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古代大和路(奈良県)を行く(3)
吉野山と明日香村

ドライブライン

石舞台古墳 古来から桜の名所として知られる吉野山。大峰山系の北端に位置し、南北8kmの尾根筋は吉野山と呼ばれ、万葉にも詠まれた美しい峰である。いまでは3万本もの桜が花を咲かせる吉野山。また修験道の聖地として開かれ、後に、源義経や後醍醐天皇などの歴史の舞台となり、さらに時代が下って、豊臣秀吉など武将の華やかな花見の宴もくりひろげられたところ。
吉野山を下れば飛鳥の地。古墳時代を経て推古天皇の即位から平城京遷都までの100年、中央集権国家の確立までの過度期にあった時代、ここから日本の歴史のはじまりといわれている。


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ドライブライン

<コース>
三重県津市−(国道165号線)−阿保−(国道422号線)−名張−(国道165号線)−室生−(県道28号線)−室生寺−(国道165号線)−長谷寺−萩原−(国道370号線)−大宇陀−(国道370号線)−吉野山−(県道15号線)−明日香村−橿原
行程 約70km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●吉野エリア

大宇陀から国道370号線を辿り、吉野川を渡る。吉野山は麓から下千本、中千本、上千本、そして奥千本と言われ、標高差500m余、約1ヶ月かけて山をピンクに染める桜の名所。この吉野山が桜の名所となったのは、約1400年前、この地が信仰の山とし、修験道の開祖、役行者が金峯山寺蔵王堂を創建後、多くの参拝者が、ヤマザクラの苗を植え始めたことからだった。
さらに16世紀には豪商末吉勘兵衛が1万本もの桜の苗木を寄進、その約50年後、豊臣秀吉が多くの家臣を従えて盛大な花見の宴を開いたことは、有名な話。
吉野の山並み
吉野の山並み

また、京都での政権争いに敗れた後醍醐天皇(在位1318〜1339年)が52歳で生涯を終えたのも吉野であり、源義経が頼朝に追われたのも、この吉野である。その吉野山は平成16年ユネスコの世界遺産に登録された。

吉野山には門前町が幾つかある
吉野山には門前町が幾つかある
吉野山中の小さな葛茶屋
吉野山中の小さな葛茶屋

●吉野神宮

14世紀に吉野朝廷を開いた後醍醐天皇を祀るため、明治天皇が創建した神社。御神体の後醍醐天皇像は、後村上天皇自らが彫ったものといわれている。明治25年(1892)社殿の完成とともに吉水神社から移された。
/TEL 0746-32-3088

吉野神宮
吉野神宮
吉野神宮拝殿
吉野神宮拝殿
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●金峯山寺(きんぷせんじ)

7世紀末、修験道の開祖・役行者が、この金峯山を道場として修行し、蔵王権現を感得した。その蔵王権現のお姿を桜の木で刻み、御堂を建ててお祀りした。役行者が蔵王権現を桜の木で彫られたことから、桜の木が献木され保護されたことにより吉野の山が桜の名所となった。蔵王権現木像を御神体に金峯山寺が建立された。以来、金峯山は修験道の道場として、多くの修行者が宗派を超えて修行してきた。現在も金峯山寺は修験本宗の総本山として、参詣者が訪れている。
本堂、蔵王堂は康正元年(1455)に再建され、高さ34mの重層入母屋の建物は、木造建築では東大寺大仏殿に次ぐ大きさである。国宝。


●後醍醐天皇導きの稲荷

北朝方との対立が激しくなり京都より吉野山の行宮(仮の宮)に逃れてくるとき、途中夜道に迷い、とある稲荷社の前に着いた。ここで赤い雲が現れて、吉野への道を照らし一行を導いたという。人々が迷いがあるとき、この「導き稲荷」にお祈りすると、おのずから道が開けるといわれている。
後醍醐天皇を導いた狐を祀る稲荷
後醍醐天皇を導いた狐を祀る稲荷

●金輪王寺(きんりんのうじ)

後醍醐天皇は、この地にあった実城寺を改め金輪王寺と改称し、皇居とした。京都への帰還を願いながら、延元4年(1339)ここで52歳で没した。
その後、南朝没落後に衰退したが、徳川家康が南光坊天海を、吉野山に学頭として任命。金輪王寺をもとの実城寺に戻し、金輪王寺を日光に移し、吉野山を日光輪王寺の管理下にした。歴史の舞台であった金輪王寺も、明治に廃寺となった。
秀吉も訪れたという峰の薬師堂跡
秀吉も訪れたという峰の薬師堂跡

金峯山寺の近くには、頼朝に追われた義経が隠れたといわれ、また豊臣秀吉が文禄3年(1594)「吉野山梢の花の色々におどかれぬる雪のあけぼの」と詠んだ峰の薬師堂跡や、境内を花見の本陣とした「吉水神社」、天之分水大御神を祀る「吉野分水神社」がある。ぜひ訪ねて見たい社の一つであるが、このあたりは、その狭い道沿いに旅館、土産物屋、飲食店などがひしめき合っていて、駐車場も少ない。しかもどこも駐車料金は一律1,500円だ。吉野山見物は、麓に車を駐めてケーブルと徒歩がお勧めだ。

●明日香村

“飛鳥時代”、日本史時代の呼び名の一つ、西暦592年、推古天皇の即位から和銅3年(710)の約100年、平城京遷都までの年代をいう。大化の改新がはじまった大化元年(645)、または天智朝(662〜671)以降を、白鳳時代と区別することもある。とくに美術史などでは、飛鳥と白鳳とに区別されているようだ。
政治的には氏姓国家・部民制社会から中央集権国家の確立までの過渡期である。その中間期に大化の改新を経て、672年、強い専制権力を握った天武天皇は、さらに天皇を中心とした中央集権国家を確立。神仏両面にわたる祭祀制度から、国庁・郡家の設置や租税制度から交通制度にいたるまで、日本の決まり事や法律の原点を作り上げた時代である。ここで活躍したのが、聖徳太子や蘇我馬子であり、中大兄(なかのおおえ)皇子(天智天皇)、藤原鎌足などであった。

古道は歩けるように整備されている
古道は歩けるように整備されている
吉野・明日香間の芋峠
吉野・明日香間の芋峠

吉野山から明日香村へと続く古い道(県道15号線)を辿る。吉野山から一旦吉野川を渡り、吉野町役場のほぼ裏山から通じている山道を490mの芋峠を越えて明日香村稲淵へ出る。稲淵は日本の棚田百選に選ばれた日本の美しい原風景を残すところ。棚田の向こうに広がる平野が明日香村だ。

稲渕の棚田
稲渕の棚田
吉野川の柳の渡
吉野川の柳の渡

●石舞台古墳

石舞台とは、巨大な石を積み上げた石室で、飛鳥時代の豪族、蘇我馬子の墓と伝えられている。約30個もの花崗岩の巨石を積み上げて造られている。

積まれた石の中は、石棺でも入っていたのだろうか、天井の高い部屋になっている。石の建造物といえば、エジプトのピラミット、ギリシャの神殿やポリス、ローマのコロッセムやフォロロマーノなどを思う。
それらを目の当たりにして、昔の人々の優れた能力に驚嘆していたが、年代は大きく下っても、日本にも、これほど巨大な石を積み上げる技術と発想があったことに改めて驚くばかりだ。ちなみに天井石は約80トンもあるという。古墳の中でも最大級である。
/見学料 250円、TEL 0744-54-4577
石舞台古墳
石舞台古墳
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石室への通路
石室への通路
巨石で見事に作られた石室
巨石で見事に作られた石室

●岡寺

約1300年前、天智天皇の勅願により建立されたと伝えられている。真言宗豊山派の寺院で、正式名は東光龍蓋寺という。慶長17年(1612)に再建された仁王門は重要文化財である。
本尊の如意輪観音坐像は、奈良時代末期に作られた巨大な像で高さが5m近くもある。西国33ヶ所の第7番所にあたる厄除けの寺であり、シャクナゲが美しい寺として知られている。
/参拝料 300円、TEL 0744-54-2007
岡寺
岡寺
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仁王門の仁王(吽)
仁王門の仁王(吽)
仁王門の仁王(阿)
仁王門の仁王(阿)

●藤原鎌足生誕地と大伴夫人の墓

岡寺から北へ数kmの「鎌足生誕地」の小さな標識に従って農道のような小径に入ると、いまにも崩れ落ちそうな社があった。大原神社といい、藤原鎌足生誕地という説明板があった。
大原神社はもともと鎌足の生誕地であったとの伝承があった場所に鎮座する。本殿の背後の谷には鎌足産湯の井戸がある。現在は、木や草の茂みに覆われて、井戸だったことも分からない状態になっていた。

大原神社。藤原鎌足誕生の地とされる
大原神社。藤原鎌足誕生の地とされる
鎌足・産湯の井戸
鎌足・産湯の井戸

この大原神社から30mくらいのところに、東西約10m、南北12〜3mくらいのこんもりとした森がある。ここは、中臣鎌足の母である大伴夫人の墓とされる。円墳の中央の高さが3mくらいあるといわれているが、これが古墳とは見えず、注意しないと通り過ぎてしまいそうだ。

大原
大原
大原の里
大原の里
鎌足の母・大友夫人(ぶじん)の墓
鎌足の母・
大友夫人(ぶじん)の墓


●天香久山

天の香具山(手前の色濃い山)
天の香具山(手前の色濃い山)

万葉集“春すぎて夏きたるらし白栲の衣干したり天の香具山”(持統天皇)と詠まれた香久山。万葉では香具山と呼ばれていた。
奈良盆地の南部橿原市に点在する畝傍(うねび)山、耳成(みみなし)山、天香具山(あまのかぐやま)を古代では大和三山といって藤原京や万葉の舞台となったところ。なかでも、2つの山と違って、香久山にだけ「天」の文字を冠するのはこの山には天降山、との伝承からだ。飛鳥時代には香久山は聖なる山で、万葉歌に香久山が多く詠われていたのもこの特別な思いのためであった。

香具山麓、天の岩戸神社
香具山麓、天の岩戸神社
天の岩戸神社・本殿
天の岩戸神社・本殿

香久山の南の麓には、天岩戸神社が鎮座する。祭神は天照大神。古事記や日本書紀の高天原神話にも、香久山が記されていることから、ここにも大神が岩戸に隠れたとされる巨石があり、岩穴が御神体となっている。いまは参拝に訪れる人も少ないらしく、社も境内も荒れていた。

●藤原京跡

690年天武天皇の跡、飛鳥浄御原で持統天皇が即位。694年、かねてから建設中だった唐(中国)の都に習い、大きな都藤原京に遷都した。
藤原京は持統8〜和銅3年(694〜710)におかれた持統・文武・元明天皇3代の宮都として奈良盆地の飛鳥地方の北、畝傍(うねび)、耳成(みみなし)、香具(かぐ)の大和三山に囲まれた橿原の藤原地につくられた。東西約2km、南北約3kmの大きな都で、中は碁盤の目状に区切られ、藤原宮のほか寺や官人・僧侶から一般庶民までの住居があった。
ここで、大宝元年(701年)大宝律令が出され、小国ではあっても、中国に肩を並べる帝国であるということを国の内外に示した。

森になっている藤原宮跡中央の大極殿
森になっている藤原宮跡中央の大極殿
藤原京中央の大極殿
藤原京中央の大極殿

平成13年(2001)には、朱雀門より約250mのところで、1,200点もの木簡が発見された。木簡は大宝律令施行直後のものといわれ、二官八省などの律令制が整いはじめたことや、藤原京の都に集まってきた人々の様子が伺える資料となったという。
現在も、発掘が続けられている。興味ある人は香久山近くにある「飛鳥藤原宮跡発掘調査部資料室」を訪ねてみよう。
/入館 無料、TEL 0744-24-1122
明日香の万葉文化館
明日香の万葉文化館



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明日香村観光サイト 遊・悠・あすか
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奈良県観光情報 大和路アーカイブ
各月の「秘宝・秘仏特別公開」予定や温泉、観光情報データベース、大和路を見るおすすめコースなどがある。

取材:2009年4月