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坂本龍馬・長崎編(3)

ドライブライン

グラバー邸 龍馬ははじめての長崎で、外国軍艦の視察、外国人居住地や長崎溶鉄所(後の長崎製鉄所)などを見学、また国内外の要人たちとの会談と、勝海舟に連れられて精力的に見聞を広めていった。
そして2度目の長崎、慶応元年(1865)、夢の舞台、希望の地で海運業を興す。事業は居留地の外国人商人から武器などを購入、それを日本各地に船で運ぶという運航代行業を行う仕事であった。活動拠点(事務所)を置いた周辺に亀山焼の窯元があったことから「亀山社中」と呼ばれた。龍馬はここを拠点に、日本を維新回天への薩長同盟成立へと活躍していった。


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ドライブライン

<コース>
長崎市内
行程 約35km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●グラバー園

安政6年(1859)、当時21歳のスコットランド人トーマス・ブレーク・グラバーが長崎港の開港と同時に来日、グラバー商会を設立。造船、採炭、製茶貿易業を通して、日本の近代化に貢献。国産ビールの育ての親としても知られている。伊藤博文ら学問を志す若者などを援助、イギリス留学にも力を尽くした。また幕末志士たちを陰で支えた。龍馬もグラバーから薩摩名義で武器を購入している。南山手にある外国人居留地に建つ住まい「グラバー邸」を建設したのは文久3年(1863)のこと。日本人妻ツルと2人の子供と日本で73歳の生涯を過ごした。

長崎港
長崎港
グラバー氏の胸像
グラバー氏の胸像

長崎港を見下ろす南山手の「グラバー園」と、教会や領事館が建ち並び、石畳やレンガ塀などが続く東山手一帯はかつての外国人居住地で、イギリス、オランダ人などが多く住んだところ。日本でも最も古い洋館群で、明治30年代には500棟もあったという。現在は約50棟を残し、ともに国の重要伝統的建造物群保存地区になっている。
グラバー園は、この地に元々あった旧グラバー住宅、旧オルト住宅、旧リンガー住宅と3つの住宅のほか、市内に点在していた6つの貴重な明治期の洋館を移築復元し、昭和49年(1974)に開園した。
/入園料 600円 、TEL 095-822-8223
今で言えば税関の跡
今で言えば税関の跡

グラバー園にも龍馬の幟
グラバー園にも龍馬の幟
外国人居留地の境界表示。ドックハウス近くにある
外国人居留地の境界表示。
ドックハウス近くにある


三浦環の像。左はプッチーニ
三浦環の像。左はプッチーニ
高島流和砲
高島流和砲

当時の西洋料理が並べられていた
当時の西洋料理が並べられていた
こんな碑も
こんな碑も

移築された裁判所は貸衣装を扱っていた
移築された裁判所は貸衣装を扱っていた
貸衣装で“異人さん”気分に…
貸衣装で“異人さん”気分に…

●旧三菱第2ドックハウス

「ドックハウス」とは船が修理のためドックに入っている間の乗組員たちの宿泊所のこと。建造者は三菱3代目の総帥である岩崎久弥だ。彼は坂本龍馬の夢を支え、夢を育てた岩崎弥太郎の長男である。三菱財閥の基礎をつくり上げた弥太郎とグラバーは商売や個人的にも深く関わっていたが、弥太郎亡きあとは、弟弥之助が三菱を譲り受け息子久弥の代までグラバーと交友を続けていた。
グラバー園の丘の一番高いところにある明治時代の建物で、8本の柱に支えられたベランダからは長崎の町と海が見渡せる。
旧三菱第2ドックハウス。グラバー園最高地点にある
旧三菱第2ドックハウス。
グラバー園最高地点にある
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ドックハウスから港を見る
ドックハウスから港を見る
咸臨丸の模型
咸臨丸の模型

なお、現在この旧三菱第2ドックハウスにおいて、大河ドラマ「龍馬伝」の中心人物となる岩崎弥太郎に焦点を当て、彼を取り巻く居留外国人・志士・邦人商人たちとの取引や共同事業などが紹介されている。題して「日本近代化と英国商人」、期間 平成22年1月9日〜平成23年1月10日。

●旧グラバー住宅

正面玄関を設けない、周囲をベランダで囲まれた独特のバンガロー様式を残す、日本最古の木造洋風建築。庭には色とりどりの花が咲く花壇の他、薩摩藩から贈られた樹齢300年といわれている国内最大級のソテツの木がある。庭園からはもちろん各部屋からも、長崎の町や港を見下ろすことができる。妻ツルの部屋の廊下の天井裏には隠し部屋があり、幕末の志士たちをかくまったといわれている。
長州や薩摩など藩士たちとの交流を深め、幕府や各藩に大量の武器や船舶、機械類などを販売し、莫大な利益を上げたグラバー商会も、藩への掛け売りが回収できなくなり倒産。後に岩崎弥之助の三菱の顧問となって東京で、明治44年(1911)73歳の生涯を裕福な暮らしの中で終えた。国指定重要文化財。

旧グラバー住宅のアーチ門
旧グラバー住宅のアーチ門
旧グラバー住宅
旧グラバー住宅


温室には外国種の花々があったという
温室には外国種の花々があったという
薩摩・島津家から贈られたというソテツ。樹齢300年という
薩摩・島津家から贈られたという
ソテツ。樹齢300年という


●旧リンガー住宅・旧オルト住宅・旧ウォーカー住宅

フレデリック・リンガーはイギリス出身、明治元年(1868)にホーム・リンガー商会を設立。製茶事業をはじめ、発電所、長崎の上水道から漁業まで事業を手広く運営。トーマス・ブレーク・グラバーから借地権を譲り受けて、明治元年(1868)に建築。旧リンガー住宅の外壁は石造りの木造住宅南欧風のバンガロー形式でベランダで囲まれている。

ウィリアム・ジョン・オルトは長崎開港の年に19歳で渡来、翌20歳でオルト商会を設立し、製茶工場をつくった。坂本龍馬を資金面で援助したといわれている当時の女性実業家・大浦慶と取引、九州一円から茶を買い入れ、海外へ輸出して財をなした。そして坂本龍馬が船中八策を書いたといわれる蒸気船夕顔丸を土佐藩に売ったのもオルトである。
旧オルト住宅は長崎に現存する洋風建築では最大規模で、大浦天主堂、旧グラバー住宅などを手がけた天草出身の棟梁小山秀によって施工。広いベランダを支える天草石が特徴。国指定重要文化財。

新鋭船ロータス号の船長でもあり、三菱秘密相談役のウィルソン・ウォーカーを兄にもつロバート・ネール・ウォーカーは、海運事業の展開を始めたばかりの三菱商会で海外定期航路船長として弥太郎の事業に貢献。後に船長を退いたロバートは、息子のロバートJrや兄のウィルソンと共にウォーカー商会を設立し、本格的な清涼飲料水工場を建設した。
この邸宅はロバートJrの旧宅で大浦天主堂の裏に建てられていたものを、グラバー園内に移築したもの。
旧ウォーカー住宅
旧ウォーカー住宅

港側はベランダを巡らせた優雅な建物だった(旧ウォーカー住宅)
港側はベランダを巡らせた優雅な
建物だった(旧ウォーカー住宅)

ベランダから長崎港(旧ウォーカー住宅)
ベランダから長崎港(旧ウォーカー住宅)
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応接室(旧ウォーカー住宅)
応接室(旧ウォーカー住宅)
当時の旅行鞄など
当時の旅行鞄など

●長崎伝統芸能館(長崎くんち)

長崎伝統芸能館内部の展示
長崎伝統芸能館内部の展示

広い庭園の出口前にある建物には、長崎の祭り「くんち」に奉納される龍踊りの白龍、青龍の他、各町の奉納踊りを先導する「傘鉾」とよばれる豪華な飾りが展示されている。
くんちは諏訪神社の祭礼で、毎年10月7日〜9日の3日間行われ、各踊り町が年ごとに踊りを奉納する。
江戸時代初期、諏訪神社前で高尾と音羽というふたりの遊女が謡曲「小舞」を舞ったのがはじまりという。現在の鉾の重さは約150kg、町内でそれぞれ異なった飾り付けの鉾が館内いっぱい展示され、平成21年(2009)4月1日からリニューアルした長崎くんちの映像も放映されている。無形民俗文化財に指定されている。

龍(じゃ)踊りの龍(じゃ)
龍(じゃ)踊りの龍(じゃ)
土産は龍馬が主役(伝統芸能館)
土産は龍馬が主役(伝統芸能館)
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●大浦天主堂

江戸末期の元治元年(1864)に長崎に着任したフランス人司祭ベルナール・プティジャンと同じフランス人で、ルイ・テオドルド・フューレ司祭が教会建設の基本設計を行った。先にグラバー邸を手がけた天草出身の棟梁・小山秀之信が建設。
当初は、三本の塔を持つゴシック風で、中央正面の壁面はバロック風、そして外壁はナマコ壁であった。その10年後には大改築が行われ、外壁が煉瓦造りの、完全ゴシック風の建造物となった。
大浦天主堂
大浦天主堂
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国宝表示
国宝表示
昭和20年(1945)の原爆投下では破損はしたが、爆心地から比較的はなれていたため、焼失は免れた。昭和27年(1952)修理され、翌年には日本最古のキリスト教会建築物として国宝に指定された。
大浦天主堂、正式名は、豊臣秀吉によって処刑された二十六名の聖人に捧げられた教会堂ということで「日本二十六聖殉教者聖堂(天主堂)」という。
/入場料 300円 、TEL 095-823-2628

●オランダ坂

維新後、一般的には外国人が多く住んだ東山手にある石畳の坂道を指す。かつてこの地区には洋館が建ち並び、日本初のプロテスタント教会、英国聖公会堂もあった。当時は東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼び、彼らの通り道であり、日曜日は家族揃って教会へ行く道でもあったことから「オランダ坂」といわれた。
また旧長崎英国領事館のある一帯が、完全舗装された道であったのは、イギリス領事の要求からだった。人や馬、籠などが通ることができればよかった日本の道とは異なり、西洋ではギリシャ・ローマ時代から道路は舗装され、馬車が普及していた。
いまでは活水女子大学の石垣沿いの坂道が代表されている。

オランダ坂
オランダ坂
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敷石は斜めに置かれ水切りがいい
敷石は斜めに置かれ水切りがいい

坂の途中のしゃれた家は無料で休憩できる
坂の途中のしゃれた家は無料で休憩できる
通称オランダ通り
通称オランダ通り

●平和祈念像

昭和20年(1945)8月9日長崎への原爆投下の爆心地中心付近につくられた平和公園にある。長崎が被爆10周年祈念行事として、全国の小・中・高等学校の児童生徒などの1円拠出運動をはじめ、遠く離れた南北米やアジアの国々から贈られた3,000万円で建設。青銅製で高さ9.7m、台座3.9m、重さ30トンの像は4年の歳月をかけて製作された。天を指す右手は原爆の恐ろしさを、水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は犠牲者の冥福を祈っている。
平和祈念像のある「平和公園」には、長崎刑務所浦上刑務所跡(原爆遺跡)、平和の泉、その他、世界各地から贈られた平和への祈念碑が建つ。
平和祈念像
平和祈念像

●浦上教会

浦上は長崎の北に位置する農村地であった。キリスト教が日本に伝来以来浦上はカトリック信者の多い土地でもあった。江戸時代のキリスト教廃止令による摘発も何回も受けたが、密かに信仰が伝えられていた。明治に入ってキリスト教禁止令は解かれたとはいえ、明治政府はキリスト教弾圧を続けたが、明治28年(1895)、浦上に大聖堂の建設がはじまった。19年の月日を要し、大正3年(1914)浦上天主堂が完成した。
そして昭和20年原爆投下の爆心地から至近距離にあった天主堂は、ほぼ原型を留めず破壊された。
現在の教会は昭和34年(1959)廃墟の後に旧天主堂を模して新築された。昭和56年(1981)、ローマ教皇ユハネ・パウロ2世が訪日してミサを捧げ、司祭叙階を行った。その翌年に 教会正面に教皇の胸像が設置された。

浦上教会
浦上教会
パウロ二世の像
パウロ二世の像



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取材:2010年3月

※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。