甲州街道ドライブ(1)新選組ゆかりの日野宿から笹子峠へ

日野宿本陣の外観 古くから人の往来が多い旧街道沿いには、往時の面影を残す史跡や名勝が数多く点在しているため、現代のドライブコースとしても十分に楽しめる。今回めぐったのは、日本橋を起点に八王子、甲府、韮崎などを経て、下諏訪で中山道と合流する「甲州街道」。江戸時代に整備された五街道のひとつで、約53里、200km余りの道中にはかつて45の宿場がおかれ、江戸と甲斐、信濃を結ぶ主要街道として、多くの人々が行き交った。現在では、甲州街道という名は国道20号線の一部に継承され、国道とは別の旧来の道は旧甲州街道と呼ばれている。
東京都内から車を西へ。ときどき街道沿いを離れて、寄り道を楽しんだりもした。終点の下諏訪までは長大なドライブとなったため、ガイドは4回に分けて掲載していく。
1回目は、東京都内に唯一現存する本陣跡「日野宿本陣」があり、新選組との縁も深い日野、日本三奇橋の「猿橋」や「岩殿山」が見どころの大月を経て、甲州街道随一の難所として知られた「笹子峠(笹子隧道)」までを紹介する。

ドライブルート

東京都内−(中央自動車道・国道20号線・都道256号線など)−日野−(国道20号線・中央自動車道など)−小原−(国道20号線・中央自動車道など)−大月−(国道20号線・県道212号線など)−笹子峠 ……【甲州街道ドライブ(2)に続く】

行程 約135km

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日野宿本陣と新選組ゆかりの資料館

日野宿本陣の表門

日野宿本陣の表門

甲州街道における日野宿は、大きな宿場ではなかったが、多摩川の渡し場を管理するなど街道上の重要な拠点であったといわれている。その日野宿で、大名や幕府の役人が宿泊する本陣として利用されていたのが、名主・下佐藤家の住宅でもあった「日野宿本陣」だ。現在の建物は元治元年(1864)に完成したもので、瓦葺の大屋根や北面中央に備えられた式台玄関が本陣としての格式の高さを今に伝えている。
なお、五街道を定めた正徳6年(1716)には、同じく名主であった隣の上佐藤家を本陣、下佐藤家を脇本陣としたが、幕末には下佐藤家も本陣としての機能を果たしていた。そのため、下佐藤家住宅は日野市指定では「本陣」、東京都指定では「脇本陣跡」となっている。

表門の脇には「天然理心流佐藤道場跡」の碑が立っていた。佐藤道場とは、幕末のころの当主・佐藤彦五郎が天然理心流3代目近藤周助に師事して開いた道場で、ここでのちの新選組局長となる近藤勇をはじめ、日野出身の土方歳三や井上源三郎たちが激しい稽古に励んだと伝えられる。

  • 表門の脇に立つ「天然理心流佐藤道場跡」の碑

    表門の脇に立つ「天然理心流佐藤道場跡」の碑

  • 日野宿本陣の外観

    日野宿本陣の外観

日野宿本陣内の広間

日野宿本陣内の広間

日野宿本陣の近くには、刀や書簡など新選組関連の貴重な資料が展示された「井上源三郎資料館」や「佐藤彦五郎新選組資料館」、天然理心流奉納額が納められた「八坂神社」などがあり、せっかくだからと訪ねてみたが、資料館は閉館日、奉納額の公開は新選組まつりと八坂神社例大祭の日のみということで、残念ながら目にすることはできなかった。

/日野宿本陣 入館料 200円、TEL 042-583-5100
(日野市立新選組のふるさと歴史館)

  • 井上家の子孫が土蔵を改装して開館した「井上源三郎資料館」。開館は第1・第3日曜日、 入館料500円

    井上家の子孫が土蔵を改装して開館した「井上源三郎資料館」
    開館は第1・第3日曜日、 入館料500円

  • 本陣の裏手にある「佐藤彦五郎新選組資料館」。開館は第1・第3日曜日、 入館料500円

    本陣の裏手にある「佐藤彦五郎新選組資料館」
    開館は第1・第3日曜日、 入館料500円

  • 八坂神社は甲州街道沿いに建つ

    八坂神社は甲州街道沿いに建つ

  • 「土方歳三資料館」は、日野宿本陣からは少し離れた場所にあるが、時間があれば立ち寄りたい。開館は第1・第3日曜日、 入館料500円

    「土方歳三資料館」は、日野宿本陣からは少し離れた場所にあるが、
    時間があれば立ち寄りたい。開館は第1・第3日曜日、 入館料500円

新選組のふるさと歴史館

「新選組のふるさと歴史館」は、平成17年(2005)に開館した日野市立の資料館。時代小説やテレビドラマ、映画の影響もあり、新選組というと一般的には池田屋事件に代表されるように「幕末の京都で剣を振るって戦った佐幕派の剣豪集団」として語られることが多いが、それは彼らの一面でしかない。この歴史館では、新選組を生み出した土壌ともいえる日野や多摩地域の歴史や文化、近藤勇や土方歳三が学んだ天然理心流のこと、戊辰戦争時の隊士や日野の人々の動向などを豊富な資料によって展示・紹介しており、総体的な観点から新選組の歴史を知ることができる。
/入館料 200円、TEL 042-583-5100

  • 歴史館の外観。「誠」の文字が染め抜かれた旗が目印に

    歴史館の外観。「誠」の文字が染め抜かれた旗が目印に

  • 歴史館のエントランス部分では、浅葱(あさぎ)色の羽織を着て記念撮影ができる

    歴史館のエントランス部分では、浅葱(あさぎ)色の
    羽織を着て記念撮影ができる

高幡山金剛寺(高幡不動尊)

甲州街道(都道256号線)から川崎街道を南下し、浅川を越えた先に「高幡山金剛寺」はある。古くから関東三不動のひとつとして人々の信仰を集め、「高幡不動尊」の名で親しまれてきた。

  • 仁王門

    仁王門

  • 平安初期の様式で建てられた美しい五重塔

    平安初期の様式で建てられた美しい五重塔

  • 不動明王像が安置されている不動堂

    不動明王像が安置されている不動堂

明治時代に建てられた、近藤勇・土方歳三顕彰碑

明治時代に建てられた、近藤勇・土方歳三顕彰碑

草創は古く、古文書によれば大宝年間(701)以前とも、奈良時代に行基によって開基されたとも伝えられるが、正式には平安時代初期に慈覚大師(円仁)が清和天皇の勅願によって山中に不動堂を建立したのが始まりとされる。不動堂はその後、康永元年(1342)に麓に移築され、現在に至る。
不動堂は、室町時代再建の仁王門とともに関東屈指の古建築であり、重要文化財に指定されている。不動堂に安置されている不動明王像は平安時代の作で、こちらも重要文化財。3m近い威容を誇り、古来「汗かき不動」と呼ばれて武士や庶民から信仰されてきた。

高幡山金剛寺は、日野出身の土方歳三の菩提寺でもあり、境内には「近藤勇・土方歳三顕彰碑」と「土方歳三像」が立つ。顕彰碑は明治21年(1888)の建立で、書は元幕府典医頭・医学所所長の松本順、篆額(てんがく/石碑の上部に篆書で書かれた題字)は元京都守護職松平容保と、近藤・土方と縁の深い人々の手による。
/TEL 042-591-0032

  • 新選組副長で日野出身の土方歳三の像

    新選組副長で日野出身の土方歳三の像

  • 訪れた日は「あじさいまつり」の期間中で、可憐なあじさいの花々を楽しむことができた

    訪れた日は「あじさいまつり」の期間中で、
    可憐なあじさいの花々を楽しむことができた

小原宿本陣

瓦葺の豪壮な門構え

瓦葺の豪壮な門構え

甲州街道45宿のうち、本陣が現存しているのは3か所のみ。先に紹介した日野宿と、大月の下花咲宿、そしてここ「小原宿本陣」である。
小原宿は江戸から9番目の宿場で、小仏峠を越えた先の山間に位置する。かつては旅籠が7軒あり、一般の旅人のほか、富士山や身延山に参詣する講の人々も多く使用したという。本陣の建物は、小原の名主・問屋を務めた清水家の住宅で、広さは桁行13間梁間7間。大名が泊まった「上段の間」をはじめ、「中の間」「控えの間」「大名専用の厠(かわや)」など当時の雰囲気を知ることができる。急な階段を上った2階には、江戸時代に使用されていたさまざまな古道具が展示されていた。
/TEL 042-684-4780

  • 本陣屋敷の外観

    本陣屋敷の外観

  • 大名が乗る駕籠(かご)を再現

    大名が乗る駕籠(かご)を再現

  • 控えの間から上段の間を眺める

    控えの間から上段の間を眺める

  • 本陣の2階には、江戸時代の生活用具を展示

    本陣の2階には、江戸時代の生活用具を展示

  • 道路沿いに建つ小原宿の標柱

    道路沿いに建つ小原宿の標柱

  • 小原宿本陣のすぐそばには、相模湖地区の歴史・文化に関する資料を展示する「小原の郷」が建つ。駐車場もここを利用

    小原宿本陣のすぐそばには、相模湖地区の歴史・文化に関する
    資料を展示する「小原の郷」が建つ。駐車場もここを利用

猿橋を渡る

猿橋を渡る

猿橋

「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並んで日本三奇橋のひとつに数えられる「猿橋」。橋の上を渡るだけではその特徴はよくわからないが、下から眺めると、なぜ“奇橋”なのかがよくわかる。両側に断崖が迫る桂川の深い渓谷に架けられた長さ30.9m、幅3.3mの橋は、橋脚を一切使用せず、両岸から張り出した四層のはねぎによって支えられている。その珍しい構造は、歌川広重の「甲陽猿橋之図」や十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などに描かれている。
起源は定かではないが、推古天皇の時代(600年ころ)、百済から渡来した志羅呼(しらこ)という工人が、たくさんの猿がつながり合って対岸へ渡っていく姿からヒントを得て、橋を建造したという伝説が残っている。現在の猿橋は、嘉永4年(1851)の橋を復元するかたちで、昭和59年(1984)に建て替えられたものである。

  • 猿橋から桂川の渓谷を見下ろす。高さは30mほどで、かなりの高度感

    猿橋から桂川の渓谷を見下ろす。高さは30mほどで、かなりの高度感

  • 両岸から張り出した四層のはねぎによって橋を支える珍しい構造

    両岸から張り出した四層のはねぎによって
    橋を支える珍しい構造

橋のたもとに建つ大黒屋

橋のたもとに建つ大黒屋

橋のたもとに建つ大黒屋は、現在は食事処となっているが、かつては旅館を営み、江戸時代後期の侠客・国定忠治も定宿にした。明治39年(1906)7月には、逓信技師の渋沢元治とのちの日立製作所初代社長の小平浪平が宿泊して、日立製作所創業の話し合いがなされた場所としても知られている。

岩殿山

猿橋から国道20号線を大月市街方面に車を走らせると、桂川をはさんだ対岸に、峻険な岩がけがむき出しになった大きな山が見えてくる。それが「岩殿山」だ。9世紀末、岩殿山の麓に天台宗円通寺が開創され、門前町を形成。13世紀には修験道のセンターとして栄えた。戦国時代になると武田氏、小山田氏の支配を受けて、甲斐国の東の防衛拠点として山頂部に岩殿城が築かれた。
岩殿城といえば、やはり武田氏滅亡時のエピソードが有名。天正10年(1582)、甲斐に進軍してきた織田軍を迎え撃つため、武田勝頼は築城して間もない新府城を焼き払い、天然の要害で籠城戦をしやすい岩殿城へと向かった。しかし、その途上で岩殿城主・小山田信茂の謀反に遭い、岩殿への入城は叶わず。笹子峠の西麓・大和村田野の地において自刃した。

  • 麓から見上げる岩殿山。むき出しになった巨大な岩は「鏡岩」と呼ばれる

    麓から見上げる岩殿山。むき出しになった巨大な岩は「鏡岩」と呼ばれる

桂川を渡ってすぐのところにある駐車場に車を停めて、国道139号線沿いをしばらく登ると、左手に「岩殿城跡入口」と書かれた標柱と階段が現れる。そこから山中に入り、急な坂道を登っていくと、およそ10分で「岩殿山ふれあいの館」が建つ丸山公園に。中腹のこの場所で、標高は444m。眼下には大月の街、そしてその先には富士山を遠望できた。山頂の岩殿城跡にはさらに200m近く登らなければならなかったため、先を急ぐ今回はここで引き返すことにした。

  • 駐車場は、桂川を渡ったところにある「岩殿山公園市営駐車場」を利用

    駐車場は、桂川を渡ったところにある
    「岩殿山公園市営駐車場」を利用

  • 国道139号線沿いの岩殿山への登山口

    国道139号線沿いの岩殿山への登山口

  • 登山道の途中にある、再現された冠木門

    登山道の途中にある、再現された冠木門

  • 登山道はかなりの急こう配で、一気に街を見下ろす高さに

    登山道はかなりの急こう配で、一気に街を見下ろす高さに

  • 岩殿山丸山公園の入口に立つ標柱

    岩殿山丸山公園の入口に立つ標柱

  • 手前の建物が「岩殿山ふれあいの館」。館内には、大月市出身の山岳写真家・白籏史朗さんの写真や岩殿山の資料を展示している

    手前の建物が「岩殿山ふれあいの館」。館内には、大月市出身の
    山岳写真家・白籏史朗さんの写真や岩殿山の資料を展示している

  • 丸山の展望地から眺める大月市街地と富士山

    丸山の展望地から眺める大月市街地と富士山

矢立のスギ。この巨樹の姿は、葛飾北斎や二代目歌川広重の名画にも残されている

矢立のスギ。この巨樹の姿は、葛飾北斎や二代目
歌川広重の名画にも残されている

笹子峠(笹子隧道)

国道20号線を笹子川沿いに走り、正面に山が迫ってきたところで旧甲州街道(県道212号線)へと入った。国道20号線をそのまま進み、新笹子トンネルを通過した方がドライブとしてはスムーズだが、武田勝頼が越えられなかった甲州街道一の難所「笹子峠」を越えていきたかったのだ。
木洩れ日が射し込む森林の中、蛇行する山道を登っていく。平日の昼間ということもあり、ほかの車とはまったく出会わない。途中、「矢立のスギ」にも立ち寄った。その名は、昔の武士たちが出陣にあたって一番矢をこのスギに射たてて、武運を祈ったことに由来する。樹齢は1,000年を超え、樹高約26.5m、根廻り14.8mの見事な大木であった。

  • 笹子峠へは県道212号線を登っていく

    笹子峠へは県道212号線を登っていく

  • 笹子峠への道。天気もよく、木洩れ日が美しかった

    笹子峠への道。天気もよく、木洩れ日が美しかった

  • 矢立のスギへは、未舗装の山道を100mほど歩く

    矢立のスギへは、未舗装の山道を100mほど歩く

  • 俳優の杉良太郎さんはこの場所を「運命の地」として、自ら作詞・作曲した「矢立の杉」の歌碑(左)が立っていた。右はゼンマイ式の音声ガイド

    俳優の杉良太郎さんはこの場所を「運命の地」として、
    自ら作詞・作曲した「矢立の杉」の歌碑(左)が
    立っていた。右はゼンマイ式の音声ガイド

さらに山道を登っていくと、峠のすぐ下を通る「笹子隧道」が現れた。隧道の完成は昭和13年(1938)。トンネルの左右にある洋風建築のような柱形装飾が目を引く。今はひっそりとした雰囲気だが、昭和33年(1958)に新笹子トンネルが開通するまでは山梨と東京をつなぐ幹線道路として甲州街道の交通を支えていたという。

  • 左右の柱形装飾が印象的な笹子隧道

    左右の柱形装飾が印象的な笹子隧道

ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

東京都、山梨県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、東京都山梨県の営業所リストをご覧いただけます。

日野市観光協会
日野のみどころやイベントカレンダーを掲載しているほか、新選組のふるさととして特設サイトも用意。
大月市観光協会
猿橋をはじめ大月の観光スポットや食事どころ、宿泊施設などの情報を提供。「秀麗富嶽十二景」も紹介。

記事・写真:谷山宏典 取材:2016年7月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。