東海道コラム



旅籠「大橋屋」


江戸時代はの名は「伊右ェ門鯉屋」といい、広重の版画「赤坂旅舎招婦図」のモデルとなった。
表は連子格子のはまる二階屋で、その格子の戸袋には美人浮世絵が描かれ、いかにもかつては飯盛り女のいる旅籠の雰囲気だ。
広重の絵図もまたくつろぐ客と化粧する女のいる部屋があり庭には大きなソテツと石灯籠がある。今もその石灯籠が残ると、半纏を羽織った宿の主人は案内してくれた。


玄関は広い土間と板敷きの上がりかまち。黒光する階段は客間に続いていた。資料館ではなく今も営業中だ。




八丁味噌と秀吉の逸話


秀吉と岡崎といえば、矢作川の橋上での蜂須賀小六との出会いの話がある。
ある日、太田弥治右衛門家の台所に忍び込んで味噌をなめていた幼き日の秀吉がいた。
蔵番に見つかり逃げ場を失った子供は、味噌仕込みの重い石を井戸に落とし、蔵番の目をくらませたという。
幼いころからとっさの機転を身につけていたという話とともに、その井戸がいまも残されている。



関の小万

亀山城の大手門で父の仇討ちを果たした“関の小万”の物語は、芝居や鈴鹿馬子唄にもなって語り継がれてきたほど。
「その昔、夫の仇討ちを果たそうと関までやってきた妻が、小万をこの地で産み落として間もなくこの世を去った。そこで旅籠の会津屋(かつては山田屋といった)が哀れな娘を育てた。成長した小万は、母の遺志を継ぎ父の仇を見事に討ち、この関で生涯を終えた。
小万の墓はここ関の福蔵寺にある。