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坂本龍馬 下関・門司編

ドライブライン

レトロ街の前から観光船、下関への連絡船が出る 慶応3年(1867)、坂本龍馬に次々に起こるさまざまな事件の中で、窮地に陥った亀山社中を救ったのは、意外にも龍馬が脱藩した土佐藩だった。敵対関係であった土佐藩参政後藤象二郎と政治見解で一致。4月に亀山社中は、土佐海援隊と名を変えて、海外貿易の事業拡大を目指した。ここで、長崎の土佐商会に着任したばかりの岩崎弥太郎が海援隊支援の責任者として敏腕をふるった。
この年の9月18日長崎港を出航した龍馬は、妻のお龍と下関で落ち合った。僅か数日の逢瀬であったが、最後の日々をふたりで過ごした下関に面影を訪ねた。
江戸時代、北前船の寄港地として集散し、西の浪華として栄えていた下関は、維新の志士たちが繁く往来していたところでもある。潮の流れの速い関門海峡をはさんで門司もまた維新後の時代を映した建物が多く残されている。


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ドライブライン

<コース>
福岡−(九州自動車道)−下関IC−下関市内−(国道2号線)−(国道3号線)−門司港−(国道3号線)−福岡
行程 約270km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●赤間神宮

平安末期の1185年、源義経率いる源氏軍は一ノ谷で平家を破り、下関に退いた平家を源氏が追跡、壇ノ浦の合戦で勝利をおさめる。神宮境内には、わずか8歳で関門海峡に入水された安徳天皇を祀る安徳天皇御陵がある。壇ノ浦を望む鮮やかな朱塗りの竜宮造りの水天門は、下関のシンボル的存在だ。「海の中にも都はある」という二位の尼(平時子で平清盛の妻であり安徳天皇の祖母でもある)の願いを映して建てられたものといわれている。
中国地方唯一の御陵や壇ノ浦の合戦で滅んだ平知盛をはじめ平家一門の武将を祀る「七盛塚」、他には小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談の一つ「耳なし芳一」のもととなった法師像。これらの資料を展示した宝物殿もある。
/入館料 100円、TEL 083-231-4183

赤間神宮
赤間神宮
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13重の赤間神宮・水天供養塔
13重の赤間神宮・水天供養塔

赤間神宮から壇ノ浦がよく見える
赤間神宮から壇ノ浦がよく見える
耳なし芳一のモデル琵琶法師を祀るお堂
耳なし芳一のモデル琵琶法師を祀るお堂

平家と共に壇ノ浦に入水された安徳天皇御陵
平家と共に壇ノ浦に入水された
安徳天皇御陵
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平家一門の墓
平家一門の墓

源義経が戦勝を祈った大歳神社
源義経が戦勝を祈った
大歳神社

下関の夜
下関の夜

●本陣伊藤助太夫邸跡

伊藤邸は、龍馬がお龍と落ち合い数日を過ごした屋敷で、伊藤家は代々赤間で大年寄を務める町の有力者だった。参勤交代などで大名が泊まる本陣にもなっていた。龍馬は屋敷内の「自然堂」と名のついた部屋を与えられていた。
ここにお龍を残し、長崎で購入した銃1,000挺を土佐藩に売り渡すため6年ぶりに土佐に帰省。この数十日後、京都の近江屋で暗殺された。お龍は龍馬の悲報をこの屋敷で聞いた。
この建物は昭和20年の空襲で焼失、いまは国道9号線を少し山側に入った駐車場に碑が残るのみとなっている。
本陣・伊藤邸跡。龍馬はお龍さんとここに逗留した
本陣・伊藤邸跡。龍馬はお龍さんと
ここに逗留した


●亀山八幡宮

御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇で、平安時代に宇佐八幡宮から勧請された。室町時代に明との交易がはじまると、遣明船は太刀を奉納して航海の安全を祈願した。大内、毛利など累代藩主の篤い崇敬・庇護のもとにあった社。
境内には、江戸末期、開国を迫る諸外国への危機感が高まり、長州藩が全国に先駆けて外敵防護策として、市内各地に砲台を築いた。
文久3年(1863)アメリカ商船攻撃の合図の砲弾が亀山砲台から発射され、米仏蘭三国相手に火ぶたをきった。敵弾は門をかすめただけで社殿も兵にも損傷がなく、時の人は「これ神威なり」と矢よけ八幡宮と称えたという。亀山砲台は近代日本の幕開けを告げる第一弾を発射したもの。

境内にはこの他、二つの逸話がある。一つは碑だけが残る「お亀茶屋」で、慶応元年(1865)の初夏、刺客に追われた初代内閣総理大臣・伊藤博文が境内の茶屋のお茶子だった木田梅子に助けられた。梅子はその一年後、伊藤博文の妻となった。

もう一つは、大きなふぐの像であり「世界一のふく像」とある。ふぐといえばなぜ山口県・下関なのか疑問だったが、ふぐ像の脇に書かれた説明文で謎が解けた。

日本には縄文時代からふぐを食べる文化があったという。しかし、ふぐには強力な毒がある。これを食べて死ぬ兵をなくそうと、時の為政者たちによって「河豚食禁止令」が出された。それでも食べて死ぬ者後を絶たずだったが、秀吉の朝鮮出兵時、さらに厳しい禁止令が出されてから、明治まで続いていた。
明治27年、日清戦争講和会議が下関で開かれたとき、伊藤博文が食べてその美味しさに驚き、山口県と福岡県に限ってふぐを食べることを解禁したのだそうだ。現在ふぐの水揚げ量は長崎県が一番だ。なお、下関では“フグ”と濁らず“フク”と書き、発音する。八幡宮の下には「山陽道」と書かれた古い石柱が建つ。
ふくの像。下関ではフグと濁らない
ふくの像。下関ではフグと濁らない


伊藤博文・梅子が初めて会ったお亀茶屋
伊藤博文・梅子が初めて
会ったお亀茶屋

山陽道の終点。九州への渡航地点の標示
山陽道の終点。九州への
渡航地点の標示


●高杉晋作像

幕末の長州藩の尊王倒幕志士として活躍。坂本龍馬・中岡慎太郎、土方久元を仲介として、桂小五郎・井上聞多たちとともに進めていた薩長盟約が京都の薩摩藩邸で結ばれる。翌、慶応3年(1867)11月、大政奉還を見ずして結核のため27歳でこの世を去った。
墓所は下関・東行庵にあり、像は下関港を見下ろす高台にある。最初は昭和11年(1936)に銅像だったが、戦時に銅像は徴用接収され、現在の像は昭和31年(1956)に建てられたもので陶器製である。
高杉晋作像
高杉晋作像

●青春交響の塔

「維新発祥の地」として下関市の志士推進実行委員会が平成15年(2003)に建造した2本の塔。日本の夜明けを夢みた坂本龍馬と高杉晋作のふたりの青年が、この地で互いの志を語り合ったであろうという説に基づいて、友情を寄り添う2本の石柱で表現したものだという。
すぐ近くの水族館「海響館」には関門海峡の潮流を再現した大きな水槽や世界中のふぐが展示されている。
/入館料 1,800円、TEL 0832-28-1100
坂本龍馬・高杉晋作の出会いを記念した「青春交響の塔」(2003年)
坂本龍馬・高杉晋作の出会いを記念した
「青春交響の塔」(2003年)


●カモンワーフと唐戸市場

海峡に面して造られたシーサイドモール。レストランや海産物などを扱う土産物屋が並ぶ。ふぐの産地下関ということもあって、リーズナブルなふぐ料理を食べさせる店もある。ご飯の盛られた皿どんぶりにふぐの刺身を贅沢に乗せ、店特製の甘味のある醤油をかけて食べる“ぶっかけ”が人気。一人前850円。この他、唐揚げ、てんぷらなども安くて旨い。
木製の歩道の先には「唐戸市場」がある。昔は専業者だけの卸売り市場だったが、プロ市場は移転、現在は仲卸業者が一般客を相手の営業をしている。週末や祝日には場内には露店が出て、新鮮な魚介類が味わえる。

市場は活気があった
市場は活気があった
フランシスコ・ザビエル下関上陸地点
フランシスコ・ザビエル
下関上陸地点


●巌流島

関門海峡に浮かぶ周囲1.6kmの小さな島、正式名は「船島」という。この島で、慶長17年(1612)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたことは有名な話。決闘の時間に遅れて来た武蔵を待ちくたびれた小次郎が、精神的に負けたと伝えられている。
「巌流島」の名前は敗れた小次郎の剣の流派にちなんだもの。「佐々木巌流之碑」は明治のころまでは島の中央にあったが、いまは船着き場の近く、人目のつきにくいところにある。小さい島なので丘の裏に回り込めば見つかる。観光客の人気は二人の決闘場面の像。盛り上げられた小丘の上に海峡を見下ろすように建つ。
下関港・唐戸桟橋、門司からも直行便が出ている。所要時間約10分。
/料金 往復800円、問い合わせ 関門汽船、TEL 0832-22-1488

巌流島へは女性船長の操船だった
巌流島へは女性船長の操船だった
巌流島から関門橋方面を見る
巌流島から関門橋方面を見る

巌流島へは頻繁に船が出る
巌流島へは頻繁に船が出る
観光客のお目当ては決闘の像
観光客のお目当ては決闘の像

舟島神社。巌流島の元の名は船島
舟島神社。巌流島の元の名は船島
佐々木巌流之碑
佐々木巌流之碑

●みもすそ川公園

関門海峡の一番狭まったところは約700mしかなく「早鞆の瀬戸」と呼ばれている。潮の流れが速く、変化が激しい海の難所。壇ノ浦の古戦場を一望できるこの場所には、勇ましく戦う源義経と平知盛の像がある。
そして幕末、長州藩と英・仏・蘭・米連合艦隊との交戦で敗北。この歴史的事件で下関海岸砲台に並んだ青銅砲は、すべて戦利品として外国に運び去られ、国内から姿を消した。
しかし、この天保製長州砲が、昭和41年(1966)、パリのアンヴァリッド軍事博物館(ナポレオンの墓所がある)に保管されていたことが判明。昭和59年(1984)、貸与の形式で里帰りし、原寸大かつ精密なレプリカを造り展示されている。公園前には関門トンネル人道入り口がある。

下関港と壇ノ浦
下関港と壇ノ浦
壇ノ浦を見渡す公園で紙芝居をやっていた
壇ノ浦を見渡す公園で紙芝居をやっていた

外国船の脅威に備えたみもすそ川公園の大砲(復元)
外国船の脅威に備えた
みもすそ川公園の大砲(復元)

関門トンネル下関側
関門トンネル下関側

●門司港

明治22年(1889)工業化が進みはじめた北九州、その大陸貿易の基地となって発展した。最盛期には1日に200隻近い貨物や客船が出入りした。乗降客も外国人を含め年間約600万人もあったというから、大変賑やかな港であった。
現在は、明治・大正時代に国際貿易港として発展した街並みを「門司港レトロ」として復元し、観光地として残すことになった。
平成15年(2003)、関門海峡をテーマにした「関門海峡ミュージアム」をオープン。ここを中心に古い街並みを再現した。
レトロ街の前から観光船、下関への連絡船が出る
レトロ街の前から観光船、
下関への連絡船が出る
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人力車でレトロ街を巡る
人力車でレトロ街を巡る
国際港にはロイズの事務所があった
国際港にはロイズの事務所があった

●旧門司税関

明治42年(1909)の門司税関発足を契機に、その3年後の明治45年に建てられた。レンガ造り、瓦葺平屋構造建築。昭和初期まで税関庁舎として使用されていた。
現在は税関常設展示コーナー、喫茶店「レトロカフェ」などになっている。
/入館料 無料、TEL 093-321-6111
旧・門司税関
旧・門司税関

●旧大阪商船

洋風2階建てで、外装はレンガ造りのように見えるが、オレンジ色のタイル張りだ。大正6年(1917)の建築。当時は大陸航路の待合室としても使われていた。
いまは、多目的ホールやギャラリーになっている。
/入館料 ギャラリーのみ 100円、
  TEL 093-321-4151
大阪商船門司支店(修復)
大阪商船門司支店(修復)
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●旧門司三井倶楽部

三井物産の社交倶楽部として門司区谷町に大正10年(1921)に建てられた。ノーベル物理学者アインシュタイン博士夫妻も宿泊し、現在も部屋がそのまま残されている。
その後国鉄に所有権が移り門鉄会館と呼ばれていた。門司生まれの女流作家林芙美子の資料室やレストラン「三井倶楽部」などがある。国の重要文化財。
/入館料 アインシュタインメモリアルルームのみ
  大人100円 小人50円、
  TEL 093-332-1000
旧・門司三井倶楽部
旧・門司三井倶楽部

●国際友好記念図書館

明治35年(1902)中国大連市に帝政ロシアが建てたドイツ風建築物を、北九州・大連市友好都市締結15周年を記念して、複製建築したもの。内部は中国・アジアの文献などを収蔵した図書館で、資料展示室もある。
/入館料 無料、TEL 093-331-5446
帝政ロシアが大連に作った東清鉄道の事務所(複製)
帝政ロシアが大連に作った
東清鉄道の事務所(複製)


●門司港レトロ展望台

レトロな街のど真ん中に不釣り合いな31階建ての高層マンションが建つ。設計者は黒川紀章ということも町の誇りという。103mの高さの展望台からはレトロな街並みを足下に、関門海峡の雄大な景色を眺められる。
下関を訪れた坂本龍馬の時代から海峡を越えると、門司には明治・大正と発展する維新後の日本が見えてくる。



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門司港レトロ・観光情報サイト
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取材:2010年3月

※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。