財閥と呼ばれた甲州出身の実業家たちは、電気、鉄道、ガスなどの公共的事業への投資を通じて、東京の経済界への進出を果たしていった。そのうちのひとりが「鉄道王」と呼ばれた根津嘉一郎。彼は東武鉄道の経営再建、高野鉄道と南海鉄道との合併、日本初の地下鉄開通などの鉄道事業に力を注ぎながら、近代数寄者として芸術・文化を愛し、数多くの美術品の蒐集を行った。そんな彼の実家である根津家一族の屋敷を保存・公開しているのが、旧青梅街道沿いに建つ「根津記念館」だ。
敷地内には、昭和8年(1933)に竣工した「旧主屋」のほか、「土蔵」、嘉一郎の故郷山梨における迎賓館的機能を持っていた「青山荘」、「茶室 燕子花」などが建つ(青山荘と茶室は図面をもとに復元した建物)。青山荘から眺める「庭園 笛吹川」は、御坂の山々や富士山を借景とするなど、近代数寄者の名にふさわしい作庭となっている。

  • 旧主屋の玄関口

    旧主屋の玄関口

  • 旧主屋の1階

    旧主屋の1階

  • 庭園「笛吹川」。奥に見えるのが、復元された青山荘の一部

    庭園「笛吹川」。奥に見えるのが、復元された青山荘の一部

展示棟「八蔵」には常設展示室と企画展示室がある。常設展示では、根津嘉一郎の生涯をパネルで紹介

展示棟「八蔵」には常設展示室と企画展示室がある。
常設展示では、根津嘉一郎の生涯をパネルで紹介

展示棟「八蔵」の常設展示室では、嘉一郎の生涯をパネルで紹介。
「事業を経営する究極の目的は決して金を儲ると云フ事ではない。国家や社会に本当に裨益しようとする真の目的がなくては栄えるものではない」
という言葉に、明治の実業家の熱き志が伝わってきた。
/入館料 300円、TEL 0553-21-8250

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記事・写真:谷山宏典 取材:2016年7月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。