ニッポンレンタカーHOME > 旅のお役立ちガイド > ドライブガイド > 古代大和路(奈良県)を行く(2)初瀬街道沿い寺院と大宇陀の町並み

古代大和路(奈良県)を行く(2)
初瀬街道沿い寺院と大宇陀の町並み

ドライブライン

牡丹越しの登廊 初瀬街道は2000年前に垂仁天皇の皇女倭姫が天照大神の鎮座する地を探す旅でたどった道筋からと伝えられている。伊勢−奈良を結ぶ街道で、青山峠を越えて名張・室生を経て橿原で伊勢街道に合流して、桜井へと至る。
街道沿いには、室生寺・長谷寺をはじめ歴史のある多くの神社仏閣があり、仏像、磨崖仏、石仏なども見られる。さらに古い町並みや屋敷、重厚な佇まいを今に残す家屋もある。


サムネイル1 サムネイル2 サムネイル3 サムネイル4 サムネイル5 サムネイル6

ドライブライン

<コース>
三重県津市−(国道165号線)−阿保−(国道422号線)−名張−(国道165号線)−室生−(県道28号線)−室生寺−(国道165号線)−長谷寺−萩原−(国道370号線)−大宇陀−(国道370号線)−吉野山−(県道15号線)−明日香村−橿原
行程 約100km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

<ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください>



●大野寺

伊賀の上野町より再び初瀬街道(国道165号線)へ出て橿原方面へと向かう。名張市街を迂回して渓谷美で名高い夏目、世界の珍しいサンショウウオがみられるサンショウウオ・センターがある赤目四十八滝の案内板を見ながら、室生寺を目指して車を走らせていた。その室生寺に向かう分岐点近くに、大きな磨崖仏の寺があることを知った。大野寺だ。
宇陀川の清流をへだてて屏風のように立ちはだかる高さ約33mの巨大な岩に、弥勒菩薩が刻まれている。
仏身は連座を含めた高さ約14mの線刻磨崖仏で鎌倉初期の作といわれている。宇陀川を隔てた対岸にあることから、対岸は彼岸であり弥勒の浄土である。弥勒菩薩が次の世に如来となってお出ましになるお姿を線刻で描いてあるという。

線刻画の弥勒菩薩は川をはさんだ寺の対岸にあります
線刻画の弥勒菩薩は川をはさんだ
寺の対岸にあります

地蔵菩薩(重文=大野寺)
地蔵菩薩(重文=大野寺)

大野寺は、天長元年(824)に弘法大師が室生寺を開創したとき、西の大門として開基された。慈尊院弥勒寺と称したが、いつしか地名の大野寺というようになった。いまは寺そのものは小さいが、狭い境内から清流を隔てて仰ぎ見る弥勒観音さまの慈悲深いお姿に、誰もが心洗われるだろう。
/拝観料 心付け

大野寺はひっそりとしていた
大野寺はひっそりとしていた
名張近くでは推理作家、江戸川乱歩氏の生誕地もあった。既に石柱は傾いていた
名張近くでは推理作家、
江戸川乱歩氏の生誕地もあった。
既に石柱は傾いていた


●室生龍穴神社と室生寺

国道と分かれた室生寺への道は、室生川を遡り、奥深い山と渓谷の中へと入っていく。間もなく室生寺への上り口に杉の巨木に囲まれた龍穴神社がある。室生寺のみを目的に車で上って来た人には見過ごしてしまいそうな、社は深い木立の中にある。
室生山一帯は火山活動によってできた洞穴状の地形が多い。これらを雨をもたらす龍神の宿るところとして、古くから信仰していた。
この神社の歴史は古く、奈良時代の末期に建立された室生寺の神宮寺として創建された。また室生は古代から水神の聖地でもあり、平安時代には朝廷にも崇敬され、たびたび雨乞いが行われていたという。
龍穴神社神殿
龍穴神社神殿
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)


天を突く龍穴神社の古木
天を突く龍穴神社の古木
岩を抱え込んだ杉の巨木
岩を抱え込んだ杉の巨木
龍穴神社
龍穴神社

神秘的な雰囲気の漂う古社の奥深くに龍神のおわす龍穴がある。徒歩20分も山を登った場所にあるので、今回は先を急ぐためパスをした。

●室生寺

深い山や渓谷に囲まれた場所は古くから神々の坐す聖地と仰がれていた。奈良時代の末、この室生の聖なる地で皇太子山部親王(後の桓武天皇)病気平癒祈願が興福寺の高僧賢憬など5人の僧によって行われた。そして、病気が治ったことから、勅命により国家のために創建されたのが室生寺であった。
以来室生寺は、山林修行の道場として、また各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成していった。平安時代前期から数多くの優れた仏教美術を生み、今日まで継承してきた。
女人禁制の高野山に対し、女性の参詣も許されたことから「女人高野」として親しまれてきた。4月下旬、取材時はしゃくなげの花が盛りだった。

山門
山門
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

室生寺正門
室生寺正門

赤い太鼓橋をわたると表門に着く。表門から奥の院まですべて石段で、その数724段もある。
最初の本坊を通り過ぎると、鎌倉時代の建造物、国宝である本堂から重要文化財の弥勒堂へと続く。いずれの建造物の内部にも国宝に指定されている仏像などが安置されている。さらに、その上には平安時代の同じく国宝の五重塔がそびえ立つ。
鬱蒼とした大樹の中で、ひっそりと佇む建物や仏像は、千数百年の歳月を語りかけてくるようだ。
弥勒堂
弥勒堂

室生寺金堂
室生寺金堂
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

五重塔
五重塔

この橋を渡って奥の院へと登る
この橋を渡って奥の院へと登る
奥の院・大師堂と十三重の塔
奥の院・大師堂と十三重の塔

長い石段は続く。五重塔から奥の院までは、原生林に囲まれた急な石段を登る。奥の院には、舞台造りの位牌堂と弘法大師四十二歳の像を安置した御影堂(鎌倉時代のもので重要文化財)がある。寺守の老人がひとり、毎日、724段の石段を上り下りして、もう60余年になるという。
/拝観料 500円、TEL 0745-93-2003

●長谷寺

初瀬山の中腹にある長谷寺は、山号を豊山(ぶさん)と号し、朱鳥元年(686)、道明上人が天武天皇のために「銅板法華説相図」を初瀬西山に安置したことにはじまった。後に徳道上人が神亀4年(727)天武天皇の勅願により十一面観音像を東の丘に祀った。
観音信仰に厚く、西国三十三ヶ所観音霊場を開きその本道場として、長谷信仰が全国に広がった。時代が下がり天正16年(1588)、真言宗豊山派の総本山として今日に至る。
春は桜に牡丹、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は寒牡丹と四季を通じて花々が境内に彩りを添える。とくに牡丹は『枕草子』や『源氏物語』などの古典文学にも登場し、古くから「花の御寺」とも呼ばれている。

本長谷寺。朱鳥元年(686年)長谷寺草創期の建物
本長谷寺。朱鳥元年(686年)
長谷寺草創期の建物

花の寺、面目躍如。本堂を見る
花の寺、面目躍如。本堂を見る

平安時代には貴族の参詣が盛んになり、このあたりは、長谷寺の門前町として栄えてきた。いまでも昔の街道沿いの狭い道に、飲食店、みやげ物屋、旅館などがひしめき合っている。
初瀬川に架かる橋を渡ると仁王門と長い登廊石段を登る。平安時代に建立されたという仁王門だが、現在の門は明治18年(1885)に再建されたもの。
登廊を登り切ると、徳川三代将軍家光公が慶安3年(1650)に寄進したという本堂へと出る。入母屋造の本堂と礼堂の双堂(ならびどう)からなり、前面には舞台のある大建造物だ。平成16年に国宝に指定された。
長谷寺仁王門
長谷寺仁王門

牡丹越しの登廊
牡丹越しの登廊
(画像をクリックすると拡大写真を表示します)

登廊石段、左右には牡丹
登廊石段、左右には牡丹

本堂には天文7年(1538)に作られた御本尊十一面観音菩薩が安置されている。高さ10m余もある木造観音像で、全国に広がる長谷観音の根本像だ。国の重要文化財に指定されている。ご開帳は4月〜7月、10月〜12月で、特別拝観料1,000円(入山料別)。

本堂脇にある鐘楼から、朝6時の時を知らせる鐘の音、正午には鐘と法螺貝の音が千年の昔から絶えることなく響くのが、長谷寺の習わしとか。緑の木立の中、伽藍に鳴り渡る古代からの音は心に染みいる。
/入山料 500円、TEL 0744-47-7001
本堂舞台から五重の塔を見る
本堂舞台から五重の塔を見る

●大宇陀

明日香村にほど近い大宇陀は「男は鹿を狩って角をとり、女は薬草を摘む」場所として日本書紀に記述を残す。日本で最初の薬草と猟場を併せ持ったところ。万葉の時代には宮廷の狩場でもあった。戦国時代には織田信長の次男信雄以後4代が統治した城下町でもある。
また大和と伊勢を結ぶ街道でもあり、現在は国道370号線沿いに往時の面影を残す古い町並みがある。(重要伝統的建造物群保存地区に選定されている)

森野旧薬園と吉野葛の老舗
森野旧薬園と吉野葛の老舗
大宇陀の吉野葛専門店
大宇陀の吉野葛専門店

紀貫之、小林一茶も途中の梅のほとりで一休み、詩を作った
紀貫之、小林一茶も途中の梅の
ほとりで一休み、詩を作った

くず餅
くず餅

宇陀川の南北に細長く延びる町は、城下町から商家町として移り変わりながら、発展してきた。この町並みには前川と呼ばれる水路が走り、漆喰の壁に重厚な格子戸の造りの町屋をはじめ、洋館、土蔵、門、塀などが広範囲にみることができる。なかでも江戸中期の建物で薬問屋を商っていた細川家住宅だ。「薬の館」といわれ薬に関する品々や町の歴史・文化に関するものなどを展示している。
その他、江戸初期の松山西口関門、光明寺、万法寺といずれも中世に建立された寺、創建は推古時代と言われる古刹大願寺、徳川吉宗時代に創設された最古の「森野旧薬園」などがある。この森野旧薬園は吉野の葛を製造販売する400年の老舗でもある。新しい工場と売店は国道370号線沿いにある。

大宇陀の町並みから国道166号線を隔てた山腹に「徳源寺」という寺がある。織田宇陀松山藩主の菩提寺で、古びた石段を上り、寺からさらに杉木立の山道をたどると、大宇陀を見下ろす尾根に出る。
そこに信長の次男信雄、高長、長頼、信武4代の墓(五輪塔)が建つ。天下を狙った織田信長の子孫とは、とても思えない質素な僧もいない寺であった。
荒れた長い石段を登る。徳源寺に着く
荒れた長い石段を登る。徳源寺に着く

織田信長の子から4代。諸行無常は世の常か
織田信長の子から4代。諸行無常は世の常か
信長の子から4代の墓石
信長の子から4代の墓石

●山岡住宅

樹齢800年の大ケヤキが屋敷の外へ向かって伸びる旧家。江戸時代初期より、九ヵ村の大庄屋を務めた支配階層で、相当の格式を認められた地主農家であった。母屋居室部の建築年代は、寛文10年(1670)とある。
建築された年数には、おおよそということも少なくないが、この住宅は昭和55年(1980)の修理の際に上棟式用の槌に、寛文10年と記載されているのが発見された。来年で築340年を迎える。
古い住宅の多くは築150〜250年くらいだが、300年を悠に超えている木造茅葺き屋根の家屋は全国でも珍しい。
欅の古木、堂々たるかやぶき屋根。貴重な民俗遺産だ
欅の古木、堂々たるかやぶき屋根。
貴重な民俗遺産だ


表門も天保3年(1832)の棟上祝儀帳により建築年代は明らかだ。
屋根は茅葺き、前面には式台がもうけられ、客室部は間取り六畳床付きの玄関と、八畳床付き奥座敷と、背面にある六畳室からなる。御殿と呼ばれた建物で城主も時に宿泊したという。当家の格式の高さをあらわしている。国の重要文化財に指定されている。

山岡住宅の御殿。城主・本多家の本が描かれている
山岡住宅の御殿。城主・本多家の
「本」が描かれている

山岡家の母屋
山岡家の母屋

現在も12代目、片岡彦左衛門氏夫妻の住まいである。個人の住居でもあるため内部見学はできれば予約した方がよい。当主にご親切な案内をしていただいた。
/見学料 200円、TEL 0745-83-2000



○ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

○三重県、奈良県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、三重県奈良県内の営業所リストをご覧いただけます。


宇陀市へようこそ
宇陀市の観光マップや歴史探訪、四季のみどころをはじめ、「吉野本葛」など名産品も紹介されている。
奈良県観光情報 大和路アーカイブ
各月の「秘宝・秘仏特別公開」予定や温泉、観光情報データベース、大和路を見るおすすめコースなどがある。

取材:2009年4月