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東海道400年(3)
岡崎宿から亀山宿へ






岡崎−(国道1号線)−熱田神宮−桑名−四日市−石薬師−亀山
約150km、1泊2日




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●岡崎宿

岡崎は品川から数えて38番目の宿場町だが、それ以前からここは徳川家康の誕生の地。岡崎城の城下町として発展していた。
天正18年(1590)家康が秀吉によって関東へ移されてから城主は秀吉の家臣田中吉政となり、大規模な城郭及び城下の整備が行われた。
城下町には“二十七の曲がり角”と呼ばれた曲がり道を造り人馬を通したことから東海道有数の宿場町として繁栄した。
現在は宿場町の面影は少ないが、岡崎を象徴とする天守閣が昭和34年(1959)に復元、昔の旅人が仰ぎ見た姿をそのままに見ることができる。

●岡崎城

徳川幕府による東海道施行400年よりは少し年代をさかのぼり、その幕府を築いた家康の誕生の地岡崎城を訪ねた。
城下を流れる矢作川(やはぎがわ)沿い、天守閣のあるかつての城内は春は桜、夏は緑、秋は紅葉が美しい市の公園となっている。
岡崎城の起源は15世紀半ばまで遡り、源氏、足利氏とも深いかかわりあいがあり松平7代にあたる家康の祖父清康が享禄3年(1530)今の地に城を移した。

家康は8代目広忠の長男としてこの城内で生まれた。しかし、6歳から19歳まで今川義元の人質生活の間、代々続いた家臣“三河武士”によって守られ、後に嫡男信康、石川数正、本多重次と城主を迎え、家康が関東に移されると田中吉政による大規模な整備拡張が行われた。
また元和3年(1617)本多康紀により天守閣が建てられた。
天守閣は「歴史資料館」となっており、また園内には家康の人間像と三河武士たちの生きざまなどを紹介した「三河武士のやかた家康館」、家康の「産湯の井戸」がある。
/入館料 2館共通で500円

○三州八丁味噌

矢作川沿いの一画に昔ながらの木造白壁瓦屋根の建物が並ぶ。ここがあのコクと風味のある八丁味噌製造所だ。
いまは「カクキュー」と「まるや」の2つの製造元が有名だが、昔はこの一帯に味噌屋が並んでいたという。どちらも味噌の製造過程などの見学をさせてくれる。

元祖は「まるや」で創業660年余というから家康誕生以前から味噌造りをしていたことになり、老舗中の老舗だ。
もとは酒造業だったそうだが、太田弥治右衛という人が“手前味噌”を製品化したのがはじまりだそうだ。
興味深いのは 八丁味噌と秀吉の逸話 が残されていることだ。

「カクキュー」は一時間ごとに案内役がつき、味噌仕込みの大樽やこの樽の中で大豆を5トンも越える重石で3年もの間熟成させる様子など解説してくれる。どちらも見学は無料。
/「まるや」TEL 0564-22-0222
/「カクキュー」TEL 0564-25-0513

※岡崎と八丁味噌については「葵徳川三代」ゆかりの地とその周辺1もご参照ください。

●宮宿へ

矢作川を渡ると旧街道は熱田神宮を経て桑名への“七里の渡し”へと続く。
途中、今川義元と織田信長による戦いが繰り広げられた(1771年)“桶狭間古戦場跡”で義元が戦死した場所とされている公園へ。
また、近くの桶狭間の戦死者を祀る寺「高徳院」には資料館もあるので立ち寄ってみたい。
/入館料 350円、TEL 0562-98-8300

熱田神宮の手前の有松宿は“有松・鳴海絞り”で有名なところ。
お伊勢参りの庶民に人気があり、東海道膝栗毛の弥次さん喜多さんも買い求めた絞り染めだ。
また、江戸時代から続くからくり人形を乗せた山車を展示する「有松山車会館」もある。
商家の連子格子やなまこ壁など江戸時代の古い町並みは大切に保存されている。

●熱田神宮

三種神器(歴代天皇の皇室のしるしとして継承する宝器)のひとつ「草薙の剣」を御神体に持つ宮で113年の創建と伝えられ、織田信長が桶狭間の戦いに勝利祈願をしたことでも知られている。
のち、江戸時代中期から後期にかけてはお伊勢参りとともに、江戸をはじめ各地からの参拝客で賑わった。
名古屋周辺の人たちから「あつたさん」と呼ばれ親しまれている神宮の境内は約20万平方メートルと広い。
名古屋市郊外の一画に心安らぐ緑の空間。神明造で、銅板葺き屋根の伊勢神宮とほぼ同様の規模の本宮に、東宝殿・西宝殿のほか宝物殿や信長が桶狭間での勝利のお礼として奉納した瓦葺き土塀などがある。

○宝物殿

古代建築の高床式、校倉造りを模したコンクリートの建物だが、館内には国宝や重要文化財・愛知県文化財に指定された刀剣や鏡、舞楽面、古文書など資料も含め176点、そのほか約4,000点が収蔵されている。
/入館料 300円、TEL 052-671-0852

●七里の渡し

熱田神宮の南にあった宮宿は七里の渡し船の発着の宿場であり、尾張藩の海の玄関として栄えた。
東海道唯一の海上ルートとしてここより桑名へ七里の船旅となる。桑名までの所要時間は約4時間といわれているが、潮や風の具合で6時間にもおよぶことことも珍しくなかった。こうした長い時間の船旅を嫌う人もあって、宮から北上し川を渡って桑名へと行く道もあった。
現在は海岸線が埋め立てられて昔の面影はないが、渡し場跡は「宮の渡し公園」として整備され、熱田常夜灯や船出を告げる鐘楼が復元されている。
公園の前には江戸後期の脇本陣格の旅籠屋「丹羽家」と明治の頃に料亭であった「熱田荘」が市の指定文化財として残されているので、渡し場の雰囲気が伝わってくるようだ。

熱田神宮や宮宿周辺には源頼朝出生地といわれる「誓願寺」や徳川家康が竹千代と呼ばれた6歳のとき織田家に送られる途中2年ほど幽居したという場所(建物は戦災で焼けてない)など史跡のみどころもある。
船出の時間を待つつもりで車を止めて歩いてみるのも楽しい。

●桑名宿

宮宿から船に乗ったつもりで現代の道、国道23号線を桑名へと急ぐ。かつての海路のそのほとんどが埋め立て地となり、桑名側の渡し場も当時の海も揖斐川の河口を少し遡ったところになる。
この七里の渡し船は7〜8人乗りから、大きい船はこぎ手が10人ほどで140人も乗せたものもあった。
しかし、140人は定員を大幅にオーバーしていた。乗客が「船頭は大盗人だ」と言ったため怒った船頭と大喧嘩になった話もあるが、それでもかなり大きな船もあったようだ。
渡し付近は浅瀬で、干潮時はこうした大型船は船着き場には着けず小さな船に乗り換えて上陸した。とくに江戸へ米などを運ぶ大型船は一里も沖に停泊していたという。

●桑名の渡し場

そんな桑名の渡し場はいま防潮堤工事中。残念なことに伊勢神宮の鳥居と常夜灯は防波堤に作り上げられたばかりの小さな公園にまとめられ周囲を塀で囲われていた。
お伊勢参り、熱田神宮参詣で繁栄した桑名宿は「焼きハマグリ」でも名高いところ。
だが、埋め立てや汚染で桑名産のハマグリはめっきりその数も減り、名物も高価なものとなった。
地物のハマグリを使う高級料亭は予約制。名物をかかげる焼きハマグリの多くは輸入品だと、渡し場近くの食堂の主人の言葉だった。

●鈴鹿峠に向かって

桑名から四日市まで国道1号線を辿り、市の郊外へ出ると追分けの交差点を右折したところに、追分け常夜灯と「右京大阪道 左伊勢宗宮道」と刻まれた石塔がある。
いまは僅かな三角形の敷地に申し訳なさそうに残されているだけだが、桑名を出て伊勢路に向かう人と京都へ旅を続ける人の分かれ道だ。
石塔の脇には旅人の喉を潤したであろう湧き水がある。ここまで心の中で一緒に旅をしてきた弥次さん喜多さんともお別れだ。二人はここから伊勢へと向かった。

●石薬師宿

ハンドルを右に切り京大阪道へ。
伊勢方面へ向かう国道23号線と分かれた国道1号線は急に交通量の少ない寂しい道となった。1号線といえばどこも交通量の多い幹線道路と思いがちだが、高速道路の開通も久しく鈴鹿峠越えのにぎわいは今は昔のこと。

旧道が1号線と交錯しながらところどころに残る中を走る。遠くに望んだ鈴鹿の山並みもやがて近づいてくるころ、急な坂道を上ると「石薬師寺」の立て看板が見えてくる。国道からは裏門に出るが駐車場がある。
鈴鹿の山を背景に安藤広重の「石薬師」を彷彿させる寂れた裏門から入ると木立の中の細い石段を下る。
光輝く石に弘法大師が薬師如来を刻み、これを祀ったことから寺の名前が付いた。毎年12月20日が開帳日とされている。

境内には源頼朝の弟、範頼が先勝祈願に寄ったとき、馬の鞭に使っていた桜の枝を逆さに地面に刺したものがそのまま根を張り花をつけたという蒲桜がある。

ひっそりとした境内から表門へ出ると、そこは旧道であり宿場町の面影はないが、ぽつんと一里塚跡があった。

●亀山宿

石薬師宿をあとに広重が描いた名画のひとつともいわれる風雨に見舞われた山道をゆく籠と人の庄野
たぶんこの絵の中の宿場は近いのだろう。平成11年に旅籠屋つくりの小林家を改装し本陣の宿帳はじめ古文書、高札などが展示している資料館を過ぎると、1号線のバイパスを避け旧道へ。

道はジグザグ入り込んで見通しが悪いので走行には注意が必要だが、道筋には昔ながらの佇まいを残す趣のあるところ。
ここ亀山は幕府直轄の宿場もあり、庶民はもとより大名までもが避けて通った城下でもあったという。現在の新築された家々にも格調高い雰囲気が残されている。
本陣・脇本陣や亀山藩の家老職であった加藤家の屋敷と、江戸時代を偲ぶものも多い。

●亀山城

天正18年(1590)城主岡本良勝によって築かれた三層の天守閣を持つ立派な城だったが、現在は黒板張りの多聞櫓、堀と石垣の一部を残すだけ。
このそびえるような石垣に多聞櫓に向かって行列が行く雪景色の広重の絵「亀山」と重なる部分を残す亀山城は、昔の二の丸跡には江戸時代の歌舞伎の演目であった「石川兄弟仇討ち」や大手門跡では父の仇討ちをした「小万」の物語が残されている。城内は桜の名所であり町の公園にもなっている。
亀山市歴史博物館には宿場町を再現したジオラマ、藩の家老であった加藤家の資料などがある。
/入館料 200円、TEL 0595-83-3000

これから箱根と並んで東海道の難所であった鈴鹿峠越えだ。峠の麓の宿場は現在も当時のそのままの町並を残す関宿である。
峠越えを控えて亀山で一休み。



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東海道五十三次をゆく
各宿場の歴史やデータ、江戸時代の旅に関する知識などを紹介している。クイズもある。
東海道400年祭・inみえ
三重県内の7つの宿場のみどころやイベント情報などがある。

取材:2001年4月