今から約1400年の推古14年(606)に百済人(現朝鮮半島)のために聖徳太子が創建した近江最古刹である。御堂は百済の「龍雲寺」を模して建てられ、本尊は像高2.6mの十一面観音。
時代は移り、比叡山に天台宗が開創されると、やがて百済寺も天台の寺院となり1,300人もの僧が居住する巨大寺院となった。その間、自火による火災や戦火で2度焼失したがその都度再建されてきた。だが、天正元年(1573)織田信長の兵火により焼き討ちに遭い寺は衰亡。本堂など建物は失われたが、ご本尊数体の主な仏像と重要な経巻類など難を逃れた。
その後、天正12年(1584)堀秀政により仮本堂が建てられ、やがて土井利勝、酒井忠勝、春日局などの喜捨を得て、本堂・仁王門・山門等が竣工された。現在の建築物は当時のものだが、「石垣参道」や棚田のような「坊跡遺構」や「千年菩提樹」をはじめ樹齢数百年の巨杉、山桜、椿などから古の百済寺を偲ぶことができる。参道は坂道と長い階段が続く。
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