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古代大和路(奈良県)を行く(1)
初瀬街道と伊賀の国

ドライブライン

俳聖殿 奈良の都は、藤原京から平城京へ移って、来年(平成22年)1300年遷都祭を迎える。それにちなんで奈良県各地の歴史・文化を満喫できる多彩な催しが行われる。平城京跡を中心に飛鳥、吉野、斑鳩など古代王朝の神話やロマン、万葉のふるさとで、今年から日本人の心を再発見をする旅がはじまろうとしている。
そこで、真っ直ぐ奈良へと向かうのではなく、「大和からお伊勢さん」へ通じた信仰の道、初瀬街道、現在の国道165号線を三重県の津市から辿った。途中、街道をそれて忍者の里であり、松尾芭蕉の生誕地でもある伊賀の国(現、伊賀市上野)に立ち寄りながら初瀬街道沿いにある室生寺、長谷寺、大宇陀と名所旧跡を訪ねた。
奈良県へ入ってからは吉野、飛鳥、斑鳩、平城宮跡周辺を巡った。世界遺産、国宝、重要文化財の神社仏閣もさることながら、ひっそりと佇む古刹、おだやかな仏像に惹かれながら、約1500年の日本史に触れた。これから何回かにわたり紹介したいと思う。


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ドライブライン

<コース>
三重県津市−(国道165号線)−阿保−(国道422号線)−上野−(国道165号線)−室生−(県道28号線)−室生寺−(国道165号線)−長谷寺−萩原−(国道370号線)−大宇陀−(国道370号線)−吉野山−(県道15号線)−明日香村−橿原
行程 約300km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●津城跡

参宮街道と呼ばれた伊勢街道は四日市市の追分けと分かれ、伊勢湾沿いに津・松阪を通っていた。は平清盛の父忠盛が生まれたところと言われ、その歴史は古い。城が築かれたのは天正8年(1580)織田信長の弟である信包が創築した。
その後慶長13年(1608)藤堂高虎が津の城主となり、街道を町に取り入れ、藤堂32万石の城下町とともに、伊勢街道の宿場町として整備発展させた。現在は、本丸・西の丸と内堀の一部を残すのみだが、苔むした石垣から往時の威風を感じることができる。

津城
津城
高虎を始め藤堂家歴代の墓所
高虎を始め藤堂家歴代の墓所

津城の藤堂高虎像
津城の藤堂高虎像
津は松阪牛の本場。人気の店には、休日だと行列もできる
津は松阪牛の本場。人気の店には、
休日だと行列もできる


●高田山専修寺

元は下野国(現在の栃木県芳賀郡二宮町)に親鸞聖人が高田教団の寺院として建立。15世紀になって伊勢国の中心寺院として真慧上人により高田山専修寺が建立された。
戦国時代に兵火に合い焼失、再建されたがその後2度の大火で焼け落ちた。現在の建物は江戸時代に再々建されたもの。広い敷地内に建つ御影堂と如来堂は国の重要文化財である。
とくにこの寺で毎年親鸞聖人の命日を挟んだ1月9日〜16日の7日間にわたり行われる伝統行事「お七夜」は、全国から大勢の信者や参拝者が集まり、盛大に行われる。
専修寺本堂・龍の垂木
専修寺本堂・龍の垂木

●観音堂

市内城跡の近くにある真っ赤な本堂と五重塔が印象的な寺。数多くの文化財を有する真言宗の名刹で、正式には「恵日山観音寺」という。伊勢の天照大神の本地仏である。開創は和銅2年(709)といい、本尊は阿漕湾の漁夫の網にかかったといわれる聖観世菩薩という。
今年(2009)1300年祭で4月に特別法要が行われた。境内には津出身で徳川家康の側室であった於奈津の方が、客殿建設や梵鐘寄進の施主として名を連ねている。墓守も僧侶の姿もないばかりか、由緒ある古刹にしては、質素で荒れていた。

観音堂(於奈津の方が寄進者の1人となる梵鐘がある)
於奈津の方が寄進者の1人となる梵鐘がある

●初瀬街道

大阪・奈良方面と伊勢神宮を結ぶ「初瀬街道」は、現在の松阪市から青山峠を越え名張市を経て桜井市までの約85km、今は国道165号線が走る。

津市を出て国道165号線を辿り、青山峠手前に「国宝」と書かれた寺の案内板を見た。国道をUターンして、車がやっと通れるほどの小径を下ると樹木に覆われた常福寺の境内へ出た。
そこには観音像を収める古い御堂があった。人の気配はなく、文字もかすれたような案内板があった。案内板には、御堂に収められている「十一面観音立像」は、かつては国宝だったが、平成になって“重要文化財”に格下げになったこと、観音像は秘仏であり、ご開帳は年1回、8月9日のみとある。
ひっそりと常福寺
ひっそりと常福寺

再び国道へ戻り、濃霧の青山峠を越える。峠を下ると伊賀方面へと向かう国道422号線の分岐点のある町、阿保の大村神社へ寄り道。

●大村神社

地震の神様、あるいは災害除けの神様として知られる。入母屋造り、檜皮葺き屋根の朱色の宝殿は、華麗な桃山様式の建築で、国の重要文化財である。

また境内の鐘楼は「虫喰い鐘」といわれ、鐘乳がボロボロと虫が喰ったように朽ち落ちている。鐘造りの材料にと、ある夫婦が娘の形見の鏡を奉納したところ、悲しむ娘の亡霊が現れて、鐘が腐食し始めたとか、さまざまな伝説が伝わる。
また地震除けの神としての「要石」がある。この石の下に巨大なナマズがいて暴れないようにと、要石が押さえているという。他にもこのような要石のある神社はいくつもあり、地震国ならではの守り神様だ。
重要文化財の宝殿
重要文化財の宝殿

虫食い鐘
虫食い鐘
地震除けの要石とみずかけナマズ
地震除けの要石とみずかけナマズ

●忍者と芭蕉と伊賀

奈良・平安時代の伊賀の地はほとんどが貴族や寺社の荘園であった。その後、武士が荘園を支配したが、大名がいなかった伊賀は織田信長の伊賀侵攻で荘園も姿を消した。藤堂高虎が伊勢・伊賀地方の大名となり、上野に城代家老を置き統治した。
その戦国時代に活躍した忍者のルーツはというと、6世紀、仏教とともに伝来、蘇我馬子と聖徳太子が各地の情報集めに忍者を初めて使ったといわれている。やがて忍者は伊賀と甲賀で発展したのは、奈良、京都、大阪と伊勢を結ぶ地の利と、忍者と深い関係のある修験道(寺院)が多かったところからとも伝えられている。
また、伊賀といえば、松尾芭蕉の生誕地でもある。町には芭蕉の生家や、ゆかりの地、旅姿の芭蕉像から沢山の句碑がある。

あちこちに忍者
あちこちに忍者
屋根の忍者にシートベルトは不要?
屋根の忍者にシートベルトは不要?

市役所玄関のガラスに忍者
市役所玄関のガラスに忍者

電気屋さんにも忍者
電気屋さんにも忍者
市役所観光課職員
市役所観光課職員
市役所案内嬢
市役所案内嬢

●上野城本丸広場

天正9年(1581)織田信長の次男信雄(のぶかつ)に攻められた「天正伊賀の乱」で伊賀は焦土と化した。伊賀を平定した織田勢は、家臣滝川雄利に伊賀の守護を命じ築城をはじめたが、翌天正10年に起こった本能寺の変の後、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)によって滝川雄利は追放された。天正13年(1585)大和郡山から移封してきた筒井定次が上野城主となった。定次は城の大改修を行い、三層の天守を構える城とした。その後、関ヶ原の合戦で徳川家康の時代となり、家康は藤堂高虎を津・上野城主とした。
高虎は津城を居城とし、上野城を大坂城の豊臣秀頼との戦いの備えとして堀を造り、30mもの石垣で防御を固めた。五層の天守閣の建設にも着手した。しかし、慶長17年(1612)暴風雨で倒壊、3年後、元和元年(1615)豊臣家が亡びると、戦いのための城は必要がなくなり天守閣は再建されなかった。現在ある天守閣は昭和10年(1935)木造三層として築かれた。
/上野公園は無料、上野城入館料 500円、TEL 0595-21-3148

昭和に作られた上野城
昭和に作られた上野城
上野城の高石垣
上野城の高石垣
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城の最大の見どころは、本丸西側にある高さ30mの内堀の高石垣だ。上から見下ろすと、その急勾配と高さに足がすくむ思いがする。見事な石垣である。黒沢監督の「影武者」のロケ地でもある。
城内公園には芭蕉の旅姿をイメージしたという八角堂の「俳聖殿」芭蕉翁記念館がある。
/入館料 300円、TEL 0595-24-2711

芭蕉記念館
芭蕉記念館
俳聖殿
俳聖殿
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●伊賀流忍者博物館

上野公園内にある忍者屋敷と忍者が使った道具などが展示されている。屋敷は伊賀国高山村にあった建物が移築されたもの。屋敷内にはどんでん返しや隠し戸などがあり、忍者装束の伊賀流忍術の実演も行われている。地下には江戸時代の忍者が使用した実物道具も展示されている。
/入館料 700円、TEL 0595-23-0311

忍者博物館
忍者博物館
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伊賀の組みひも、は何本もの紐をっさらに縒り合わせる
伊賀の組みひも、は何本もの紐を
さらに縒り合わせる


忍者屋敷の展示。手裏剣
忍者屋敷の展示。手裏剣

伊賀名物、豆腐の田楽
伊賀名物、豆腐の田楽
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これを手に付けて戦うことも…。熊の爪より凄い
これを手に付けて戦うことも…。
熊の爪より凄い


●芭蕉翁生家

市内国道163号線に面したところにある。高い塀に囲まれた内部は、昔ながらの奥行の深い建物で、裏にある釣月軒は、芭蕉が処女句集『貝おほい』を執筆したところ。江戸へ出るまでの約30年間をここで過ごし、伊賀に帰郷したときには、この建物で起居していた。
/入館料300円、TEL 0595-24-2711

芭蕉誕生の地
芭蕉誕生の地
芭蕉が初の句集「貝おほい」を書いた釣月軒
芭蕉が初の句集「貝おほい」を書いた釣月軒

●崇廣堂と上野高校

崇廣堂は上野城跡下、国道163号線上にある。文政4年(1821)伊勢津藩主藤堂高兌の時代に伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するために建てられたもの。主な建物は講堂、北控所、表門、母屋、玄関など講堂を中心に文教所、後に馬術、槍術、柔術などが設けられた。
明治維新後、私立上野学校、町立丸の内尋常小学校と次々と名称が改められ、昭和5年(1930)、藩校時代の様子を多く残すことから国の史跡に指定された。講堂の玄関上には米沢藩主、上杉鷹山筆の額が掲げられている。
並びにある上野高校は、1999年に100年を迎えた明治建築の白い洋風の建物で、現在も現役として活躍中である。

伊賀の崇廣堂(藩校)
伊賀の崇廣堂(藩校)
上杉鷹山の筆になる
上杉鷹山の筆になる

昔の姿を残す上野高校
昔の姿を残す上野高校

●鍵屋の辻

津へ向かう伊勢街道と奈良へ向かう大和街道の分岐点に、日本の三大仇討ち(曽我兄弟・赤穂浪士)のひとつといわれる荒木又右衛門が伊賀の仇討ちをした鍵屋の辻がある。上野公園から徒歩15分ほどに街道の道しるべある。ここで剣客荒木又右衛門は寛永11年(1634)12月26日渡辺数馬が弟の仇を討つ助太刀で活躍した。
その街道辻に一軒の茶屋がある。いまは「数馬茶屋」という看板になっているが、昔は「萬屋」といった。明治の初めまでは萬屋として営業されていたが、その後、昭和50年(1975)までは無人の休憩所だったという。いま数馬茶屋で茶屋を営むおばさんが、この茶屋にまつわる話をしてくれた。
鍵屋の辻
鍵屋の辻

数馬茶屋(明治までは「萬屋」。又右衛門らはここで待ち伏せした)
数馬茶屋(明治までは「萬屋」。
又右衛門らはここで待ち伏せした)
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討たれた河合又五郎の首洗い池
討たれた河合又五郎の首洗い池

●蓑虫庵

芭蕉五庵のひとつで、元禄時代のままで現存する唯一の建物。芭蕉の門弟・服部土芳の草庵で、芭蕉の句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」にちなんで名付けられた。清々しさと静寂に包まれた庵である。俳句に心ある人ならば、一句を詠みたい心境になるにちがいない。
/入館料 300円、TEL 0959-23-8921
蓑虫庵
蓑虫庵

●寺町通り

街には城下町を守るため東の外れに7つのお寺を集めた寺町通りの他、城下町の歴史と情緒が漂う町並みも、伊賀の魅力である。
伊賀の寺町
伊賀の寺町



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伊賀上野観光協会
伊賀流忍者のふるさと、俳聖松尾芭蕉の生誕地、三重県伊賀市の観光案内。語り部によるガイドツアーの案内も。
奈良県観光情報 大和路アーカイブ
各月の「秘宝・秘仏特別公開」予定や温泉、観光情報データベース、大和路を見るおすすめコースなどがある。

取材:2009年4月