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幕末の志士たちを生んだ萩と
城下町津和野

ドライブライン

壇ノ浦を見下ろす赤間神社 山口県北部に位置し、人口約6万の萩は、日本海に注ぐ橋本川と松本川に挟まれた中州に位置する城下町。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は防長2ヵ国に移封され、その5年後に萩に開府。
以来、萩は毛利36万石の城下町として発展し、やがて近代日本の夜明けを告げた「明治維新始動の地」として、吉田松陰はじめ、木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文などの多くの人物を輩出しているのは周知のこと。奇跡的ともいえるほど、災や戦火を免れたため、いまなお武家屋敷、町家、古刹などを残す。

一方、萩より約50km東の津和野は、島根と山口の県境にある小さな盆地に栄えた城下町である。鎌倉時代に築城されたという山城に、慶長6年(1601)備前宇喜多一族である坂崎出羽守が入城し、城を増築。灌漑用水の建設や鯉の養殖などをし、今日の津和野の骨格をつくった。後、元和3年(1617)から亀井氏歴代11藩主によって繁栄した。
藩校跡や家老屋敷などの白壁と格子窓の武家屋敷の名残を残す町並と、掘割に植えられた花菖蒲と、錦鯉が泳ぐさまは、この町の観光の目玉でもある。


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ドライブライン

<コース>
下関市−(中国自動車道)−美弥IC−(国道490号線)−萩市−(県道11号線経由)−津和野市−(国道191号線)−広島市

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●関門海峡

関門橋(左が下関、右は門司)
関門橋(左が下関、右は門司)

九州と本州を隔てる関門海峡を渡るコースは5つある。門司と下関駅を結ぶJR線、昭和33年開通した海の底を走る関門国道トンネルは、全長3,461.4mと長い。門司側の「めかり」と、下関側の御裳川は780mの世界でも珍しい歩行者用海底トンネルとなっている。それに九州自動車道と中国自動車道にかかる関門橋、もう一つは昔からの船だ。
一日に大小約700隻もの船が行き交う関門海峡のシンボルは、昭和48年に開通した全長1,068m、海面からの高さ16mの関門橋だ。

●赤間神社

寿永4年(1185)、源平最後の対決「壇ノ浦の合戦」に敗れ、わずか8歳で関門海峡に二位の尼に抱かれ、入水した安徳天皇を祀っている。境内には小泉八雲の怪談で有名な「耳なし芳一」の芳一堂や資料展示館などがある。
この他、海峡に浮かぶ周囲1.6kmの小島、佐々木小次郎と宮本武蔵が決闘した巌流島や関門海峡をはさんだ九州の門司港などが望まれる。また山口県下関の旧市街には明治、大正、昭和時代に建てられた建物が多く残されている。

壇ノ浦を見下ろす赤間神社
壇ノ浦を見下ろす赤間神社
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壇ノ浦に沈んだ平家一門の墓所
壇ノ浦に沈んだ平家一門の墓所

●萩城下町

萩城下町
萩城下町
橋本川と松本川の中州の先端にある萩城は、慶長9年(1604)毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名「指月城」と呼ばれた平山城だ。明治に解体され、現在は石垣と堀の一部を残すのみとなっている。
城より東に碁盤の目状に画され、狭い道筋は、菊屋横町、伊勢屋横町、江戸屋横町と呼ばれ、かつての武家屋敷や町家が軒を連ね、今も往時の面影を残す。そこには維新の志士たちの生まれた家や旧宅、なまこ壁、土塀、門などが並ぶ。このエリアは国の史跡に指定されている。

萩城址
萩城址
萩城址にある毛利輝元の像
萩城址にある毛利輝元の像

さらに松本川の東には、吉田松陰生誕宅、伊藤博文旧宅をはじめ、毛利藩主を祀る東光寺があり、JR萩駅近くには同じく毛利家の菩提寺、大照寺などがある。
そして萩といえば、低温の登り窯で時間をかけてじっくりと焼いた「萩焼」だ。焼き上がりの柔らかさと吸水性が特徴で、茶や酒が浸透して茶碗の色彩が変わる、いわゆる「萩の七化け」といわれ、茶人の間では「茶馴れ」といって珍重されている。
維新のふるさとを巡り、窯元を訪ね歩くのも、城下町萩の魅力だ。

昔を偲ばせる萩駅舎
昔を偲ばせる萩駅舎
萩焼を売る店
萩焼を売る店

ろくろを回し、形を作る
ろくろを回し、形を作る
萩焼の窯
萩焼の窯

●菊屋家住宅

萩藩御用達を務めた豪商菊屋家の住宅で、江戸時代前期の建築。白壁となまこ壁は城下町のシンボルでもある。幕府の巡見使の宿として本陣を務めた。屋敷には多くの蔵や付属部屋があり、なかでも主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5つの建物は、国の重要文化財に指定されている。
/入館料 500円、TEL 0838-25-8282

菊屋家住宅の表
菊屋家住宅の表
路地の奥まで延びる菊屋家の土蔵
路地の奥まで延びる菊屋家の土蔵

●木戸孝允旧宅・青木周弼旧宅

木戸孝允生誕の家
木戸孝允生誕の家
萩藩医和田昌景の長男として天保4年(1833)に生まれ、後に桂家の養子となり、桂小五郎の名でも知られる。
嘉永5年(1852)に江戸へと旅立つまでの約20年をこの家で過ごした。孝允の生まれた部屋や庭などが当時のままで残されている。
隣接する青木家は藩医も務めた蘭学者の旧宅である。

●高杉晋作生誕地

天保10年(1839)萩藩大組士、高杉小忠太の長男としてこの屋敷に生まれた。旧宅内には晋作の写真や書などが展示されている。産湯を使ったという井戸もある。
/見学料 100円、TEL 0838-22-3078
高杉晋作誕生の地
高杉晋作誕生の地

●松陰神社(松下村塾)

吉田松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開き「松下村塾(しょうかそんじゅく)」と名付けた。安政4年(1857)28歳の松陰がこれを継ぎ、藩から家学教育の許可を得て、身分や階級にとらわれず門下生を受け入れた。
木造瓦葺き平屋建ての8畳の講義室と10畳半の控えの間、1坪の土間からなる小舎で、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋など明治維新に活躍した多くの逸材を育てた。国の史跡に指定されている。
松陰神社
松陰神社

境内には吉田松陰幽囚ノ宅もある。2度にわたって一間に幽囚された松陰は3年間のうち、ここでも子弟に教鞭をとった。

伊藤博文、高杉晋作が勉強した金毘羅神社
伊藤博文、高杉晋作が勉強した金毘羅神社
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吉田松陰が幽閉されていた部屋
吉田松陰が幽閉されていた部屋

●黄檗宗(おうばくしゅう)東光寺

元禄4年(1691)萩三代藩主毛利吉就によって建立された寺。中国の明時代から清時代のはじめにかけての黄檗伽藍様式で、中国風の雄大華麗な建築美を誇っている。
元禄6年(1693)ころに建立された総門をはじめ100年くらいの間に建立された鐘楼や大雄宝殿などがある。いずれも国の重要文化財だ。

東光寺三門
東光寺三門
東光寺大雄宝殿は国指定の重要文化財
東光寺大雄宝殿は国指定の重要文化財

毛利家3、5、7、9、11代の墓所(東光寺)、燈籠は臣下が寄進した
毛利家3、5、7、9、11代の墓所(東光寺)、
燈籠は臣下が寄進した


吉就の歿後、ここに墓所として毛利家の3代吉就、5代吉元、7代重就、9代斉房、11代斉元と奇数代の藩主と各夫人が眠る。

広い墓地には重臣諸家によって献上された石灯籠約500基が整然と建ち並び、周囲は鬱蒼とした樹木に覆われている。

●霊椿山大照院

JR山陰本線萩駅にほど近いところにある寺で、東光寺と並んで毛利家の墓所がある。東光寺が奇数代の藩主の墓所ならば、こちらは偶数代の藩主たちの菩提寺である。
毛利輝元は関ヶ原の戦いの責任をとって隠居し、わずか6歳の秀就に家督を譲ったので、この秀就が初代萩藩主となった。そして57歳で亡くなった秀就から2代目綱広、4代目吉広、6代、8代、10代、12代と7人の藩主とその夫人たちの墓標が並ぶ。また秀就の墓前の両側には8名の殉死者の墓がある。
寺院書院に安置する赤童子や経蔵、庫裏、それに鐘楼は国指定の重要文化財でもある。
大照院はどっしりとした造り(本堂裏)
大照院はどっしりとした造り(本堂裏)

毛利家大照院墓所。初代、2、4、6、8、10、12代が祭られる
毛利家大照院墓所。
初代、2、4、6、8、10、12代が祭られる

長州藩祖・毛利輝元は歴代藩主とは別に祭られている
長州藩祖・毛利輝元は歴代藩主とは
別に祭られている


●津和野

鯉は津和野の名物でもある
鯉は津和野の名物でもある
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備前宇喜多氏の一族である坂崎出羽守が、慶長6年(1601)に入城してから亀井氏に受け継がれ、明治初期の廃城まで続いた津和野城の城下町。白壁の屋敷、なまこ壁の塀に沿って続く掘割には花菖蒲が植えられ、錦鯉が放たれ、静かな佇まいを見せる町である。

藩校跡や家老屋敷など武家屋敷の名残を残す町の中心は「殿町」と呼ばれ、津和野のシンボル的スポットだ。

津和野の街並み
津和野の街並み
江戸時代から続く城下町の武家屋敷
江戸時代から続く城下町の武家屋敷

ちょっとお洒落な津和野のおでん屋さん
ちょっとお洒落な津和野のおでん屋さん
津和野の和紙人形
津和野の和紙人形

●藩校養老館(津和野町民俗資料館)

儒学、国学、医学、数学、礼学、兵学、武道など多彩な教科を持つ総合大学のような教育施設であった。この養老館出身者の中には、大国隆正、西周、岡熊臣、森鴎外などがいる。現在残っているのは武道場と槍術場、文庫のみだ。内部には江戸から大正時代にかけての武家や農家の生活用具などが展示されている。
/入館料 250円、TEL 0856-72-1000

養老館(民俗資料館)
養老館(民俗資料館)
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多胡家表門(津和野家老)
多胡家表門(津和野家老)

通りの角にある「多胡家老門」は亀井氏11代にわたり行政の中心であった家老職多胡氏の屋敷跡で、現在は門となまこ壁の塀をわずかに残すだけだが、この町の風景にはなくてはならない存在感がある。

●森鴎外旧宅

津和野は文豪森鴎外や啓蒙思想家西周の生誕地で名高い。とくに森鴎外は、代々津和野藩の藩医を務めた家の嫡男として生まれた。木造平屋建て、瓦葺きの簡素な造り。少年期を過ごした4畳半の勉強部屋や、藩医の家らしく調剤室などが残っている。
/入館料 100円、TEL 0856-72-3210
森鴎外旧宅
森鴎外旧宅

鴎外はやがて陸軍軍医として務める一方、次々と小説を発表。旧宅に隣接して「森鴎外記念館」がある。ここには森鴎外の軍医であり文学者であった生涯などがハイビジョンで紹介され、遺品や直筆原稿などが展示されている。
/入館料 600円、TEL 0856-72-3210

●鷺舞と流鏑馬

鷺舞の像
鷺舞の像
津和野大橋のたもとにある弥栄神社では、毎年7月20、24、27日の祇園祭に国の重要無形民俗文化財の鷺舞が奉納される。
「鷺舞」は京都の八坂神社から山口に伝えられ、のちに津和野藩主が津和野に招いたもの。
また町外れにある鷺原八幡宮で行われる流鏑馬は、鎌倉鶴岡八幡宮より勧請されたもので、唯一江戸時代のままを残す流鏑馬として、県の指定史跡になっている。
4月8日、全長270mの広大な馬場を古式豊かな流鏑馬神事が行われる。

●津和野カトリック教会

明治元年(1868)、長崎県浦上の隠れキリシタン3,600人余りが流刑として全国20ヶ所に送られ、このうち153人が津和野町から約2kmにある乙女峠に収容された。改宗を迫られた36人が殉死した。
昭和6年(1931)に建てられた教会は畳敷きの礼拝堂に隣接して、殉教者に関する資料が展示されている。
津和野カトリック教会
津和野カトリック教会



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萩・情報の駅
萩市による萩に関する総合情報サイト。観光スポットをはじめ、イベント、宿泊施設、グルメ情報などが見られる。
津和野町観光協会
津和野の歴史やおすすめ観光コース、SLやまぐち号運行日も分かるイベントカレンダーなどを掲載している。

取材:2007年3月