甲州街道ドライブ(4)甲州道中・中山道合流の地へ

左の建物が弊拝殿を拝む「参拝所」。右が祈祷を行う「勅願殿」 韮崎から諏訪湖方面へと車を走らせると、右手前方にたおやかにすそ野を広げた八ヶ岳連峰が見えてくる。その山麓は別荘地や高原リゾート地として有名で、せっかくだからといったん甲州街道を離れて、「富士見高原」へと足を延ばした。
その後、茅野で、信濃国一之宮として古くから信仰されてきた「諏訪大社」四宮のうちの「上社本宮・前宮」に参拝。「諏訪湖」を経て下諏訪に入ってからは、真っ先に今回の甲州街道ドライブのゴール地点ともいえる「甲州道中・中山道合流の地」を目指した。下諏訪はかつて中山道下諏訪宿として大いに賑わった町で、今も数多くの温泉宿が軒を連ねている。長かったドライブの締めくくりとして、「諏訪大社下社春宮・秋宮」や「万治の石仏」、「本陣岩波家」などの名所を巡り、下諏訪宿観光を満喫した。

ドライブルート

新府−(中央自動車道、県道11号線、県道484号線など)−富士見高原−(県道484号線、国道152号線など)−茅野−(国道152号線、県道16号線、国道20号線、県道487号線など)−上諏訪−(国道20号線など)−下諏訪

行程 約75km

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富士見高原 創造の森

富士見高原は八ヶ岳連峰の南部に位置して、宿泊・温泉施設、スキー場、ゴルフコース、トレッキングコースなどが整備された一大リゾートエリア。その一画、標高1,420mの森の中に彫刻が展示された屋外美術公園が「富士見高原 創造の森」である。
創造の森へは、八峯苑裏手の乗り場から自動運転カート「天空の遊覧カート」に乗って25分で着く。園内には20分ほどで一周できる遊歩道があり、その道沿いに国内外の作家によって制作された50体もの彫刻が展示されていた。

  • 創造の森まで自動運転で運んでくれる天空の遊覧カート

    創造の森まで自動運転で運んでくれる天空の遊覧カート

創造の森の見どころのひとつが、園内に3ヵ所ある展望台からの眺め。カート乗降場のすぐそば、木製デッキがある「望郷の丘展望台」からは、富士山から南アルプス、さらには北アルプスまで見渡すことができると看板に書かれていたが、ちょうど稜線あたりが雲に覆われてしまい、170kmを超える壮大な山並みを眺めることはできなかった。その代わり、麓の景色はよく見え、北西方向にはこれから向かう諏訪湖が遠望できた。そこから時計回りに、広大な編笠山のすそ野を一望できる「望峰の丘展望台」、関東の富士見百景に選定された「望岳の丘展望台」と遊歩道を巡った。
今回訪れたのは夏の盛りの季節だったが、春にはシャクナゲやヤマツツジ、秋には紅葉が楽しめるそうで、季節を変えて訪れるのもよさそうだった。
/カート乗車料金 2,100円、TEL 0266-66-2121(富士見高原リゾート本社)

  • 望郷の丘展望台のそばに立つ天空の鐘

    望郷の丘展望台のそばに立つ天空の鐘

  • 望郷の丘展望台からの眺め。遠くに諏訪湖も見える

    望郷の丘展望台からの眺め。遠くに諏訪湖も見える

  • 園内の遊歩道。標高が高いため、真夏とはいえ、吹く風は涼しい

    園内の遊歩道。標高が高いため、
    真夏とはいえ、吹く風は涼しい

  • 望峰の丘展望台

    望峰の丘展望台

  • 奥の山は八ヶ岳南部の編笠山。彫刻はメキシコの作家による「富士山と女」という作品

    奥の山は八ヶ岳南部の編笠山。彫刻はメキシコの作家による
    「富士山と女」という作品

  • 望岳の丘展望台。晴れていれば、正面の彫刻「瞑想の場」の先に富士山が見えるのだが、この日は雲に隠れてしまっていた

    望岳の丘展望台。晴れていれば、正面の彫刻「瞑想の場」の先に
    富士山が見えるのだが、この日は雲に隠れてしまっていた

尖石縄文考古館

尖石縄文考古館の外観

尖石縄文考古館の外観

富士見高原から甲州街道に戻る道すがら、寄り道ついでに立ち寄ったのが、八ヶ岳の西麓にある「尖石縄文考古館」だ。
今からおよそ5,000年前、八ヶ岳山麓の一帯には縄文文化が繁栄し、現在までに数多くの住居跡や土器・石器などが発掘されてきた。中でも尖石の縄文遺跡は、縄文集落研究の原点ともいえる発掘調査がなされた場所で、昭和27年(1952)に特別史跡に指定された。
考古館には、尖石遺跡の出土品のほか、縄文期の遺物として国内で初めて国宝に指定された土偶「縄文のビーナス」や同じく国宝の土偶「仮面の女神」が展示されていた。縄文土器といい、土偶といい、大人になってあらためて見ると、そのユニークなフォルムや模様が面白く、ついつい時間を忘れて見入ってしまった。
/入館料 500円、TEL 0266-76-2270

  • 「縄文のビーナス」と呼ばれる国宝土偶。高さは27cm

    「縄文のビーナス」と呼ばれる国宝土偶。高さは27cm

  • 同じく国宝土偶の「仮面の女神」。高さは34cm

    同じく国宝土偶の「仮面の女神」。高さは34cm

  • さまざまな大きさ、形、模様の縄文土器が展示されていた

    さまざまな大きさ、形、模様の縄文土器が展示されていた

  • 尖石遺跡の縄文住居跡。周辺からはこれまで219軒の住居跡が発見されている

    尖石遺跡の縄文住居跡。周辺からはこれまで
    219軒の住居跡が発見されている

  • 尖石遺跡の名前の由来となった「尖石」。古くから周辺の人々の信仰の対象とされてきた

    尖石遺跡の名前の由来となった「尖石」。
    古くから周辺の人々の信仰の対象とされてきた

  • 考古館の裏手にある与助尾根遺跡には、縄文時代の住居が複数復元されていた

    考古館の裏手にある与助尾根遺跡には、縄文時代の住居が複数復元されていた

諏訪大社上社(本宮・前宮)

「諏訪大社」は全国に1万余りある諏訪神社の総本社であり、諏訪湖をはさんで南に「上社」、北に「下社」があり、さらに上社は「本宮」と「前宮」、下社は「春宮」と「秋宮」にわかれている。創建の年代は明らかではないが、古事記の国譲りの神話にまでさかのぼる、日本最古の神社のひとつだといわれている。本殿を持たず、自然そのものをご神体とする古い神社のかたちを残しているのも大きな特徴で、上社は神体山(守屋山)、下社はご神木(春宮はスギ、秋宮はイチイ)を拝している。
同社を全国的に有名にしているのが、7年に1度、寅と申の年に行われる「諏訪大社式年造営御柱大祭」、通称「御柱祭」だろう。樹齢150年を超えるモミの大木を山から切り出し、各宮の社殿の四隅に立てるこの祭りは、平安初期の桓武天皇(781〜806)の時代にはすでに行われていたという記述が文献に残されている。

  • 県道16号線。ここを左折すると、諏訪大社上社本宮の北参道へと入る

    県道16号線。ここを左折すると、諏訪大社上社本宮の北参道へと入る

  • 北参道沿いには飲食店や物産店が軒を連ねていた

    北参道沿いには飲食店や物産店が軒を連ねていた

北参道より境内に入る。左手に立つのが、本宮一之御柱

北参道より境内に入る。左手に立つのが、本宮一之御柱

最初に訪れたのが、諏訪市にある「上社本宮」。北参道から境内に入ると、すぐ左手のところに本宮一之御柱が立っていた。長さは約17m、直径は1m余り、重さは約10トンもあるという。これだけの巨木を人力のみで山から切り出し運んでくるのだから、その労力たるや相当なものだろう。
ここから正面の階段を登って参拝所へと入っていけるが、正式な順路は境内東側の入口門から布橋と呼ばれる回廊を渡って、弊拝殿の北側を通り、参拝所へとまわっていく。こうした独特な社殿配置は、南西にそびえる神体山・守屋山を拝するためだといわれている。
参拝所からは、重要文化財の弊拝殿及び左右の片拝殿のほか、今春(平成28年)の御柱祭のときに建て替えたばかりの東宝殿と呼ばれる真新しい茅葺きの建物を眺めることができた。

  • 境内東側の入口門。文政12年(1829)建立。その右側には本宮二之御柱が立つ

    境内東側の入口門。文政12年(1829)建立。
    その右側には本宮二之御柱が立つ

  • 入口門から参拝所へと向かう「布橋」と呼ばれる回廊

    入口門から参拝所へと向かう「布橋」と呼ばれる回廊

  • 左の建物が弊拝殿を拝む「参拝所」。右が祈祷を行う「勅願殿」。神体山は右側にそびえており、勅願殿は山に向かっているが、弊拝殿は山に向かっていない。ほかでは見られない社殿配置になっている

    左の建物が弊拝殿を拝む「参拝所」。右が祈祷を行う「勅願殿」。神体山は右側にそびえており、勅願殿は
    山に向かっているが、弊拝殿は山に向かっていない。ほかでは見られない社殿配置になっている

  • 参拝所から弊拝殿を望む。左側奥に見える真新しい建物が、今年(平成28年)の御柱祭で建て替えられたばかりの東宝殿

    参拝所から弊拝殿を望む。左側奥に見える真新しい建物が、
    今年(平成28年)の御柱祭で建て替えられたばかりの東宝殿

県道16号線沿いに立つ前宮の看板

県道16号線沿いに立つ前宮の看板

続いて向かったのが、「上社前宮」。前宮とは本宮に対して、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。大鳥居からゆるやかな坂道を200mほど登っていくと、丘の上に小さな社殿がひっそりと鎮座していた。本宮に比べるとこじんまりした印象だが、社殿のそばに山中から湧き出した清流が流れるなど、周囲の自然と一体となった神聖な雰囲気が伝わってきた。現在の拝殿は昭和7年(1932)に伊勢神宮から下賜された古材で造営されたものだという。
/TEL 0266-52-1919(上社本宮)

  • 前宮の社殿。本宮に比べてこじんまりした印象

    前宮の社殿。本宮に比べてこじんまりした印象

  • 社殿のすぐそばを流れる名水「水眼(すいが)」の清流。昔からご神水として大切にされてきた。奥には前宮二之御柱が立つ

    社殿のすぐそばを流れる名水「水眼(すいが)」の
    清流。昔からご神水として大切にされてきた。
    奥には前宮二之御柱が立つ

高島城址

本丸跡は公園として整備されていた

本丸跡は公園として整備されていた

県道487号線を諏訪湖方面へ向かって走り、六斗橋交差点で上川を渡ってしばらく進むと「高島城址」に着く。この城は天正18年(1590)、豊臣秀吉の家臣・日根野織部正高吉によって設計されて、慶長3年(1598)に完成した。現在は諏訪湖畔まで1km弱の距離があるが、建築当時は城の石垣を波が洗うほどの近さまで湖が迫り、湖と数条の河川が周囲を巡って堀の役割を果たして難攻不落を誇ったことから「諏訪の浮城」と呼ばれていた。関ヶ原合戦後は諏訪氏の居城となり、明治まで代々続いた。
本丸跡は現在、高島公園として整備されて、近隣の人々の憩いの場に。冠木橋を渡り、堀越しに眺める石垣と天守閣(昭和45年復元)の景色は、かつての威容を彷彿とさせてくれる。
/天守閣入場料 300円、TEL 0266-53-1173

  • 高島城の天守閣と石垣。天守閣は昭和45年(1970)に復元された

    高島城の天守閣と石垣。天守閣は昭和45年(1970)に復元された

諏訪湖

諏訪盆地の真ん中に位置する「諏訪湖」は、海抜759m、1周約16kmの信州でもっとも大きな湖だ。今回立ち寄った東岸一帯は「諏訪市湖畔公園」として整備され、湖を眺めながら散策するのにちょうどいい並木道や芝生広場、足湯や遊覧船乗り場、諏訪湖間欠泉センターなどが点在していた。
公園のすぐそばには上諏訪温泉の温泉街が広がっていた。同温泉の湧出量は1日1万5千キロリットルにのぼるといわれ、その量は全国でも屈指。かつては地面を掘れば温泉が湧いたという逸話からも、この地の湯量の豊かさが伝わってくる。

  • 夕暮れどきの諏訪湖

    夕暮れどきの諏訪湖

  • 湖岸道路沿いには温泉宿が立ち並んでいた

    湖岸道路沿いには温泉宿が立ち並んでいた

甲州道中・中山道合流の地

諏訪大社下社秋宮の前を通り過ぎてしばらく行くと、道の右手に「下諏訪宿 甲州道中・中山道合流之地」と彫られた黒い石柱が立っていた。この交差点で甲州街道は終点となり、南西方向の道を行けば中山道を京都へと向かい、北西方向に行けば同じく中山道を江戸へと戻ることになる。

  • 甲州街道と中山道の合流地点に立つ石柱

    甲州街道と中山道の合流地点に立つ石柱

  • 地面に埋め込まれた石のパネル

    地面に埋め込まれた石のパネル

綿の湯伝説を今に伝えるモニュメント

綿の湯伝説を今に伝えるモニュメント

ここはかつての下諏訪宿の中心地で、人馬の継ぎ立てなど宿場の運輸業務一切を取り仕切った問屋場もこのあたりにあったそうだ。また、伝説によれば、諏訪大社上社に住んでいた建御名方神(たけみなかたのかみ)の妃・八坂刀売神(やさかとめのかみ)が日ごろ使っていた化粧用の湯を綿に浸して「湯玉」として下社の地に持ってきて、その湯玉を置いたところから温泉が湧き出たといい、以来その湯は「綿の湯」と名付けられた。その綿の湯のモニュメントもすぐそばにあった。

中山道下諏訪宿

中山道と甲州街道という2つの主要な街道の合流地点で、しかも中山道で唯一の温泉宿場だったこともあり、下諏訪宿は街道が整備されて以来、幾多の旅人や文人墨客を迎えてきた。旧中山道沿いを巡れば、そうしたかつての宿場町としての雰囲気をそこかしこで感じることができる。

  • かつての下諏訪宿の賑わいの様子を描いたパネル。街道合流地点のすぐそばに飾られていた

    かつての下諏訪宿の賑わいの様子を描いたパネル。街道合流地点のすぐそばに飾られていた

「甲州道中・中山道合流之地」の石碑のすぐそばには、下諏訪宿の本陣として利用された「岩波家」が残っていた。かつて茶屋を営んでいた「松屋」は、復元されて現在は「今井邦子文学館」として無料開放されていた。「伏見屋邸」は元治元年(1864)建築と推定される旧商家で、こちらも休憩所兼交流スペースとして無料開放されている。
温泉宿に一泊して、のんびりと過ごすのもよし。ふらっと立ち寄れる公衆浴場も多いので、車を使って湯めぐりをするのもいいだろう。

  • 「下諏訪宿本陣岩波家」の門構え

    「下諏訪宿本陣岩波家」の門構え

  • 江戸時代の茶屋を復元し、アララギ派歌人・今井邦子の資料などを展示する「今井邦子文学館」

    江戸時代の茶屋を復元し、アララギ派歌人・今井邦子の
    資料などを展示する「今井邦子文学館」

  • 休憩所兼交流スペースとして活用される「伏見屋邸」は、元治元年(1864)建築の元商家

    休憩所兼交流スペースとして活用される「伏見屋邸」は、
    元治元年(1864)建築の元商家

  • 街道合流地点から、京都方面に向かう中山道を眺める。左の「桔梗屋」は元禄創業の老舗の温泉宿

    街道合流地点から、京都方面に向かう中山道を眺める。
    左の「桔梗屋」は元禄創業の老舗の温泉宿

諏訪大社下社(春宮・秋宮)

下諏訪には諏訪大社四宮のうち、「下社春宮」と「下社秋宮」が鎮座している。
甲州街道沿いにある「下社秋宮」の境内に入ると、まず目を引くのが正面に建つ神楽殿。神前に神楽を奉納するための建物で、天保6年(1835)に落成。大注連縄は長さが約7.5mもあり、このかたちの注連縄としては日本一長いといわれている。また、両側に控える狛犬は高さが1m70cmもあり、青銅製の狛犬としては日本最大とのこと。
その奥にある弊拝殿は、安永6年(1777)に起工し、同10年(1781)に落成。工匠は、江戸中期の名匠で諏訪出身の初代立川和四郎富棟。素木の生地をそのまま生かした軒まわりの彫刻は見事だった。

  • 下社秋宮の大鳥居

    下社秋宮の大鳥居

  • 日本最大の青銅の狛犬と神楽殿

    日本最大の青銅の狛犬と神楽殿

  • 下社秋宮の弊拝殿と片拝殿

    下社秋宮の弊拝殿と片拝殿

下社秋宮から旧中山道を江戸方面に1kmほど進んだ先にあるのが「下社春宮」
入口の御影石の大鳥居は万治2年(1659)の建立。境内の主要な建物の配置は、秋宮とほぼ同様で、正面に神楽殿、その背後に弊拝殿と左右片拝殿、弊拝殿のさらに奥に7年ごとの御柱祭で新築する東西の宝殿が建つ配置となっている。上社本宮もそうだったが、こうした本殿を持たない社殿形式は諏訪大社特有のもので、「諏訪造り」と呼ばれている。
春宮の弊拝殿は安永8年(1779)に完成したと伝わり、工匠は地元の宮大工・柴宮(村田)長左衛門。秋宮と春宮は同じ絵図面で建てられ、当時は双方で技術が競われたといわれている。

  • 下社春宮の石鳥居

    下社春宮の石鳥居

  • 境内には巨木が多い。右手奥に見えるのが神楽殿

    境内には巨木が多い。右手奥に見えるのが神楽殿

  • 下社春宮の弊拝殿。獅子、鶏、竹、龍などの見事な彫刻が施されている

    下社春宮の弊拝殿。獅子、鶏、竹、龍などの
    見事な彫刻が施されている

  • 春宮大門通りの中央に位置し、かつてここを流れていた御手洗川に架けられた「下馬橋」。昔、春宮参拝の際には、ここで馬や駕籠から下りなければならなかった

    春宮大門通りの中央に位置し、かつてここを流れていた
    御手洗川に架けられた「下馬橋」。昔、春宮参拝の際には、
    ここで馬や駕籠から下りなければならなかった

万治の石仏。願い事を心の中で唱えながら、石仏のまわりを時計回りに3周すると、願い事が叶うといわれている

万治の石仏。願い事を心の中で唱えながら、石仏のまわりを
時計回りに3周すると、願い事が叶うといわれている

春宮のすぐそばを流れる砥川の対岸には、かの岡本太郎が生前に絶賛した「万治の石仏」が立っていた。伝説によると、春宮の石鳥居を造るとき、この石を材料にしようとノミを入れたところ、血が流れ出したので石工たちは恐れをなして仕事をやめ、のちにこの石に阿弥陀如来を祀ったと伝わる。
/TEL 0266-27-8035(下社秋宮)

ニッポンレンタカーの車種・料金

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長野県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、長野県の営業所リストをご覧いただけます。

長野県公式観光サイト「さわやか信州旅net」
長野県観光協会による。「信州観光ガイド」や観光モデルコース、県内各地のライブカメラ映像などを提供。
諏訪市観光ガイド
霧ヶ峰高原など諏訪市の観光スポットを紹介しているほか、ハイキングマップも用意されている。
信濃國一之宮 諏訪大社
上社本宮・前宮、下社春宮・秋宮の4つの境内地をもつ神社の案内。御柱大祭などの行事・神事も紹介。

記事・写真:谷山宏典 取材:2016年8月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。