初秋の山形。温泉と紅葉を求めて(2)

銀山白銀公園の遊歩道を行く。銀山川と木々が織りなす景色が美しい 河北町からは国道347号線を北へとひた走った。周囲には刈り入れの終わった田んぼが見渡すかぎりに広がり、最上川の流域が日本有数の米どころであることをあらためて実感させられた。窓を開けると爽やかな秋風が吹き込んでくる。秋のドライブはやはり気持ちがいい。
尾花沢市に入ると、道路標識に「銀山温泉」の文字が出てくるようになった。案内に従って車を走らせると、道は盆地から山の方へと入っていき、やがて山あいに湯けむりがたなびく銀山温泉の入口へと到着した。尾花沢や新庄では松尾芭蕉の「おくのほそ道」の足跡も訪ね、「養泉寺」や「芭蕉乗船の地」を巡った。新庄からは最上川の流れに沿うように国道47号線を西へ。最上峡を抜けて、酒田市へと出た。日本海に面する酒田は、江戸時代には出羽の年貢米を大坂や江戸に運ぶための西廻り航路の拠点として栄えた地域であり、「本間家旧本邸」「旧鐙屋」「山居倉庫」などを訪ねて、かつてのこの地の賑わいに思いを馳せた。

ドライブルート

山形市街−(西蔵王高原ラインなど)−蔵王山麓−(西蔵王高原ライン、国道13号線、県道19号線など)−山寺−(県道19・24号線、国道13号線)−天童温泉−(県道23・26号線など)−寒河江−(県道285号線)−河北町−(国道347号線、県道29・188号線)−銀山温泉−(県道188・29号線、国道347号線など)−尾花沢市街−(県道120号線、国道13号線、県道31号線、国道458号線など)−新庄・本合海−(国道47号線、県道361・362号線など)−眺海の森−(国道345号線、県道40号線、国道47号線など)−酒田市街−酒田中央IC−(日本海東北自動車道、山形自動車道)−湯殿山IC−(月山花笠ライン)−月山IC−(山形自動車道)−山形中央IC−山形市街

全行程 約342km、今回行程 約254km

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銀山温泉

共同駐車場に車を停めて、山あいの道を5分ほど歩くと、清流せせらぐ両岸に古風な温泉宿が立ち並ぶ「銀山温泉」の温泉街へと入っていく。宿の多くは大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造多層建築で、一幅の絵画のような風情ある街並みの中を歩いていると、大正のころにタイムスリップしたような気分さえ味わえる。

  • 温泉街の300mほど手前にある共同駐車場。日帰りの観光客はここに車を停める

    温泉街の300mほど手前にある共同駐車場。
    日帰りの観光客はここに車を停める

  • 温泉街の中心地。銀山川の両岸に木造三層・四層の旅館が軒を連ねる

    温泉街の中心地。銀山川の両岸に木造三層・四層の
    旅館が軒を連ねる

  • 源泉をそのまま利用した足湯「和楽足湯(わらしゆ)」

    源泉をそのまま利用した足湯「和楽足湯(わらしゆ)」

  • 建物の装飾もよく見ると面白い

    建物の装飾もよく見ると面白い

勢いよく流れ落ちる、白銀の滝

勢いよく流れ落ちる、白銀の滝

銀山温泉の一帯は、その名が示すように、もともと銀鉱山(延沢銀山)として開発されてきた歴史がある。銀鉱が発見されたのは室町時代の康正2年(1456)。江戸時代の寛永年間には最盛期を迎えて、1万5,000人余りがこの地で生活していたと伝わる。しかしその後、銀の産出量が激減し、元禄2年(1689)に廃山。いったんは寂れるが、寛保年間(1741年ごろ)に以前から湧き出していた温泉を活かして湯治場として賑わうようになった。

現在の温泉街には12軒の旅館が営業しているほか、3軒の公衆浴場もあるため、日帰りでも湯を楽しむことができる。温泉街を通り抜けた先は銀山白銀公園として整備されており、木々に囲まれた遊歩道を散策できるようになっていた。「白銀の滝」や「洗心峡」など渓谷の美しい風景を眺めながらしばらく歩くと、「銀鉱洞」と書かれた案内板が目に入った。そこはかつて銀を掘っていた坑道の跡で、内部では「焼き掘り」(岩の表面を薪木や木炭で加熱したあと、水によって急冷し、鉱石だけを剥ぎ取るように採掘する方法。壁面には煤の付着が見られる)という独特の採鉱法の痕跡も見ることができた。
/TEL 0237-28-3933(銀山温泉観光案内所)

  • 銀山白銀公園の遊歩道を行く。銀山川と木々が織りなす景色が美しい

    銀山白銀公園の遊歩道を行く。銀山川と木々が織りなす景色が美しい

  • 山形出身の歌人、斎藤茂吉の歌碑

    山形出身の歌人、斎藤茂吉の歌碑

  • 銀鉱洞の内部。壁面のいたるところに焼き掘りの煤の跡が残る

    銀鉱洞の内部。壁面のいたるところに焼き掘りの煤の跡が残る

養泉寺は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途上で七泊した場所

養泉寺は、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の
旅の途上で七泊した場所

養泉寺

尾花沢の市街地のはずれにひっそりと建っていたのは、「おくのほそ道」ゆかりの場所である「養泉寺」。元禄2年(1689)、松尾芭蕉と河合曾良は、紅花大尽(『初秋の山形。温泉と紅葉を求めて(1)』「紅花資料館」の項を参照)と呼ばれた豪商であり俳人の鈴木清風を尾花沢に訪ね、この地に十泊もして地元の俳人たちと交遊を重ねた。そのうち七泊を、当時修繕したばかりで木の香も漂う養泉寺で過ごしたという。 かつての建物は明治28年(1895)の大火で焼失。現在の本堂は同30年(1897)の再建で昔の面影は残っていないが、境内の外井戸だけは当時を偲ばせる唯一のものとして「芭蕉ゆかりの井戸」と呼ばれている。また、芭蕉がこの地で詠んだ句「涼しさを我宿にしてねまる也」の句碑も残っていた。
/TEL 0237-22-0669

  • 本堂と井戸。井戸は「芭蕉ゆかりの井戸」と呼ばれ、この井戸水を飲むと和歌や俳句が上達するという言い伝えも

    本堂と井戸。井戸は「芭蕉ゆかりの井戸」と呼ばれ、この井戸水を
    飲むと和歌や俳句が上達するという言い伝えも

  • 「涼しさを我宿にしてねまる也」の句碑。「涼し塚」と呼ばれる

    「涼しさを我宿にしてねまる也」の句碑。「涼し塚」と呼ばれる

  • 養泉寺の近くには「芭蕉・清風歴史資料館」(入館料200円)もあるので、あわせて立ち寄ってみるのもいい

    養泉寺の近くには「芭蕉・清風歴史資料館」(入館料200円)も
    あるので、あわせて立ち寄ってみるのもいい

  • 寺の前の坂道から西を眺めると水田が一面に広がり、北西に鳥海山、正面に月山が望める。この景色は今も昔も変わらないのだろう

    寺の前の坂道から西を眺めると水田が一面に広がり、北西に鳥海山、
    正面に月山が望める。この景色は今も昔も変わらないのだろう

芭蕉乗船の地

新庄市の西、最上川流域の本合海(もとあいかい)は、舟運が盛んだった時代には旅人や荷物の発着港として賑わったといわれている。「おくのほそ道」の旅の途上、芭蕉と曾良はこの本合海の船着場から船上の人となり、最上峡の雄大な景観を楽しみながら最上川を下っていった。
最上川に架かる本合海大橋のすぐそば、国道458号線から小道を少し入ったところには、2人の像と句碑が建っていた。碑に刻まれた句は「五月雨をあつめて早し最上川」。芭蕉が最上川を下ったのは旧暦6月。ちょうど梅雨の時期で、最上川の流れも日本三大急流の名に相応しい激しさだったのだろう。

  • 芭蕉乗船の地に建つ石碑

    芭蕉乗船の地に建つ石碑

  • 「五月雨をあつめて早し最上川」の句碑

    「五月雨をあつめて早し最上川」の句碑

  • 最上川の流れ。正面の橋は本合海大橋

    最上川の流れ。正面の橋は本合海大橋

  • 芭蕉と曾良の像

    芭蕉と曾良の像

最上川舟下り

落差120mの白糸の滝。川辺の社は、不動明王を祀った不動堂

落差120mの白糸の滝。川辺の社は、不動明王を祀った不動堂

ここまでのドライブで立ち寄った史跡や資料館で、最上川の舟運や芭蕉の川下りの話を見聞きするにつけ、「せっかくだから自分も川下りをしてみよう」と思い立ち、ライン下りの観光船に乗ってみることにした。
乗船場所は国道47号線沿いにある「古口港」。ここは江戸時代にも戸沢藩の船番所が置かれた場所で、古口より下流は最上峡と呼ばれる峡谷で陸路がなかったため、すべての人や荷物が古口を経由したそうだ。
船は30人以上が乗れる屋形船で、船頭さんの軽妙なガイドを聞きながら船は川を下っていく。最上峡も紅葉の名所として有名だが、川沿いのこのあたりはまだ紅葉がはじまっておらず、両岸の山に色づいた木々がわずかに見られる程度だった。途中、船頭さんが最上川舟唄や真室川音頭、紅花摘み唄など山形に伝わる民謡を唄い、船旅気分を盛り上げてくれる。「最近、外国人観光客が多いから」と最上川舟唄の英語バージョンを披露してくれたのには驚いた。
日本の滝百選のひとつであり、鎌倉時代に平泉へ向かうため最上川を遡った源義経一行が和歌にも詠んだ「白糸の滝」を過ぎると、まもなく終点の草薙港へと到着した。時間にしておよそ1時間。最上川の自然と歴史を川から満喫する楽しい船旅であった。
/乗船料金 2,200円、TEL 0233-72-2001(最上峡芭蕉ライン観光)

  • 乗船場の入口は、江戸時代の船番所の入口門を再現

    乗船場の入口は、江戸時代の船番所の入口門を再現

  • 屋形船に乗り込む。個人客は自分だけで、ほかはみな団体旅行客だった

    屋形船に乗り込む。個人客は自分だけで、
    ほかはみな団体旅行客だった

  • 川面から眺める景色は、陸からとはまた違って見える。風もなく、快適な船旅だった

    川面から眺める景色は、陸からとはまた違って見える。風もなく、快適な船旅だった

  • 船頭さんが唄う民謡に船内も盛り上がる

    船頭さんが唄う民謡に船内も盛り上がる

  • 乗船場には、みやげ物や特産品を販売する売店も併設。「果物王国」山形の秋といえば、やはり洋梨だ

    乗船場には、みやげ物や特産品を販売する売店も併設。
    「果物王国」山形の秋といえば、やはり洋梨だ

天体観測館「コスモス童夢」。入館料100円

天体観測館「コスモス童夢」。入館料100円

眺海の森

最上峡を抜け、酒田市街に入る前に寄り道したい場所があった。酒田市南東部の外山の丘陵地帯にスキー場やキャンプ場、アウトドア施設、宿泊施設、天体観測館などが集まった「眺海の森」だ。
ここは庄内平野から日本海へ流れる最上川や、月山、鳥海山などを一望できる山形県屈指の展望スポットで、特に日本海に沈む夕陽の美しさは格別だという。訪れたのは日中だったため、夕陽を眺めることはできなかったが、それでも見渡すかぎりに田んぼが広がる庄内平野の眺望は素晴らしかった。

  • 展望台から庄内平野と日本海を見下ろす。水田が広がる平野の中心部を大きく蛇行して流れるのが最上川

    展望台から庄内平野と日本海を見下ろす。水田が広がる平野の中心部を大きく蛇行して流れるのが最上川

  • 眺海の森の一画に建つ公共の宿「眺海の森さんさん」

    眺海の森の一画に建つ公共の宿「眺海の森さんさん」

  • 正面の建物は森林学習展示館

    正面の建物は森林学習展示館

本間家旧本邸

入口の長屋門。二千石旗本屋敷の格式を備え、かつては日常は閉門し、賓客来訪時など特別なときのみ使用された

入口の長屋門。二千石旗本屋敷の格式を備え、かつては日常は閉門し、
賓客来訪時など特別なときのみ使用された

酒田は、江戸時代に幕府の命を受けた材木商人・川村瑞賢が西廻り航路(酒田から日本海を南下し、下関や瀬戸内海を経由して大坂、江戸に至る約2,800kmの航路)を整備して以来、北前船の拠点として諸国からの荷で大いに賑わい、多くの豪商が生まれた。「本間家旧本邸」の主であった本間家もそんな商家のひとつである。
初代原光が「新潟屋」を開業したのは元禄2年(1689)のこと。三代目光丘は千石船(大型の北前船)による商いをはじめ、米、大豆、塩、茶、古着、瀬戸物、薬など生活に必要なあらゆる品を扱って事業を拡大した。本間家旧本邸も光丘の代の明和5年(1768)に建てられたもので、当初は幕府巡検使一行の本陣宿として新築して庄内藩主酒井家に献上し、のちに拝領した建物である。
本陣として使われていたため、武家造りと商家造りが一体となった珍しい建築様式が特徴で、それぞれの部分で使用している木材(武家造りは檜や欅、商家造りは杉や松)、欄干や梁の塗り、縁側の板の貼り方が異なっているなど、光丘のこだわりが随所に感じられて興味深かった。商家造りの方では本間家の人々が昭和20年(1945)まで実際に生活をしていたという。
道路を挟んだ向かい側にある別館「お店(たな)」は、本間家が代々商いを営んだ場所で、帳場や度量衡、行灯などの灯かり、台所用品、看板などを展示していた。
/入館料 700円、TEL 0234-22-3562

  • 本邸表玄関。巨大な松は、樹齢400年の赤松で「門かぶりの松」と呼ばれた

    本邸表玄関。巨大な松は、樹齢400年の
    赤松で「門かぶりの松」と呼ばれた

  • 本邸の向かいに建つ別館「お店(たな)」は、本間家が代々商いを営んだ建物

    本邸の向かいに建つ別館「お店(たな)」は、本間家が代々商いを営んだ建物

旧鐙屋

旧鐙屋の玄関

旧鐙屋の玄関

本間家旧本邸から200mほどの距離にある「旧鐙屋」も酒田を代表する豪商の屋敷跡である。
「鐙屋」という屋号は、江戸のはじめの慶長13年(1608)、山形藩主最上義光から直々に与えられたことに端を発する。以来、鐙屋は酒田で代々廻船問屋を営み、西廻り航路の海運に大きな役割を果たして、江戸時代を通じて大いに栄えた。その繁盛ぶりは、井原西鶴の浮世草子『日本永代蔵』の「舟人馬かた鐙屋の庭」にも描かれたほどなので全国的にも知られていたのだろう。
現在残っている屋敷は、弘化2年(1845)の火災後に再建されたもので、平成10年(1998)の修復作業を経て一般公開されるようになった。入ってすぐのところに店を構え、奥には通り庭(土間)に面して十間余りの座敷・板の間が並ぶ酒田の典型的な町屋造りで、その素朴なたたずまいは華美になることを慎んだ酒田商人の暮らしを今に伝えている。
/入館料 320円、TEL 0234-22-5001

  • 正面は茶の間。典型的な町家造りの建物

    正面は茶の間。典型的な町家造りの建物

  • 土間と板の間の台所の様子を再現

    土間と板の間の台所の様子を再現

  • 西廻り航路の交易で活躍した「北前船」(「弁財船」ともいう)の模型

    西廻り航路の交易で活躍した「北前船」
    (「弁財船」ともいう)の模型

  • 紅花資料館と隣接する八景園を合わせると1万5,000平方m以上の広大な敷地となる。手前が紅花畑で、初夏に黄色の花が咲き誇るそう

    「東講(あずまこう)商人鑑」は、講(組合)加盟の優良宿と商人を
    掲載した冊子で、現代でいうところのガイドブックのようなもの

山居倉庫

日本屈指の米どころ・庄内地方を象徴する観光スポットが、最上川と新井田川に挟まれた通称「山居島」に巨大倉庫が建ち並ぶ「山居倉庫」である。
その歴史は明治26年(1893)、米の流通の利便化や品質管理の向上のため、酒田米穀取引所の付属倉庫として建てられたことにはじまる。ひとつひとつの倉庫は広さ120坪で、周囲を約20cmの壁で塗り固めた土蔵造り。屋根は屋内の熱を放散し、同時に外からの伝導熱を防ぐ二重構造になっている。米俵を積み上げていた時代には約2万俵を収容したといわれている。
明治時代に建設された15棟のうち12棟が築100年以上経った今も残っており、現役の米穀倉庫として使用されているほか、一部は「庄内米歴史資料館」や観光物産館「夢の倶楽」として利用されている。

  • 土蔵造りの巨大な倉庫が建ち並ぶ。建てられたのは明治時代で、現在も米の倉庫として使われている

    土蔵造りの巨大な倉庫が建ち並ぶ。建てられたのは
    明治時代で、現在も米の倉庫として使われている

  • 最上川舟運において物資の輸送を行うために作られた小鵜飼船(こうがいぶね)

    最上川舟運において物資の輸送を行うために
    作られた小鵜飼船(こうがいぶね)

  • 現存する倉庫12棟のうち1棟は「庄内米歴史資料館」に

    現存する倉庫12棟のうち1棟は「庄内米歴史資料館」に

  • 資料館では、山居倉庫や庄内米の歴史、昔の農家の暮らしをパネルや等身大のジオラマなどで紹介している

    資料館では、山居倉庫や庄内米の歴史、昔の農家の暮らしを
    パネルや等身大のジオラマなどで紹介している

  • 米俵を背負う農家の女性の模型。昔は5俵(300kg)もの米を担げる女性もいたらしい

    米俵を背負う農家の女性の模型。昔は5俵
    (300kg)もの米を担げる女性もいたらしい

  • 観光物産館「夢の倶楽」の建物は、倉庫2棟を改修したもの。庄内米や果物、お酒など山形の名産品を購入できる

    観光物産館「夢の倶楽」の建物は、倉庫2棟を改修したもの。
    庄内米や果物、お酒など山形の名産品を購入できる

山居倉庫西側のケヤキ並木は、鮮やかな黄色に色づいていた

山居倉庫西側のケヤキ並木は、鮮やかな黄色に色づいていた

見どころは倉庫の西側のケヤキ並木。もとは日本海からの強い西風と夏の直射日光を遮り、倉庫内の温度を一定に保つ実用目的で植えられたものだが、現在では見事な巨木となり、木造の古びた倉庫と相まって、情緒ある風情を醸し出している。ちょうどケヤキの葉も黄色に色づき、秋らしい景色を楽しむことができた。
/TEL 0234-23-7470(庄内米歴史資料館)

ニッポンレンタカーの車種・料金

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山形県内のニッポンレンタカー営業所

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やまがたへの旅 山形県観光情報
山形県観光物産協会の運営。モデルコースや観光スポット、食べあるき、土産、イベント、温泉情報などを掲載。
尾花沢市観光物産協会
尾花沢市のみどころやイベント情報、特産品などが見られる。銀山温泉や芭蕉ゆかりの場所も紹介している。
酒田さんぽ
酒田観光物産協会が運営。酒田市の観光スポットやイベント情報、グルメ情報などのほか、モデルコースも紹介。

記事・写真:谷山宏典 取材:2016年10月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。