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信濃山里の古刹と真田城下町松代(1)

ドライブライン

再現された松代の町並み NHKの大河ドラマ「風林火山」で一躍観光名所になった川中島周辺も、今年の大河ドラマ「篤姫」で人々の足は遠のくかもしれない。
しかし、名高い善光寺をはじめ、真田十万石の城下町には、真田邸や武家屋敷、文武学校などの古い町並みが残され、松代にある武田信玄本陣の松代城(海津城)、その城を出陣して陣を敷いた武田信玄が上杉謙信と戦った川中島古戦場など歴史遺産がたくさんある。
とくに塩田平(上田市の南、三方を山に囲まれた田園地帯)は8世紀半ば、九州阿蘇から来た人々が住み着いたといわれるところ。山裾には国宝や重文化財の古刹が佇み、この地に湧く湯量豊富な別所温泉を含めて一帯を「信州の鎌倉」とも呼ばれている。


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ドライブライン

<コース>
長野駅前−(国道117号線・県道35号線)−川中島古戦場跡−(国道403号線)−松代町−長野駅前
行程 約50km

ルート付近のリンクポイントをクリックしてみてください

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●八幡原史跡公園(川中島古戦場)

日本合戦上最も有名な戦いといわれる武田信玄と上杉謙信の古戦場。天文22年(1553)から永禄7年(1564)までの間に5回ものにらみ合いや戦いがあった。中でも4回目の戦いとなった永禄4年(1561)の八幡原の戦いの場所が「川中島古戦場跡」としていまに残る。そこは犀川と千曲川に挟まれた善光寺平といわれる盆地南側に位置し、いまでは国道18号線を松代町へ向かう八幡原交差点の近くにある。

合戦地跡の公園
合戦地跡の公園
甲越直戦地と書かれている
甲越直戦地と書かれている

●三太刀七太刀の跡碑

永禄4年(1561)9月10日、ここ八幡原を中心に武田、上杉両軍三万余の壮絶な死闘が展開された。
不意を突かれて手薄になった武田本陣の隙ををみて上杉謙信はただ一騎、長光の太刀を抜き馬上より信玄めがけて斬りつけた。これを軍配で受けた信玄だが謙信の二の太刀で腕を、三の太刀で肩に傷を負ったといわれる。後で信玄の軍配には刀の跡が7ヶ所もついていたことから、この一騎打ちの跡を「三太刀七太刀」といわれている。この時の様子を描いた信玄、謙信の像がある。

信玄(左)に斬りかかる謙信
信玄(左)に斬りかかる謙信
信玄に浴びせた謙信の太刀数を示す
信玄に浴びせた謙信の
太刀数を示す


●八幡社

御祭神は中国文化を取り入れ、日本の発展に大変寄与された応神天皇で、武田信玄はこの八幡社を中心に本陣を構え祈願して命を免れたと伝えられている。ご神木のケヤキは樹齢700年、八幡原の戦いを見ていたということになる。
この社の前には中心をくり抜かれた大きな石がある。信玄を窮地から救った仲間頭の原大隅が、謙信めがけて槍を振ったが失敗。馬を打ったため、暴れた馬は馬上の謙信とともにその場を逃げた。主君の命を救ったが、敵の大将を討ち損じた原大隅は「無念なり」と傍にあった石に槍を突いた。悔しさの一念が石を貫いたのだという。

決戦地には八幡社
決戦地には八幡社
槍が貫いたと伝えられる石
槍が貫いたと伝えられる石

●山本勘助の墓

川中島古戦場跡より千曲川にかかる更埴橋の近くに勘助の墓がある。大河ドラマの放映がなかったら、見つけることができないようなところにあった。といっても現在一過性の観光地となった墓には旗が立てられていたので見つけることができた。

土手の下、河川敷の畑の中の墓石には、長野市観光課が立てた真新しい解説板があった。それによると、山本勘助は三河国(愛知県)の出身で、ドラマのように諸国巡業の後、武田信玄の軍師となったとある。だが、実在の人物ではあったらしいが、軍師であったかどうかは疑わしく、こうした物語の多くは、江戸時代からの芝居や講談で語られたもので、史実ではなかったようだ。作られたドラマの影響の凄さを感じるところでもある。
墓石には「山本道鬼居士」とある
墓石には「山本道鬼居士」とある

●海津城(松代城)

武田信玄が築いた海津城は八幡原より直線で約3km。もとは、この地の在地土豪であった清野氏の館を、永禄3年(1560)ころ、山本勘助によって築城された城と伝えられている。正確なことはわからないが、清野氏の館を武田氏が大改修したという説もある。
三方を山に囲まれ、西には千曲川という自然を巧みに利用した堅固な造りであり、また甲州流築城の模範とさえいわれていた名城。海津城とはかつては海のような川幅の広い千曲川のほとりにあったことから、この名がついた。

海津城
海津城
激戦だった八幡平の合戦では信玄がここを基地とし、この城を見下ろす妻女山に陣を張った上杉謙信からは丸見えの城であった。
明治に廃城となり石垣を残すのみだったが、平成の大普請で、太鼓門や北不明(きたあかず)の門などが復元された。本丸跡の石垣の上からはここより約1500mの距離にある妻女山がよく見える。

●城下町松代

海津城(松代)は元和8年(1622)真田信之が上田城から移って以来、真田家10代が城主として続いた。いまも真田家ゆかりの寺や建造物が残る城下町としての佇まいをみせている。また信濃を代表する幕末の知識人佐久間象山の生誕地で、象山神社がある。

再現された松代の町並み
再現された松代の町並み
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旧白井家表門
旧白井家表門

●旧文武学校

藩士の子弟が学問と武芸を学んだところ。真田家8代藩主であった幸貫が、佐久間象山などの意見のもとに蘭学・西洋砲術など積極的に取り入れ、藩校としての文武学校の建設を目指した。嘉永6年(1853)、9代藩主の幸教がその意志を継ぎ建物を完成させ、安政2年(1855)に開校した。

文武学校
文武学校
文武学校の弓道場
文武学校の弓道場

瓦葺き屋根、白壁、木造の校舎は、文学所をはじめ剣術、柔術、弓術所や文庫蔵、番所などからなる建物で、8歳から35歳くらいまでの藩士や子弟が学問と武術を学んでいた。
明治に入ってからは文武学校の中に西洋兵学寮士官学校がつくられたが、廃藩置県後は松代小学校の校舎として使われていたこともある。昭和28年(1953)に国の史跡に指定され、昭和54年(1969)から一般公開されている。
/入場料 200円、TEL 0262-78-2801

●真田邸

江戸時代の大名家の御殿。江戸末期の、9代藩主幸教が母である貞松院の隠居所として建てたもの。明治以降は真田家の私邸として使われていた。とくに庭園が美しく四季の花々を見せてくれるというが、現在は平成22年3月末まで大修復工事のため、見学できるところが限定されている。
隣接する「真田宝物館」には真田家に伝来した古文書や武具、調度品などが展示されている。
/宝物館入館料 300円
  お問い合わせ 松代文化施設管理事務所 TEL 0262-78-2801

真田邸
真田邸
真田邸の庭園
真田邸の庭園

池田満寿夫美術館
池田満寿夫美術館
工事現場への立ち入り禁止標示も六文銭
工事現場への立ち入り禁止標示も六文銭

宝物館と通りを隔てたところに、長野市出身で1997年に急逝したアーチスト「池田満寿夫美術館」がある。最後の作品となった「美貌の空」「土の迷宮」シリーズをはじめ、内外の受賞作品、水彩画、陶器などが展示されている。
/入館料 700円、TEL 0262-81-1722

●高義亭(象山神社)

文化8年(1811)松代で生まれた佐久間象山は望遠鏡などを作成し、天体観測をしたばかりか写真機や乾板の製作から書画などにも長じた偉人でもある。生家ともいわれる家は神社境内にある木造2階、寄棟の屋根を持つ建物。高杉晋作、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰など幕末の志士たちが、ここを訪れ、2階の七畳半の部屋で応対し時勢を論じたという。内部見学は自由にできる。
「火気厳禁」と書かれた庭先では、地元の老人が落ち葉焚きをしていたのには、ちょっと驚いた。近くには象山記念館があり、開国論者であった象山の遺品、遺作を展示。象山自製の電気の治療器や医療用蒸留器などもあり、才能あふれた象山の人物像を知ることができる。
/入館料 250円、文化施設等管理事務所 TEL 0262-78-2801

象山神社
象山神社
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高義亭
高義亭

落ち葉を焼く(象山神社)
落ち葉を焼く(象山神社)
神社内にある佐久間象山の像
神社内にある佐久間象山の像

●象山地下壕

第二次世界大戦の末期に、軍部が本土決戦に備えて、大本営、政府機関等を極秘に松代に移そうと計画し、地下壕を掘削。この象山地下壕は総延長5,853m(約6km)もあるというのだから驚きだ。内500mは一般公開されている。
/料金 無料
  長野市産業振興部観光課
  TEL 0262-24-5042
象山地下壕
象山地下壕

●旧横田家

横田家
横田家
横田氏は真田家家臣として幕末まで150石の禄を受けていた中級武士であった。
主屋、表門、隠居屋と2つの土蔵があり、松代藩士、江戸時代の中級武士の住宅の特徴をよく残している。国の重要文化財に指定されている。
/入場料 200円
  文化施設等管理事務所
  TEL 0262-78-2801

●長国寺

旧松代藩主の真田家の菩提寺で、広い境内の奥に高い塀に囲まれた二棟の真田家の霊廟がある。北側の重厚な建造物は藩祖真田信之公の霊廟で重要文化財に指定されている。建物に施された破風の鶴の彫刻は左甚五郎作で、格子天井の絵は狩野探幽筆と伝えられている。
この他、墓所には真田信政、幸道、信弘、信安など10代の墓、信之の父昌幸、弟の幸村の供養塔が立てられている。
/御霊屋と墓所拝観料 300円(要予約)、TEL 0262-78-2454

真田の菩提寺・長国寺
真田の菩提寺・長国寺
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真田信之霊廟
真田信之霊廟

●善光寺

「牛に引かれて善光寺参り」、「一生に一度は善光寺参り」などといわれるように、古くから大勢の老若男女に親しまれてきた善光寺
本尊は一光三尊阿弥陀如来。欽明天皇13年(552)仏教伝来の折に百済から日本へ伝えられた、日本最古の仏像といわれている。創建以来約1400年、宝永4年(1707)年に再建された現在の本堂は、江戸中期を代表する仏教建築として国宝に指定されている。広大な境内には「大勧進」「大本願寺」と39の塔頭からなる大寺院で山門、経堂など重要文化財に指定されている建造物や仏像などもある。

参道には土産物屋が並ぶ
参道には土産物屋が並ぶ
善光寺本堂
善光寺本堂

年間600万人もの参拝者が訪れる善光寺について説明などはいらない。ただ、「大勧進」の宝物殿には天皇家に伝わった書画骨董などが多く展示されていること、武田信玄と上杉謙信の位牌が並んで納められていることなどは案外知られていない。また弘法大師の直筆とされる般若経もあったが、事務所で真贋を尋ねると「違うんじゃないですか?」と耳を疑う返事。もし弘法大師直筆というのなら、これぞ国宝ではないのか。もう一度確かめに出かけたいと思う。

長明寺の石庭

長明寺は観光案内などはほとんど紹介されていません。松代の街を移動しているとき、ふと古びた寺を見かけました。何となく山門を潜り、境内に入ると石庭がありました。
案内板には「京都・龍安寺の庭司、佐野旦斉先生の遺作」とありました。龍安寺の石庭は広く知られています。同じ人の作だとすれば、偶然にもいいものを見たものです。
長明寺の石庭
長明寺の石庭
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取材:2008年1月