ニッポンレンタカーHOME > 旅のお役立ちガイド > ドライブガイド > 佐渡島一周ドライブ(3)

佐渡島一周ドライブ(3)

ドライブライン

荒海に対峙する沢崎鼻灯台 島のほぼ中央には、国分寺や御陵、日蓮宗の寺院などとともに古代遺跡と歴史遺産も多い。県道や小道を辿り、あれこれ訪ねながら南の玄関口であり上越の直江津港と結ぶ小木港へと走る。
折悪しく天候には恵まれなかったが、真野湾から島の西の先端、沢崎鼻までの海岸線は、うなりを上げて荒れ狂う海、砕く怒濤に佐渡の厳しい自然の一端に触れることもできた。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
河原田本町−(国道350号線)−(県道237)−新穂−(県道65号線)−畑野−真野新町−(国道350号線)−羽茂小泊より海岸線−沢崎鼻−(県道45号線)−小木港

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

<ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください>



●根本(こんぽん)寺

佐渡に流された日蓮上人は、当時死人の捨て場とされていた塚原の三昧堂で生活していたといわれ、その跡に建てられた寺である。その後、慶長12年(1607)に金山の山師、味方但馬が、大寄進して、現在の大寺院になった。松尾芭蕉もこの寺を訪れ「月はやし梢は雨を待ちながら」と詠んだ句碑が境内にひっそりと建つ。

根本寺・二天門
根本寺・二天門
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

根本寺・三昧堂
根本寺・三昧堂

●日吉神社

県道81号線と65号線が交差するところに、広い境内と、かなり大きな拝殿、本殿のある神社だ。嘉禄2年(1226)創建、順徳天皇の随臣であった池清範が近江の日枝神社を勧請したと伝えられている。

もとは二宮神社といったが、明治になって日吉神社と改めた。
鳥居の先にある一対の狛犬は、尾が大きく独特の装飾がほどこされているのも珍しいが、向き合うのではなく、同じ方向を向いているのは面白い。
「山王さん」と親しみを込めて地元のひとはいう。毎年4月には山王祭が行われ、ダイナミックな鬼太鼓や、少年たちの射手によりやぶさめなどが奉納される。
日吉神社
日吉神社

●順徳上皇の皇子と皇女の墓

承久3年(1221)鎌倉幕府の転覆をはかった承久の乱で失敗し佐渡に流された順徳上皇は、46歳までの22年間の在島中に3人のお子を儲けられた。第一皇女は、のちに京都へ行かれたということも伝えられているが、2人の皇女と皇子の3人の墓が佐渡に残されている。
遠くに、佐渡の最高峰金北山の山並みを望む田の中に、第一皇女の真新しい墓石がある。宮内庁と書かれた立て札が立つ。
順徳上皇第一皇女の墓所
順徳上皇第一皇女の墓所

近くに皇子の墓もある。畑野の県道沿いに案内板があるが、小さいので見落とさないように。(第二皇女の墓は「佐渡島一周ドライブ(1)」黒木御所近くにある)

●妙宣寺

日蓮上人の旧跡の一つといわれ、弘安元年(1278)に日得上人(阿仏坊)が建てた寺。仁王門は寺で一番古い茅葺きの建造物だが、この寺のみどころは国の重要文化財にも指定されている五重塔だ。高さ24mの塔は、日光東照宮の五重塔を模して建てられたといわれ、新潟では唯一の五重の塔である。
塔は地元相川の棟梁親子により、30年の歳月をかけて建立された。また本堂は文久3年(1863)に再建されたが、十二間(22m)四面の大堂で、島最大の堂宇だ。本堂には日蓮上人の直筆の書状(重要文化財)もあり、上杉景勝の直筆書と共に保存されている。
直筆の書状と直江兼続が奉納した槍が庫裏のケースに展示されていた。2009年11月で展示は終わるという。
/拝観料 無料、TEL 0259-55-2061

妙宣寺・仁王門
妙宣寺・仁王門
五重塔
五重塔

直江兼続
寄進の槍



直江兼続寄進の槍

●国分寺跡と真野御陵

聖武天皇(奈良時代)の命で国ごとに国分寺が建てられた。佐渡国分寺もそのなかのひとつ。享禄2年(1529)に焼失したまま荒れ地になっていたが、現在は整備され金堂や回廊、南大門などの礎石から、当時の国分寺の様子が偲ばれる。
国分寺跡を後に一旦、真野の海岸へ出てから「真野御陵」の案内板に従って約1km。道の行く手が途絶えたところに駐車場と、案内所、みやげやがあった。御陵へはこれより徒歩数分だ。
真野御陵は順徳天皇(流されたときは上皇)の火葬塚で、他の天皇家の御陵同様、宮内庁が管理している。
入り口には、管理人兼説明をしてくれる人がいる。「46歳で崩御された天皇は、都に戻れる望みが絶たれたことから絶望し、仁治3年(1242)に食を断ち自殺したといわれている。翌年侍臣、藤原康光により遺骨は京都の大原へ移され、正式な御陵は大原と定められた。」と説明を受けた。

佐渡国分寺跡
佐渡国分寺跡
真野御陵
真野御陵

順徳天皇行在所跡
順徳天皇行在所跡
真野宮
真野宮

●砂金山跡

佐渡最古といわれる砂金山跡、その下流では、いまでも僅かだが砂金がとれるという。その場所には「佐渡西三川ゴールドパーク」があり、屋内に設けた水槽から砂金をすくうという体験をすることができる。館内には金に関する資料などが展示されている。
/入場料(体験料含む)700円、TEL 0259-58-2021

砂金山はこの沢の周辺だった
砂金山はこの沢の周辺だった
砂金山跡はすっかりさびれていた
砂金山跡はすっかりさびれていた

砂金山跡は、これより約7km、標高211mの砂金山の山から流れる細い川沿いにあるはずである。砂金山観光案内地図には、だれでも行けそうな県道になっているが、小型車が一台やっと通れる狭く曲がりくねった道である。
朽ち果てそうな板に「砂金山跡」と書かれた表示が2ヶ所あり、従いながら進むと、数軒の家に出合った。その中の一軒の工場のようなところに若い男性が3人働いていた。金山跡を尋ねると、「この集落の裏だ」と教えてくれた。
いまから1000年以上前、今昔物語に「能登の砂鉄を採る者が佐渡に渡り、黄金を採って能登に戻った」という話が記されている。戦国時代は上杉謙信の軍資金として、また徳川幕府の資金として採掘されたが明治5年(1872)に閉山。
長い歴史をもった砂金山跡は、昔日の面影を残すものはなにもなく、“佐渡西三川砂金山跡”という説明板が崩れかけた小屋の前に立っていた。

●素浜海岸から小木へ

国道350号線と分かれ素浜海岸へと下る。時折雨が激しく降り、波は大きくうねり夏は海水浴客で賑わう砂浜を洗っていた。小木大浦、田野浦と外三崎と呼ばれる海岸沿いは岩礁が多く、白波を立てて襲い来るうねりは、岩に砕かれ空に舞う。防風兼防雪柵で囲われた民家に、日本海の厳しい冬の荒波を垣間見る思いであった。

坪井近くの漁港
坪井近くの漁港
風除けの囲いを巡らせた民家
風除けの囲いを巡らせた民家

●沢崎鼻灯台

佐渡最南端には白色八角の沢崎鼻灯台が建ち、灯台下周辺は天然記念物の「枕状溶岩」の台地が広がる。枕状溶岩とは、いまから2000万年前、海底火山の噴火により、海中の火口からガスを含まない玄武岩質の溶岩が静かに流れだし、水中で急速に冷却し固まった岩で特異な風景を見せている。
この日は、空には暗雲が立ちこめ海は荒れていたが、晴れれば上越の山脈や日本海の大海原を眺めるビューポイントだ。緩い角度で海へと落ち込む岩畳も見事。

荒海に対峙する沢崎鼻灯台
荒海に対峙する沢崎鼻灯台
枕状溶岩
枕状溶岩

●宿根木の町並み

江戸時代、幕府の金山直轄地であった「相川」と廻船港「小木」が、佐渡の商品経済を大きく変えた。宿根木は廻船業を営む者が居住し、村には船大工をはじめ造船技術者が多く集まった。交易とともに、千石船産業の基地として整備され繁栄した。
現在も、その集落形態を残す宿根木の町並みだ。村を流れる称光寺川沿いに数本の小径が海へ向かって続く。小径に面して寄り添うように家屋が肩を並べる。この集落の特徴は家屋が密集していること。また建物の外壁には船板や船釘が使われたものもあり、千石船の面影を残す家も多い。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

宿根木の標示
宿根木の標示
宿根木の風景
宿根木の風景

宿根木には板葺き屋根が多い
宿根木には板葺き屋根が多い
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

宿根木の名所?舟形の家
宿根木の名所?舟形の家

●清九郎家

多くの民家は現在も住人が生活をしているが、ここは公開されている。廻船主の主屋で、修復時の墨書きには安政5年(1858)と記されている。広い土間と台所、板張りの囲炉裏のある居間と、その奥には、主人の部屋、2階は使用人などの部屋がある。
外見は質素だが、内部はケヤキや一本杉の漆塗り戸など贅沢な造りになっている。現在も個人が所有。
/入館料 400円、TEL 0259-86-3852
千石船を2隻保有した“親方”清九郎家
千石船を2隻保有した“親方”清九郎家

●佐渡国小木民俗博物館

目玉は安政5年(1858)宿根木で建造された千石船の実物大に復元された「白山丸」だ。もとは「幸栄丸」といったが、地元の白山神社にちなんで名付けられた。当時の板図(設計図)をもとに忠実に復元。気仙沼の船大工棟梁によるもの。
宮大工同様、昔の木造船を造る技術者がいなくなることを、館員は心配しながら、後世に残る船であることを語ってくれた。
全長23.75m、最大幅7.24m、帆の大きさが約155畳もある。自前の船を持ち、全国各地へ乗り出した宿根木出身の人々の中に、「日本海」と名付け、世界地図に載せた蘭学者柴田収蔵もいる。
白山丸と続く一方の建物は、大正9年(1920)に建てられた木造校舎の博物館で、船大工道具や南佐渡の漁業用具などが展示されている。
/入館料 500円、TEL 0259-86-3200

宿根木港。岩礁が波を防ぐ。船つなぎ石が残る
宿根木港。岩礁が波を防ぐ。
船つなぎ石が残る

復元された千石船
復元された千石船

●岩屋洞窟

民俗博物館から2kmほど。あまり訪れる人もない山の岩穴。鬱蒼とした樹木の中、徒歩で約5分登ると昼なお暗い洞窟がある。手探り状態で洞窟の奧へ入ると、祠があり目が慣れてくると内壁に仏像が浮かんで見えた。

洞窟の右壁に半肉彫りの磨崖仏三体、洞窟の中央には窟堂が建立され、信者たちが「おこもり」できるように板敷きの床があり、囲炉裏が切ってある。残念ながら見ることができなかったが、正確にはこの暗い洞窟の左壁にも五体の磨崖仏があるそうだ。強力な懐中電灯でもあれば、と思った。
岩屋山石窟へ
岩屋山石窟へ

石窟は信仰の場だった
石窟は信仰の場だった
石窟内に掘られた磨崖仏
石窟内に掘られた磨崖仏

●矢島・経島

県道45号線から少し下ったところに、岩礁に囲まれた名勝として知られた美しい入り江がある。矢島・経島と二つの島があるわけではなく、案内図を見ると一つの島のようだ。矢島は良質の矢竹を産したところで、源頼政がヌエ退治に使った矢はこの島の竹から造られたものだという。
経島については、文永11年(1274)日蓮の赦免状をたずさえた高弟が漂着したところと伝えられている。入り江に浮かぶたらい舟と青い水面に映す、赤い太鼓橋は、佐渡のポスターにもなっている。

矢島・経島の太鼓橋
矢島・経島の太鼓橋
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

矢島・経島のたらい舟
矢島・経島のたらい舟

小木港近くの注意看板
小木港近くの注意看板
警察標示もおけさを踊るか…
警察標示もおけさを踊るか…

海藻、あわび、さざえなどの漁に使われていたたらい舟は、女性があやつる小木海岸独特の風景だ。現在は、漁に使われたたらいを少し大きくした観光用で、8の字を描くように、櫂を操る体験もできる。たらい舟体験所は、小木港内にもある。
/料金・矢島 500円、TEL 0259-86-2992・小木港内 450円、TEL 0259-86-3153

●お光の碑

経島太鼓橋の近くに「お光の碑」がある。昔、柏崎の船大工藤吉と島の娘お光が恋に落ちた。だが、船造りの仕事を終えた藤吉は柏崎に帰っていった。お光は藤吉に会いたさに、たらい舟で柏崎に通ったが、妻子がいた藤吉はお光がうとましくなり、目印の常夜灯の灯を消した。目標を失ったお光は哀れにも、海を漂い死んだという。悲恋物語である。
小木から柏崎まで約20km、最近3人の女性がたらい舟でこの距離を19時間かけて渡ったという。もちろん伴走船とともにであったが。
悲恋を伝えるお光の碑
悲恋を伝えるお光の碑



○ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

○新潟県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、新潟県内の営業所リストをご覧いただけます。


佐渡観光協会
「佐渡ドライヴのススメ」が紹介されているほか、名所・旧跡や自然景観、宿泊施設などを検索できる。
佐渡が島(佐渡汽船)
フェリーの乗り場案内や運賃表、時刻表などのほか、デジタルパンフレット「佐渡さんぽ」が見られる。

取材:2009年9月