橿原市、JR畝傍駅から飛鳥川を隔てた西に東西600m、南北300mに広がる古い町並み。かつては戸数1,100軒、人口約4,000人で、町屋は切妻造、本瓦葺きで、6町に町割りされ、9つの門から橋を渡り外部の道路につながっていた。
今井の地名は至徳3年(1386)の興福寺一乗院の文書にみることができるが、町の成立は戦国時代になってから。豊臣秀吉の時代には“海の堺”・“陸の今井”と称され、また「大和の金は今井に七分」「今井しんど屋は大金持ち、金の虫干し玄関までも」とまでいわれるほど繁栄していた。
「しんど屋」とは山尾家のこと。この町でもっとも古い町屋は慶応3年(1650)に建築された今西家で惣年寄を務めていた。
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