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蔵の街栃木と歴史の街足利(2)

ドライブライン

法楽寺(京都の銀閣寺を模したとも言われる) 佐野厄除け大師で知られ、全国からの参拝者で賑わう佐野市の西隣りは足利市だ。
京都に室町幕府を開祖した足利尊氏。足利市はその足利一族の発祥の地である。足利家代々ゆかりの史跡が多く点在する。日本最古の大学というわれる「足利学校」、鎌倉時代の地方豪族の館の面影を残す鑁阿寺(ばんなじ)などが知られている。
三方をなだらかな山に囲まれ、町の中心部には渡良瀬川が流れる緑豊かな土地から生まれた“八木節”は、足利が誇る民謡でもある。


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ドライブライン

<コース>
栃木市−(県道67号線)−岩舟町−佐野市−足利市内
全行程 約50km、1泊2日

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●慈覚大師生誕地

栃木市太平町を経て、岩舟町へと入る。JR上毛線と平行して走る県道67号線沿いに、ほとんどのドライバーは見落としてしまいそうな小さな案内標識を見つけた。それは“慈覚大師生誕地”の文字だった。
慈覚大師とは遣唐僧として唐に渡り、日本の天台宗を大成させた高僧である。「慈覚大師」とは、朝廷より賜った名であり、俗名は円仁という。後に「大師号」を受けた高僧には伝教大師(最澄)や弘法大師(空海)などが有名だ。
円仁は794年、下野国都賀郡、現在の岩舟町下津原に生まれたといわれる。
畑の中の小径の先に林と大木の茂る一画があった。何の変哲もない樹木の中に大師の立像と朱色に塗られた小さな寺があり、その敷地には水たまりほどの池があるだけだった。この池の端に井戸があり“産湯の井戸”と書かれてあった。だが、これより北へ約20kmの壬生町の壬生寺にも“産湯の井戸”があり、本当の生誕地は定かではないらしい。

慈覚大師の生誕地
慈覚大師の生誕地
慈覚大師像
慈覚大師像

9歳から6年間、現在の岩舟町小野寺にある大慈寺で修行。その後、比叡山で修行を重ね、日本全国の人々を救い、多くの寺院を建立した。近くに生誕地が2ヶ所あるが、円仁慈覚大師の生誕地は下野国であることは間違いない。

●佐野市・春日岡山惣宗寺

佐野市は、東に万葉集にも登場する三毳山があり、北には鎌倉時代には藤原秀郷の子孫である佐野氏が、城を築いた唐沢山がある。かつては城下町として開けた町だが、いまはカタクリの群生地や湧き水など自然に恵まれ、豆腐造り、醸造業が多い。最近では佐野ラーメンが名物となっている。しかし、佐野といえば厄除け、方位除けの祈願者で一年中賑わう惣宗寺である。
川崎大師、西新井大師と並んで関東三大大師の一つ、通称「佐野厄除け大師」で知られている。天慶7年(944)平将門征伐を祈願して、藤原秀郷が城山に創建し、藤原一族の寺として信仰されていた。現在のJR両毛線佐野駅近に移転したのは、慶長12年(1607)だ。

佐野・厄除け大師
佐野・厄除け大師
本堂の前は長蛇の列
本堂の前は長蛇の列

古刹のイメージとは裏腹に、樹木を切られ、コンクリートで固められた本堂前には所狭しとテントが張られ、祈祷申し込みやお守りグッズの店が並ぶ。魔除けのお札を頂くだけで3,000円とか。なかでも驚かされたのは、お札やお守りの郵送受付所だ。これらは郵送、ファックスでも申し込むことができ、なんとカード支払いまでOKというのだ。
それでも善男善女が列をなす本堂前を通り過ぎながら、高僧・伝教大師を宗祖と仰ぎ人々の幸せを願った、本来の寺の意味を考えさせられる気持ちになった。

●足利学校

日本最古の学校であり教育の原点ともいわれる足利学校は奈良時代説、平安時代説とあるが、その歴史が明らかになるのは室町時代といわれている。上杉憲実が学長制度を設け、現在国宝に指定されている書籍を寄進したころ最も栄え、「学徒三千」といわれるほどだった。学徒たちは、儒学、医学、天文学から兵学などを学んだ。
「足利の学校には諸国から学徒が集まり学問に励み、それに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会でもある」ともいわれていた。さらには天文19年(1550)フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介された。
しかし、長い歴史は明治に入って幕を閉じた。

復元された足利学校
復元された足利学校
足利学校の校門
足利学校の校門
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寛文8年(1668)に創建された「入徳門」をくぐり、孔子像や稲荷社をみながら、入徳門と同じ時期に建てられた「学校門」を入る。
広い敷地にひときわ大きな建物は、復元された「方丈」(学生の講義や行事のための座敷)と「庫裡」(台所、食堂)だ。杏壇門で仕切られた中には、寛文8年(1668)徳川幕府四代将軍家綱のときに造営された「孔子廟」がある。
杏壇門を出た西には、足利学校が廃校になった後に開設された図書館がある。現在の建物は大正4年(1915)に建てられたもので、重要文化財に指定されている。
/参観料 400円、TEL 0284-41-2655
校内の孔子廟には座像がある
校内の孔子廟には座像がある

足利学校は廊下に座ってくつろげる
足利学校は廊下に座ってくつろげる
歴代徳川将軍の位牌。校内に祭られている
歴代徳川将軍の位牌。校内に祭られている

●鑁阿寺(ばんなじ)

鑁阿寺は堀を渡って入る。元・足利家の屋敷跡でもある
鑁阿寺は堀を渡って入る。
元・足利家の屋敷跡でもある

足利氏2代目義兼が建久7年(1196)が本尊として大日如来を祭ったのがはじまりとされている。3代目の義氏が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺となった。
周囲に土塁と塀を巡らせたほぼ正方形の広い敷地には、鎌倉時代の武家屋敷の面影を残す足利氏宅跡がある。他に国の重要文化財である本堂、経堂、鐘楼の他、日本最大という多宝塔、楼門、東門、西門、太鼓橋など県指定の建造物がある。

鑁阿寺(ばんなじ)本堂と大銀杏
鑁阿寺(ばんなじ)本堂と大銀杏
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多宝塔。日本最大という
多宝塔。日本最大という

●織姫神社

『足利くるなら織姫様の赤いお宮を目印に…』と足利音頭に唄われ、1300年の歴史と伝統を誇る機織業発祥の地、足利機業の守護を奉る神社。神社そのものは、明治12年(1879)に建てられたが、翌13年に火災により焼失してしまったというから、さぞ当時の人々は残念であっただろう。
その後、昭和天皇の皇太子、現在の天皇誕生記念行事として昭和9年(1934)に社殿再建に着手、当時では珍しい鉄筋コンクリートで昭和12年(1937)に完成、現在に至っている。背後の山は公園で、ハイキングコースも整備されている。
織姫神社。足利の機業繁栄を祈った
織姫神社。足利の機業繁栄を祈った

足利氏ゆかりの寺めぐり

平成3年(1991)NHK大河ドラマ『太平記』の主人公、足利尊氏を演じた真田広之さんはじめ、出演者が着用したという鎧などが展示された「太平記館」が、この足利市の観光案内所となり、広い敷地が駐車場となっている。
地図と資料を入手、足利氏ゆかりの寺を訪ねることにした。
寺の多くは山の懐にあるため、開発された町や住宅地からは少し距離があるのが普通だ。従って、道幅が狭かったりわかりにくい場所にあるので、地元の人に尋ねながらのドライブだった。
栃木のイチゴ「とちおとめ」
栃木のイチゴ「とちおとめ」

足利尊氏像
足利尊氏像
太平記で使われた足利尊氏の鎧
太平記で使われた足利尊氏の鎧

●法楽寺

織姫神社から山の縁を辿る狭い一方通行路の途中にあるこの寺は、京都の銀閣寺を模した本堂で、足利3代目義氏によって創建された。本堂左手には義氏の墓所もある。緑に囲まれた静かな寺だ。

法楽寺(京都の銀閣寺を模したとも言われる)
法楽寺(京都の銀閣寺を模したとも言われる)
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足利義氏の墓所
足利義氏の墓所

●吉祥寺

足利4代目、足利尊氏の曽祖父にあたる頼氏の五輪塔(供養塔)がある。だが、元の五輪塔は、ほとんどが紛失したため、現在は復元されたものだ。本堂正面左には、江戸時代の珍しい半鐘が考古資料として残されている。
寺の裏には沢山の墓石があり、それらの墓を囲むように山肌に沿ってあじさいが植えられている。別名「あじさい寺」として知られている。
5代目頼氏の創設した吉祥寺
5代目頼氏の創設した吉祥寺

祖父、頼氏の墓。右の小さいものがもとの墓石で修理の時にほかの石はなくなったという
祖父、頼氏の墓。右の小さいものが
もとの墓石で修理の時にほかの
石はなくなったという

吉祥寺の半鐘
吉祥寺の半鐘

●樺崎八幡宮

樺崎八幡宮。足利義兼(2代目)が創建。今は寂れきっている
樺崎八幡宮。足利義兼(2代目)が創建。
今は寂れきっている

吉祥寺から東へ、住宅街や畑を抜けて約2km、佐野市との市境に近い山裾にある社で、正治元年(1199)、義兼の霊を合祀したことに由来し、拝殿の後ろにある本殿は天和年間(1681〜1684)に再建された。
さらに平成元年の保存修理で復元、意匠上においても数々の面で卓抜したものがあり、歴史的由来とあわせて価値の高い建物である。

●光得寺

光得寺・五輪の塔は現在修復中
光得寺・五輪の塔は現在修復中
八幡宮近くのこの寺は、3代目義氏によって創建された。父義兼がみずから背負って諸国を遍歴したという大日如来像(国の重要文化財)がある。
境内には樺崎八幡宮にあった足利家臣の名もある五輪塔19基があったが、現在は修復中で見ることができない。

●宝性寺

堀込源太といってもピンとくる人は少ないはずだが、民謡“八木節”といえ誰もがうなずく。八木節は足利が発祥地だ。

例幣使街道の宿場『八木宿』(現在の福居町)で江戸末期から明治にかけて、遊女の間で唄われていたテンポの速い歌で、これを堀込源太がラジオ放送やレコードで美声を張り上げて唄った初代の歌い手だ。その堀込源太の墓がこの寺にある。
樽で音頭をとり笛や太鼓の囃しにのって唄う八木節は、太平記館で4月中旬から11月中旬までの毎週日曜、祝日午後2時から1時間公演されている。足利学校と道路を挟んで斜向かい、国道50号線近くの交通量の激しい道路端にある。
八木節元祖・堀込源太の碑と墓は宝性寺(堀込薬師)にある
八木節元祖・堀込源太の碑と墓は
宝性寺(堀込薬師)にある




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栃木市の観光
栃木市ホームページ内。「蔵の街遊歩道」や「太平山」などの観光スポットを紹介している。

取材:2006年3月