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琵琶湖と若狭湾(1)
近江商人ゆかりの地

ドライブライン

近江商人の家が建ち並ぶ。往時の勢いが残る 京都から琵琶湖の東を通り若狭湾から再び京都へ。琵琶湖周辺は平安の昔から続いた歴史遺産の宝庫であり、いまも人々に受け継がれた生活様式、商人魂などの精神文化も色濃く残す。また都と地方を結ぶ街道の数も多く、沢山の人や物資が往来した物語や、気をつけて見ればそんな小さな痕跡も其処ここに見つけることができるところである。

由緒ある寺、武将の夢の跡、町人宿や商人屋敷、街道筋の名物などや景勝地に目を奪われながらの旅だった。
この京都から京都へと戻る長旅を、「近江商人ゆかりの地」「彦根城とその周辺」「敦賀・から若狭湾」「小浜の海とみほとけの里」「若狭から京都への鯖街道」と大きく5回に分けた。


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ドライブライン

<コース>
京都−(国道1号線)−(国道161号線)−琵琶湖大橋−近江八幡−西の湖−安土町(安土城跡)−(国道8号線)−五個荘(近江商人屋敷)− 愛知川−彦根
全行程 約70km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●近江八幡

琵琶湖大橋
琵琶湖大橋

天正13年(1585)豊臣秀吉の甥の秀次が八幡山頂に城を築いた。本能寺の変で織田信長を失った安土城下の人々をここに移し、楽市楽座を施行して商いの町として基盤を築いた。だが、間もなく秀次は秀吉によって自害させられ、廃城となったが、その後は商業都市として栄えた。北は北海道から南は九州、遠くは東南アジアまでと活躍した近江商人のひとつのふるさとでもある。現在は、伝統的建造物群保存地区指定となっている。

京都駅前のニッポンレンタカー営業所
京都駅前のニッポンレンタカー営業所
琵琶湖畔の標識
琵琶湖畔の標識

町の中を流れる八幡堀は、琵琶湖に通じる運河で、当時の交通幹線として湖上を往来するすべての船はここ八幡浦に寄港し大いに賑わっていた。今も残る堀沿いの土蔵・倉庫群は往時の繁栄を物語っている。時代は変わり、やがて役目を終えた運河は荒れ果て一時は埋め立ても考えられていたという。しかし、地元の有志の保存運動で、かつての運河風景を取り戻し、いまは町の代表的な観光名所になっている。
この運河沿いから南に向かって、碁盤目に整理された路地には黒塀に白壁の家並や、商家、住宅がある。多くは観光客相手のお茶屋や土産物屋になっているが、老舗の菓子や呉服やと昔ながら商いを営んでいるところもある。また、民家として昔のままの佇まいを魅せている家もある。

八幡城跡のケーブル
八幡城跡のケーブル
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八幡城跡から琵琶湖を見る
八幡城跡から琵琶湖を見る

●近江商人

近江商人の家が建ち並ぶ。往時の勢いが残る
近江商人の家が建ち並ぶ。
往時の勢いが残る
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日本の経済に大きな足跡を残した「近江商人道」とはそれぞれの“家訓”の中に人として正しい道徳を説く。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の理念を商売の基本とし、自らの利益のみを追求することなく、社会に貢献し、その財産に応じた人徳を磨かなければならない。目先の金儲けのために自然も人の心も破壊する現在の多くの人々の心に訴えたい言葉である。

●近江牛

近江牛とは主に滋賀県の蒲生、神崎、竜王町などの牧場で生産される。鈴鹿山脈を源流とする愛知川、日野川、野洲川の3つの河川に挟まれた地域は、自給飼料と良質な水に恵まれる上、愛情込めて育てられた牛のことをいう。
独特の艶のある美しい色、細かく柔らかな繊維、適度な霜降りで、口に入れると、とろけるような風味がある。
ただし、高価でもある。180gステーキが5,000円。ランチタイム料金だ。
せっかくの近江、近江牛のステーキを奢る
せっかくの近江、近江牛のステーキを奢る

●日牟八幡宮(ひむれはちまんぐう)

正歴2年(991)に創建された古社。近江商人の信仰を集めてきたこの社には延文4年(1559)に建立した楼門には左甚五郎の彫刻が施されていたが安政2年に焼失。
しかし、同5年には再建以来に勝る彫刻が施され、四方を支えるのが猿であることから“四方猿の御門”として親しまれている。
山門の屋根を支える猿。四隅に2匹ずつ
山門の屋根を支える猿。四隅に2匹ずつ

日牟禮八幡宮の鳥居
日牟禮八幡宮の鳥居
商人たちが敬った日牟禮八幡宮本殿
商人たちが敬った日牟禮八幡宮本殿
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八幡宮よりケーブルで4分ほどに秀次の居城の本丸跡に日蓮宗唯一の門跡寺院「村雲御所瑞龍寺」がある。
秀次の生母瑞龍院秀尼が秀次の菩提を弔うため京都の村雲の地に創建した寺が、昭和37年(1962)にこの場所に移された。
城跡の中にある瑞龍寺
城跡の中にある瑞龍寺

●観光案内所

白雲館、今は観光案内所がある
白雲館、今は観光案内所がある
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明治10年に八幡東学校として建てられた「白雲館」は平成6年に解体復元された貴重な洋風建造物の中にある。
近江八幡の特産や土産物などが販売されている。
ここで町の地図やパンフレットなど手に入れてから町を歩こう。
/TEL 0748-32-6181

●水郷めぐり

葦の繁る綺麗な水郷巡り
葦の繁る綺麗な水郷巡り
琵琶湖八景の一つである「安土・八幡水郷」は密集した葦が編み目のような水路を作りだしている。その昔、織田信長が宮中の船遊びを真似て楽しんだという水郷巡りは、四季を通し豊かな自然を満喫できる。
ゆったりと船に身を任せながら、北に戦国の覇者、織田信長の頂点を極めた安土城、南に悲運の短い生涯を送った豊臣秀次の八幡山城を眺めながら遠い昔に思いを馳せるのもよい。
船は4ヶ所からそれぞれ異なる会社で運営されている。詳しくは上記観光案内所で。

八幡堀
八幡堀
八幡堀の船着き場
八幡堀の船着き場

旧八幡郵便局
旧八幡郵便局
近江八幡の昔ながらの商家
近江八幡の昔ながらの商家

●安土城考古博物館と安土城天主信長館

正確には「滋賀県立安土城考古博物館」という。「近江を制する者は天下を制す」と天下統一を目指した織田信長の本拠地、安土城近くに建てられた近代的な建物。
ここには安土城や織田信長に関する資料を中心に、弥生時代から戦国時代にかけての出土品などが展示されている。
/入館料 350円、TEL 0748-46-2424

安土城の下には考古学博物館や文芸の館がある
安土城の下には考古学博物館や
文芸の館がある

安土城近くにポピーと矢車草の花畑があった
安土城近くにポピーと矢車草の花畑があった

安土城天主信長館は天正4年(1576)信長は3年の歳月をかけて築城された安土城に入城。奇想天外、絢爛豪華といわれた城は5層7階の天守閣を誇っていたという。
現在は石垣の一部しか残っていない。その安土城の天主の5、6階部分を原寸大に復元展示している。
/入館料 500円、TEL0748-46-6512

●近江商人屋敷

近江八幡より東へ約10km、五個荘町にある。
近江五個荘商人屋敷「旧外村宇兵衛家」は文化10年(1813)呉服木綿類の販売を中心に商圏を広げ、東京、横浜、京都、福井などに支店を持ち豪商としての地位を築いた。屋敷は主屋、書院、大蔵、など十数棟があったという。だが、半分は取り壊されていたが、五個荘町が茶室や主屋、庭などを改修、伝統家屋博物館として公開している。
五個荘には商売で大成功した人々の家屋敷が残る
五個荘には商売で大成功した
人々の家屋敷が残る


また、朝鮮や中国にも進出し、呉服店から20店舗の百貨店を経営し、百貨店王といわれた三中井一族の本宅や「旧藤井宅」「あきんど大正館」など4つの五個荘を代表する豪商の建物が見学できる。
/入館料 4ヶ所共通 500円、問い合わせ 五個荘観光協会 TEL 0748-48-2100

五個荘の家並み。舟板で蔵の壁を覆っている
五個荘の家並み。舟板で蔵の壁を覆っている

そのほか、いくつもの古い商人の家並が続く。水路が走る金堂地区には屋敷に水を引き込んだ“川戸”があり、大きなコイは泳いでいた。「昔はこの水戸で鍋釜や食器から顔まで洗っていたのだ」と通りすがりの老人が教えてくれた。「昔は水がきれいでたくさんの魚が棲息していた。川戸に残飯などをあさりにコイやフナが入ってきたものだ。ときにはそうした魚を食べることもあったよ」といった。
町並は重要伝統的建造物群保存地区指定だ。

水路に降りて水を使うカワド(五個荘)
水路に降りて水を使うカワド(五個荘)
水路から家の中の“カワド”に水の取り入れ口(五個荘)
水路から家の中の“カワド”に
水の取り入れ口(五個荘)


彦根に向かう中山道にも豪商の家が残る
彦根に向かう中山道にも豪商の家が残る
愛知川宿跡
愛知川宿跡



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近江八幡市観光ガイド
市の観光情報ページ。近江八幡ゆかりの人物や歴史、新しい観光スポットなどを紹介。ガイドマップをダウンロードできる。
五個荘へようこそ
「まるごと博物館」といわれる五個荘町の概要や観光情報、近江商人に関する解説などが見られる。

取材:2005年6月