坂本龍馬・長崎編(1)

文久3年(1863)長州藩が関門海峡を通る外国船を攻撃するという事件を起こした。龍馬は幕府より調停役を命じられた勝海舟に随行、翌元治元年(1864)2月、その話し合いの場所となった長崎へと向かった。
大分から熊本へ入り、そこから島原へ渡った。島原より一行は陸路長崎へ。約40日間の長崎滞在が龍馬にとって亀山社中を設立する流れへと繋がっていった。
「長崎はわしの希望じゃ」という長崎に、薩摩藩の後ろ盾を得て、世界を相手に貿易を行う社中(カンパニー)を同志らと結成。ここで伊藤博文、小松帯刀などに出合い、また居留地の外国人商人などを通じて対立関係にあった長州・薩摩両藩の間を取り持ち、のちの薩長同盟に結びつく重要な役割を演じていくのである。
鎖国時代、西洋への唯一の窓口であり、キリシタンの歴史とともに歩んできた長崎は、港を望む小高い丘には洋館が保存され、下町には東洋の香りを残す町だ。そして被爆の傷跡とともに世界平和を祈る町でもある。

<コース>
福岡−(九州自動車道−長崎自動車道)−諫早IC−(国道57号線−251号線)−島原市−諫早往復−長崎市
行程 約200km
<ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください>
●島原
 多比良港から有明海
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 多比良港
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勝海舟に随行し初めて長崎の地を踏む坂本龍馬は、佐賀関(大分)から熊本へ、さらに船で島原へ渡った。時は元治元年(1864)2月22日早朝、島原湊(現 湊新地町)に着いた。その湊の場所は残念ながら当時の面影はないが、南島原の小さな船着場に陸へと上がる石段がある。龍馬が上陸した階段だ。
階段の前には、いまは交番としては使われていないかつての「交番」の白い建物があり、その横に真新しい「龍馬上陸地」の立て看板がある。建物の内部に写真や説明パネルが展示されている。ここが龍馬が新しい時代に向かって長崎への第一歩を記した場所だ。
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 島原駅
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 島原湊龍馬館
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 今は寂れた島原湊
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 交番跡が龍馬館に変身
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●島原城と武家屋敷
島原城は元和4年(1618)、藩主・松倉氏により築城。現在の城は380年前の石垣を基礎に昭和39年(1964)に復元されたもの。35mもある五層の天守閣と三層の巽櫓からなっている。
内部には郷土の誇る建築家北村西望の作品が展示されている「西望記念館」をはじめ、キリシタン史料、郷土資料、民俗資料館となっている。
/入館料 520円、TEL 095-762-4766
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 島原城 (画像をクリックすると拡大写真を表示します)
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外郭の西には、寛永9年(1669)松平忠房が入封してから、扶持取70石以下の武士たちの住居として建設された武家屋敷がいまも残されている。最初は、戦いのときには鉄砲を主力とする徒士たちの住居で、鉄砲町とも呼ばれていた。街路の中央には豊かな湧水が引かれた水路が走り、これらは生活水として大切に使われていた。
屋敷は生け垣や石垣とともに数軒が現存、公開されている。
詳しくは「熊本周辺と島原・天草を巡る(1)」を参照。
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 島原の武家屋敷
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 武家屋敷の路地を流れる用水
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●島原城下本陣跡
「払暁、島原へ着船。城下本陣へ休息。直ちに出立」と『海舟日記』にある。その本陣跡は今はなく島原城近く大手川沿いに中村家屋敷門として移築されている。
大河ドラマでにわかに脚光をあびた島原の龍馬ゆかりの地は、真新しい看板を立てているが、案内は少なく町の人に尋ねても分かりにくい場所にある。島原鉄道・島原駅前にある市役所の商工観光課に立ち寄りたい。親切に教えてくれる。
/問い合わせ TEL 095-763-1111
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 元本陣の移築された門と塀
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 龍馬、海舟が長崎で初めて 泊まった島原の本陣 (門だけ移設)
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●島原湧水群
市内には、約60ヶ所ものところから水が湧き出している。平成2年(1990)に噴火した普賢岳の記憶はまだ新しいが、その約200年前に普賢岳の噴火で地下水が湧き出たという。「名水百選」「水の郷全国107」に選ばれた清流は市民に親しまれ、大切に守られている。町の中には「鯉の泳ぐまち」という地域があり、清冽な流れの中に錦鯉が泳ぐ。
かつてこのあたりは海に突き出たところで、島原城築城前は、豪族島原氏の「浜の城」があった。寛政4年(1792)島原大変(大津波)で地形が変わり、現在は中央公園となっている。
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 島原はわき水が多い
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 湧水館前の休息所。きれいな水が流れる
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 寛政4年の大津波の流死者供養塔。 商店街のアーケード内にある
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 昔の浜辺は公園になっていた
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●庄屋跡深浦家
島原に入った一行は長崎への道を急ぐ。
「大石雑わり、小石、道路満ちて甚だ悪し。雲仙の獄、噴出せしによるか、西洋に云うラミア(溶岩)年を経しものならむ」と『海舟日記』にあるところから、道は海沿いの島原街道ではなく、距離の短い山の中を辿ったのではないか、といわれている。
「22日、愛津(現 愛野町)に宿す」と勝海舟が書いた日記は雲仙市にある「深浦家」だ。
国道57号線、愛野から南へ約3kmだが、なかなか見つけ難いところだ。雲仙市役所観光課で尋ねてから行くことを勧める。
かつては豪壮な建物が建っていただろうと思われる立派な石垣だけが残っている。現在は敷地内に現代風に建て直された深浦家があり、家人が生活しているため、石垣の中へは入れない。
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 龍馬が泊まった愛津庄屋跡・深浦家の石段
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 深浦家の石積み
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●龍馬の希望・長崎
島原街道を長崎へと向かった勝海舟一行は、坂本龍馬、近藤長次郎、沢村惣之丞、高松太郎など神戸海軍塾の門下生数十名だった。
2月23日、長崎に着いた一行は各国の領事や提督との話し合い、諸外国の軍艦や大砲操縦などを間近に見、情報を集めるなど多くを学び、日本の未来を見つめたのであろう。
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 商店街で見かけたお菓子屋さん
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 店名は異人堂だった
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●龍馬通り
はじめての長崎で龍馬等が滞在した副済寺は、中国ゆかりの唐寺のひとつだったが、原爆で焼失、現在は再建され、原爆被災者と戦没者の慰霊を祀っている。JR長崎駅からの坂の中腹に建つ寺の境内からは、異国へと続く海が望めたというが、いまは林立するビルに阻まれ、彼らが朝な夕なに眺めた海は見えない。
この40日の長崎滞在の1年後の慶応元年(1865)5月、龍馬は薩摩藩の後ろ盾を得て、希望の地・長崎に海運業亀山社中(亀山カンパニー)を設立したのである。
この亀山社中を舞台に「薩長同盟」へと結びつけていった。
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坂の町・長崎にある「龍馬通り」は、寺町の深崇寺と禅林寺の間から亀山社中跡を経て風頭公園へ至る石畳の坂段のある小径の名称だ。
車では当然入ることができない。眼鏡橋近くの駐車場に駐めて歩くか、またはバスやタクシーを利用して風頭公園から下ってくる方法がある。小径は往復約1時間30分コースだ。
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 長崎・龍馬の道は坂の道だった
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 案内板は整っている
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 長崎・龍馬の道は坂の道だった
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 手作り案内板も多かった
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●風頭公園
公園内の展望所には大きな坂本龍馬像が建つ。「龍馬の銅像建つうで会」が平成元年(1989)に建立。長崎在住の彫刻家・山崎数國が制作。龍馬の実像に最も近い像といわれている。近くには司馬遼太郎「竜馬がゆく」の碑文もある。
展望台からは長崎市内と港のある海が一望できる。展望台下の墓地には龍馬など多くの志士たちを撮影した写真家であり、日本初の写真館を開いた上野彦馬の墓のほか、オランダや中国人との間で通訳として活躍した人々の墓もある。
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 風頭公園から長崎の港を見る (画像をクリックすると拡大写真を表示します)
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 風頭公園入り口
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 オランダ語通訳、家伝でもあったようだ
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 風頭公園の龍馬像
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 写真のパイオニアの一人、 上野彦馬の墓地
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●亀山社中記念館(亀山社中跡)
狭い石段の途中に蔦や木々で覆われた中に埋もれるような門に出合う。慶応元年(1865)龍馬と同志(陸奥陽之助、近藤長次郎、沢村惣之丞、小曽根英四郎)によって結成されたカンパニー。海運業、通商、商業活動の他に薩長同盟など討幕運動にも参画した(2年後の海援隊となる)。
平成21年(2009)改修復元、8月に「亀山社中記念館」としてオープン。龍馬のブーツのレプリカや書状の写し、海援隊の写真などが展示されている。
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 亀山社中の近くは こんな路地ばかり
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 亀山社中跡は記念館になっている
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昔はここから港が見え、出入りする貿易船はもとより、中島川や人々の生活までもが見えたという。港まで走って約15分の距離、幕末の志士たちが駆け抜けた小径である。
記念館の前には、龍馬のブーツ像と船の舵輪がある。記念写真のポイントだ。
/入館料 300円、TEL 095-823-3400
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 龍馬のブーツのレプリカは人気スポット
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●若宮稲荷神社と亀山社中資料展示場
龍馬や亀山社中志士たちがよく参拝したことから勤皇稲荷、勤王神社とも呼ばれる。境内にある龍馬像は、風頭公園の龍馬像の原像で、もとは亀山社中跡にあったものだが、去年、この場所に移設された。
隣接する亀山社中資料展示場には海援隊士、幕末の志士、幕末、明治期の長崎に関する写真や龍馬の手紙の写しなどが展示されている。
/入館料 無料
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 資料展示場は亀山社中跡から近い
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 若宮神社。龍馬も参拝したという
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 若宮神社の龍馬像 (原型と言われる)
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●眼鏡橋
市内を流れる中島川にかかる石造二連アーチ橋で、寛永11年(1634)に架設された日本初の石造りアーチ橋。中島川は5kmの間に18もの橋が架かるその一つ。これらの橋は山側に数多く並ぶ寺町の仏寺に行く参道として、寺の僧侶や商人などによって架けられたという。
しかし、度重なる洪水で古い橋の多くは流され、新しい橋に架け替えられている。眼鏡橋も昭和57年(1982)の長崎大洪水で三分の一が流された。翌年に修復復元された。国の重要文化財。
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 眼鏡橋 (画像をクリックすると拡大写真を表示します)
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取材:2010年3月
※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。
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