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東海道400年(4)
関宿から京都へ






関−(国道1号線)−鈴鹿峠−水口−草津−大津−京都
約100km、1泊2日




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●亀山宿から野村一里塚

亀山宿を出て約1km、東海道が整備されたときに植えられたという樹齢400年の椋の巨木を見る。これが「野村一里塚」だ。
江戸時代には東海道には品川から京都まで百二十四里間に百ヶ所の一里塚があり、その内ほとんどが道の左右にあって木が植えられていた。
木の種類では榎木が半数を占め、次いで松、杉、桜、栗、椋、檜、樫と日本の代表的な樹木であった。
一里塚は旅人の目的地への目標とされたことはいうまでもないが、馬や駕籠の賃金の目安でもあったという。
かつては桑名宿から坂下宿までの間に12の一里塚があったが、現存するのはここだけ。高さが33mもあるという椋の巨木が守るこの塚は、国の指定史跡にもなっている。

野村一里塚から数百メートル行くと鬱蒼とした木立の中に常夜灯が沢山並ぶ「布気神社」がある。
常夜灯は参道の両脇に66基を数えるが、皆最近立てられた新しいもの。だが、常夜灯もこれだけ並ぶと見事なものだ。
神社の由来は詳しくわからないが、伊勢神宮と深い関係のある古い社である。秋は境内が紅葉で彩られるという。鳥居の敷地に駐車場のスペースがあるので立ち寄ってみたい。

亀山宿から関宿の入り口にある東海道と伊勢別街道の分岐点である東の追分けまで約7km。追分けには伊勢神宮を遙かに拝する大鳥居がある。常夜灯や道しるべも残されている。ここから西の追分けまでおよそ2km、江戸時代の関の町並みが保存されている。

●関宿

JR関駅前、国道1号線を隔てたところにある駐車場に車を入れ(無料)、徒歩でこの宿場町を歩こう。
黒瓦の屋根、低い軒に格子の窓、板張りの戸の家並みが続く。まるで時代劇の世界の中にいるような風景に思わず感激。
軒を連ねる町並みは、そのほとんどが明治中期以前のものとか。古い建物の中には200年も越えるものまである。中には最近に建て替えられた商店の色彩あふれる看板もあるが、電柱、電線を地中に隠した町並みはもうそれだけで美しい。

関は江戸から数えて47番目の宿で、参勤交代や伊勢参りの人々で大変賑わったところでもあった。また「伊勢鈴鹿の関」が置かれていたところでもある。
宿場には2つの本陣跡がある。町のほぼ中心にある「伊藤本陣跡」は格式が高く、参勤交代の大名や公家など身分の高い人が利用した。一方の「川北本陣跡」はすでに建物はなく延命寺の山門として当時の門だけが残されている。

日本各地に現存する宿場町跡や古い町並みも少なくないが、復元されていることが多い。そんな中で江戸時代の町並みを約2km近くも残すのは他になく、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定、町の中央部にある「地蔵院」は国の重要文化財の指定を受けている。

●地蔵院

“関の地蔵に振り袖きせて、奈良の大仏婿にとろ”と俗謡に歌われた関地蔵院。天平13年(741)行基菩薩の開創と伝えられる古刹。
本堂、鐘楼、愛染堂は国の重要文化財でもある。東海道を行く人の信仰を集め、いまも多くの参拝者が訪れる。
この地蔵院前には関の代表する旅籠屋の一つ「会津屋」がある。そこは “小万” が育ったところでもある。

●瑞光寺と福蔵寺

瑞光寺は応安4年(1371)、関氏の菩提寺として創建された。後に徳川家康が本能寺の変で明智光秀の追跡を逃れてきたとき、この寺でもてなされたという。そのとき賞味したとされる柿の木が現存している。
福蔵寺(写真)は織田信長の長男信忠の菩提寺であり、小万の墓と記念碑が境内にある。

●歴史資料館と関町並資料館

“関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か”と謡われたほどの関を代表する宿で江戸時代の貴重な旅籠屋建築であった“玉屋”がいまは歴史資料館となっている。庶民の旅の様子や当時の道具などが展示されている。
関町並み資料館は伝統的な町屋を公開、土蔵には町並みの保存事業についてなどが説明されている。
/入館料 共通券300円、TEL 0595-96-0468

その他、高札場跡が郵便局に、地元の“五百銀行”は町並みを配慮した黒瓦屋根に格子戸風造りで昔の雰囲気を保っている。

●西の追分け

関の西の入り口であり、また出口でもある追分けは東海道と大和・伊賀街道の分岐点だ。石柱には「ひだりハいかやまとみち」と書かれている。
いまは国道1号線との合流地点だ。街道はこれより東海道は坂下の宿を経て鈴鹿峠へ。左に道を辿れば伊賀方面へ。
現在は鈴鹿峠への旧街道は徒歩で、車の道は国道1号線で峠をトンネルで抜ける。

●鈴鹿峠

国道から車で峠にある茶屋跡や巨大な常夜灯を訪ねることはできるが、なかなか大変なことである。トンネル付近の国道は上り下りが別車線になっていて、旧街道の峠に向かう道を見落としてしまわないように。トンネル手前、大きなカーブ付近で注意。
見落とした筆者はトンネルを抜けてからUターン。たまたま畑仕事をしていた老人に訊ねることができた。
「昔はここのあたりに集落があり、道は人が通るところだった。じゃがな、いまの道路は通過する人には便利になったが生活者には不便になったもんだよ。こうして集落もなくなり残ったのはたった一軒のわしらだけ。」と嘆きながら、峠への道を教えてくれた。

○常夜灯

ちょうどトンネルの上に当たる場所に巨大な自然石を組み上げた石灯籠がある。
この「万人講常夜灯」は、高さが5.44m、重さが38トンもあるもの。江戸時代中期に四国の金比羅参りの常夜灯として建てられたものとか。往来する信者が火を灯し、旅人の安全を祈ったという。

○茶屋跡

常夜灯から徒歩で昔の峠道を歩いてみよう。
鬱蒼とした木立の中に登山道のような急な道がある。旧東海道でいまは散策路になっている。西側から峠へと歩いて来た人に訊ねるとかなりの急な上り坂だったという。峠には茶屋跡の石垣が僅かに残るだけだが、険しい山道を越えてきた旅人にとってはほっと一息つける茶屋であっただろう。

○鏡岩

茶屋あたりより50mほど上ったところに大きな岩がある。鈴鹿峠は険しい山道だったばかりか、このあたりには山賊が多かったことも旅人の難所でもあった。山賊はこの岩に映る旅人の姿を待ち伏せて襲ったという。
岩の上からは鈴鹿の山並みが見渡せるばかりか、曲がりくねった1号線がよく見下ろせる。旅人にとっては、まさに恐怖の峠越えであったろう。

●田村神社

創建は平安時代初期という古い社だ。両側に巨木の並ぶ広くて長い参道の奥には拝殿、本殿それに広大な敷地には池や川までもある壮大な神社だ。だが、現在の社は明治のはじめ付近の氏神を合祀して建てられたものである。
鈴鹿峠の茶屋付近に田村神社跡がある。鈴鹿の鬼退治の神としてたぶん江戸時代には社があったのだろうと、土山の田村神社の社務所で訊ねたが明確な答えは返ってこなかった。

●水口宿

水口宿は室町時代に伊勢参宮の宿としてはじまった。後に三代将軍・徳川家光が上洛する際の宿として水口城が築かれた。
名工・小堀遠州が築いたこの城は、規模は小さいながらも京都の二条城のような贅沢なものだった。堀には豊かな湧き水を利用した水がたたえられ、その美しさから別名「碧水城」とも呼ばれていた。
昭和47年(1972)将軍家宿館遺跡として櫓などが復元され、滋賀県の史跡に指定されている。
/入館料 100円、TEL 0748-63-5577

●草津追分け

石部から草津の町へ入ると車でも旧道探しは困難となり、現存する国内最大といわれる草津本陣及び東海道と中山道の分岐点を目指して走る。
ところがこれらは商店街の中にあり、一方通行(時間により変わる)であるため近くの駐車場へ車を入れて徒歩で向かう。
草津川トンネルの南側の出入口のところにある。見つけ難いところだ。トンネル脇の高台に整備された一角に石柱の道標があり「右東海道いせみち・左中仙道美のじ」とある。この石柱は文化3年(1816)に諸国定飛脚の宰領から寄贈されたもの。常夜灯の役目も兼ねたもので、いまでも明かりが灯されている。
江戸から中山道を旅してきた人も東海道を歩いて来た人もここで合流して京都へと向かう。もうすぐ旅の終わりであり、また長い旅路の始まりでもあったこの追分けは旅する人々にどんな思いをめぐらせたのだろう。狭い道を通り過ぎる車と人に注意しながらもしばし思いにふける。

●草津宿本陣

江戸から数えて52番目の宿場町。本陣2軒、脇本陣2軒に旅籠屋が70軒余りを数えた大きな宿場だった。
その中の一つの現存する本陣は、浅野匠内匠頭や吉良上野介をはじめ皇女和宮、シーボルトなど歴史を動かした多くの偉人らが泊まったところ。
寛永12年(1635)に設置された本陣は、表門、居住、台所、湯殿などほぼ江戸時代のままをいまにとどめる。本陣内には大名だけが入れた部屋や湯殿、畳廊下など当時の様子、その他元禄5年(1692)からの宿帳や帳簿(大福帳)などが展示されている。
現在は商店街の中にあるが、貴重な歴史がここに凝縮されている。国の指定史跡でもある。
/入館料 200円、TEL 077-561-6636

●大津宿へ

いよいよ琵琶湖に着く。注ぐ瀬田川の橋を渡ると石山、膳所(ぜぜ)と琵琶湖畔沿いに旧街道は走る。
だが、今は琵琶湖の水位が低くなったことと埋め立てとで湖畔沿いの道ばかりとは限らない。人家が密集する狭い道に車がひっきりなしに通る。
そこで少し街道から離れて湖畔にある膳所城跡に立ち寄る。
いまは本丸跡が公園として残るだけだが、徳川家康が湖水を利用して掘りめぐらせ築いた城。湖水に浮かぶように見えることから“膳所の浮城”とも呼ばれていた。 膳所にはもう一つ立ち寄って見たいところがあった。それは木曽義仲の墓のある「義仲寺」だ。

●義仲寺

「ぎちゅうじ」と読む。旧街道に沿ったこぢんまりとした寺だ。朝日将軍木曽義仲の墓所だが、興味深いのはここが松尾芭蕉の墓所でもあるということだ。
芭蕉翁は元禄7年(1694)10月12日大坂の旅舎でこの世を去った。享年51歳。遺言によって遺骸はここ義仲寺に葬られた。義仲の墓のほかに義仲の側室、巴御前の「巴塚」もある。

明治29年の大洪水により付近は3mもの水に浸り、2ヶ月もその水は引かなかったと住職の話。そのとき芭蕉の墓石も流され破損、拾い集めて修復したもの(写真)。
また、昭和33年に埋め立てられるまで義仲寺の前は湖畔となっていたこと、全国に芭蕉の墓は沢山あるがそれらも当初はこの義仲寺に許可を得て墓碑を立てたものだったが、いまは野放し状態で200ヶ所も数えると住職の話は続いた。
境内には芭蕉をはじめ「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」や「木曽殿と背中合わせの寒さかな」など19の句碑がある。
/拝観料 200円、TEL 0775-23-2811

●南禅寺

京都五山の第一の大寺であり、臨済宗最高位の名刹。文永元(1264)亀山天皇の離宮として創建され、木曽義仲、織田信長などの武将も立ち寄った。
境内には国宝の法堂や「虎の子渡し」といわれる枯山水の大万丈庭園や狩野探幽の描いた「水呑みの虎」の襖絵と価値あるものがたくさんある。
大泥棒、石川五右衛門が「絶景かな 絶景かな」と眺めを絶賛した巨大な山門に上ると京都市方面を見渡すまさに絶景である。
/山門入場料 300円、TEL 075-771-0365

南禅寺の門前では名物の湯豆腐の古い店や茶懐石、禅料理と、気楽に立ち寄れる店から高級料亭まで、さまざまな京料理が味わえる。

●京都三条大橋

鴨川にかかる三条大橋を渡ると、東海道はここで終わる。
室町時代にかけられたという橋は豊臣秀吉によって大改築されたが、その後何度も流失し、現在の橋は昭和25年に修復されたもの。(木製の欄干は秀吉時代のものである)
長さ104m、幅7mの大橋からは比叡山、東山が望め、河原に沿っては花街先斗町の軒の連なりを見る。
昔は五十三次、今回の取材の旅は6日。まだまだ立ち寄りたい街道筋や宿場も多くあったが、十分楽しめた旅だった。

橋を渡った袂には近年に建てられたという弥次さん喜多さんの像が立つ。
東海道とは切り離せない二人の旅も一度は伊勢路へと分かれたが目的の京都にたどり着いてここで終わり。
徒歩での旅も実際には14〜15日、飛脚は一週間ほどだったという。それにつけても山あり、川あり、気象の変化にその上、山賊やごまのはいと危険と難儀の隣り合わせの長い旅だったはず。
しかし、風光明媚な自然の景勝地に心奪われ名物のうまいものに舌鼓を打ち、宿場や茶屋での人との出会いや見知らぬ人との道連れは喜びでもあっただろう。日常を離れさまざまな人と物事に出会う、その楽しさは今も昔も変わらないとあらためて思う旅であった。



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取材:2001年4月