大阪から九度山・高野山へ〜真田信繁の足跡をたどる(2)

高野山の総門「大門」。高さは約26m。現在の建物は宝永2年(1705)に再建されたもの 堺から国道310号線、国道371号線を南下し、紀見峠を貫く紀見トンネルを通過すると和歌山県へと入る。そこからさらに30分ほど車を走らせると、関ヶ原の合戦後に真田昌幸・信繁父子が蟄居した九度山町に到着する。
九度山町では、昌幸・信繁の屋敷跡に建てられた「真田庵(善名称院)」や大河ドラマ放送にあわせて開設された「九度山 真田ミュージアム」を訪ねたほか、これからの時期が旬となる柿を求めて「道の駅柿の郷くどやま」にも立ち寄った。
その後、高野山を目指して山あいの蛇行した道をひたすらに登っていくと、50分ほどで朱塗りの巨大な門が見えてきた。高野山の総門「大門」である。高野山の山内は東西3km以上にわたって寺院や堂塔、宿坊や商店などが立ち並んでいるため、車で移動しながら「壇上伽藍」や「奥之院」、真田家と縁の深い「蓮華定院」などを巡った。

ドライブルート

大阪市中心部−(玉造筋など)−真田山−(谷町筋など)−天王寺−(あびこ筋、あべの筋、国道310号線、国道26号線など)−堺−(国道310号線、国道371号線、国道370号線など)−九度山−(国道370号線、国道480号線など)−高野山−大阪市中心部

全行程 約175km、今回行程 約145km

<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>

  • サムネイル1
  • サムネイル2
  • サムネイル3
  • サムネイル4
  • サムネイル5
  • サムネイル6

真田庵(善名称院)

町営駐車場に車を停め、歩いて細い路地を入っていくと「真田庵(善名称院)」はあった。ここはもともと真田昌幸・信繁父子が蟄居した屋敷が建っていた場所で、その跡に寛保元年(1741)大安上人が伽藍を創建して善名称院とした。
境内には、九度山で無念のうちに亡くなった昌幸の墓や、昌幸・信繁・大助(九度山で生まれた信繁の子)の三代の御霊を祀る「真田地主大権現」、信繁が屋敷に落ちた雷を取り押さえて封じ込めたという伝説が残る「雷封じの井」などが残っている。また、「真田宝物資料館」には、信繁が愛用したと伝わる武具や書状、苦しい生活を支えるために家臣たちが全国各地で売り歩いた真田紐などが展示されていた。

  • 九度山の交差点。右の丹生川に架かる橋を渡ると真田庵(善名称院)などがある町内へ。左へ行くと高野山へと至る

    九度山の交差点。右の丹生川に架かる橋を渡ると真田庵(善名称院)
    などがある町内へ。左へ行くと高野山へと至る

  • 「真田庵(善名称院)」の入口門

    「真田庵(善名称院)」の入口門

  • 瓦や門扉などいたるところに真田家の家紋「六文銭」が

    瓦や門扉などいたるところに真田家の家紋「六文銭」が

  • 九度山蟄居中に無念の死を遂げた、真田昌幸の墓

    九度山蟄居中に無念の死を遂げた、真田昌幸の墓

  • 昌幸・信繁・大助の三代を祀る「真田地主大権現」

    昌幸・信繁・大助の三代を祀る「真田地主大権現」

  • 信繁が屋敷に落ちた雷を封じ込めたと伝わる井戸「雷封じの井」

    信繁が屋敷に落ちた雷を封じ込めたと伝わる井戸「雷封じの井」

  • 「真田宝物資料館」の内部

    「真田宝物資料館」の内部

真田の抜け穴伝説が残る「真田古墳」

真田の抜け穴伝説が残る「真田古墳」

真田庵から東へ170mほど行ったところには、真田の抜け穴伝説が残る「真田古墳」があり、足を延ばしてみた。抜け穴伝説とは「この穴は大坂城まで続いており、信繁はこの抜け穴を使って大坂城へ出向いた」というもの。九度山から大坂まで地下トンネルで行くというのはさすがに非現実的だが、そんな伝説が語られるほどに信繁(幸村)人気は高かったのだろう。ちなみにこの穴は、その名の通り、4世紀ごろに造られた横穴式石室を持つ円墳(古墳)であることがわかっている。
/真田宝物資料館 入館料 200円、TEL 0736-54-2218

九度山 真田ミュージアム

「九度山 真田ミュージアム」は、NHK大河ドラマ『真田丸』の放送に合わせ、今年(平成28年/2016年)3月にオープンしたミュージアム。館内では、上田から始まり、九度山、そして大坂の陣へと至る昌幸・信繁・大助の三代の物語が、パネル展示やドラマ仕立ての映像で紹介されていた。
/入館料 500円、TEL 0736-54-2727

  • 「九度山 真田ミュージアム」の真新しい外観

    「九度山 真田ミュージアム」の真新しい外観

  • エントランスホールでは、昌幸・幸村(信繁)・大助の人形と一緒に写真を撮ってもらえる

    エントランスホールでは、昌幸・幸村(信繁)・大助の
    人形と一緒に写真を撮ってもらえる

道の駅柿の郷くどやま。カフェスペースもあり、ドライブの休憩にも最適

道の駅柿の郷くどやま。カフェスペースもあり、ドライブの休憩にも最適

道の駅 柿の郷くどやま

丹生川に架かる丹生橋を渡って、すぐのところにあるのが「道の駅 柿の郷くどやま」だ。敷地内には、世界遺産高野地域の紹介を行う「世界遺産情報センター」や、和歌山県内で採れた農産物、地元の名産品を販売する「産直市場よってって」などがある。
「柿の郷」という名前の通り、九度山町は和歌山県内でも有数の柿の生産地で、中でも果汁が多くて甘みが強く、シャキシャキした食感が特徴の富有柿が有名。産直市場内には柿コーナーができていたので、お土産に買って帰ることにした。
/TEL 0736-54-9966

  • 高野地域の史跡をパネルなどで紹介する「世界遺産情報センター」

    高野地域の史跡をパネルなどで紹介する
    「世界遺産情報センター」

  • 和歌山の柿は、品種によって前後するが、9月上旬〜12月上旬にかけて旬を迎える

    和歌山の柿は、品種によって前後するが、
    9月上旬〜12月上旬にかけて旬を迎える

慈尊院

ここ「慈尊院」は、古くから「女人高野」と呼ばれ親しまれてきた歴史がある。
創建は弘仁7年(816)。嵯峨天皇より高野山を下賜された弘法大師空海が、高野山開創とともに、山麓のこの地に表玄関としての伽藍を造り、年貢徴収などの庶務を司る政所や高野山参詣のための宿所、冬期の避寒修行の場所を置いたのがはじまり。その後、弘法大師の母親が讃岐国から遠路はるばる息子を訪ねて来た折、山上は女人禁制であったために本院に入り、代わりに弘法大師が月に九度は必ず山上より20数kmの山道を下って母に会いに来たといわれている。「九度山」という地名は、この弘法大師と母親との伝承に由来する。
母親が亡くなると、弘法大師は廟堂(弥勒堂)を建立して、自作の弥勒菩薩を安置。弥勒菩薩の別名が「慈尊」であったため、本院は慈尊院と呼ばれて、女人の高野参りは慈尊院までとされて「女人高野」という呼び名が広く知られるようになった。
子宝、安産、育児、授乳など女性にかかわるご利益が特にあるといわれ、珍しい乳房型絵馬を奉納して祈願する女性たちが今も大勢いるそうだ。
/TEL 0736-54-2214

  • 慈尊院の表門。奥に見えるのが多宝塔

    慈尊院の表門。奥に見えるのが多宝塔

  • 左手奥に建つのが、国宝の木造弥勒菩薩坐像を安置する弥勒堂(御廟)

    左手奥に建つのが、国宝の木造弥勒菩薩坐像を
    安置する弥勒堂(御廟)

  • 乳房をかたどった絵馬

    乳房をかたどった絵馬

丹生官省符神社

慈尊院境内の奥にある119段の石段を登り、大きな丹塗りの鳥居をくぐると、紀ノ川を眼下に一望できる見晴らしのいい高台に出た。そこに鎮座しているのが「丹生官省符神社」である。
創建は、慈尊院と同じ弘仁7年(816)、弘法大師が地元ゆかりの丹生都比売(にうつひめ/丹生明神)と高野御子(高野明神)のニ神を祀ったのがはじまり。当初は丹生高野明神社という名で、その後丹生七社大明神、丹生神社と変遷し、現在の丹生官省符神社となった。「丹生」とは朱の原料である「朱砂」を意味して、その鉱脈があるところに丹生の地名と神社があるとされている。また、太政官と民部省から認可された荘園のことを官省符荘といい、本社はこのあたり一帯の荘園の総社(総氏神)として栄えたことから、官省符という名がついている。
拝殿から奥を覗くと、同じ大きさ、同じ形の丹塗りの本殿が三棟、横一列に並んで建っていた。どれも16世紀の室町時代後期の再建で、重要文化財に指定されている。神社の方の話では、拝殿左端と拝殿前の灯籠の間あたりに高野山を遥拝できるそうだが、この日は残念ながら雲に隠れて望むことはできなかった。
/TEL 0736-54-2754

  • 丹生官省符神社へは、慈尊院境内の石段からでも行ける

    丹生官省符神社へは、慈尊院境内の
    石段からでも行ける

  • 拝殿。天気が良ければ、拝殿の屋根の左端の向こうに高野山を遥拝できる

    拝殿。天気が良ければ、拝殿の屋根の左端の向こうに高野山を遥拝できる

  • 拝殿から本殿を眺める。同じ大きさ、同じかたちの朱色の建物が三棟並んでいるのがわかる

    拝殿から本殿を眺める。同じ大きさ、同じかたちの朱色の建物が三棟並んでいるのがわかる

  • 駐車場に建つ「町石」。町石とは高野山への道しるべで、根本大塔を起点に慈尊院までに1町ごと、計180基が建っている

    駐車場に建つ「町石」。町石とは高野山への
    道しるべで、根本大塔を起点に慈尊院までに
    1町ごと、計180基が建っている

山内には国道480号線が東西に走っている

山内には国道480号線が東西に走っている

壇上伽藍

高野山の総門「大門」を左に眺めながら通り過ぎたあと、車を走らせること数分、「壇上伽藍」の前に着く。伽藍とはもともと「僧侶が集い修行をする閑静清浄なところ」という意味があり、弘法大師が高野山を開創するにあたり、まずはこの壇上伽藍の造営からはじめたという。

  • 高野山の総門「大門」。高さは約26m。現在の建物は宝永2年(1705)に再建されたもの

    高野山の総門「大門」。高さは約26m。現在の建物は宝永2年(1705)に再建されたもの

壇上伽藍に建つ「金堂」は高野山の総本堂

壇上伽藍に建つ「金堂」は高野山の総本堂

平成27年(2015)に高野山開創1,200年記念の特別事業として172年ぶりに再建された「中門」をくぐると、すぐ目の前に建つのが高野山にある117の寺院の総本堂である「金堂」だ。弘法大師が弘仁10年(819)に造営し、その後幾度となく火災に遭い、現在の建物は昭和7年(1932)に再建されたものである。
金堂の傍らには、真言密教の根本道場であり、伽藍の中心である「根本大塔」が建つ。塔内は、中央に胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏を祀り、周囲16本の柱には十六大菩薩を配して、曼荼羅を立体的に顕している。諸仏を仰ぎ見ながら塔の中をぐるりとまわっていると、たしかに現世を離れた別世界にいるような不思議な錯覚を覚える。
壇上伽藍は19もの堂塔が立ち並ぶ壮大な空間で、まさにここが信仰の中心地であることがうかがえた。
/金堂拝観料 200円、根本大塔拝観料 200円

  • 朱色が鮮やかな「根本大塔」。山内の建造物としては最大級の高さを誇る

    朱色が鮮やかな「根本大塔」。山内の建造物としては
    最大級の高さを誇る

  • 檀上伽藍の道路をはさんだ向かい側には「霊宝館」が建つ。国宝や重要文化財の宝庫。拝観料600円

    檀上伽藍の道路をはさんだ向かい側には「霊宝館」が建つ。
    国宝や重要文化財の宝庫。拝観料600円

金剛峯寺

山門。文禄2年(1593)再建。昔はこの正面から出入りできるのは天皇や皇族、寺の重職に限られていたという

山門。文禄2年(1593)再建。昔はこの正面から出入りできるのは
天皇や皇族、寺の重職に限られていたという

現在の「金剛峯寺」は、もとは青厳寺といい、豊臣秀吉が亡き母の菩提を弔うために建立したことにはじまる。その後、火災で焼失したため、文久3年(1863)に再建。明治2年(1869)には金剛峯寺と改号して、現在に至っている。なお、少々紛らわしいのだが、もともと金剛峯寺という名称は高野山一山の総称であって、特定の寺院を表すものではなかったのだが、現在の金剛峯寺も高野山全体を総轄する伝統は残し、高野山真言宗の総本山として篤く信仰されている。

  • 主殿(本坊)は文久3年(1863)に再建されたもの

    主殿(本坊)は文久3年(1863)に再建されたもの

関白・豊臣秀次が自刃した「柳の間」

関白・豊臣秀次が自刃した「柳の間」

広大な境内には、東西約60m・南北約70mもある主殿(本坊)をはじめ、別殿、新別殿、奥殿、新書院、茶室、阿字観道場などが立ち並んでいる。見どころのひとつは、2,340uという国内最大級の広さを誇る石庭「蟠龍庭」。説明によれば、雲海の中で雌雄二匹の龍が向かい合い、奥殿を守るように石が配置されているという。また、主殿の柳の間は、豊臣秀吉の後継者として関白となった豊臣秀次が自害した場所としても有名で、別名「秀次自刃の間」ともいわれている。
/拝観料 500円

  • 石庭としては国内最大級の広さを誇る「蟠龍庭」

    石庭としては国内最大級の広さを誇る「蟠龍庭」

蓮華定院

建物の裏手にある真田信之・信政の墓所は、宿泊者でなくても見学可能

建物の裏手にある真田信之・信政の墓所は、宿泊者でなくても見学可能

現在、高野山では52の寺が宿坊として参拝者の宿泊を受け入れており、「蓮華定院」もそのひとつ。この寺はもともと真田家と縁があったため、関ヶ原の合戦後に高野山への蟄居を命じられた昌幸・信繁父子が一時身を寄せていた。
今回は宿泊をしなかったため内部を見ることはできなかったが、昌幸が家臣や客人と対面する際に使用していた「上段の間」が再建されて残されているほか、さまざまな遺品を見学できるそうだ。
受付に一声かけて建物の裏手へとまわらせてもらうと、そこには信繁の兄・信之と信之の子・信政の供養塔が建つ墓所があった。
/TEL 0736-56-2233

  • 山門には六文銭の提灯が吊り下げられていた

    山門には六文銭の提灯が吊り下げられていた

  • 蓮華定院の外観。宿泊をすれば、内部も見学できる

    蓮華定院の外観。宿泊をすれば、内部も見学できる

奥之院の一の橋

奥之院の一の橋

奥之院

「奥之院」は、壇上伽藍と並ぶ、高野山信仰のもうひとつの聖地。最奥部に位置する御廟は弘法大師空海が入定(禅定を行い、無我の境地に入ること)した場所に建ち、今も弘法大師が生きて瞑想を続けていると信じられ、毎日2回の食事が欠かさずに供えられている。
奥之院に参拝するための駐車場は、入口にあたる一の橋近くと、中ほどの中の橋近くにあるが、奥之院の雰囲気を存分に味わうため、一の橋近くに停めて御廟までの約2kmの参道を徒歩で往復することにした。

参道の両側には巨大な杉の木が林立する鬱蒼とした森が広がり、苔むした大小の墓石や供養塔、霊廟の数々が立ち並んでいた。標柱に記された名前を見ると、武田信玄・勝頼、上杉謙信・景勝、小田原北条家、石田三成、明智光秀、豊臣家、織田信長など、敵味方を超えて全国の諸大名の名前が見られた。もちろんそうした著名な大名だけではなく、名も知れぬ一般庶民の墓石も数多くあり、すべてをあわせるとその数は20万基以上にもなるという。

  • 奥之院には1,300本もの大杉がそびえ立ち、中には樹高50m級の巨木もある

    奥之院には1,300本もの大杉がそびえ立ち、中には樹高50m級の巨木もある

  • 墓石や供養塔の数はおおよそ20万基を超えるそうだ

    墓石や供養塔の数はおおよそ20万基を
    超えるそうだ

  • 関東の名門、北条家の墓所

    関東の名門、北条家の墓所

  • 上杉謙信と景勝の霊屋。内部には謙信親子の供養碑が納められている

    上杉謙信と景勝の霊屋。内部には謙信親子の
    供養碑が納められている

  • 豊臣家に尽くした石田三成の墓

    豊臣家に尽くした石田三成の墓

  • 豊臣一族の墓所には、秀吉をはじめ、母の大政所、弟の秀長夫妻、姉とも、長男鶴松、淀殿の供養碑が並ぶ

    豊臣一族の墓所には、秀吉をはじめ、母の大政所、弟の秀長夫妻、姉とも、
    長男鶴松、淀殿の供養碑が並ぶ

御廟橋。奥に見えるのが灯籠堂。ここから先は御廟への霊域となる

御廟橋。奥に見えるのが灯籠堂。ここから先は御廟への霊域となる

中の橋を渡り、さらに進むと御廟橋があった。ここから先は御廟への霊域とされるため、より厳粛な気持ちで立ち入り、灯籠堂や御廟を参拝する。灯籠堂の内部は、天井から吊り下げられた2万基以上の献灯によって照らされ、その正面には「消えずの火」として祈親(きしん)上人が献じた祈親燈や白河上皇が献じた白河燈などが燃え続けていた。

  • 水向地蔵のまわりは、多くの参拝者で賑わっていた

    水向地蔵のまわりは、多くの参拝者で賑わっていた

  • 墓や慰霊碑は古いものだけではなく、近年建てられた新しいものも多かった。写真は「東日本大震災物故者慰霊碑」

    墓や慰霊碑は古いものだけではなく、近年建てられた新しいものも
    多かった。写真は「東日本大震災物故者慰霊碑」

ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

大阪府、和歌山県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、大阪府和歌山県の営業所リストをご覧いただけます。

OSAKA-INFO 大阪観光情報
大阪の総合観光情報サイト。ガイドブックがダウンロードでき、テーマごとのモデルコースも用意されている。
和歌山県観光情報
世界遺産の高野山や熊野古道など和歌山県の観光スポットや温泉情報のほか、モデルコースも見られる。
慈尊院
世界遺産「慈尊院」の公式サイト。寺の歴史や年間行事、女人高野といわれる由縁、みどころなどを紹介している。

記事・写真:谷山宏典 取材:2016年9月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。